のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

ハロウィンでなくとも

2015年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 巷はハロウィンで賑やかなんだろうか?スーパーに行ったらハロウィングッズから早くもクリスマス商品が並び始めていました。まてよ、その間に七五三がなかったっけ?

 土曜と言うこともあり、ハロウィンパーティーに呼ばれていたのですが、喪中ですし、仕事で昼間からそんな騒ぎしているほど暇じゃない。

 なんでハロウィンのようなイベントが受け入れられたのだろう?と考えると、変装が楽しいんでしょうね。多分変装してはしゃいでいる人たちのほとんどがハロウィンの意味なんぞ分かっちゃいないではしゃいでいることでしょう。

 なぜハロウィンに化け物が出てくるのか?神々が出雲に行って留守だからです。

 先週の土曜日に沼田市の農村部の公衆トイレからタヌキが出てくるのを見かけました。今日同じ道を通ったら、公衆トイレに入って行くたぬきの後姿を見ました。棲みついているんだろうか?市役所が予算削減のためにタヌキにトイレの清掃でも任せているのだろうか?もしかしたら、私以外の人間には人がトイレには出入りしているように見えていたりして。

 神無月ですし、ハロウィンですし、こういうこともありなんだ。と、難しく考えないようにしています。

 またお江戸の話になるのですが、写真の公衆トイレ、公園の中にあるトイレで昔よく首吊りがあったんですよ。私が学生時代はレゲエのおじさんが棲みついていたこともあったっけ。今この後ろに高層ビルを建設中ですが、かつてはそこも公園の一部でした。

 ハイソ(ジャズ研)の学友にテナーサックス借りてコルトレーンのアヴァンギャルドをまねてご機嫌で吹いていたら、近くのベンチにいたカップルに「うるせぇから向うに行け!」と3千円もらったことがあります。プロのミュージシャンになった気分でした。

 この芝の上でよく宴会をやっていました。ハロウィンに関係なく子供の幽霊が出るんですよ。この芝生の外側をランニングしていた学友が、前にいた幽霊らしき影を追い越し、「ついてくるのかな?」と振り返ったら姿がなくなっていたなんて事件もありました。理工学部、研究で忙しいから幽霊や革マルなど実態が定かでないものに関わっている暇がないんですよ。

 かつて軍の研究機関かなにかあった場所で、いくつも遺体が埋まっていた場所だったと聞いています。

 

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話題がないので

2015年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 一昨日アメ横で買ってきた筋子で夕食にしました。

 東京に住んでいたころはほとんど行ったことがなかったのですが、田舎者になったらこの怪しい雑然とした賑わいが楽しい場所になってしまいました。一頃外国人を東京に連れて行くときに必ず連れて行ったのが浅草とアメ横で、なぜか喜ばれる場所でした。

 昔はまがい物を売っている店が何件かありまして、登山用品なんかもまがい物がありました。英国のkarrimor(カリマー)のそっくりさんでkerrimor(ケリマー)のザックを買ったことがあります。当時英国のカリマーは3万絵くらいしましたが、日本製のケリマーは6千円程度。この偽物が日本製だけあってやたら丈夫!まだ使えます。アディダスによく似たロゴでアディオスのシュラフもいまだに持っています。このシュラフが全然温かくなくてこの世からアディオスしてしまいそうな代物でした。

 平成の初めごろにパタゴニアに似たパタゴンと言うフリースセーターを買ったのが最後で、まがい物の登山用品は消えちゃいました。パタゴンのフリースは一昨年までボロボロになるまで使っていました。値段も品質もユニクロ並みでしたが、なんたって2万円はするパタゴニアのそっくりさんなので20年間ご機嫌で使っていましたが、さすがに冬山に来ていくには不安で家の中だけで使っていました。まがい物でも日本製は一味違いました。

 この何年か、東京に出てくると帰りがけにアメ横によって上野から新幹線に乗るのですが、天気が良かったせいなのか景気が上向いてきたからなのか、人出が多くて驚きました。

 星空は明るいけれど人工的な明かりが乏しい山奥から出てくると、裸電球のレトロな光り方が妙に楽しい。お祭りの夜店気分かな?LEDでは味わえないともしびです。

 ガード下のカフェテラス風居酒屋。若かりし頃は足を運ぶのもためらわれたような場所ですが、近年は背広姿のサラリーマンや女性客も多く、労務者風のおじさんたちの居場所が少なくなっています。

 コリアンタウンも近いことからホルモン系の料理がいろいろある場所なんですが、魚の刺身を売りにしている店に入ってみました。やっぱ、和風だよなぁと刺身の盛り合わせに焼きおにぎり食べてきたのですが、店員のおねえちゃんの言葉が片言で、調理場には豚肉食べられない系宗教方面の浅黒いお兄ちゃんが焼き鳥や豚串を焼いていました。

 思想信条多国籍何でもありのおかまいなし。この怪しさが楽しくて、陽気なお化け屋敷感覚ではまっています。

 ウーロン茶飲みながら焼きおにぎり食べて、店に出入りする人を観察して、勝手に物語組み立てて楽しんでしまう。もちろん人それぞれ「人生」はあるのだけど、全然関わりのない人だからどんな一日送ろうが知ったこっちゃないのですが、とりあえず今ここに来ていると言うことはそれ相応にいいことがあったから出かけてきているのでしょう。.やけ酒飲むには陽気すぎる街です。

 私にとっては非日常で、年に1-2度来て眺めるだけの異邦人。たまの雑踏もいい味わいです。

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マナーモード?

