のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

われ一人旅路を行けば

2020年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 としまえんがついに営業終了したのだとか。学生の頃にデートに行った思い出がある遊園地でした。

 OBの先輩が職場の女の子を紹介してくれて遊園地のチケットと目印の青いバンダナをいただきました。

 西武池袋線の練馬駅で待ち合わせで、目印の青いバンダナを頭に巻いて「どんな人が来るのかな?」と待っていたら、ベージュのワンピース来た小柄な女性が声をかけてきました。

 ヤッタ!と思ったのですが、ご親戚に不幸ができたのでまた「次の機会に」と帰っていきました。

 そういう事情なので仕方ないから閉園まで遊園地で遊んで、「次の機会」を待ってますが、まだ来ません。法事、長引いていますね。お経が長いのかな?

 見てくれとは到底合致しない美しい歌声。

 どう見てもマフィアか、刑務所収監者のコーラスの容姿ですが、見事な歌いっぷりです。

 

 私は一人道にでる 石くれ道が霧に輝く

 夜は静かに 荒れ野は神の声に耳をすまし 星と星は語らう

 天は不可思議に厳かに 青い光に包まれ大地は眠る

 こんなに苦しくつらいのはなぜか 何を待ち何を惜しむ

 この世に望むものは既になく 惜しむ昔もない

 自由と安らぎがあれば すべてを忘れて眠れたなら

 されど、冷たい墓の眠りではなく こんな眠りをしたい

 命の力が胸にまどろみ 静かに胸が高まるように息づく

 昼も夜も耳を優しく愛撫し 甘い声で愛の歌を歌うような

 頭上には永久に変わらぬ緑色の樫の葉が繁り 身を傾けてざわめくように

 ミハイル・レールモントフの詩Выхожу один я на дорогуですね。

 11年前に急逝したロシア人の友人にレールモントフの本をもらいました。

 いついかなる時にもクールでダンディズムに気を遣う男で、大いに参考にさせていただいたのですが、こっち(と、小指を立てる)関係には結構だらしがない男で、ガールフレンドが多く。それもまたずいぶんケバイのがお好みで、彼が連れて歩く女性のどれが本妻だったのか?いまだに謎のままです。

 夜、寝ているときに昔の恋人の夢を見て、その女性の名前を叫んでいたようで、奥さんに電話で頭を殴られて目が覚めたなんて話をしていましたが、あのまま生きていれば今は還暦。52-3で引退の国ですから相変わらず気ままなことをやっていたのでしょうが、亡くなった時が40代終盤。彼にとっての時間はその時に止まっています。

 のちに次第に彼の死の真相がわかるにつけ、あの国に生まれていなければと言う思いもしますが、それもまた人生。

 われ一人旅路を行けば。

 今はレクイエムに聞こえる。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一炊の夢

2020年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 ニーハオウィルス騒ぎがなければ、今頃パラリンピックをやっていたんでしょうね。

 こんな猛暑の中、障碍者に無理な運動させちゃダメ!神様もいい仕事なさるもんです。

 旧盆も近いので、道行く人を見守っている野仏の掃除をしてきました。

 この界隈の野仏は享保年間や天命年間に建立されたものが多いのですが、どちらも飢饉があった時代です。多くの餓死者が出たんだろうな。

 天災の多い日本人の知恵は、災害に見舞われたら塚を作り、目に入る美しい光景を淡々と拾い上げて歌にしてたたえる国誉めをすることなんだそうです。そこには一切の「憎しみ」がこめられない。慈悲の世界なんでしょうね。

 野仏。これも一種の塚なんでしょう。

 飢饉でただでさえ食うに困っているときに、今はと貨幣の概念が違うとはいえ、こうして石仏を作り供養する。

 たまに私みたいな風変わりな人間が彫られた文字を見て「どんな思いで作ったんだっぺ?」と想像する。

 これも名もなき先人からの贈り物なんだろうな。

 時、おりしも疫病の時代。

 デイサービスに通っているおばさんが「そのうちあたしらもあっちに行くから。」と、野仏に備えるかざぐるまを作ってくれるそうです。

 唐の盧生が旅の宿で出世がかなうという枕を借りて寝たら、大出世をする夢を見た。しかしそれはご飯が炊けるまでの短い時間に見た夢に過ぎなかった。

 一炊の夢という故事です。

 炊飯器のスイッチを押してうとうと眠ってしまったら、タラの煮魚定食食べている夢を見ました。

 ふと目が覚めて「一炊の夢」の故事を思い出しましたが、何でもっとゴージャスなもの食ってる夢見なかったんだろう?

