のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

季節感

2021年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 重機で積み上げた雑木の丸太が崩れてきて、危うく下敷きになるところでした。

 崩れそうなのはわかっていたので、前もって逃げる体制にはなっていたのですが、イメージよりも身体が動くのが遅い。歳のせいなんだろうか?崩れる丸太はイメージ通りに落ちてきましたが、逃げる私はイメージ通りに動いていない。

 幸い、丸太にぶつかることもなくあと数センチで難を逃れましたが、予想ではそれより1メートルほど離れていたはずです。

 最近、藤城清治の絵がお気に入りで、この一週間ほど毎日絵画集を眺めています。

 影絵で何か面白いことができないかな?と、考えているのですが、この何日か直射日光浴びすぎて、自分が影絵のように黒くなってしまいました。

 まだアフリカまでは行っておりませんが、そこらの東南アジア系より勝っているかも知れない。

 腕時計外したらツートンカラーになっていました。なんだかこの一週間は妙に身体が疲れた。日焼けのせいだろうか?

 風呂に入るときに万歳しながら入らないとお湯が熱くてたまらない。

 従妹の娘が病院で助産婦をしておりますが、医療従事者なのでワクチン接種をしたそうで、二度目のワクチンの後、熱が出て一日仕事を休んだそうですが、とりあえず無事に過ごしているみたいです。

 こちらもそろそろ高齢者のワクチン接種が始まりますが、このところ葬式が立て込んでおりましたので、できればもう少し先に行ってお亡くなりになってもらわないと、引き物のお茶がたっぷり集まりすぎております。

 なので、水出し緑茶を作って飲んでおりますが、まだ5月。昨年は7月に入って水出し緑茶でしたが、なんだか今年は季節感が少し違う。

 思えば、桜の花をまじまじと見る機会もなかったし、梅雨入りが早かったので頭の中は6月になっています。

 どこかで季節感を取り戻さないと。

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怪奇!月食

2021年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年の今頃ニーハオウィルス感染予防のために「三つのお願い」と言うのを厚生労働省が出したと記憶していますが、その三つのお願いが何だったかは覚えていない。そもそも聞いていない。

 記憶しているのは、一つやさしく愛して 二つわがまま言わせて 三つさみしくさせないで 四つ誰にも内緒にしてね。

 あれは大阪万博の頃だったと思う。学校では良い子が唄ってはいけない唄になっていたので、ビミョーによく覚えているのですが、二番もあって、合計八つのお願いでした。当時のちあきなおみはお色気タレントでした。

 身欠きにしんと大根の漬物をもらいました。

 身欠きにしん。なにが欠けているのだろう?と考えると、今日は月食の日じゃなかったっけ?

 外に出て夜空を眺めていましたが、ニシンを焼いた煙のような曇り空。いつ月が欠けたのか全然わからなかった。

 でも、ニシンは大変おいしゅうございました。

 ロシアではセリョートカと言ってニシンは国民食なんですが、向こうでは良く食べていました。特に塩漬けのニシンをマリネ風にして食べるのが絶品で、付け合わせは玉葱でした。

 90年代半ばにモンゴルから国際列車でロシアに入り、入国手続きが終わって最初の到着駅のナウシキにつくと、モンゴル人たちが皆列車から出て何か買いに行くのくっついていったら、セリョートカを売っている店でした。内陸なのに樽漬けになってニシンが入ってきているんです。

 それを買ってきて列車の中で見様見真似で食べましたが、魚っておいしいんだなぁ!ってしみじみ感じました。

 国際列車は動くデパートみたいなもので、到着する駅でモンゴル人たちが窓を開けて自分が北京で仕入れて来た商品を車外のロシア人たちに売りつけ、こうして商売しながらドイツまで行って中古車を買って帰って来る。すごい人たちだなぁと感心しながら一緒に旅をしましたが、忘れえぬ経験でした。

 モンゴル人が築いた「元」はシルクロードと言う交易路を広めたのもうなづける思いがしました。

 月食は楽しめなかったけれど、夕食は楽しめました。

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まだ5月

2021年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 まだ5月だったんですね。梅雨空の毎日なので、すっかり6月になった気分で、書類に書き込む日付が6月になってしまった。

 65歳以上の高齢者?には今月末からワクチン接種が始まるのだそうで、15件あるうちの組、私以外は皆ワクチン接種に行くんだって。つまり、65歳未満は私一人って事なのか。凄絶な状況になってきたぞ。この秋から60歳未満がいなくなる。一人暮らしがこの秋101歳になるお婆さんと私だけなのだが、私も孤独死予備軍に入っているので、できるだけ毎日近所の人に姿を見せておかねばならない。

 日曜は地区の河川敷の草刈りだったのだが、年々負担が大きくなるのも高齢化のおかげ。

 ちょっと下界に用があって出かけてきましたが、たぬきうどんを食べてきました。

 うどん一杯で腹がもつだろうか?と、思っていましたが。やはり夕方には禁断症状が出てしまった。高齢者の皆様なら十分これで持ちこたえるのでしょうが、腹が減って脂汗が出るって事はまだ若い。

 長年愛用していたガラケーが壊れてしまって、ついにスマホになってしまいました。水洗いできるタフな奴。無駄に大きい。

 ほんとはこれを機会に携帯電話やめようと思っていたのですが、仕事の電話が入ってきますから、やめるわけにも行かない。基本的に電話嫌いって事もあって、今月、まだ一度もこちらからかけていないので、受信専用みたいなもんです。

 ネットには極力繋ぎたくないので、容量を少ない契約にしているのですが、携帯電話としての使い勝手は非常に悪い。

 慣れるしかないのだろうけど、Line始めニュース配信など不要なアプリとやらを早速削除しました。

 使う機能は気圧計くらいのもんです。野良仕事なので。

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入梅

2021年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 なんだかねぇ、この時期に入梅ってのはおかしな年ですね。雷様もコロナにやられちまったか?