2015年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、お江戸から帰国してネットを見たら、沼田副市長が遺体で山林から発見されたとニュースのトピックにあったのでクリックしました。自殺らしいです。

 え?と首をかしげたのが見覚えのある副市長の名前で、我が家から2kmほど離れた地区出身の県職員だった人と同じ名前。確か、2-3年前に県の埋蔵文化財調査事業団の理事長になって、渋川で発見された鎧を着た古墳人の発掘見学に行ったときに、いろいろ話をする機会がありました。なんか、顔つきが似ているので「郵便局の上原さんのご親戚?」と聞いたら「兄弟です。」ああ、横浜国大出て県庁に入った人だとわかりました。

 昨年、沼田市長に頼まれて副市長になったらしいのですが、あそこは選挙で落ちた前市長が暗躍して今ごたごたしていますから心労も絶えないことでしょう。

 今日の午前中に亡くなった副市長の家の前を通ったら遺体が戻ってきているようでした。

 実は、こちらにも私がかねてから目をつけている「何か出てきそうな場所」があるので、発掘する口実ができると言いですねなんて話したのですが、あのまま埋蔵文化の親分さんやっていてもらえれば、こんな目に合わなくても良かったのではなかろうか?

 さて、話は変わりますが、昨今何かと問題になっているとかの「歩きスマホ」ってやつ。昨日お江戸で初めて見ました。

 この山奥では歩き熊や歩きイノシシは時折見かけますが、スマホやりながら歩いているような暇なやつはいないのでどんなものかよくわからなかったのですが、ありゃ危険だわな。一応どこかしら見えているようで、信号などでは横断歩道でしっかり止まっていましたが、薪を背負いながら本を読んだと言われる二宮金次郎のような人物は出てこないでしょう。利口そうな顔した奴もいなかったし。

 品川から新宿方面に向かう山手線の中のことですが、渋谷で大勢の人が降りて座席が空いたので座りました。同じくらい大勢の人が乗ってきて座席は埋まったのですが、私が腰掛けている横に長い座席でスマホいじっていないのは私だけ。ちょっと不気味な雰囲気でした。いわゆるガラケーなんですけど、とりあえずポケットから出して何かやっているようなふりせにゃならんと、電卓モードにして割り勘の計算練習して難を逃れましたが、電車の中では携帯はマナーモードにしてくれとの車内アナウンスは何なんだろう?

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お江戸方面襲撃記

2015年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 たまには都会の毒気を吸わねばと、お江戸方面を散策してきました。

 朝、出発の時点でいきなりトラブル。と言うのは、新幹線の自動改札でチケットと一緒に領収書も自動改札機に入れてしまったらしくゲートが閉まってしまい、係員に「おじさんこっちから入って。」と、チケットにスタンプ押してもらって入れたのですが、正式に通過していないチケットなので磁気に記録が残っていないから到着して出る時にもゲートが閉まって、また係員に「こちらから出てください。」と、いまだに自動改札に対応できていません。

 いきなり新幹線乗り継いで新横浜まで行って、鶴見の総持寺に行ってきました。新横浜の駅を利用したことがなかったので、どうせ行くならと東京発の博多行のぞみに乗って、品川、新横浜と二駅目でしたが、次が名古屋なので乗り越したら大変なことになります。

 総持寺は元々加賀にあった曹洞宗の大本山ですが、明治の時代に横浜に移転しています。今年は総持寺開祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)700回忌、二祖峨山韶磧(がさんじょうせき)の650回忌の年なので、ダミアン記念日の6月6日に加賀の総持寺に行って峨山韶磧ゆかりの峨山道と呼ばれる52kmの山道を一日で歩いてきましたが、その霊験があって翌朝脳梗塞の症状が出てしまいました。

 落とし前どないしてくれんねん。と鶴見の総持寺に来た次第で横浜まで来ましたが、足の指を骨折中なので、アスファルトの道が刺激的過ぎて汗が出ました。

 せっかく総持寺に来たから石原裕次郎のお墓にも行ってきました。石原裕次郎と言われても若い人にはわからないと思いますが、携帯電話のコマーシャルでフテ猫と一緒にブラインドから首が抜けなくなっている濃い顔のおじさんです。