 大して変わんねじゃん!と、サケの切り身を焼いて夕ご飯にしました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

潮目かな

2020年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 安部さんお疲れさまでした。病を抱えて働くことのつらさはわかりますが、病気だからと休むことができない立場と責任。よく10年も持ちこたえたと思います。

 この10年で憲法改正ができなかったことには不満が残りますが、身の上に火の粉が降りかからないとわからない民族性なので外圧が必要なのかな?天災が多い日本ですが、災害死者の7割は逃げる最中に亡くなっているのだそうです。早めに避難していれば助かったということですね。一度死んでみないとわからないか。

 法案に関してもおおむねよかったのではなかろうかと思いますが、昨年あたりの外国人労働者や働き方改革、レジ袋法案なんか時期を間違えた気もするし、長期政権末期のレイムダックを感じてました。

 唯一不満があるとすれば拉致問題で、10年が過ぎてしまった。

 いつのまにか拉致問題が利権になってしまった気がするし、関わる人の自己満足や自己表現の道具になってしまった気もします。

 それでは福祉や環境などの圧倒的な正義を傘に自分を押し付ける連中と同じで、運動はしてもだれ一人乗り込んで行って暴れてくる人も出なかったということで、国から逃げ出すニダ人やニーハオ人と大して変わんねぇじゃねぇかと自分を恥じてます。皆でという背景には、自分以外の誰かを期待しているのだろうか?と、やはり、ただ一人あるのみぞよかれ。

 『還著於本人』。ゲンジャクオホンニンと読み、リッケンミンシュトウとは読まない文字です。

 太平記に出てきた言葉で高校の時に古典の授業で教わったことがありますが、もともとは法華経に出てくる教えです。

 「呪詛諸毒薬(しゅそしょどくやく)所欲害身者(しょよくがいしんじゃ)念彼観音力(ねんぴかんのんりき)還著於本人(げんじゃくおほんにん)」毒や呪いをもって害を加えるものがいたときに観音様に念じれば、その毒や呪いはかけた本人に返される。という教えだそうです。

 いわゆるブーメラン効果ってやつですね。

 『首相といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を首相総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます』

 このツィートをした石垣のりこという、みそ汁の具のような名前の議員が火だるまになっているようですが、ま、確かに下品っていえば下品だわな。「お疲れさまでした」というのが今の時点でのベストな受け答えだと思うけど、何をトチ狂ったかブーメラン投げちまいましたね。

 確か、高橋洋一をレイシストと批判したとかで裁判沙汰になるような話でその名を知ったのですが、上の発言はそのまんま重病者に対するヘイトじゃないのかな?

 どこの議員?って調べてみたら宮城県の参議院議員で、昨年の選挙で初当選した文字通り一年生議員。確か同期の議員に寝たきりの議員がいるんでしょ。もう少し病人に対する配慮ってもんがないのかね?そもそも、政策で争う場所でしょ、国会は。

 夫婦別姓を主張しているのはその議員の主張なんだからいいとしても、それならなんで離婚した夫の姓で出ているのよ。旧姓に戻して「昔の名前で出ています」なら主張もわかるが、姓なんてどうでもいいって考えているのかな?

 果たして、旧姓の小川のりこならあの発言は出ただろうか?別れた亭主の名前だから汚名かぶっても怖くないのかな?

 名前を変え顔も変え、成りすましお手の物の隣国人の精神構造って、元の自分じゃないからあれだけ恥ずかしいことができるのだろうか?

 なら、離婚して夫の姓名乗っている人にはカッコで(旧姓〇〇)って入れるのもいいかもしれない。防犯のためにも。

 なんてことを書きながら思うんですよ。

 呪詛の言葉が闊歩してるな。ネットの世界って。呪いの言葉で自分を語るっていかがなものか?

 2-3年前から考えていたんですけど、断捨離の行き着く先は自分自身を消し去ることで、いろいろしがらみになりそうなことから断ち切って離れてきましたが、そろそろネットともおさらばする潮目なのかもしれない。

 このブログも閉じることにします。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲荷様

2020年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 安倍首相が辞意表明だそうで、このことはやたらあれこれ言う人が多いからさておいて、昭和の漫才師の内海圭子・好江の圭子師匠が8月22日に亡くなってたんですね。

 昭和60年の7月末か8月の初めだったかな。ラジオでこのお二人のトーク番組を聞いていたんです。

 話題がお盆の頃になると飛行機が落ちるという話題で、その数年前に作家の向田邦子さんが台湾で飛行機事故にあって亡くなったという話から始まって、それが8月22日。

 全日空の旅客機と空自の戦闘機の衝突が7月30日。この旅客機には戦没者遺族会が100人以上乗っていたなんてことを話し、その他、夏の暑い盛りに起きた飛行機事故を取り上げて、お盆になるとよばれるんだよ。だからしっかりお参りして不相応なことはしないように。なんてことを話してました。

 妙に印象に残っていましたが、その年、御巣鷹山で日航機墜落事故。

 ああ、なるほどなぁ。婆さんの言うことは一理あるわなぁ。と、印象に残ってます。

 そのころすでに婆さんだったのですが、平成を通り越して婆さんのままだったんですね。大したもんです。

 ケンちゃん稲荷の近くで仕事をするので稲荷ずし作って持って行きました。

 この冬、ここで仕事をしたときにもお稲荷さんを持って行ったのですが、ケンちゃん家の猫がくわえて持って行きました。

 何も知らないケンちゃんは猫がいなりずし加えてきて玄関で食べているので、猫が狐に化かされた!と驚いたそうですが、今度は驚かないようにおすそ分けも作って持って行ったのですが、「稲荷様には一個あればいいや!」とみんな食ってしまいました。

 タヌキが憑いてるんじぇねぇの?