 久しぶりに山から下りて人間のいる所に行ってきました。

 ラーメン・チャーハン・餃子セットを食べてきました。味がしっかりわかったのでコロナに感染はしていないと思います。

 思い切り中華なのに、なぜか「日本」を感じてしまいます。

 近所の高齢者は今月末にワクチン接種が始まると言ってましたが、我々若者は夏以降になるのか?

 時既に遅し、なんてことになりそうですが、その頃には次なるウィルスがニーハオからもたらされていることでしょう。

 昨年の1月には感染を防ぐためにニーハオからの旅行者に制限をと言う話が出ていたと思うのですが、そんなことしたら観光がだめになると強硬に反対していたのは京都あたりからでてきた福山とか言う議員でしたな。

 結果どうなったか?

 どう責任取るんでしょうね?

 IOCの親分が来日するのだとか。この土壇場に来て「やっぱオリンピックなんかやめよう。」なんて言い出しかねないけれど、決定権はIOCにある。放映権などの銭問題が絡んでいるから簡単には中止、延期できないのでしょうが、それが案外個人の利権の方が優先されていたりして。

 日本は世界的に見れば極めて感染者が少なく対策できているのだから、開催するには問題ない気もするけれど、安全のため観光客は停めて、変に盛り上がって人が繰り出さないようにテレビ放送もしない。何処で行われているのかわからないけれど、ひっそりと未到の記録が生まれる。なんてのもありかな?

 世情も梅雨入りだな。

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ちょっとだけよ

2021年05月15日 | 小説

 ふと、5・15事件が思い出された。昭和7年のこの日は日曜だった。

 祖父の日誌ではこの日は田植えをしていたようだが、この年の8月に父が生まれてます。そのため身重の祖母には田植え作業をやらせず、家ですいとんを作ったと記録されてました。

 前年の6年が冷害の年で農作物に大打撃を受けた年だった。世情は今の疫病同様殺伐とした時代だったようです。

 5.15事件でなくなったのは犬養首相と警官一人だったと聞いてますが、押し入った暴漢達に同情する頃も多かったことから刑も軽くなり、これが後の2.26事件を起こす引き金になった気もしますが、5.15事件の時に狙われた政治政党は立憲政友会。なんだ、立憲かぁ。って、ゴミの集まりのように感じてしまうのは現代人だからかな?

 コロナ対策の最善策として、ネットでのニュースも見ないようにしていますが、重要な情報だけは不思議と入ってくるもんです。

 情報なんてものはウィルスと同じで目には見えないもの。空即是色。ウィルスの変異株同様、変異情報も出回るので、感染を避けるようにしています。人類に限らず、生命の進化にウィルスが関与していたことは事実のようで、災いをなすウィルスが「疫病」って奴なんでしょうね。

 今編集作業している猫と座敷童・第二部では弔いをテーマにしていますが、座敷童も、ウィルスも「もの」と呼ばれる「みえないもの」なのではなかろうか?姿を見られてしまったのがウィルスで、人に災いをなす「もの」が一部のウィルスや妖怪で、なんてことを考えてみました。

 どうせ、Kindleで出しても立ち読みのコーナーで読める冒頭部分だけ、ちょっと紹介しておきます。

 はじまりはじまり!パチパチパチ

 

***************************************

温かくなってまいりましたな。座敷(ざしき)童(わらし)でございます。

 

令和(れいわ)二年(にねん)庚子(かのえね)年(どし)の卯月(うづき)は、例年になく暖かな気候でございまして、この地ではいつもなら月末に咲くこの界隈のソメイヨシノも入学式の頃には満開を迎えたのでございます。

 しかしながら、日本にも上陸した疫病とやらが大きな都市を中心に広がる気配を見せ、学校は休校。新入生の入学式もない奇妙な年度初めとあいなりました。

 

役場の重要な行事と言えば、年末の忘年会と、この時期の歓送(かんそう)迎会(げいかい)でございますが、こういうご時世ゆえに歓送迎会も見送られたのでございます。我が家天神屋(てんじんや)の主(あるじ)と同じ世代の職員たちは静かに人知れず定年で職場を去るのでございました。

 

東北の震災以降、錦(にしき)の御旗(みはた)のごとく日本国内を駆け巡った「絆(きずな)」の言葉も今や抜(ぬ)け殻(がら)、人と人の距離を隔てることが「善」となってしまうこの変わりよう。いかがなものでございましょうか?

