中国製の日本向けの冷凍食品に大量の農薬が混入しており、体調を崩す人が多数出たニュースが日本国内を駆け巡りました。
日本よりもはるかに中国製農産物の依存度が高いウラジオストクからは、「残留農薬を簡単に計測できないか?」と、よく問い合わせが来ます。
農薬と言っても成分がそれぞれ異なるので、単純に計測などできるわけがありません。
以前、ウラジオストクの友人に私が農業で使っていた屈折式の糖度計をプレゼントしたことがあります。果実などの甘さを計る道具ですが、チャートを用いればラジエターの不凍液の凍結温度を計ることもできます。
が、この男、野菜の汁を糖度計に乗せて農薬の濃度を測っているようで、科学的に考えればどう考えてもこんな物で農薬など計れるわけがないのに、なせばなるの硬い信念を持ってすれば「若干農薬が入っている」と、わかるのだそうです。ただ単にそう思いついただけに過ぎないのですが、当人は大真面目で糖度計で安全性を計測しています。
体重計、血圧計、電子体温計など一頃もてはやされた日本土産で、計測することが大好きなロシア人。放射能を計るガイガーカウンターまで持っている家庭も珍しくありません。
また料理の話題になりますが、シリア人のラクマン君が手料理をご馳走してくれました。
まずは大量のニンニクをつぶして炒め、そこに水とヨーグルトをひとパックドカリとぶち込み、砂糖を入れてお米を煮込む。これだけでもゾットします。
羊のひき肉をニンニクと多様なハーブで炒め、別のフライパンではナスをいためる。
ニンニクライスの上に炒めたナスを敷き、その上に羊の肉を乗せて、シリア風丼物。
食べると、羊の肉の香りと、ヨーグルトの香りと、べったりとしたオリーブオイルの香りと、複雑に入り混じって、申し上げるのもなんですが、オゲっとするような風味が口の中と吐き出す息に広がります。
何がつらいと言われても、それを食べているところを熱いまなざしで見られていることで、「お前ら早くどこかに行けよ。」と思いつつも、微笑に涙を浮かべて飲み込まねばなりません。
モンゴルでも似たようなご飯を食べさせられた経験があります。米を牛乳で煮て、干しブドウや砂糖をどっぷり入れたお粥。
なんとしても受け付けなかったのですが、それに羊の肉とオリーブオイルの香りが加わったのですから”アラブ女性と結婚しなくて良かった”と、予想以上に大きく異なる食文化の違いを痛感しました。
このひき肉ヨーグルトご飯にトマトベースのソースもかけて食べます。これはこれでいけるソースですが、何しろあのライスが濃すぎて・・・。
香りの強いものに弱いので特にこうした食べ物は苦手なんですが、わざわざ私のために作ってくれたので何としても食べなければなりません。
今朝の我が家の玄関先の気温は-11℃。例年よりも氷点下二桁が少ない冬ですが、寒いものは寒い。
もうすぐ春節(旧正月)を迎えるハルビンでは、年末に家族総出で大量の餃子を作るのが習慣。近所の吉林省出身の奥さんも、先週末に餃子を作りにハルビン経由で里帰りしたそうです。
餃子を作るには具をそろえる手間が大変なので、ペリメニ(ロシア風水餃子)を作ろうとひき肉と餃子の皮を買ってきましたが、ニンニクの入っていない餃子になってしまい、インスタントラーメンの粉末スープを使ったので、水餃子と言うよりは具の多いワンタンになってしまいました。
だんだん境界線が曖昧になってしまうので、ペリメニとワンタンはどう違うのだろう?
そういえば、私が作るとボルシチもだんだん和風風味になっているような思いもします。
冬のモンゴルに行った時、「寒くない冬をモンゴルでは”腐った冬”と呼びます」と教わりました。
寒さのために凍死する動物も多数出ますが、これもまた、自然環境の中で適正な個体数がバランスよく生き残るためには重要なこと。暖かい腐った冬にはタルバカン(マーモットの一種)が増え、これを餌にするオオカミなど肉食獣が増えると家畜に被害がでて、ヒトにはチフスを蔓延させる。
私が行った時は-50度。腐った冬ではありませんでした。
冬のロシア人と夏のロシア人は別の人種?と思えるほどその雰囲気は一変します。
夏は開放的で陽気な人たちですが、冬は能面のように表情も変えず、口の先っぽで黙々と喋るような雰囲気を受けます。寒さで顔が引きつって表情も変えられないのですが、ロシア人が口の先っちょでもくもく喋るのは一年中同じ。日本語を喋らせてもヒュルヒュルと頼りなく感じます。
偏見も交えて言えば、大きく口を横に開いて喋るアメリカ人は、大口で口の横に皺ができますが、ロシア人はおちょぼ口で口先をとんがらせた喋るので、口元で見分けがつくかも?