 子供の頃、狐憑きだのタヌキ憑きなんて話をよく聞きましたが、認知症の一種でしょうね。

 幼稚園に上がる前頃にタヌキが憑いた婆さんってのがいて、とにかくなんでもかんで食っちまう。家にいなくなったと思ったら畑に行って何か取って食っていたり、徘徊もしていた。年を取るとこうなるものだと家族も回りも面倒見てましたが、子供心に近寄りがたい気配を発してました。

 狐憑き、一種のヒステリーだろうか?内に秘めた攻撃性が抑えられなくなって、だれかれ構わず当たり散らすおばさんがいたな。更年期障害だったのかな?

 乱世なら乱世で、平和なら平和で心の平穏を崩す人はいるもので、かつてはそういう人を「憑き物」を使って自身以外のせいにした。そうした忖度を与える価値のない人に対して「キチガイ」と言う評価をした。

 タヌキ憑きや狐憑きはその当人以外の何物かが憑りついたんだと解釈してもらえるだけのことをまともな頃にしていたのだろう。近年その価値もないキチガイが闊歩してますが。

 稲荷様。稲が実ることを祈願したんでしょうが、そろそろ稲穂が頭を下げるようになってきました。

 おかげ様。って阿弥陀様のおかげって気持ちらしいのですが、おかげさまで今年も米は大丈夫みたいです。

 先ずは感謝。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の木の枝には

2020年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から雨が降り気温は昨日より低くはあったものの、昨日より蒸し暑かった。

 昨年末に近隣の町の家の庭の木を切ってくれと頼まれて、桜の古木を一本切りました。その家はおばあさんが一人で住んでいましたが、施設に入ってしまい、高崎に住む子供がその桜を切って片付けてくれと頼まれたものでした。

 たまたま今日、そんな話になったのですが、十数年前にこの家の主が病気を苦に枝にロープをかけて首を吊った木だったそうで、「おめぇなんかよく切ったよなぁ。」とお褒めの言葉をいただきました。

 そういうことは先に言ってよ!ですが、あの時は幹を切る前に木に登って枝を切ったのですが、その時に私のチェーンソーのエンジンが吹かなくなってしまい、大きいチェーンソーを持ち上げて枝切りをしました。

 最後はワイヤーをかけてウインチで引っ張りながら安全に切り倒し、何の事故もなかった。

 所雑多な事情なんか知らないから、普通にご機嫌さんでぶった切りました。

 何度かその桜の木を切る話は出ていたそうですが、おばあさんがそれを許さなかったようで、施設に入ったことを機に切倒すことになったんだそうです。

 特に支障になる桜でもなかったし、花も楽しめるのに何で切ってしまうのかな?とは思っていたのですが、毛虫が出るからかな?なんて思ってました。

 切倒した桜の木は、薪ストーブに使うからと枝の果てまできれいに持って行った家がありますが、首吊りのことは黙っていた方が世のため人のため。

 切りかぶつからはこの春、新しい目が出ているようです。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようそろー

2020年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 猛暑でしたね。この山の中でも34度。カラッとしていましたが、きつい暑さでした。

 この夏猛暑日が一にもなかった秋田県にもついに38度が出たそうで、おめでとう!秋田。

 早朝からお昼まで、何とか持ちこたえて仕事して逃げてきました。

 昨夜寝るときも暑くなる予感はしていたのですが、じっくり寝られなくて変な夢見てました。

 国の借金が国民一人一千万だとかで、って言うことは、確定申告の時に借入金ってことで税金が減免されるんじゃなかろうか?って夢の中で計算してたんですね。

 目が覚めて、こんなバカなこと考えているとまた熱射病になるぞ!と水分補給してまた寝ましたが、おかげで無事に過ごせました。

 お昼は昨日もらったほうれん草をたっぷり入れて冷たいかけうどんにしてかきこみ、水風呂で30分ほど体を冷やしました。

 湿度が少ないので水風呂から上がってくると聞か熱で熱を奪うから結構快適。そのうち汗がにじんできたらまた風呂に入って冷やして、宮尾登美子の「天璋院篤姫」読みながらうとうと昼寝。寝汗で目が覚めたらまた水風呂で冷やして宮尾登美子と、夕方まで3回水風呂で体を冷やしました。

 このところ幕末物の本ばかり読んでいますが、なんでだろう?って思い返すと、どこで潮目が変わったかを探りたいんだろうな。

 体調不良中はGYAOで紺碧の艦隊やジパング見たものですから、海軍気分で通販で買ったよこすか海軍カレー。

 ようそろー!直進しろって意味だったかな。

 昼間、仕事の関係でうかがった77歳のおやじさん。半年ほど見ない間に随分ヨレヨレになってしまったので寂しい思いでした。

 現役バリバリで仕事していた頃のイメージがいまだに残っているのですが、歩くのに杖を二本使うような状態。腰を悪くされたとかで歩くことが困難になったら急に老け込んじゃいました。