 お墓のそばに白と黒の斑ネコがいました。やっぱ猫と裕ちゃんコンビだったんですね。

 お昼はラーメンと決めていたので、鶴見から京浜東北線で品川まで、そこから山手線でラーメン激戦区の高田馬場に移動。

 土地勘がある場所で気楽でしたが、ラーメン屋の知識もないのでとりあえず目についたところに行くことにしました。下落合になるのか?光麺という店で結構こってりしたラーメン食べてから一度駅に戻り、私が学生だった頃は本屋があったビルにドン・キホーテと言う看板が目に入ったので、デザートはハンバーグだ!と行ってみると、ドンキホーテとびっくりドンキーって別物だったんですね。ハンバーグはなかったけれど、ハロウィングッズが販売されていました。

 その地下にかつておいしいハンバーグの店があったんですが、蒙古タンメン中本が出店していました。で、激辛ラーメン食べてしまったんですが、さすがにこれは重すぎるデザートになってしまいました。

 体調を整えるために少し歩こうかと、学バスに乗って早稲田大学の本部に行きました。

 我々理系には何をやっているのか?どんなキャンパスなのか?全然わからない場所で、在学中に来たことがほぼないキャンパス。一度演劇博物館を見に来たことがあるだけだったと思います。学バスも体育の授業で文学部の体育館を使った時に何回か乗ったことがありましたが、バス代もったいないので歩いていくことの方が多かった。

 大隈講堂なんて革マルのねじろになっていてうかつに近づけない時期もありましたが、アジびらや看板も撤去されずいぶんきれいになった印象です。

 文系学部の連中は理想を語ると言うより、不平不満を愚痴っているようにしか思えない連中ばかりだったので、お前らもっと勉強しろよと冷ややかに見ていましたが、クールにそつなく勉強している慶応との差がこの4年で出ていた感があります。

 法学部の周辺ではそれらしい立て看板がありましたが、早稲田祭も近いのでその隣には「平松愛梨」が来るとか何とかのブースがありました。

 私の時代なら今の季節は実験目白押しでそんなお祭りやっているような気分ではなかったのですが、早稲田祭はパンフレット代と称して入場料金をとる稀有な学祭だったと記憶しています。

 古本屋巡りしながら文系学部とは異なる暗さを醸し出す理工学部のキャンパスに行ってみると、ラウンジでは学生達が自習学習していました。

 今やノートではなくパソコンなんですね。

 コンクリートの強度実験をやっていたので多分2年生でしょう。同じ時期にやった記憶があります。実験棟の機材も昭和の時代からそうそう進化していないみたいで、より厳しい精度を求められる実験には裕福な国立大学の機材を使わねばならないため、これから難民生活が始まる学生たちです。

 平板トランジットで測量の勉強をしている学生。GPSと光波の進化で現場は随分違ってきていますが、ここで基礎を学んでおかなければ元々の理屈がわからない。

 データ取りの時はワイワイ騒ぎながらやっているのですが、家に持ち帰って計算し始めると頭を痛めるんですよ。

 時折人が飛び降りる18階建ての研究棟。

 飛び降りた人が墜落するのはこのあたりですが、かつては機材が置かれていたりもっと狭かった気がします。地面に直接落ちた飛び込みと、途中で機材にぶつかった飛び込みでは随分後が大変だったことでしょう。

 学生達がノートパソコン広げて喧々諤々と論争していました。私たちの時代は関数電卓が最新鋭の兵器でしたが、このコンクリートの床にはチョークで計算式が書き連ねてあって、その上に寝そべりながらあれこれと議論した覚えがあります。

 ちょっと背後からのぞかせてもらったら、バックミンスター・フラーのドーム理論の不当辺三角形の羅列の計算で、この課題やったことがあるぞ?と、学生に見せてもらったら、同じ場所に引っ掛けがありました。出題者の意図が30年近く変わっていない。パソコンで数値入力するだけに慣れてしまっているから気がつかないみたい。

 案外変わっていないもんだなと感心しつつも、大きな変化を発見しました。写真左側の階段を下りてくると頭上のパイプの大きなバルブのハンドルがあります。身長175cm以上の学生は勢いよく階段を下りてくるとこの取っ手の部分に頭をぶつける構造になっています。かつては「頭上注意」の札が下がっていましたが、現在は取っ手の部分にフェルトが巻かれています。これで安心して頭をぶつけられます。よかったよかった。

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日本シリーズ

2015年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 チャーリーに酒乱二匹が復活した土曜の夜の懇親会の話を聞きました。