温暖化の影響なんだろうか?捕獲しすぎたためなんだろうか?年々タラの漁獲高は減っています。
世界的に日本食ブームで、今まで魚を食べなかった国々が魚を食べ始めたこともありますが、あまり魚を食べないと言われているUSAでもタラはよく食べられています。
日本でマダラを食するのは日本海側の文化圏だと思いますが、日持ちする魚のためなのか?海から遠い我が家の界隈も昔からタラは入手できました。
トラックで売りに来る魚屋が持ってくる塩漬けのタラは冬の貴重な動物蛋白源でしたが、安い魚だったと記憶しています。
ロシアではタラコのことを「ミェンターイ」と呼びますが、「明太子」を思い起こしていただければ、共通の言葉と気がつくでしょう。ちなみにタラは「トリスカー」。
ロシアでもタラは冬の魚として食卓に登場します。
マダラ=タラちり鍋。と固定観念を持っているので、タラをオーブンで焼くなんて!と、もったいない気がしますが、淡白な白身は風味の強いロシアのバターとよく馴染みます。
関東地方は雪で、東京方面も2年ぶりの積雪です。
昨日、ウラジオストクに向けて出荷したコンテナーは、新潟からウラジオストクに直行と言うことで、バイヤー達が変な荷物(個人所有物)も詰め込みました。
食品の卸売市場で日清のカップヌードルとシーフードヌードルを10箱も買い込んできたり、レトルト食品なども大量に買い込んできてコンテナーの自動車部品やタイヤの隙間に詰め込んでいました。
個人で使うの?と聞いたら、「日本の食品は高く売れるんだ。自動車部品よりも食品のほうが売れる!」と意気込んでいました。
昨年末にレンタルスキー点から買い込んできたスノーボードやスキーなども大量にコンテナーに入っていました。ウラジオストク郊外にもスキー場がありますが、冬季オリンピックの開催地に決まったソチ方面に送るのだとか。
中古タイヤの内側に衣料品を目一杯詰め込んで、”これで商品になるの?”とあきれてしまいましたが、アイロン大好きのロシア人のことですから、皺など簡単になおして衣料品店に陳列してしまうのでしょう。
”こんな者に需要があるの?”と驚きつつも、そのドサクサに、私の作った米もコンテナーに詰め込ませていただきました。
週明けにはウラジオストクに到着する予定で、通関に何日かかるかわかりませんが、今月中にはこうした余禄の物品もそれぞれの顧客に送ることができる予定だとか。
このところ、あんかけ焼きそばに凝っていまして、あれやこれやと工夫して作っています。
食肉文化圏のヨーロッパにあって、野菜を食べる比率が高いロシアでは、あらかたの食材がそろうと思いますし、お皿の文化でどんぶりが無い食生活ではスープを使うラーメンなどよりも馴染みやすいのではなかろうか?と思っています。
中華丼にしてもあんかけ焼きそばにしても、上に乗っているのは八宝菜。
あんかけ焼きそばと初めてであったのは、昭和55年の4月。慶応義塾の学食でした。
焼きそばの食券を買って、カウンターで受け取ったのが、蒸した麺に八宝菜が乗ったあんかけ焼きそば。ところが、ソース焼きそばのみが焼きそばと思い込んでいた私は「あの~、焼きそばなんですけど~」
「え?これ焼きそばでしょう!」と言われ、そんなわけ無いだろう!と思いつつも「そうでしたよね。そうだよね。」と引き下がり、食べてみたらけっこうおいしかった思い出があります。
今日はバスで通勤したウラジオストクの女性スタッフ。バスの代金は片道250円ほど。往復で500円と、決して安くありません。自家用車で通勤した時のガソリン代とどちらが安いか?と聞いたところ、「私の場合、通勤距離が短いので、自分の自動車できたほうが安いかもしれません。バスの運賃は値上がりするばかりです。石油が値上がりしてロシアの国が豊かになるほど、私たちの生活は厳しくなります。」と、ぼやいていました。
今日は大寒、暦の上ではこの日をさかいに温かくなりますが、あと一週間程度日本は寒さに包まれるようです。
こちらで暮らしているセルゲイ君は、先週末、近所の家庭からホットカーペットをもらい、「最高に快適」と大喜びしています。