 昔、スキーでワイワイやった話などをしましたが、その時の写真があったので家で見つけてみたら1994年でした。今年何年だったっけ?それはさておき、つい最近だったような気がしてならないのだけど、写真の中のオヤジさんと今のオヤジさんは別人のように老けている。

 幸い、私のカメラで写したもんだからわたしは写っていない。私も老けているのが分からなくてよかった。

 この一週間、熱射病で老け込んだみたいだけど、今のところあまり人に会っていないので言われない。

 安倍首相が健康検査のために入院しただの通院しているだの、こんな暑さの中、体調が悪くなってもコロナでなければよかったね、でいいんじゃなかろうか?そんな記事書いている記者は元気なんですかね?暇なのかな?

 ニーハオ問題で産業が大変なことになると思うのだけど、大変になってから騒げばいいやって頭なのかな?

 昨年の今頃は健康状態も悪い上に不幸なことばかり重なって、真綿で首を締めるような夏と秋を過ごしましたが、世間一般には今年が悪くても私には昨年よりはマシ。敵ははっきりしているから来年に向けての対策も立てやすい。

 最悪の事態と言うのは想定しないほうがいいもんで、なぜなら、その最悪に行かないと動き出さない。つまり時すでに遅し。余力があるうちに一歩でも半歩でも踏み出しておくに限る。

 ラ・ニーニャ対策か?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相場ですかねぇ

2020年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も何とか生き延びたぞ!というより、ずいぶん耐えられる暑さだったのが幸いでした。

 早朝から仕事を初めて昼には下山してきましたが、お昼を無理なく食べられて、ずいぶん復調しました。

 お昼は横浜たそがれあんかけラーメン。

 野の何日か無理やり腹に押し込んでいましたが、今日はもう少し食べたかったなぁ。くらいの不満足感があったのでずいぶん復調してまいりました。

 午後、役場に行ってきたのですが、役場の職員に「なんか顔が細くなっちゃったよ。」と言われ、熱射病の後遺症がまだたっぷり残っていることを感じました。

 麦茶飲みながら職員と話したのですが、今まで元気だった比較的若い年寄りが、ある日突然具合が悪くなったり、急に痩せ始めて、ほどなく訃報が入って「やっぱガンだったんだ。」とか「そんな風に見えないけど、心臓に爆弾持ってたんだ。」なんてことがあるよね。

 と、他人事のように話してましたが、今の私の状態が「やっぱ・・・だったんだぁ。」と言われる状態なので、徐々に戻していかねばなりません。

 夕食は麦飯を炊いて、トトロかけご飯を30分おきに茶碗に一杯、計、三回に分けて食べました。

 夕方、レタス作っている農家のオヤジさんと顔を合わせましたが、晴れ日が続いたので先週末の雨の恩恵は大きかったようです。「相場が高いからって、できるのもができなきゃ意味ねェもんなぁ。宝くじだって買わなきゃ当たんねぇもんなぁ。」

 給付金、5万円ほどサマージャンボにつぎ込んだけど。つぎ込んだだけだったみたいです。レタスが取り返してくれるといいのですが、「わが人生に一縷の悔いなし。北斗の拳のラオウの気持ちだよ。」

 と、出荷できない規格外のほうれん草たくさんもらったので、帰ってきて近所で分けました。

 で、どこがラオウの気持ちなのかわかんないけど、ほうれん草はうれしい。明日はうどんにしよう!と希望が湧いてきた。死兆星は?夜空が曇っていて星が見えない。

 北海道あたりにはニーハオを背景とした業者が来てジャガイモの青田買いをしているらしい。群馬では豚の子供が盗まれる事件が相次いでいる。

 今年、今のところサツマイモとカボチャが良くできているのだけど。イノシシさえ来なければ。ニーハオ人、サツマイモやカボチャ食わないのかな?

 米はダメだと思っていたので「この世界の片隅で」を読みながら、冬の代用食に作ったんだけど、良い方に予想が外れている傾向。昨日は野沢菜撒いたので、漬物も準備が始まった。

 ラニーニャだとしたら寒い冬になるので、そろそろ灯油の備蓄もしたいけど、相場が下がりそうな気もするし。

 コオロギこ音がすると世話しない心境になってくる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クマが出たもんで

2020年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の夕方、町内の公園で利根川沿いから熊が出て散歩していた人がかじられたと、役場職員がすっ飛んで行きましたが、かじられた人と言うのが町内に住むガイジンさんで面識がある人。