 宴会開始30分。猛烈なスピードで飲んで早々につぶれたチャーリーはさっさと部屋に戻って眠ってしまったそうです。

 酒乱東西横綱は自分たちが敬遠されているのを察しているらしく、歯切れが悪かったようですが、番付からいえば関脇クラスの酒癖の悪いおやじが今場所の目玉になったようです。宴会も終わり、旅館の廊下で夜中の3時ごろまで二次会をやっていたそうで、最近めきめきと力をつけてきている元県庁職員。来場所の成績いかんでは大関昇進を期待させる酒癖の悪さを発揮したようです。

 元々は森林整備に興味を持つ人たちが集まったボランティアだったはずですが、年に何回か慰労のための宴会をやるようになり、いつの間にかそちらが目的になった人たちが残り、酒乱が酒乱を呼び、まともな人たちが姿を消す酒乱デフレスパイラルに陥っているようです。県外から来る人も多いので土日を使った森林整備の合間に旅館で一泊しながら懇親会をやるようですが、こんなざまですから翌日は二日酔い続出で仕事にならないみたいです。

 連中が整備と思いこんで荒らした山林を、後日私たちが仕上げて見られるようにするのがいつものこと。

 所詮ボランティアなんてこの程度。無責任な集まりです。

 それでも、口先だけで体を動かさない左巻きの連中より現場で汗を流すだけでも立派で、初期の頃は森林整備を免罪符にしようとする左巻きが入り混んだ時期もあったようですが、酒乱勢力が存在感を増すことによって親睦会でひっぱたかれたり蹴っ飛ばされたり、世間には飲んだくれの仲間か?と疑われるようになり姿を消して最近では見かけなくなりました。酔っぱらいは翌朝になれば都合の悪いことをすっかり忘れ、ラガーマンのごとく宴会のが終われば所業の数々はノーザイドなので、あとで左巻きがあれこれ言っても聴く耳を持たない。酔っぱらいが国賊を駆逐した稀有な例かもしれません。やっぱ武力って有効なんですな。

 昼間、同級生から「すき焼きの鍋を買ったから肉とネギと玉子と酒買って来い!」と電話があり、先週末オープンしたスーパーに行って買いそろえました。オープン当初の混雑もなくなり、レジの自動支払機も無事通過しました。

 同級生の家族とすき焼き食べながら日本シリーズを見ました。野球放送を見るのも5-6年ぶりですが、知らない選手ばかりでした。

 我々が小学生の頃はジャイアンツのV9時代でしたが、ドラフト制度で力が均衡化してから面白味もなくなってしまったような気がします。元々野球が盛んな土地でもないのですが、自分の行きたい球団を選べないドラフト制度と言う競売にかけられているようで、やはりアメリカ発祥の商業的スポーツなんですね。野球って。

 軍隊でドラフトと言えば徴兵制のこと。ボランティアと言うのは志願兵を意味します。

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初冬

2015年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は冷え込んで雪が舞ったようで、谷川岳が真っ白になっていました。風も強かったみたいで枯葉が道路を覆っています。

 明日から秋の読書週間。さて、何を読もうか?と「下町ロケット」を読み始めました。最近、難しい本を読み始めると眠りこけてしまいますが、何とか眠りに陥ることもなく半分ほど読み終えました。

 水曜か木曜に久々にお江戸方面に行って今話題のラーメンを食べてこようと画策しているのですが、まだ骨折した足の指が痛むのでできるだけ歩かないで行けるお江戸探索をしてくる予定です。

 かつては学生街だった高田馬場も今やラーメン街になってしまったみたいですし、日本シリーズの神宮界隈も見てきたいのですが、駅から結構歩きますし、さてさてどこに行こうかな?あまり考えないで気まぐれに都会の毒気を吸ってこようかと思ってます。

 

 秋と言うより初冬に突入した季節になると、セルゲイ・エセーニンの詩が映えます。

だんまり静まり返っている金色のしげみ。

白樺のにぎやかなおしゃべりの舌が止んだ。

雁たちがうら悲しく渡り去るが、

もはや未練を誰に残すこともない。

今さら誰に未練だって?お互いはこの世の放浪者

通り過ぎ、立ち寄り、そしてまた あらためて家を去る。

往き失せた人みなを あいもかわらず 夢まぼろしに描くのは、麻畑。

それに 碧い池にかかる だだっぴろいお月さま。

むき出しの平地のどまんなかに ひとり立つ。

はるか遠く 風が 雁たちを ひき連れて去る。

ぼくは にこにこ顔の少年の日の思い出でいっぱいだ。

でも 過ぎし日はいっこうに惜しまれぬ。

益もなく浪費しつくしたとしどし それとても、くやしいと思いはせぬ。

ライラックの花ざかり それとて、つきせぬなごりというわけでもなし。

リャビーナの紅が 庭に 焚き火と炎えるけれど、

それとて、誰をぬくもらすものでもなし。

リャビーナのふさぶさは 焦げる焼けるわけではない。

黄ばんだからとて 草は 亡びるわけのものではない。

立ち樹が ひっそり、ひとつ ふたつ と、その葉を手離せば、

ぼくもまた 暗うつな ことば ことばを、振り落とす。

さて、それを、ときに風が吹き散らし、またときに

ひとつに掻きよせ 誰に要りもせぬ堆につむなら・・・・・・

こういって ほしいものだ・・・・・・

金色の木々のしげみの かわいい舌が おしゃべりしつくしてしまったよ、と。

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およばれ

2015年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 いまどき珍しい結婚式に御呼ばれしてきました。

