甲斐さん自ら記されたという、ソロ35周年記念ベストのライナーノーツ
続いては、この記念ベストに収録された楽曲の中で、一番意外な選曲だった「WORD」
甲斐さんは「1988年から89年当時、NY界隈の黒人たちの中で、何かといえば口にする
『WORD』というスラングが流行った
目の高さから手を前に突き出しながら『WORD』と叫ぶ。『最高』という意味である
イタリア系であるにも関わらず、エンジニアのジェイソンのまわりには黒人が多く
マドンナとかボウイで売れっ子プロデューサーになってたナイル・ロジャースも
暇さえあれば手土産を持っていつもダベリに来てた(俺も御相伴にあずかってた)
(『ストレート・ライフ』ツアーメンバーの)
リズム(セクション)のアルヴィンとトレバーもいた。その彼らの口ぐせが『WORD』
80年代後半、狂乱のNYの空気がこの曲を書かせてくれた。アルバム『カオス』に収録」
…と「最高」という意味だと、ご自身のラジオ番組で説明されたことに加え
「書かせてくれた」という表現をなさっていて
甲斐さんが、その当時のNYにいらっしゃらなかったら
絶対に生まれなかった曲だというのは確かみたいですが
奥さんは「ストレート・ライフ」収録の「モダンラブ」とこの曲は
「ライブで聴くまで、イイなと思ったことがなかった(笑)」と申しておりました(笑)
もっとも、秋のツアーメンバーには、TOKIEさんがいらっしゃるみたいなので
前回の「愛ろく」ツアーで披露なさった魅惑のコーラスで
「甲斐さんの声と絡んで欲しい♪」と熱望しております(笑)
ちなみに、この曲を初めてライブで聴いた、奥さんの友人Kちゃんは
「♪レザーパンツの中身?地獄へどうぞ♪」という歌詞と
その時の甲斐さんのパフォーマンスにツボり、涙を流して喜んだらしい(笑)(笑)
10曲目の「ミッドナイト・プラスワン」では…
「『夜は無限』と言ったのはB・スプリングスティーン
真夜中テッペンを過ぎていく闇の中で、不意に魂をもっていかれそうになる時がある
静かな狂気の中で紡ぎ上げたのが、この作品である
映画史に残る不朽の名作『イントレランス』の日本上映に合わせて書き下ろしたバラードだ」…と甲斐さん
「夜は無限」との言葉から「この夜にさよなら」なさって「昼間の世界へ飛び出した」あと
「♪明日はどこへ行こう♪」と前を向かれたとはいえ
「MIDNIGHT」というのは、解れた気持ちに何かが忍び込む「魔の時」なんでしょうか?
でも、リリアン・ギッシュが揺りかごを揺らすシークエンスに
この曲は怖いくらいマッチしてましたよね?
そして、今回のビルボツアーの2曲目に採り入れられた
「SSS」こと「スウィート・スムース・ステイトメント」は
「藤谷美紀出演のNTTドコモのCMに使用された。MIXはマーティン・アダム
ロンドンの郊外の牧場の中にあるスタジオで仕上げた
アルバム『エゴイスト』収録のショートバージョン」と紹介されてますけど
奥さんは、この「ロンドン郊外」のスタジオが「リッジファームじゃない?」と大騒ぎ(笑)
…というのも、このスタジオは、かつてクイーンがアルバム「オペラ座の夜」のレコーディング前に
リハーサルを行ったスタジオらしいので…(笑)
もっとも「ボヘミアン・ラプソディー」が録られたのは
ウェールズにあるロックフィールド・スタジオですが
映画「ボヘミアン・ラプソディー」に、どハマリした後遺症でしょう(笑)
それはともかく…「激愛(パッション)」に関しては
「アルバム『嵐の明日』の中に『絶対・愛』というナンバーがある
『風の中の火のように』がヒットした後に
そのナンバーをリミックスしてリリースしようとして、マネージメントとこじれた経緯がある
怒りを込めその曲のエッセンスを注入しつつ、より洗練された形で完成させた
KAIFIVE最後のナンバーである」と、今まで明かされてなかったエピソード…というか
「『絶対・愛』をシングルに…って話は聴いたような気がする」と奥さん
でも、デビューしたばかりの頃ならまだしも
この当時の甲斐さんでも、意志が通らないことがおありだったってことにビックリです(汗)
あっ!「最後のナンバー」…ということは、この曲に関する作業が全て終了したあと
「FLASH BACK」のジャケットに選ばれた
「かなり酔っぱらってる」甲斐さんの写真が撮られたプールバーに行かれたんでしょうか?