 

雪害、大雨による水害など、多々経験してきた村人でございます。そのたびに協力し合い乗り越える、自助・共助によって生き延びてきた人々ではございますか、この度ばかりはどう立ち回ってよいのかわからない。

 

百年ほど昔にスペイン風邪の大流行なるものがございまして、あんときゃ日本人も四十五万人ほど亡くなりましたな。私も明(めい)大屋(だいや)の竹(たけ)千代(ちよ)もまだ岩手で座敷童業を営んでいた頃でございましたが、岩手の首都盛岡では小学生が亡くなりましてね、学校が休校になったもんでございます。あの時のことを思えば、今は人の世界も医術が発達しておりますし、衛生観念も違う。そんなことで私、座敷童は心配してはおらんのでございますが、情報ってやつがですなぁ。なかなか曲者(くせもの)なんでございますな。

もちろん、情報伝達の道具は猛烈な勢いで進歩しておりますが、発信する側と受け取る側の中身と来たら、百年経とうが大した違いはございません。

 

去る、弥生(やよい)二十三日の新月の晩の座敷童定例会議。いつもは役場の会議室の天井裏で行っておりますが、感染症(かんせんしょう)自粛(じしゅく)のご時世、公的な場で会合はいかがなものか?と、忖度(そんたく)いたしまして、龍(りゅう)華院(げいん)の本堂をお借りして人知れず行われたのでございます。私達、座敷童は住民税非課税なので、役場の施設を使わせていただくのも気兼ねしていたこともございますが、やはり私ども物怪(もののけ)が会合開くには役場の会議室よりも古刹(こさつ)の本堂の方が絵柄的(えがらてき)にもお似合いでしょう。役場での会議に村長さんが来てくれたら公職選挙法には引っかからなくても問題になりそうでございますが、お寺の本堂での会議にご住職が来て下さっても、取り立てて社会的には問題ありませんでしょう。何より美味なお香を焚いていただけるのでありがたい。役場の天井裏でお香なんか焚いたら火災報知器が鳴り出して大騒ぎになること確実でございます。

 

各地で春祭りが中止や延期になっているご時世でございます。かような時にゲストにお招きするのも申し訳なく思いましたが、龍華院の御住職が、私でよろしければ喜んで仏様のお言葉をお伝えいたしましょう。と、心地よいお香を焚いてご教授くださいました。

 

『随(ずい)縁(えん)行(ぎょう)』。縁(えん)に随(したが)う、と、言うテーマについて方丈(ほうじょう)様(さま)がお話しくださいました。

 疫病と言う逆境が世界を襲うのも縁と受け止めれば、抗(あらが)わずに身を任せる覚悟を持つことで自暴自棄(じぼうじき)にはならずにすむ。このような困難が来たときは、冷静に現状を見つめられれば忍耐も生まれ、的確な行動がとれるもの。

 

災難(さいなん)に逢(あ)う時節(じせつ)には災難に逢うがよく候(そうろう) 死ぬる時節には死ぬがよく候 是(これ)はこれ災難をのがるる妙法(みょうほう)にて候 かしこ

 

方丈様が良(りょう)寛(かん)様のお言葉を色紙に書いてくださりました。この文面は一見、ずいぶんと突き放した冷たいお言葉にも聞こえまするが、「頑張ってくださいね!」の、他人事のような励ましよりも、噛(か)みしめるほどに慈愛(じあい)に満ちた身に染みるお言葉でございます。

とは言え、私どもが腹を決めてもどうにもならないことでございますが、棲む家がなくなってしまっては私ども座敷童も路頭に迷う間柄でございます。

 

さて、この日の座敷童勉強会。パネリストに来ていただいたのは全身鱗(うろこ)に三本の足、中分けにした長髪で顔には鳥のような嘴(くちばし)、肥後(ひご)の海の物怪(もののけ)アマビエ様でございます。

疫病対策にアマビエ様の護符(ごふ)やイラストを張ると霊験があると、突如人間界でブームが起き、日々忙しい中をおいでいただいた次第でございます。

ゲゲゲの鬼太郎によると、最近では妖怪横丁に棲(す)んでおられるようでございますが、何故、地味で知られざる物怪(もののけ)アマビエ様が、百七十四年ぶりに突然着目されたのか?ご当人たちも身に覚えがないと申しておりました。

乃木坂(のぎさか)では白石の麻衣やんが、欅坂(けやきざか)では平手の友梨奈ちゃんが脱退する騒ぎの渦中、妖怪アマビエ様が注目されたのは、私たち座敷童界にも大きな衝撃でございました。

麻衣やんや友梨奈ちゃんグッズのごとく、アマビエ様が描かれたマスクや、アマビエ様の絵柄入りクッキーなど、多様なグッズが巷を飛び交うリバイバルブームが平成の終わりから令和の時代に起きたのでございます。

公民館ではおばちゃんたちが集い、アマビエ様の絵柄の入ったマスクや巾着(きんちゃく)袋(ぶくろ)を作り、農産物直売所のみならず、岩井戸屋の嫁の梨花さんの発案でネット販売までしている我が家の界隈でございます。

 

人間中心の西洋的価値観では理解し得ぬでしょうが、「見えないもの」と暮らしていることを知る日本人の感性が、疫病封じの究極手段としてアマビエ様に着目したのでございましょう。小手先の科学やワクチンや特効薬ではなく、物怪に救いの手を求めたその心根が、愛おしく美しく思えてなりませぬ。神仏・物怪・猫から箸や針の果てまで対等に供養の対象となる目線を持つ心の美。日本人とはかような民族なのでございます。

 