 新幹線で大宮まで行くので、朝、身支度を整えて知人宅に顔を出しました。

 4歳の孫が仮面ライダーゴーストを見て興奮していました。将来、仮面ライダーになって悪い奴らをやっつけるそうです。とても良い心がけだと思いますが、若いこともあってまだ考えが未熟です。権謀術数渦巻く世の中を生き残るには単純な正義感だけでは飲み込まれるだけです。

 おじさんなら仮面ライダーに変身する前に福士蒼汰に変身しておねえちゃんたちブイブイ言わしたるねん。あと50年もすれば彼も娑婆がわかるようになるでしょう。

 さて、未熟な孫は留守番させておじさんたちは集合場所の駅に向かいました。

 20世紀なら日曜ともなれば珍しくもなかった駅に集う礼服姿の集団。近年結婚式が少なくなったためか?現地で着替える人が多くなったためなのか?略礼服のおじさんや着物姿のおばさんが異様に目立ちました。

 冬など積雪地から出てくる人たちは略礼服にゴム長靴を履いたまま東京あたりの結婚式場に乗り込んだものですが、こうした風物詩も過去の物になってしまいました。それより、いまだにわずかにの頃風物詩に自分が加わっているのもなんだか気恥ずかしい気がしました。

 駅前で結婚式場のバスを待っている黒い服の集団の隣に、ハロウィンの仮装の集団が集まっていました。お互い気まずそうに眼をあわせられない。結婚披露宴も仮装パーティーのようなものなんですね。

 月に一度は葬式によばれるけれど、結婚式など5-6年ぶりかな?この先よばれることもなくなりそうなご時世です。

 世の流れなのか?これもこれでいいような気もします。

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年末

2015年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 来年の干支は何だっけ?

 数人のおじさんたちは空白のスポットに陥り、言葉を失ってしまいました。その前に今年の干支は?今年の干支のことも実感できないまま年末が近づいています。何かとっかかりがあれば・・・。

 そうです。来年の干支を決めるために現在日本各地の神様が出雲に集まって会議をしているので、来年の干支は近日中に発表になると思います。もうしばらくお待ちください。

 シリア問題も年内には収まるのかなと思っていたのですが、収まるどころか泥沼化するばかり。それもそのはずでアメリカとロシアの代理戦争にISISが絡んでの三つ巴の喧嘩なんですから、シリア三国志状態。

 どうやって落としどころを見つけるか?ここが難しい。それなら、いっそのこと三つの勢力で三国志の故郷中国に攻め入るなんていかがなもんでしょうか?いいストレス解消になることでしょう。

 思い起こしてみれば勤め人時代にありましたな。上司同士の対立の最前線で部下が張り合っている光景。私なんか派閥に縁がないISISみたいなものでどちらからも敵視されていたのですが、結構こうした組織に冷めたお気楽な連中がしぶとくて強いのでISIS侮れないでしょうね。

 この様子だとシリア問題は年内解決しできないでしょうが、その前に、私たちが年明けできるのか?あわただしい年末に突入しそうです。

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懇親会?

2015年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 本日新規オープンしたスーパーに行ってきました。

 レジにはこの地域では初めてとなる自動支払機が設置され、レジの係りはバーコードを読み取るだけで支払いは機械、おばちゃんたちがパニックになっていました。

 楽しみにしていた総菜コーナーは人だかりになっていたので参戦をあきらめて、お目当ての特売のサンマ(74円)を4匹買ってきました。半分は猫が食べてしまうのですが、小ぶりのサンマだったので、一匹はモヤシ入りのあんかけラーメンを作って正統派サンマ麺の社会実験に使うことにしました。

 結局、あまりの混雑にサンマ4匹とサバの味噌煮の缶詰2つ買って、おばちゃんたち恐怖の自動支払機を「ヤングには簡単!」と、さりげなくこなして店を出てきました。

 オープン前に通った時「衣料品何でも半額セール」と言う看板があったのですが、衣料品店は30日オープン。どうせ大きなサイズはないだろうな。

 昼間、雪虫が舞っていたので寒くなるかな?と話していたらチャーリーがドーナツをもってやってきました。

 土曜の晩に旅館に一泊しての森林ボランティアの懇親会があるそうですが、参加辞退者が相次いで危機的状況になっているようです。

 それもそのはずで酒乱の東西両横綱がそろい踏みになったもんですから、まともな人は”君子危うきに近寄らず”とばかりの参加辞退するに決まっています。

 70代と40代の酒乱なんですが、いきなり飛び蹴りくらって肋骨骨折した人やビール瓶で顔面ひっぱたかれた人など犠牲者があまたと出ています。この二人の都合が悪い日に懇親会の飲み会をしていたようですが、このところ70代酒乱が体調を崩していたので、40代酒乱の都合の悪い時を狙っていたそうです。