 あんなデカい人でもクマがかじるんだ!と参考になりましたが、昨日の朝私が見た熊は小熊でしたし、距離も15mほど離れているので別のやつでしょうね。

 今朝の体調はまだ芳しくなく、97歳のじいさんが「孤独死してねぇかやぁ~」と様子を見に来る有様。

 昨日の会議の時にフラフラになっていたので、今晩当たりアブねぇかもしれねぇと噂になっていたようです。

 今日も一日大事を取って休みましたが、おかげで夕方には体調が復調してきて、山の中に置いてきた軽トラを取りに行ってきました。

 渡部恒三さんが亡くなったそうですね。私の父と同年でしたらから88歳くらいですね。

 福島県の田島と言う町の出身で、方言を売り物にした政治家だったんじゃなかろうか?かなり舌禍事件に近い発言をするのですが、それを上手に方言で丸め込んでしまう。ああ、こういう使い方があったんだな。と方言のパワーを感じましたが、会津弁には和らげるような力があるように感じました。

 実際、薩長との攻防を見ても過激で果敢な会津人ですが、言葉を聞く限りは自信がなさそうでなんだか人がよさそうに感じる。逆に名古屋や土佐の言葉って断定的で感情が入る隙間がないように強い。故にそういう言葉の人たちが戦国を制し、明治維新を成し遂げたのだろうか?

 20歳の頃、渡部恒三さんと渡部美智雄さんの対談を聞くチャンスがありました。渡部美智雄さんは福島から栃木に入ってほどない黒羽の出身ですが、同系統の訛りですからお互い言葉が通じる。討論が佳境に入ると、何しゃべってるのか聞き取れないけど当人たちはテンションが上がっている。

 なんだかわかんねぇけど勉強になった気がする。と会場を出てきました。

 清濁併せ呑むというのか、こういう人たちが増えすぎると切れ味さっぱりでさわやかな青年将校タイプが好まれる時代になるのですが、なんだか今はねぇ。身ぎれいに装っているコソ泥みたいな連中ばかりでして、いなくても全然困らないような人ばかりが表を闊歩してます。

 渡部恒三さんも弟子と言われるのが野田明彦に前原なんたらに、枝野ってきたらもはや笑うしかない。ゴミの寄せ集めじゃん。

 腹黒さと悪意は別物で、大義のために泥を飲むのは腹黒さでも、私欲のために大義を捨てるのは悪意。

 名誉や銭儲けのために誘蛾灯に集まってくるのは欲。でもそれをきれいごとで着飾るのは悪意。

 選挙終われば知ったこっちゃねぇの政治屋が蔓延しているけど、そんな欲を持ってうごめいている若者は厳しくいじりまくってやりましょう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二日休めたぞ!

2020年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜の雨のおかげで朝の気温が18度まで下がりました。

 ちょこっと散歩に出たら子熊がうろちょろしていたので、引き揚げてきました。

 ニーハオ製アプリとかいう奴のチックタックだかチックトックだかをUSAでは使ってはいけないなどなんだともめているらしいのですが、そもそもそんなもの縁がないから使わない。

 ツィッターもフェイスブックもやらないから興味ないし、かろうじてブログ書いている都合上パソコンにつなぐけど、最近ネット情報も暑苦しくなってニュースを見なくなってしまった。

 今更、余計な知恵はいらないから智慧を磨こうと極力情報を遮断する方に意識していますが、それでも重要な情報はそこそこ入ってきます。それで十分な分だけ。

 どんなソフトかは知らないけれど、昔、チックタックと言う漫才師がいたことを思い出しました。

 「どったの?」というギャグが記憶に残っていますが、何が面白かったのかは全然思い出せない。この漫才師のどちらかが意地悪ばあさんに出てました。

 最初、青島幸男が意地悪ばあさんで出てきて人気になり、次のシリーズでチックタックの背が低い方が意地悪ばあさん役で出ていたのですが、青島幸男の方が面白かったというイメージが残ってます。

 小学校低学年の頃の漫才師なので、どんな漫才師だったか?思い出せないのですが、今回のパソコンアプリ騒ぎで、久々にその名前を思い出しました。

 台風8号は朝鮮半島縦断の旅に出るみたいですね。水害風害が来ないのはありがたいけれど、熱い風が入り込んでこないか?それも困ります。

 今日も一日ほとんど横になって過ごしましたが、だいぶ体に水分がたまってきた感じがあります。足に張りが出てきた。

 朝、うどんを半分食べて、胃の様子を見ていたのですが、何とか大丈夫そうなので夕方早めにサバの塩焼きと、大根おろし納豆でご飯を食べ、最後はみそ汁で半ば強引にかきこんだのですが、7時から地区の評議員会議に出て9時前に帰ると少々小腹が減ったので、このチャンスだ!と中華三昧北京塩味を無理やりかきこみました。

 麺を食べるのはつらいのですが、熱いこともあって。キャベツとねぎと豚コマ入れてタンメン風にしたスープの塩辛さが今日はやけに骨身にしみる。実際脱水症の五臓六部に染み渡っていたと思うのですが、最後はラー油を入れて汗かきながら食べきりました。今日一日で体重が危険水域から2kgほど回復しました。

 深夜、明日改造手術を受ける友人から電話がありました。手術後に何事もなければ今月中には退院できるだろうという話でしたが、何事かがあるとすれば、体型が似ている金ちゃんの影武者として拉致されることで、「顔は似てねぇよ」よと言ってますが、顔なんざぁニダの技術で何とでもなるけど、あの腹回りだけは無理だろう。