弘化三年巳年の卯月、海の中から肥後の海岸に上がって来たアマビエ様が役人様に今後六年は豊作が続くと良きことを告げ、その後に流行り病が流行するから、私の姿を描き写して人々に見せ疫病を寄せ付けぬようにせよ。と、言い残してまた海に消えただけのことでございますが、この役人が描いたアマビエ様の絵が広まり、江戸の瓦版にまで掲載され、そのご霊験が世間に知れ渡ることとなりました。

この営業戦略。実に見事でございます。不幸の手紙とは逆で、幸いと疫病除けのご霊験を人から人へと自らの絵姿で伝える手法、手腕。私たち座敷童も学ばねばなりません。過去の功績に胡坐(あぐら)をかいていてはならぬ。もっと精進、努力せねばと、私ども座敷童も肝に銘じたのでございます。

 

棲む家に幸いが訪れると人々に信じられている私たち座敷童でございます。アマビエ様同様疫病対策にも霊験あるやもしれぬ座敷童。富山の置き薬と座敷童。一家にひとつ常備しておけば、何も案ずることはございません。

 座敷童、座敷童でございます。

 

 最後に、方丈様が京(きょう)の都(みやこ)で仕入れてきた極上のお香を焚いてくださいまして、ありがたいお話をしてくださいました。

 昨今の疫病で亡くなられた方の遺体は、焼却処分とも言いたくなる寂しい扱いを余儀なくされており、また、疫病に関わりなく弔いが軽薄になることで、人々の命に対する畏敬が薄れてくることを方丈様は懸念なさっておりました。

 絶滅したネアンデルタール人は死者を埋葬し花を手向ける儀式を持っていたそうで、死を悲しむ殯(もがり)の心を持っていたそうでございます。だが、ネアンデルタール人は滅び、体力的には劣っていた現代にも続くホモサピエンスは残った。その差は何であったのだろうか?と、方丈様は考え調べたところ、宗教という共同の幻想を持っていたかいなかったかではあるまいか?と、結論に至ったそうでございます。

 この世のものは形があるようで形がなく、形がないようで形がある。色即是空・空即是色でございます。この世に存在している人々も猫も形があるようで実は形がない。「見えないもの」である私達、座敷童も実は形がある。この世は存在するようで実は幻想。

 人々の認識は共通する幻想なのかも知れない。で、あるとすれば、その幻想を共有することができた者達が生き残ることができ、共有できる幻想を持てなかったネアンデルタール人は絶滅したのだろう。

 しかしながら、その共通する幻想が、しばしば国家間の争いや人々の諍(いさか)いになっている事もまた事実。神仏の意にそぐわぬ「まつろわぬもの」達が憑依(ひょうい)することもまたしばし。

 あなた方座敷童さん達も異国に行けば精霊(せいれい)や妖精(ようせい)などと表現は異なっても、「見えないもの」として存在しておられる。こんな現世(うつしよ)でございます。どうか、皆様が争うことなく「和」を持って人々を共有する幻想へと誘(いざな)ってやって下さいませ。

 

 おいしいお香をご馳走になり、有り難いお話を学ばせていただき、方丈様の徳(とく)に報(むく)いるため、私達、座敷童も精進せねばならぬと誓うのでございました。

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 「大人の童話。猫と座敷童」Kindleで発売中


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日々の暮らし

2021年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 テキーラ!

 海のない群馬県もマンボーとやらの蔓延防止なんたらに加盟するのだとか。で、何が変わるの?

 マンボってキューバの音楽だったような記憶が・・・。

 疫病蔓延防止のお祓いの儀式かな?

 マンボ №5 MAMBO №5 ペレス・プラード楽団 

 日曜は地区の薬師様のお祭りで、役員だけ出て法印様呼んでご祈祷して、お札とお餅を各戸に配布しました。

 月曜はお寺の施餓鬼会で、役員だけが参加して先祖供養のお施餓鬼をして、檀家に塔婆を配りました。

 火曜から、一人で薪作りしているので人に会っていない。たまにキジが目の前を通るだけ。今日の昼過ぎにサルが一匹出てきました。コノヤローと怒鳴ったらこちらに向かって威嚇するような態度をとりながら逃げていったが、実に久しぶりのコミュニケーションだった。

 明日もひとにお目にかかる予定はないが、明後日はスーパーに買い出しに行かねばならない。

 でも、このソーシャルディスタンス。俺って模範囚?助成金貰えないかな?

 昨夜、京都観光のガイドブックを読んで、旅行した気分になってみました。決してコロナ自粛で京都旅行に行かないのではなく、ただ単に金と暇がないだけのことなのですが、京都旅行に行ったつもりになって山の中でニシンそばを作りました。

 舞子はんはいてへんけど、山猿はんがいてはったどすぇ。

 ほぼ毎日こんな生活なので、休日にキャンプ場まで出向いて、こんなことやってる人の気が知れない。

 昨日のお昼はリゾットでした。おかゆや雑炊とどう違うんだ?と、考えてみましたが、山の中で増水作って食ってた。っていうより、リゾットをいただきました。ってのが、おしゃれな感じがするだけで、なんとなく誇らしい。

 いつまでこんな生活が続くのだろう?

 いろいろな意味で。

 キンドルで発売中の拙著「大人の童話・猫と座敷童」

 近いうちに続編を出します。

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プロジェクト×!