さて、13曲目「LOVE is No.1」については…
「愛は無敵だ。屈託なく聴ける。歌える。そんな曲のはずだった
だが歌のパートにラップのパートを足したことで、ねじれたモードが拡がる事となった
曲中のドラムのインスパイアはザ・ビートルズの『アビイ・ロード』の『ジ・エンド』から
最高のドラミングは今は亡き青山純。アルバム『PARTNER』に収録」と甲斐さん
この頃から、あらゆる装飾を削ぎ落とし「音数」の少ない
それでいて骨太なグルーヴを追求し始められたみたいで
当時のライブを観た奥さんによれば…「すごくピリピリしてるんだけど
演奏が終わったあとの甲斐さんが、とっても嬉しそうに笑ってた」…そうで
秋のツアーメンバーに、青山さんの愛弟子・佐藤強一さんがいらしたら
「是非とも聴きたかったナンバーだった」んだとか…
続いて「レディ・イヴ」は…「ライブの冒頭を飾るアッパーなホットチューンが欲しかった
スタイリッシュにまとまったと思う。イヴとは前夜。つまり女性が『開花する前夜』という意味
娘たちのことが頭にあったのか。アルバム『GUTS』に収録」…って、甲斐フリークの間では
Kainatsuさんを思ってお書きになった…が定説になってるみたいですが…?(笑)
「渇いた街」については「フォーキーなテイストのプロデュースチームとの仕事だったことで
ブライトな強さに欠けるも、独特なタッチのハードボイルド・ナンバーに仕上がった
アルバム『太陽は死んじゃいない』に収録」と記されてますけど
以前に「愛ろく」ツアーで、この曲を取り上げられた時
「(土屋)公平が、この曲が好きだって言ったんだよね(笑)」と嬉しそうにおっしゃっていたらしい(笑)
そして「THE 35th SIDE」のラスト曲は「I.L.Y.V.M.」
「最後はジェイソンのMIXが冴え渡る、KAIの新たな一面を打ち出したミディアム・バラード
パワーステーション・スタジオのアナログ・リヴァーブが炸裂する
このスタジオはエコールームはなく、実はエレベーターを使用している
だからMIXをする時は『NO USE』という貼紙をする
80年代から90年代に世界を制したこれがロックステーションの実態である
工夫し、盛り込まれるアイディアと揺るぎない確信の中で
ボブもニール・ドースマンもジェイソンも、自分たちの音楽を作り上げた
俺もそこにいた。自分を確信するために」と結ばれていて
甲斐バンドのデビュー当時は「歌謡界」のしきたりに則って
定期的にシングルレコードをリリースすることが「存在証明」だったのが
その後、納得できないしきたりには「NO!」という姿勢を貫かれ
ご自身の「存在証明」としての音楽を求めて、海を渡られたことで
多大な影響を受けられ、転機と呼ばれるほどの成果を上げられたのは確かだとしても
そのことさえ「通過点」の1つに過ぎなくなって行くんだと思うと
しかも、今現在も上書きは続いている訳で、ホントに果てしないっすねぇ…
ただ、日本のスタジオのエコールームに限界をお感じになり
「どうしても欲しいリヴァーブ」を手に入れるために
ボブのいるパワーステーションに行かれたのに
その理想のエコーがエレベーターで生まれていたなんて
目ウロコ的な衝撃を通り越して、思わず笑ってしまわれたんじゃないかと…?(笑)
余談ですが…甲斐さんは、よく大瀧詠一さんの
「音楽は音楽で語られなければならない」という言葉を引用され
「音楽っていうのは、それ以上とかそれ以下であっちゃいけないんだよね
だから、例えば、自分の音楽を語る時に、自分の恋愛問題を話したり
隠微なスキャンダリズムを匂わせながらインタビューしても全然意味ないね」とおっしゃってますけど
それは「自分の曲の説明を三十何ページに渡ってやったとしてもダメだけどね
実は、僕、1回やったんですよ(笑)『ラブ・マイナス・ゼロ』の時に…
ダメでしたね、やっぱり…僕はもうやりたくないね
その歌を作った動機を書くということもね
このレコードの中で全部やってんだもん!アルバムの中で歌ってんだもん!」
…というご経験にも基づいていらしたらしい(笑)
ただ、その「ラブ・マイナス・ゼロ徹底研究」という記事の冒頭では
「えーと、では思いっきり詳しく言いますが…どっから話そうか(笑)」とノリノリのご様子?(笑)
…っていうか、かつては、アルバムリリース時に
ご自身のラジオ番組やプロモーション先はもちろん、ライブMCでも
その曲を書かれたきっかけや、アルバムをお作りになった動機を話されていたそうですし
最終的には「聴き手の自由」に委ねることになるにしても
その「言わずにはいられない」衝動は、その時時のご自身の音楽に対する
モチベーションの高さを物語っているんじゃないかと…?