 やはりあまり体型や顔つきの特徴がある人を国のトップにしちゃならねぇな。とは思うのですが、背乗り成りすましが得意な憑依民族がいますから、この人最近変わったな?と思ったら要注意。

 この二日間、横になりながら名誉欲やそれに憑りつく支配欲などについて考えてましたが、こうした心の隙にこっそり入ってくるのがニダやニーハオ。元々天性のサイコパスの素養があるんでしょうけど、20年位前にそんなものに憑りつかれて中国に入れ込んでいたバカを思い出します。

 執着に食いつくされちゃったようですが、共通の敵を作って攻め込むときだけは威勢が良い。どこかの野党みたいですが、そして人材使い捨て。

 磨くって余計なものを捨て去るところから始まるのだなぁ。と、しみじみ思いながら眺めてましたが、餓鬼に憑りつかれた人間っておぼろげにわかるようになりました。

 そういった醜悪な物から離れて田舎暮らし。これはこれできついのですけどね。

コメント (15)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこそこ回復

2020年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 前日ほどではなかったけど、やはり猛暑でした。

 何といっても体力がない。やっとこ起き上がって椅子に座って水出し緑茶飲みながら十数分。ぬるいお風呂を用意して、朝ぶろに入りました。

 寝汗でべたついたこともありますが、なんだか体から腐敗臭がしているようで気がかりだったので朝シャンして体をごしごし洗いました。

 こういう老人地帯に住んでいると、お迎えが近くなった人から線香の匂いを感じるときがあるんですよ。なんか妙に線香臭いぞ?と思ったら、ほどなくお告げの紙が届いて、香典三千円が飛ぶ。そしてお茶が帰って来る。

 最近、若い独居老人に入れられているようで、お休みに家でじっとしていてはあらぬ噂がたてられるので、近所の独居老人がこの暑さで孤独死していないか様子を見に行ってきました。結果、私が一番弱っていると判明しました。

 「おめぇももうちょっと干からびたら、夏の暑さも持ちこたえられるようになるっぺ。そこまで持ちこたえろや。」と励まされ、茶屋に行って麦茶を飲みました。

 戸別訪問に回っていた交番のおまわりさんが茶屋に来て、「〇〇さんの家は。」聞かれると、「今、河原で鮎釣りしてらぁ。」「今日はデイサービスに行ってる。」「さっき▽▽ちゃんの家にスイカ持って行ったから、そこにいるんだべぇ。」「その人ならそろそろ茶屋に来るぞ。ほら噂をすれば。」

 恐ろしいほどプライバシーがない。

 昨日はうどん半分くらいしか食べられなかったので、今日は無理しても腹に入れるぞ!と、たくみの里に行ってとろろざるそばをかきこんできました。

 いつもはざるそば二枚ですが、今回は一杯をやっと食べられた状態。お寺の檀家総代仲間のご主人に「冗談抜きに体調悪そうだな。」「お寺の寄付金騒動が終息するまでは何とか生き延びて活躍してくれよ。」と言われ、そうだ、またあちこち頭下げて回らなきゃならないんだ。と気力が落ちた。

 昼過ぎはひたすら横になって過ごしましたが、夕方から雷が鳴りだして雨が降り、急激に気温が下がり始めたら元気が出てきました。

 まだ立ち上がるとくらくらするのですが、ここは無理しても胃に食べ物詰め込まなければ、と、ホルモン焼きを食べに行きました。ご飯とキムチと餃子も無理やり腹に詰め込みました。

 夜10時ごろに雨のおかげで外気温が20度まで下がったので、窓を開けて換気扇で空気の入れ替え。家の中がずいぶん快適な温度になりました。

 あと一日でどれだけ体力回復できるか。

 週明けからまた厳しい作業が始まるだけのことなんですが。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついにダウン

2020年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 ついに私の町からもコロナ感染者が出た模様で、20代の男か女かと噂されてるのでオカマではなさそうです。

 犯人捜しするほど暇じゃないので、どうなっているのかはさておき、熱射病の症状って微妙にコロナの症状と重なりますね。

 不要不急な外出は避けるようお達しが出ている猛暑の中、不要不急の仕事でしたから消耗も激しかったけど、やはりお盆明けからの暑気あたりで食事がのどを通らなかったのがかなりきつかった。

 結論から言えば10時の段階でダウンしました。風呂場でのぼせたような状態で汗がやまず、農業用水の水路で一休みしました。水の音も心地よかったけど、微妙に風が流れてくるのでそれもありがたかった。

 水路の水をタオルにしみ込ませて首筋や頭にのせて熱を吸収させるのですが、呼吸は相変わらず荒いままですし、熱が冷める気配もない。うつむいたまま頭を持ち上げるのもおっくうになってきた。