2021年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 尖閣諸島には連日のごとくニーハオ偽装漁船船団が出没しておりますが、連中に魚の味を憶えさせたのも間違いだった。

 山奥でも、最近、イノシシが野蒜(ノビル)の味を覚えたのか、ほじくり返して食うので山菜争奪戦も過酷になってきている。イノシシも白い部分だけ食べて後はその場に捨てていくと言う贅沢をするので、腹が立ってなりません。

 こちらでは野蒜を「ののひろ」と呼びますが、かつてはアサツキよりもののひろの方が勢力が上でした。ところがイノシシが食うようになってから形勢逆手。固い土でも育つアサツキと違いののひろは柔らかい土を好むので掘るのも楽。

 イノシシだって生活かけてほじくってるんだろうけど、こっちだって生活に関わってるんだ!

 かつては山菜を取ってきて預けておくと翌日には煮物になっている便利なおばあさんたちがいましたが、この数年で死に絶えてしまった。

 で、一計を案じた私は壮大なプロジェクトを開始しました。

 老婆は一日してならず。と、言う格言があるように、山菜料理上手な老婆を探すより、将来を見据えて山菜料理上手な老婆を作る方が人類のためではなかろうか?と、計画の実行に移ったのが先月のこと。

 近所の中学の2年後輩の女子に「あの学年じゃ、君が一番美人だったねぇ。まぶしいくらい輝いていた。」「優秀で料理上手って評判だねぇ。手間のかかる山菜料理が特に上手だと聞いてますよ。」などと、おだてにおだてて、決めゼリフに我々が中学生時代、女子たちに多大な影響を及ぼした「編み物ができる女の子って、すてきだなぁ」を拝借しまして、三浦友和になった気分で「山菜の煮物ができる女の子って、素敵だなぁ。」

 霊験あらたかで連休の終わりに竹の子の煮つけをいただきまして、同級生何人かに山菜料理作ってやってと連絡しといたから。と、言ってたので、若手の山菜ばあちゃんが増えそうです。

 決して、当人たちに山菜料理のおばあちゃん育成なんてことは言ってはならないのです。素敵なレディーになるためのプロジェクトでございます。

 で、ののひろの料理も作ってもらいました。

 昨夜、もうすぐ80歳になるおばから電話がありまして、コロナ自粛で家に引きこもりで暇を弄んでいるようでしたが、私が死んだらドレスを着せて棺桶に入れてくれ。なんて言い出したので、暇すぎてよからぬ妄想にはまっているのか?と、様子を見に高崎まで行ってきました。

 車いすに乗っていたので、足がだめになったのか?と思ったら、家の中を歩くよりこっちが楽だから。と、ヒョイと立ち上がって歩いて見せたので、ただ単に横着で車いすに乗っているだけだったようです。

 叔母の一家と焼肉食べに行ったのですが、このところ玄米食になっていたんだそうです。と、言うのも、叔母の娘、つまり私の従妹ですが、ミセスジャパンの全国大会に出場決定したとかで、体型を維持するために食事も制限しているのだそうです。もうすぐ50歳。その娘も25歳になりますが、気合が入ってます。

 ミセスジャパンは来週末に伊豆で全国大会があるそうで、こういうご時世だから無観客ネット配信だそうです。

 出場資格は婚姻者。もしくは離婚、未婚の母も含むそうで、嫁の貰い手がなかった行かず後家には出場資格はないみたいです。

 山菜老婆拡充プロジェクトにミセスジャパンは使えないかな?

 審査に山菜料理なんかもあるといいのに。

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小説 死神 第四十二章 夢の浮橋 完結編

2021年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

第四十二章 夢の浮橋 完結編

 中編から

 先ほどまで黒地の江戸小紋を着ていた忍さんだったが、大正のハイカラ女学生姿の海老茶式部に提灯袴スタイルで現れた。髪型も束髪からハーフアップに変え、履き物も編み上げのブーツ姿になっていた。そして、その手にはおなじみの信玄袋ではなく卒業証書を入れる賞状筒を握っていた。

 卒業式?

 「その通りでございます。でも、卒業するのはあなたですよ。」

 そうか、いよいよ川を渡るのか。

 「いいえ、この世から卒業なさるのであって、ここにいることには何ら変わりはございません。」

 なんだ、いよいよ死ぬって事か。と、妙にサバサバ受け止めているが、何で忍さんが卒業式の格好しているの?

 「着てみたかったからでございます。女学生なんて十万十年ぶりでございます。」

 それだけの理由で?

 「それが全てでございます。」

 さすが、着道楽の死神さんだ。

 

 「忍さんは袴姿だったんですか?私はガウンにモルタルボードという角帽でした。タッセルは青の年でした。」

 いつの間にかヤヤサンまで卒業式のガウン姿になっていた。タッセルというのは四角い帽子の縁にぶら下がっている房のことらしい。

 「青でございましたら十万五年前の卒業の色ですね。私の年はえんじ色でございました。」

 十万抜いてもいいんじゃなかろうか?