 面白いことに酒乱同士はお互いをリスペクトしあっているので、70代酒乱が「体も復調してきたし、今回の懇親会は参加するぞ!」と声を上げたら、40代酒乱が「それなら俺も先約断って合流します!」とご機嫌で参加することになったもんだから、まあ、この先どんなことが起きるかは想像つきます。

 辞退者続出で懇親会だけでも参加してもらえないか?と打診に来たのでしょうが、「山に登って十三夜の月を観測する計画があるんだ」とばっさり切り捨てました。今まで一度もこうした飲み会に参加していないので意外と簡単にあきらめてくれましたが、もはや「懇親会」の意味をなしていないのでこんなことやめればいいのに。

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後方支援

2015年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 新潟中越地震が起きたのは2014年の10月23日でした。確かその前の日あたりに強い台風が日本海方面を通過して、富山に停泊中のロシアの客船が転覆する事故があったと記憶しています。

 この当時はまだ我が家のテレビも映っていたのですが、あの地震が起きた時は土曜日の夕方で、ネコのウンチ君を膝に抱いてサッカーの放送を見終えた時でした。グラグラと揺れはじめ「これは大きいぞ!」と感じた瞬間、ウンチ君は私の膝から飛び出して玄関にすっ飛んでいき、ドアを開けろとばかりに「ニャーニャー!」叫んでいました。

 スタジオジブリが「猫の恩返し」なんてアニメを発表していた時代、長年お世話になっている飼い主様を放り出して自分だけ真っ先に逃げようとした薄情なネコの現実。

 現実なんてこんな物さ!と身をもって感じた次第です。

 この当時は小泉政権でしたから対応も適切で素早かった。地震が起きてから十数分後には我が家の上空をヘリコプターが越後方面へと飛んでいきました。

 地震直後に外に逃げたウンチ君も暗くなったら戻ってきて餌を食べて私の膝の上に乗って眠りこけていましたが、この臆面のない精神構造。たいしたもんです。

 有事の際にネコは役に立たないことを身をもって知りました。

 ネコ以下の連中が国を担っているときに起きたのが東北の震災で、人災も膨らむわけです。枝野なんか「直ちに放射能の影響はない」とか言いながら自分の家族を国外に逃がそうとしていたにもかかわらず、いまだに居座っている。ネコ並みの神経ですな。

 さて、今我が家の床下に棲みついている自営業のネコは家の中には入ってこないので閣外協力してもらっています。

 このところ、近所にアナグマが出没しているようで、たびたびスクランブル発信して喧嘩しているようです。夜中に自営業のネコとアナグマの怒鳴り声がするたびに新しい安保法案にのっとって外に出て集団的自衛権を発動しています。

 アナグマ捕獲のわなを仕掛けたいのですが、どちらかと言うと警戒心が薄い自営業のネコが捕獲される危険性の方が高いので、しばらくは後方支援しながらアナグマ撤退まで警備活動をしなければなりません。

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竹取物語

2015年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつよろづの事につかひけり。名をば山仕事のおぢさんとなむ言ひける。

 その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに筒の中光たり。

 それを見れば一万円ばかりなる札、いとうつくしうて居たり。翁言うやう。

 「めっちゃラッキー!」

 日本の古式ゆかしい竹取り物語にてございます。

 疑問に思っていたんですよ。高齢者の竹取の翁ご夫妻が国民年金受給者だとして、入ってくる年金が二カ月に11万円。夫婦で22万円。これで2か月暮らさなければならないわけでしょ。しかも、既に年金から健康保険や介護保険料は源泉徴収されているわけですし、電気代、電話代、考えると竹と切ってきて生活の足しにしてもかなり厳しい生活を強いられているわけですよ。

 竹取の翁ご夫妻には子供がいないわけですから、老後の面倒を見てくれる家族もいなければ、子供たちに仕送りしてもらえるわけでもない。いくら子供が欲しいと願っていたからと竹の中からかぐや姫が出てきても、どうやって養えばいい?かぐや姫を育てるにも費用は掛かりますし、学費だってばかにならない。年老いた夫婦が稼げる収入が増えるわけでもない。経済的には無謀と言うより暴挙ですよね。

 少子化担当大臣が託児所をいくら増やそうが、そんなことでは子育てが解決できるわけでもない。だいたい、福島瑞穂が少子化担当大臣だった時なんか沖縄の基地問題ではしゃしゃり出てきたくせに肝心の自分の仕事なんざ何一つやっていなかったんだから、国が少子化問題をまともに考えちゃいないことを痛烈に見せつけていました。

 よっぽど貧しい生活で育ったから美貌でチャラチャラ持ち上げられたかぐや姫がつけあがって、「あんたお金持ちだからミツグ君。」「あんたはおいしいレストラン詳しいからメッシー君。」「いい車持っているからアッシー君。」「あんたは牛飼っているからウッシー君。」とコンツェルンを形成して男たちを従えるバブリーな女性になったのも幼少期の反動か?