 こりゃぁ、諦めのブルースだな。と、撤退を決意したのですが、立ち上がった途端に胃が前後に収縮して、飲んだばかりのポカリを吐き出すありさま。

 こいつは相当やばいぞ!と、なんとか家に戻ってきて、水風呂に突入。あんまり冷やすと手足に痙攣が来るので、ほどほどに汗が引っ込んでから横になりました。

 眠れたような眠れないような状態で、ずっと夢を見ていたような感覚で一日過ごし、時折起きては水分補給しましたが、体を起こすこともきつい。

 食事をとれそうな気配でもないので、ブドウをかじっては横になって過ごしました。

 十数年前にマイコプラズマ肺炎を患った時も、こんな残暑で、もっと湿気があったな。体力が落ちた時にぜんそくが始まって、しまいには声も出なくなってしまた。あの夏も風が吹かない夏だった。

 夕方雷が鳴りだしたので、雨が降るかな?と期待してましたが、音だけでした。雨が降ったら降ったで蒸し暑くなるのでしょうが、空気が動けば少しは気分も変わる。

 幸いなのは頭痛が出ていないことですが、体力の衰えは食事がのどを通らないこと。何でも食べておかねば、と、うどんを茹でて半分程食べたところで、今日、改造手術をしているはずの友人から電話。手術が週明けになったそうで、倒れてから10日間でだいぶ腹回りが縮んでしまったそうです。

 私も80kg切る危険水域に達しているので、この体型を維持するのも、日々たゆまない精進と努力と節制が必要なんですね。痩せりゃぁいいってもんじゃない。

 土日はゆっくり養生します。

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残暑

2020年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 残暑と言うのは立秋後の暑さを言うのだそうですが、立秋後のほうが暑い日が多い。

 その昔、トニー谷と言う芸人がいて「マンボさいざんしょ」なんて歌を歌っていて「ザンショ、ザンショ、サイザンショ。」なんてやってましたが、小学生の時「残暑」という言葉を教わって、そろばん振りながらマンボサイザンショを歌っていたら、みんなひっぱたかれましたね。

 残暑ザンショ。

 昨日ほどでもないけれど、今日も熱中症。

 昨日は胃が荒れて食事をしなかったので、シャリバテ対策にOS-1ゼリーを持って行ったのですが、やはり厳しかったですね。呼吸が全然元に戻らない。

 例年、今頃には標高1000m超えの山で仕事しているので、里がこんなに暑かったとは。息が上がったまま全然戻らない。

 昼には切り上げて逃げ帰ってきて、また水風呂に入ってしっかり体を冷やして横になったのですが、起き上がることができない。体を動かすと手足やわき腹の痙攣が始まるので、うつぶせになって、水出し緑茶をストロ-で吸いながら夕方まで過ごしました。椅子に座っているのもきついほど弱ってしまいました。

 昨日同様何も食べなくても過ごせそうな腹具合でしたが、何か腹に詰め込んでおかないと危ないので、夕方になってスーパーに行って、牛乳とサバの味噌煮弁当を買ってきました。

 胃が荒れているので、最悪、牛乳を温めて飲めばいいやと、サバの味噌煮弁当に挑戦。30分ほどかけて食べました。

 これが霊験あらたかで、急に力が出てきた。無理してでも昨日も食べておけばよかったと思いましたが、昨日は胃が痙攣して吐き出す状態だったんで、固形物を食べるようなありさまではなかった。

 おてんとうさま相手の仕事なので、当分命を削りながらの仕事になりますが、これもまた田舎暮らしの醍醐味。

 ウィルスのコロナより太陽のコロナのほうが驚異です。

 頭痛は起きていないけど、頭のてっぺんがあまり爽やかではないので警戒してますが、今月中は休めそうもないので、うまく折り合いをつけて飯の種を確保せねば。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱中症かな?

2020年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日に引き続き、里山で藪の刈り払い。

 こまめにポカリ飲みながら作業していましたが、脱水症状が出ました。最初はわき腹に痙攣が走り、塩飴舐めながら作業していると足にこむら返りと手の指が明後日の方向を向きたがる。

 しばらく木陰で休んでポカリ飲んでは塩飴舐めていたのですが、日陰は日陰でやぶ蚊の巣窟。

 そのうち平衡感覚が危なくなってきたので、山を下りることにしましたが、足がつって歩くのに難儀したり、機械を持つのも重くて苦になってきたので、ラマの中にリュックと機械を放置して空身で下山してきました。

 家に帰るなり着ているものを全部洗濯機に放り込み、風呂を沸かして32度くらいの温度にしてゆっくり湯船で過ごしましたが、その間もわき腹がつったりつま先の指がのけぞったり。