セルゲイ君の部屋を訪ねたシリア人のラクマン君がホットカーペットをほしいと言うので、電器店に連れて行きました。アラブ人なんだから絨毯は空を飛ぶための道具だろうとからかうと、あれはバクダッドの話で、イラク軍の空飛ぶ絨毯はアメリカ軍のステルスに撃墜されたと返してきました。なかなかの切れ者です。
シリア料理をご馳走になりました。伊勢崎に住むパキスタン人に調達してもらったと言う羊肉の料理で、鍋に入れた大量のニンニクをビンのそこで押しつぶして作ったスープに、ブルガリアヨーグルトを1パッケージ入れて、見たことの無いハーブを使った羊肉のスープ。羊の肉には独特の臭みがありますが、その匂いをとる方法を良く心得ています。
見た目はグロテスクでしたが、これが意外にもおいしくて、セルゲイ君説ではアルメニアの料理にも似たようなものがあるとか。
久し振りにハルビンの西郷ドンからメールが来ました。最近はラオスとハルビンの間を仕事で往来しているようですが、そろそろ旧正月も近いのでハルビンに戻ってきたようです。
旧正月は中国全土が1週間近い休みに突入するために、物流に影響がでたり、原材料などは相場にも大きな影響を与えると言われています。
どの観光地に行っても混雑するので、旧正月には中国に出かけるなといわれるほどです。
ロシアのウラジオストクの観光客のほとんどは中国人観光客ですが、中国が旧正月休みに入る今月末からは特に忙しくなるようです。
旧正月と言えば、中国系マレーシア人のファーファイア君たちも旧正月を祝います。ボイ君とミン君は来週マレーシアに帰国しますが、ファーファイア君は一人日本に残って仕事です。
昨日、ミン君とボイ君の飛行機の予約をしましたが、ガールフレンドが待っているボイ君は帰国が決まって嬉しそうでしたが、厳しいパパの帝王学教室が待っているミン君は「飛行機予約できたの?もっと日本で苦労したい。」と肩を落としていました。
ひとり日本に残るファーファイア君は「ミンもボイもクアラルンプール帰る。みんな逮捕ね。」とふてくされていました。
旧正月といえば、我が家の界隈の中国人奥様方の動向も落ち着かなくなってきました。すでに里帰りしている奥様もいます。
こちらの小学校では夏休みが短い分、1月末に繰り替え休みがありますが、学校に通う子供を持つお母さんはこれを利用して里帰りするようです。
昼間は-10度、夜中には-30度と冷え込んでいるウラジオストク。
「ガソリンが高いからバスで通勤しているけど、寒くなったり、夜遅くなることが多いので、この一週間は自分の自動車で通勤しています。」とウラジオストク事務所の女性スタッフの弁。
もはや、「寒い」と言うより「痛い」気温ですが、ロシアでは暖かい地方に入るウラジオストク。
昨年末、ドミニカ人のミア君は奥さん(日本人)と子供を連れて映画館に行き、「マリと子犬の物語」を見てきたそうです。
新潟の中越地震の時、大被害を受けた山古志村から犬を残して非難した家族と、村に残って生き延びた犬の物語ですが、「映画を見てこんなに泣いてしまうとは思いもしませんでした。」と感動していました。
が、ミア君と子供が涙に濡れている時、彼の奥さん(日本人)は天井を向いたまま熟睡していたそうです。
「僕が苦労かけるから疲れているのかな?と思ったけど、だんだん彼女が女でなくなっていくような気がします。結婚前は優しかったのに。」と、あきれていました。
図太くなるのも、幸せな結婚生活の一つの典型だと思います。
Прекрасное далеко, не будь ко мне жестоко, Не будь ко мне жестоко, жестоко не будь! От чистого истока в прекрасное далеко В прекрасное далеко я начинаю путь.」
”美しい未来よ、私を見捨てないで。私を見捨てないで!穢れなき少年年時代から、今未来に向かい、私は歩き始める。”
ソビエト時代のПрекрасное далеко という歌です。
「きれいな歌だけど、私は好きではない。なぜなら、この歌を歌っていた子供達には美しい将来なんかなかったからです。」
と私と同世代のウラジオストクの友人は言います。なぜなら、ピオネール(ソビエト共産主義の少年団)の定番ソングだったから。元ピオネールの良い子だった彼はソビエトがひっくり返って「将来なんか無いと思った。」と振り返っています。
その昔、ウラジオストク極東放送と言うラジオ局が、強烈な電波で日本向けにこうした曲を流しており、なんだかわからないけれどきれいなメロディーだなとテープに録音しておいたことがありました。
ロシアから「あなたのお気に入りの面白いバージョンがあります。」と紹介されたのがこの映像。
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「サムライバージョン」と言っていましたが、よく見れば「新選組」。
新選組って何をやろうとしていたのか?時代の流れに逆らおうとしていたのではなかろうか?などと考えると、Прекрасное далекоを歌いながら時代に取り残された共産主義者にあい通じるものを感じます。
Слышу голос из прекрасного далека, Он зовет меня в чудесные края, Слышу голос - голос спрашивает строго: А сегодня что для завтра сделал я
”美しい未来から声が聞こえる、 私を軌跡の場所へいざなう。 今日私は明日のために何をしたのかと、声は厳しく問いかける。”
明日のためにとやってきたことが、結果的にピントはずれだったなんてことは良くあることですが、そこから立ち上がるのが人間の魅力。
未来は誰かが与えてくれるものではなく、自分で見つけて作り出していくもの。
皮肉なことに、この歌の通りに日々努力していれば彼らだって未来は輝いたと思うのだけど・・・
某国領事館で行われたクリスマスパーティー。ロシアのクリスマスは1月7日ですが、それより1週間ほど遅れて在日ロシア人の方々のために領事館がクリスマスパーティーを主催。
旧ソビエト構成国の人たちも多数来ていたようで、ロシアというよりもCISのクリスマス。
昔、USAのヒューストンの領事公邸のパーティーに呼ばれていったことがありましたが、プール付のゴージャスな公邸でした。「皆さんの税金で作ったもので、こんなところに住まわせていただいて申し訳なく思っています。」と総領事が語っていましたが、一緒にパーティーに参加していたアメリカ人が「ゴージャス!」と感動していましたから、これはこれで気持ちよかったおぼえがあります。
近くで生活していた変な東洋人が「同じ日本人だった」と領事館のパーティーで初めて気がついたこともありました。それまで怪しいから近づかなかったのですが、日本人とわかってから、近くに同じ日本人が住んでいることが心強く思えたものでした。
こういう集まりで子供は素晴らしいと感心するのは、双方の国の言葉を自在に操り、使い分ける術を身につけていること。
なんだかわからないけれど同じような子供達がいて面白かったと言う記憶が、後に「領事館のパーティーだった」と驚くことになるんでしょうか?
こうした機会にはできるだけ参加して世界を広げることも大切なことだと思います。
ちなみに、今日17日。ウラジオストクの日本領事館では新年祝賀会が催されたそうです。
20代の独身男性が毛じらみに祟られた話になり、下の毛全部剃られて薬を塗られ、また週明け病院に行って薬を塗ってもらうのだとか。しっかり毛を剃って、根気よく治療しないと、卵のまま持ちこたえる毛じらみがいるのだとか。
厄落としよりダニ落としで、明日はダルマ燃やした煙を股間にまぶして清めろ!などとみんなにからかわれていました。
どこで何をやらかしたのか詳しくは聞かなかったけど、ご婦人方の間でもちらほら噂になっていたので、バスの中でもその話題が盛り上がっていたようです。
独り者だからまだ良かったものの、妻帯者だったら笑って済まされない事態になりかねません。