 なんてことを考えていたんですけどね。

 竹取物語の歴史書によると竹取の翁はかぐや姫を見つけて以後も竹取の仕事を続けていて、たびたび黄金の入った竹を見つけて次第に金持ちになって行くんですね。かぐや姫って養育費付きだったんですね。

 そこに悪いおじいさんが出てきて、となれば花咲じじいや舌切り雀になってしまいますが、とりあえず竹取物語には悪いおじいさんはいない。とは言え、私は悪いおじいさん予備軍なので、かぐや姫はいらないからお金が出てくる竹だけ欲しいタイプです。だいたい、今の時代親の面倒見る子どもが稀ですから、かぐや姫なんざほっといて、竹を切って出てきたお金で海辺のコンドミニアムの養老施設に入ってハッピーでナウな生活をする方が手堅い老後の生き方。

 なんてことをね、考えながら歪んだ心で山仕事しているから怪我をするんだろうね。なんかちょっぴり自分がわかった気がする。

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空気を吸う

2015年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 平凡な天才よりも非凡な狂人を好むロシア人。プーチンって非凡な狂人だと思う今日この頃。

 手に負えないのが平凡な狂人と言うやつらで、こんなものを代表にしたらろくなことにならない。日本も鳩とか菅とか、平凡な狂人がガタガタにしました。現在、平凡な狂人が代表をやっている国はクネちゃんの国が最先端でしょう。大いにウリナラ自慢してくださいませ。

 企業だって平凡な狂人が上に立つとろくなことにならない。こういう人間ほど自分を「カリスマ」なんて思いこむから周りに残るのは「空気を読む」と思いこんでただひたすら媚びる輩ばかり。フォルクスワーゲンのデータ改ざん事件も、東芝の不正事件も、上の意向を組んで空気を読んだつもりで数字をいじくってやらかしたような事件。こういうのを国家規模でやるとニーハオ国になってしまいます。ソビエトだって末期には空気を読む家臣たちがガタガタにしましたからね。空気は読むより吸うもんです。

 秋たけなわの空気を吸おうにも、ススキの種が風に舞って飛び交うもんですから花がかゆくなる。

 昔、座頭市が言ってたな。「いやな都政だなぁ。」

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忘却とは忘れ去ることなり

2015年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 先週放送された科学ドキュメンタリードラマ「科捜研の女」のビデオを借りに知人宅に行ったら、2歳の孫がアンパンマンのビデオを見ていました。

 なにげに横目で見ていると、以前来た時も同じストーリーだった気がしたので聞いてみるとと、アンパンマンの録画は3本しか持っておらず、それを毎日繰り返して見せているそうです。

 「アンパンマンが映っていれば満足しているんだから、話の内容なんぞどうだっていいんだよ。」

 そう言われると、私の「科捜研の女」も似たようなもので、沢口靖子が映っていれば満足しているので以前放送されたストーリーなんてほとんど憶えていない。おかげさまで再放送でもなんでもOKどころか、全然違うドラマで弁護士役で出ていても”今日は京都府警が出てこないな”程度の認識で見ているから気にしない。

 「お宅の孫、若いのに大したもんだな。」と褒めてやりました。

 最近、時代劇物がなくなったようですが、水戸黄門にしても遠山の金さんにしても一話完結ですっきり終わるから良かったことを歳と共にわかるようになりました。

 ストーリーが翌週まで続いているドラマではその前週の話を憶えていない。録画ビデオ借りてくる都合上2-3週間隙間ができた「民王」など最初から見なおさなければストーリーがつながらなくなってしまいました。

 そういう意味では「科捜研の女」は一回ぽっきりで話が完結するし、沢口靖子も出ている。次に同じを見ても以前見たことを忘れているのでまた楽しめる。実に素晴らしい制作手法をしています。

 NHKの大河ドラマが低視聴率と言うのもわかります。1年も続けていれば最初の話などとうに忘れていて、年末になる頃にはいつの時代だったのか誰の物語だったのかも忘れて、ただ単に慣習で見ているような年寄りばかりなのだから、いっそのこと、俳優そのままで一話完結にしたらどうかな?