 そこそこ体も冷えてきたので風呂から上がって横になっていると寝てしまったのですが、寝返りを打つたびに足やわき腹の筋肉が誤作動してひきつる。

 週末には涼しくなるみたいですが、明日ももう一日脱水症状と向き合わねばならないか。

 例年なら梅雨明け頃に出てくる仕事なのですが、コロナのおかげで役場の仕事が遅れて、一番過酷な時に発注が出てしまった。

 コロナと猛暑で大変な中、三重県では障害のある娘を71歳の母親が介護に疲れて浴槽で溺死させる事件が起きたみたいです。

 たまたまぬるい湯船で体を冷やしているときにラジオで放送していたのですが、何ともいたたまれない事件でした。同時に、このまま心臓にでも脱水症状の痙攣が出ればやばいよな。なんて思いながら風呂に入っていましたが、子供の介護ってあまり考えたことがなかったけど、親が先に死ぬもんだからねぇ。

 こうならないためにどんな方法があったのかな?と聞いていましたが、何たら党とかんたら党が合流?どうだっていいやそんなニュース。下らねぇ。

 さてさて、明日は熱中症対策どうしようか?おてんとうさまとの駆け引きです。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思考オーバーヒート

2020年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も猛烈な暑さでしたね。

 朝5時から作業初めて、昼には逃げてきたのですが、作業ズボンを伝わって長靴の中に汗がたまるようなありさまでした。

 藪の刈り払いです。

 出かけるとき冷蔵庫から出して持って行ったお茶のペットボトルがぬるくなっていた。

 巷ではニーハオコロナ感染者の死者が16人出たそうですが、この暑さが原因かな?新規感染者は今日のtころは1000人切って少なかったようですが、あと10日もすれば地方で火が付くのかな?

 石川県ではナースさんが亡くなったとかで、医療従事者としては初の死者らしい。60代のナースさんだそうですが、仕事とは言え、戦場最前線ですからね。

 娯楽でクラスター起こした人たちから、こうした治療現場に被害者が出ると切ないですね。

 まだ高齢者ではないから感染しても死ぬようなことはないと思っていますが、この暑さですっかり体力気力が落ち込んだものですから、やはり、年齢が近い人がなくなると不安になります。

 幸い、人との接触はないけれど、おてんとうさまと接触しているもんだから、今は暑さが驚異です。

 海上自衛隊が2000人超えの新規隊員募集するみたいです。ちょっと遅かったんじゃなかろうか?とさえ思えますが、ニーハオ情勢考えるともっと増やしたいですね。

 この先、就職難の気配もあるので、いい人材が集まるんじゃなかろうか?

 WHOがワクチン開発を口実に各加盟国に出資を呼び掛けているようです。ニーハオに出してもらえばいいんじゃない?開発にも成功しているみたいだし。

 こちらはWHOと別枠でやればいいだけのこと。

 またニュータイプのウィルスがニーハオで出ているみたいですし、こうした情報が入ってこない機関ならもはや必要ないのでは?

 疫病蔓延で人の往来が少なくなると、ネットでのコミュニケーションが増えることになるのだろうけど、これはこれで同じ考え方の人たちが固まりやすいので考え方が偏るようになる。ラジカルとラジカルがぶつかると確実に諍いが起きるので、ニュータイプの戦争もこういうところから始まる時代になるのかもしれない。

 もっと情報を遮断して、様子を見たほうがいいのかな?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮎って

2020年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 静岡県の浜松で41.1度の日本記録タイが出たようですね。ウナギを焼いた炭火の熱が原因だろうか?餃子かもしれない。焼きそばは富士宮か。

 コロナの死者とこの猛暑の死者、どちらが多いだろうか?と気になるほど身の危険を感じる暑さでした。

 家に戻るとまずは水風呂です。

 身体をよく冷やしてから、炭をおこして、玄関前で釣り師のおじさんからのもらいもののアユの塩焼きを始めると、縁の下から猫がはい出てくる。

 何故「鮎」と書くのか?ニーハオの国では「鮎」と書くとナマズのことなので、これは「国字」である。神功皇后が新羅征伐の時に魚釣りをして、連れたら成功と占ったところ、アユが連れたので、「鮎」と書くのです。

 と、猫に由来を教えながら焼きましたが、あいつら全然覚えてくれない。

 神功皇后の時代と言えば2千年くらい昔だが、その頃新羅と百済がもめて「こっちを応援するニダ」と日本にロビー動していたみたいですね。神功皇后の夫の仲哀天皇なんか半島に出兵して、向こうで死んじゃった。

 この時代から半島が災いばかりもたらしてきたのだから、歴史は直視しなけりゃね。

 秋田県にまた転覆状態の木造船が漂着したみたいで、夏のこの時期には珍しいらしいのですが、台風が向こうを通過しましたからね。

 今年はハチが低い場所に巣を作っているので、案外これから台風が多いのかもしれないけど、干ばつが年中行事の国に恵みの雨をもたらしてくれるといいですね。

 北海道ではアイヌの先住権確認とかの裁判を起こしているみたいで、主体思想にかぶれた団体がやっているようですね。日本人の振りした金ちゃん民族かな?アイヌならサケの禁漁の規制破ったり道の規制に従わなくてよいと認めろという裁判なんだとか。

 それなら公民権もいなねぇってやればよいのに、自分たちのおきてで生きて、国民とは関わらないくらいの腹が座っていれば認めてもらえるんじゃなかろうか?

 潔さって必要だよね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする