さて、どこから紹介しようか?「東北で良かった」旅行。
深夜、氷点下4度の金精峠を超えて日光に入り、鬼怒川川治を北上して会津に潜入、さらに北上して山形の米沢に入りました。
会津の鶴ヶ城に到着したのは朝の6時ごろ。今年はまだ桜が残っていました。
会津、米沢共に越後の上杉が送られた土地だったので、越後から只見越えで会津に入りたかったのですが、峠の除雪がまだ終わっておらず通行止めだったので、栃木経由で会津入城を果たしました。
会津と言う土地は私の村にも関わりが多かった土地で、白虎隊の戦場も残っていますし、私が幼少の頃には白虎隊と官軍の戦場を見た老人がまだ存命でした。白虎隊の慰霊碑は残っていますが、官軍の慰霊碑はありません。
幕末には薩長同盟に袋叩きにされた会津藩ですが、今でもその遺恨は残っているようです。直接会津をぶっ叩いたのは薩摩藩なのに、長州の方が憎まれているというのも興味深いところです。
鶴ヶ城のお堀には散った桜の花びらが花筏になって流れていました。
例年なら桜も終わっている時期ですが今年は寒い春先のおかげで各地の桜を満喫できました。それよりも、さすが東北と感じたのは各地の山に見えるコブシの花。私の村ではコブシの季節が終わっていますが、東北のコブシの方が開花期が長い気がします。
喜多方ラーメン帝国。初めて行った頃はまだご当地ラーメンが認知される前で、蔵の街を見に行ったのですが、なんだか異様にラーメン屋が多い土地だなぁ?と感じました。この土地では朝からラーメンを食べるそうで、早朝営業しているラーメン屋もあるとか。朝昼晩食前食後にラーメンを食べている土地なんですね。
予定では喜多方で「朝ラー」なる朝ラーメンを食べるはずだったのですが、まだ朝が早すぎてどこも開いていなかったので121号線の道の駅でしばらく仮眠してからトンネルをいくつも超えて米沢に入りました。
米沢駅前を拠点に市内をぐるぐる回り、上杉家のお墓もお参りました。
駅前は米沢牛の店が並んでいましたが、時間が早くてまだ営業していない。しかもステーキが4-5000円ともなればラーメン食うみたいに簡単には食べられない。レベル高いぞ米沢。
なせば成るなさねば成らぬテキトーに 10年くらい前かな?上杉鷹山が再度見直される時期がありました。
米沢の産業の一つの米沢織は上杉鷹山が困窮する藩の財政再建のために、武士のサイドビジネスとして技術導入しました。
地方財政復興のために公務員にも「外貨稼いで来い!」と産業の一角を担わさせるのも「自立」なのでは?役場の片隅で食いつぶしの公務員が地場産業を担うため内職している方が、おかみに助成金たかるよりも健全な気がする。少子高齢化対策にもなるし。
お昼は南陽市の赤湯温泉の龍上海本店に辛みそラーメンを食べに行きました。
長蛇の列でしたがそれよりも問題は駐車場がいっぱい。少し離れた温泉組合に車を停めて歩きました。
店の近くの駐車場には山形は元より秋田や仙台ナンバーの車や、遠くは横浜や袖ケ浦ナンバーの車も停まってました。横浜のラーメン博物館にも店を出しているので、関東でも知られているのでしょう。
昔来たことがありますが、その時は普通の醤油ラーメンを食べました。今回は何が何でも名物辛みそラーメンです。
行列に並んでいるときに注文を聞かれるのですが、順番が来て店の中に入ってから出てくるまでが結構時間がかかりました。
上に乗っている赤い塊が辛子なんですが、出てきた時に「から揚げが乗ってる?」と勘違いしました。辛子を混ぜなければ普通においしい味噌ラーメンです。
汗だくになりながら「大盛にしておけばよかった」と悔やみました。
ラーメン食べてから山形市に向かい、霞城の桜を眺めて天童、新庄を超えて秋田県内陸に潜入しました。
ライトアップされた横手のお城と桜を眺め、大曲の花火を遠くから眺め、角館に入りました。
武家屋敷の近くの駐車場で力尽きて車のシートを倒して熟睡しました。
とりあえず今日はここまで。