 最近屋根の上にサルが飛び回ることがなくなったので、テレビのアンテナ修理しての大丈夫かもしれないけれど、大方お笑い芸人集めてクイズごっこやっているような番組ばかりだから、今更テレビ番組に合わせるのも時間の無駄ですし、厄介でも録画ビデオ借りてきて都合の良い時間に沢口靖子観るのが一番効率が良い気もします。

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行方不明

2015年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 快晴で暖かな一日でした。昨夜風が吹いたのか?紅葉した樹木の葉がずいぶん地面に落ちていました。

 新潟の糸魚川近辺出身の知人と金ちゃん国の拉致問題について話したのですが、この人のお兄さんの同級生がある日突然行方不明になっているそうです。特定失踪者には入っていないそうですが、無事なら70歳になっているはずです。あの方面では疑ってみるとそうかもしれない行方不明者は他にもいるみたいです。

 私が中学高校の頃中三コースや高2時代などの雑誌の読み物に、日本海側で不審な誘拐事件が起きていると生地になっていたことがありましたが、当時は「拉致」なんて概念もなく、「何のため」が見当もつきませんでした。同じ頃こうした雑誌に乗っていた記事に、日本海側におかしな人が出現すると言うニュースも乗っていました。海辺を背広を着て地下足袋履いた人物が歩いていたとか、要は日本人はこんな滑降しないだろうと思しき、奇妙な和風を取り入れた男たちで、当時の記事でも北朝鮮のスパイではないか?と疑っていました。

 この山奥では北朝鮮に拉致される心配はほとんどないけれど、また山に入ったまま行方不明者が出たようでヘリコプターがせわしく飛び交っていました。天狗様に拉致されたのだろうか?

 子供の頃、夕方暗くなるまで遊んでいると「モモンガにさらわれるぞ!」と脅かされました。私のイメージの中ではモモンガは天狗のような顔をした羽が生えた化け物だったのですが、実物を見た時に「なんでこんな小さなネズミのような生き物が人をさらうのだろう?と疑問に思いました。それでも、モモンガが何か得体の知れない化けこもだと思っていた時には怖かったので抑止力になっていましたが、正体を知ったら韓国軍みたいな弱っちい奴だった。

 そのころ、ヨシノブちゃん事件と言うのがあって、私と同世代の子供が誘拐されて殺される事件が長いこと騒がれていました。天狗でもモモンガでもない普通の人間が連れ去ったと知った時には、子供心に恐いものを感じました。

 同じ頃、フクダさんと言うおじさんがある日忽然と姿を消しました。今でいうなら愛人と駆け落ちしちゃったわけですが、大人たちが「逐電」と言う言葉を使っており、大人がさらわれることを「逐電」と言うのかな?と思いこんでいました。

 紅葉眺めながら飛び回るヘリコプターを眺めて物騒な話を繰り広げてしまいました。

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BCL少年

2015年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 横になると昨日ハチに刺された後遺症で顔が腫れるので、極力椅子に座ってよい子で一日を過ごしました。

 目を開けていられないので本も読めず、カセットに昔録音したラジオ放送や古い流行歌などを聞いて過ごしました。

 1970年代に流行ったBCLと言う海外の短波放送にはまって、どこの国なのか?どんな言語なのかもわからないラジオ放送を録音してありましたが、当時みんなが探していたワライカワセミの鳴き声で始まるラジオ・オーストラリアも録音されていました。肝心のワライカワセミの部分は入っていなかったのですが、「これだ!」と録音ボタンを押した時にはワライカワセミの部分が終わっていたことなどを思い出しました。

 モスクワ放送など”スパイの連絡網だ”と暗号のつもりで聞いていたロシア語の放送が、実はニシンの漁獲高について放送されていたことが今になってわかりました。

 深夜放送のオールナイトニッポンなどその時間帯に起きていられなかったので、コンセントにタイマー仕掛けて120分テープに録音していたものですが、よしだだくろうのオールナイトニッポンが録音されていました。

 たまたま録音されていたニュースでは相撲のニュースが入っており、輪島と北の湖が千秋楽で対戦して北の湖が優勝したなんてニュースも入っていました。

 高校受験の頃、紙風船が唄う「冬が来る前に」が良くラジオから流れていて、この歌が耳に入るとその頃を思い出しますが、「体験」が伴うと一つのコンテンツの印象や存在がずいぶん違ってきます。

 当時何かと評判が悪かった「ながら族」なんて言葉があり、ラジオや音楽を聴きながら勉強する学生たちのことをさしていたのですが、学業的には悪影響だった「ながら族」も人生的には深みが増してよかったのではなかろうか?とこの年になって思います。

 変な物でもとっておいた価値があったかな?

 最近TEACがレコードプレーヤーとCDを合体させた機種を出し、何十年も聞くことができなかったレコードを楽しめるかな?と期待していましたが、8万円前後の価格ではちょっと手が出ない。しかも製造はニーハオ国みたいなので、長持ちはしないでしょう。日本製でいいのが出ないかな?

コメント (4)
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