 私なんか卒業式と会社の新人研修が重なって行けなかったけどね、この世から卒業するって時にこちらに来ているって事は、あの時代と変わらないじゃないか。

 

 マスターが忍さんに緑茶とカリントウ饅頭を持ってきた。

 「卒業ですか。仰げば尊し和菓子の恩と言いますから、どうぞ。」

 マスターの親父ギャグも神々の領域に近付いてきたな。

 大空萌林居士さんが

 「忍さんがその格好をすると、スーツ姿の佐々木さんは娘の卒業式に同行する父親みたいですなぁ。」

 と、笑ったが、絵柄的にはそう見えなくもない。忍さんの方が九万九千九百歳以上年上なんだけど、こちらの世界には時間が存在していない。

 時間が存在しないと言うことは永遠なんだろうか?それとも、永遠なんてものもないのだろうか?

 「永遠でございますか?果たしてそれに何の意味がございましょう?誕生するときに誕生し、滅する時に滅する。それだけのことでございます。」

 と、忍さんが言うと下邊さんが付け加えた。

 「永遠なんてものは人のエゴであり、幻想でしかないと思うのです。この時この時をしっかりと過ごせない人たちの。」

 確かにそうかも知れない。

 「でも、幻想というのも必要なことかも知れませんね。こちらをご覧になってください。」

 と、ややさんが店内のモニターのスイッチを入れたら、三途の河の搭乗手続きの列で異変が起きていた。制服姿の鬼の警備員と、亡者達の間に悶着が起きている。無宗教の列に並ぶ人たちだ。

 「ネアンデルタール人の時代には死者を悲しむ殯(もがり)の感情が存在しておりました。埋葬の習慣が生まれております。しかし、宗教はなかったので、ネアンデルタール人達は滅びました。」

 と、ヤヤさんが言うと、忍さんが付け加えた。

 「世界に多様な人種、民族がおりますが、宗教も祭りもない人種、民族はおりません。なぜならそれらは滅びたからでございます。これらはあなた方の世界で言う共同幻想でございましょうが、共有できる幻想がなくなると人々は混乱を招き滅びるのでございます。」

 

 なるほど、共同の幻想を持たぬ人たちの列が混乱しているのは、「自他」の概念がなく、己がままを通そうとしているからなのか。

 果たして現実の中ではどうなっているのかは想像できないが、今、私達がここに集っている光景は、私の中の幻想がビジュアル化しているだけなんだろうが、多分私のイメージとは違う世界で、何かがうごめいている事には違いない。

 私達が生きていた世界。それが「時間」だとしたら、人々は共有できる幻想の中で同じものを見ていたのかも知れない。

 今、私はこのコーヒーショップに存在している。それは現実だ。しかし、時間という世界の中での私はまもなく存在しなくなる。それが「死」なのか?

 

 「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない?どうせ死んじゃうんだし。」

 と、大空萌林居士さんが言うと、マスターも

 「こっちに来ちゃうとそんな哲学的なことなんてすっかり無くなっちゃいますよ。行いあるのみ。それなりに楽しく過ごしているのだから、十分幸せだって事ですよ。コーヒーもう一杯!ボブ・ディラン!なんちゃって。」

 と、サーバーに残ったコーヒーをカップに注いでくれた。

 不思議なものだ。これといった友人も持たず、職場の同僚たちと飲みに行くこともなかった私が、こちらでは気さくに腹の内を明かす仲間に囲まれている。

 「皆、似たような者たちばかりですよ。私も同様でした。」

 下邊さんが言った。

 

 店内のモニターに映る下の階での騒ぎは収まったようだ。騒いでいた十数人の亡者は鬼の警備員たちに捉えられトラッシュボックスに放り込まれた。

 この人たちはどうなるのだろう?ヤヤさんがスマホを眺めながら言った。

 「本日の予定では灼熱地獄に送り込まれ。まもなく職のプロムナードに開店する岡中さんの中華店の燃料となる予定です。」

 冥界ボイラーの燃料ではないのか。

 「はい。品質が中途半端で悪すぎます。」

 と、ヤヤさんが言うと忍さんが付け加えた。

 「あの者たちもおとなしくしていれば再生工場に回されて再び今生に転生し、業をためて冥界ボイラーの燃料になれるか?徳をためて冥界で過ごす身分になれるか?まだ道筋はございましたが、あの者たちが得た者は永遠という名の消滅でございます。」

 永遠則ち消滅か。

 「確実なことはそれだけでございます。あなた方は人間中心に物事をお考え胃になりたがりますが、冥界中心に事を組み立てれば、あなた方は冥界のシステムのための一部品に過ぎません。それは私たち死神とて同様といえるでしょう。しかしながら、食用のブロイラーが鶏肉となることを前提にその子孫へと命を紡いでいくようなものでございます。」

 てことは、子孫も残せなかったここにいる幽霊さんたちは?

 「なぁんのお役にも立てなかった言うことやないの?だって、あんたらおなごにもてそうなキャラやないよってからなぁ。」

 と、お菊さんが笑ったが、そう言うの目糞鼻くそを笑うって言うんじゃないの?自分だって独り者だったくせに。

 大空萌林居士さんが

 「我々の遺伝子が途切れたところで、この世では何の影響もないって事ですよ。気に病むようなことではありませんよ。ははは。」

 と、大笑いしていたが、まぁ、確かにそうかもしれない。でも、大空萌林居士さん、サトミちゃん人形お持ち帰りって事は、まだ欲はあるんでしょうね。

 「とんでもない。私はコレクションに加えたいだけであって、あんなことしようとか、こんなことしようとか、音楽かけてタンバリン叩こうとか、そんな野心は持ってませんよ。」

 サトミちゃん人形の隣に腰掛けたマスターが付け加えた。

 「大空萌林居士さんのお部屋は、趣味のコレクションであふれてますからね。軍事コレクションの隣に球体関節人形コーナーがありますが、そこに並ぶんでしょうね。僕なら、この人形をカウンターに座らせて、眺めながら仕事したいけどなぁ。ちょうだい!」

 「ダメ!絶対ダメ!ご機嫌さん、下心見え見えだもの。」

 大空萌林居士さんはマスターからかばうようにサトミちゃん人形の前に立ちはだかった。

 

 「さて、そろそろお嬢様が活動なさるようなので、私はこれにておいとまいたします。」

 下邊さんは立ち上がると、深々と一礼して店を出て行った。ヤヤさんは店のモニターに画像を映し出すと、気難しそうなおじさん、おばさんたちの写真が並んでいた。

 「樹里さんは下邊さんを伴って、日本学者会議の刈り取りに参ります。この案件はスゲ管理官が以前から思案していた案件で、いよいよ着手されるようです。」

 悪人には見えなさそうだけど、こんな人たちが冥界の燃料になるのか?

 「名誉欲のためにしっかり業をため込んでいる良質な燃料源です。」

 憲法学者なんてのも燃料になるのか。と、言うと、大空萌林居士さんが説明してくれた。

 「自由・平等・博愛なんて言うけどね。日本の憲法は自由と平等については散々賛美しているけれど、博愛についてはまるで触れていないでしょ。自由平等は自己主張、博愛は自己犠牲。それについて触れさせないようにしているのは、冥界の燃料になるためじゃないの?」

 マスターもその言葉を聞いて同調した。

 「下邊さんや佐々木さんがこちらに来たと言うことはその博愛があったからかな?」

 樹里さんのためなら命さえ投げ出す覚悟を常に抱いている下邊さんなら話はわかるが、私なんかそんなご大層な決心は持っていない。むしろ、マスターのコーヒー愛や大空萌林居士さんの岩崎宏美愛の方がよほど確かだと思うけど、お菊さんは?・・・

 「怨念がおんねん。」

 と、カウンターの中に入って、一枚、二枚と数え歌を歌いつつ皿を洗っていた。

 

 で、これから私はどうするのだろう?死の一瞬、人は今までの記憶がよみがえると言うが、そんな映像を見せるために出かけるのだろうか?誰に?自分はここにいるのに。

 それとも、お世話になった方々や姉一家に会いに行くのだろうか?あったらあったで決心が鈍ってしまいそう。

 それと、誰だったっけ?と次第に思い出せなくなっている。別れた妻の律子。思い出せないと言うことはやはり愛情なんてなかったのかな?

 「そうでございます。さらに付け加えさせていただければ、私が思い出せないように妨害しているのでございます。」

 忍さんの目が赤く光った。

 「後のことは向こうの人たちが上手に片付けてくれますよ。それがあんたの積み上げてきた博愛の返礼だと思うよ。」

 大空萌林居士さんが言った。

 保険がまかなってくれるとはいえ、結局無駄に終わる治療費など、多くの方に迷惑かけているので、引き際としては早いほうが良いのかも?

 「呼吸しているだけとはいえ、ここまで生きたのだから、周りの方々も心の準備ができたんじゃんじゃないですか?それもまたご奉仕だと思いますよ。」

 と、マスターが言うと

 「で、佐々木はん。これからこちらで幽霊として開業されはんのん?」

 お菊さんに聞かれた。それは私の判断ではどうなる事やら?そもそも幽霊の経営なんて銀行員時代にも扱ったことないし。

 ヤヤさんが言うには

 「いろいろ便利な人なので私たちも利用させていただきますが、主に忍さんの助手として働いてもらうこととなるでしょう。それと、スゲ管理官の通訳業。あの東北弁には皆困惑しております。」

 通訳業って、私は会津弁ですし、間に山形県が一つ入っている秋田より都会的な言葉なんですけど。

 「それ言うたらスゲはん怒りまっせ。うちらからみたらどっちも異国の言葉やねん。」

 私にはお菊さんや福本さんの言葉の方が異国の言葉だと思うけど。

 「うちとさっちゃんは播磨弁や。福本はんがしゃべりようは河内弁。全然ちゃうわ。」

 どこがちゃうねん!

 大空萌林居士さんが立ち上がると、背嚢を背負った。

 「さて、と。私もこれからお亡くなりになる方のお迎えに行かなければなりません。仕事が終わったらサトミちゃんを迎えに来ますから、マスター、変なことしちゃダメだよ。」

 「するかい!」

 ラジカセのスイッチを押し「麦と兵隊」が流れると、大空萌林居士さんはこちらに向かって敬礼し店を出て行った。大空萌林居士さんが店を出るなり、マスターはサトミちゃん人形をカウンターの椅子に運びてポーズを決めていた。

 カウンター席に座り、両肘をついて掌を顎に当て、カウンターの中を見つめるポーズのサトミちゃん人形。今のところ見つめているのは皿洗いをするお菊さんだけど、その視線がよほど気になったのか?

 「あかん!病んでるでぇ。」

 と、カウンターから出てきてしまった。

 マスターはうれしそうにカウンターの中に入ると、

 「僕ねぇ、こうして若い子の悩みなんか聞きながらコーヒーを淹れる店にしたかったんだ。でも、こちらに来る人って吹っ切れて悩みなんかないじゃない。」

 マスターはご機嫌さんでカップやグラスを拭きながら、「君はどこから来たのかい?」とサトミちゃん人形に話しかけている。話しかけたところで、サトミちゃん人形から出てくる言葉はお菊さんが吹き込んだ「いちま~い、にま~い、さんま~い」なんだけど、マスターはそれでもご機嫌さんみたい。

 

 「本当に皆様にお目にかからなくてよろしいのでしょうか?」

 忍さんが念を押すように問うてきた。

 はい。心の迷いの元ですから。と、答えると、

 「それではそろそろまいりましょうか。」

 と、忍さんが立ち上がり、ヤヤさんが

 「お帰りをお待ちしてます。」

 と、店のドアを開けてくれた。

 これから何処に連れて行かれるのだろう?ちょっぴり不安もあったが、今までも「いきなり」ばかりだったから慣れてしまった気もする。

 「まずは菩薩界に行って観音様にご挨拶でございます。」

 忍さんの目が金色に変わった。

 

 廊下の突き当たりにスタッフオンリーの鉄の扉があり、その前で立ち止まった忍さんが振り返って言った。

 「この扉の向こうに足を踏み入れると、今生での記憶は忘却となります。ご理解いただけますか?」 

 一瞬戸惑いもあったが、黙ってうなずいた。

 

 忍さんは賞状筒の中から鐘を取り出し、チリーン、チリーンと鳴らすと、鉄の扉がゆっくりと開き、まぶしくてその先が見えない光の光源に向かい

 「参りましょう。」

 と、足を踏み出した。

 私の両足が扉の内側に入ると、静かに鉄の扉が閉まった。

 あやふやな夢のようなこの世に浮かぶ、足下おぼしき浮橋の上に命があったような気がする。そして、私はその夢の浮橋からから出て行くのか?

 それから・・・・・・・・・・・・・・。

 

ーーー完ーーー

 「猫と座敷童・大人の童話」Kindleにて発売中!

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妖精美術館

2021年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 奥会津を探索してきました。

 ここしばらく行っていなかったのですが、小説「死神」の主人公は奥会津出身の設定になっているので、一度見に行かねばと思いつつ、雑多な事情で最後の最後まで延期になってしまいました。

 車中泊で2日掛けて回ろう。鶴ヶ城も見ておきたいし、喜多方ラーメン帝国でラーメンも探訪したい。できれば少し足を伸ばして山形の米沢に入り、上杉の足跡を回ったり、伊達政宗の墓参もしておきたい。

 なんて計画は合ったんですけどね。計画と言うよりも野望か。

 ゼウスの妨害か?死神の邪魔が入ったのか?近所で葬式ができてしまい、日帰りせねばならなくなってしまった。

 ようやく除雪が終わって入れるようになった越後から只見に入る六十里越え。河井継之助終焉の地、只見町を通過するのでその記念館も見ておきたかったのですが、何しろ一日雨。おまけに出がけに玄関のドアに傘ぶら下げたまま来てしまった。

 そんなわけで、本日の「何が何でも」は金山町の「妖精美術館」。

 初めて妖精美術館に来たのは1992年だったと思いますが、何でこんな場所に妖精美術館?って思いました。

 あの時代の展示物は人形が多くて、これがまた良かったんですよ。あの頃、球体関節人形にはまっていて、高くて買えなかったけど、展示会にはよく見に行ってました。が、今やリアルなラブドールが跋扈しているので、興味を持っていると品格を疑いかねない。

 とは言え、ついつい気になってしまう。

 「具」はついていないんですね。と見入ってしまう。ストリップのポラロイドショーのようなポーズなんだけどねぇ。

 要請もないのになぜ妖精博物館なのか?

 コロナ陽性?そんな物騒なもんじゃございませんよ。

 Kindleで発売している小説「猫と座敷童」書いている都合上。西洋の座敷童さんの勉強もしておかねばなりませんからね。西洋にも妖精、妖怪が多々いるんですね。

 日本人作家の作る人形って、なんとなくわかります。温かみがあるんですね。

 多分「見えないものと暮らす」日本人の感性なんだろうと思うけど、どこか人間的です。

 5年ほど前、私が作った妖精?物怪?サンタさん。なんたって、見たことないですからね。

 これでタンバリン持たせればストリップをお参りしているスキンヘッドの大黒様になってしまいそうですが、作ってから気がついた。サンタさんには髭があったんだっけ?

 コロナの影響か?元々客がいないのか?私一人きりだったので、椅子持ってきてゆっくり眺めさせていただきました。

 充実した時間でございました。

 展示された書物などには推理作家のコナンドイルの父親とおじさんが妖精追いかけ回していた話や、シェークスピアに関した文献が多々ありました。「真夏の夜の夢」のバックですねぇ。

 今日中に戻らなければならないので、とは言え、来た道を戻るのも芸がないから西会津から越後に入り、阿賀野から五泉市に入り、一昨年の連休に亡くなった友人の墓参をして、三条から山古志の裏山を通って小出に出ました。

 市街地には絶対入らず、人のいないところを狙って走りましたが、信号がほとんどなくてこれもまた良いもんです。

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