ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.22・23)その2

2016-06-25 08:27:45 | 日記
樫井浩世さんは「甲斐バンドとハードボイルド」というタイトルの文章で
BEATNIK編集部の「なぜ、いま、ハードボイルドか?」との
テーマに答えておられます

「甲斐よしひろの詞について書きたい」が
「その前にハードボイルドについて語っておきたい」と樫井さん

「ハードボイルドとは表現の問題で、決して感情の問題ではない
登場人物たちの心の動きや感情を表すものではなく
あくまでも書かれた小説の表現形式である
[私は悲しい][僕は淋しい]といったセリフはなく
登場人物たちの心は、彼らの動作や彼らを取り囲む風景の中に描き込まれる」

「さて、この[悲しい]とか[淋しい]という
ストレートな心情吐露の言葉に注意しながら
甲斐よしひろの詞を見ていくと
初期の甲斐バンドの行方を決定づけた[英雄と悪漢]の中では
[とてもステキさ]とか[恐かったんでしょう]という
ストレートな表現に混じって
[悲しさ]とか[むなしさ]との言葉も頻出する」

「しかし、シンプルな感情のオンパレードという訳ではなく
[ポップコーンをほおばって 天使達の声に耳を傾けている]や
[ジングルベルに街が浮き足だった夜
人の声と車の音が飛び交ってる]というフレーズには
甲斐よしひろの詞の世界の最も良質な部分に匹敵する輝きが秘められている

ストレートでシンプルな感情表現が多いというのは
あくまでも最近のものに比べてという意味である」

「その最近の甲斐よしひろの詞は、実にハードボイルドである
この傾向は[虜]辺りから強まったものだが
最新アルバム[GOLD]の詞には[悲しさ]や[むなしさ]など
ストレートな感情表現はほとんどなく、代わって情景描写が多用され
感情はそれらの情景描写のウラに注意深く織り込まれている」

「[シーズン 波打ち際 ロマンスの波を浴び]
[月明かりの中 夜の階段 降りてくる][黒い霧が流れ 冷たい雨が降る]など
全10曲中8曲が、情景描写から始まっている
これらの詞の書き出しは、実にハードボイルドな物語性を帯びた形式だが
どうして最近の甲斐よしひろの詞が
こうした表現形式を必要としてきたかを考えてみたい」

「ハードボイルドというのは、極めて現代的な表現形式である
現代社会を象徴する言葉として[多様化][細分化]という言葉があり
そこで語られる[現代の心]も多様化され細分化される

多種多様な複雑な心を捉えるのに
ストレートでシンプルな感情表現は適切ではない
甲斐よしひろの詞がハードボイルドを志向しているのも
現代という[時代の心]に鋭く斬り込もうとする
彼の詞の誠実さの証に他ならない」と記されてます

続く西一雄さんも、同じテーマ、同じタイトルの記事で
【地下室のメロディ】の歌詞…
[急ぎすぎた青春に傷ついて
まるで運命のそのように 君さえも去ってしまった]…を例に挙げられ
「ここまで他動的に愛を失っていいのだろうか?と
思わず口に出しそうなくらい弱々しい青年像だ」と…(苦笑)

「ところが、この脆弱な男は、何年か後の同じ酒場に帰って来るのである
[どんな奴でもOK、誰かハートをくれるなら…]
ただ愛の嵐が吹き抜けるのを茫然と見送っているだけだった男は
孤独を癒やすために、性別すら定かでない人物を抱けるようになる」
…と「救いなき魂の徘徊から、救済する側への成長」説を展開されてますが

この【ボーイッシュ・ガール】の歌詞には
「俺は恋に破れ 死にそうだった」
「俺は孤独だった」「泣きたいくらいの俺らは…」といった
目いっぱい、どストレートな感情表現が登場してますよね(笑)

ともあれ「甲斐よしひろの心象風景の変化を
愛読書によって、牽強付会的に判断してみるのはどうだろう」と西さん

ロバート・B・パーカーが、ハードボイルド文学や
ハメット、チャンドラーの研究家だったことに触れられ

「冊を重ねる内に、旧来の皮肉とアクション
筋肉優先主義みたいな思想だけでは通用しにくいと考え
男性や女性を越えた、人間として名誉ある行動を取る者こそが
ハードボイルドのヒーローと成り得ることを提示したのではないか?」と…

「初秋」の中でスペンサーが
[子育て]という意味では箸にも棒にもかからない
離婚した両親から少年を引き取り
自分の食べたいもの、やりたいことも判らず
毎日、テレビでメロドラマを眺めているような無気力な状態から

「俺が出来ること」…ウェイト・リフティング、ランニング
丸太小屋建築、料理、ボクシングなど…を教え込んで自立させるという
「教育」をテーマにすることで、新しいヒーロー像を作ったとおっしゃってます

「精神的な強さ、柔軟さを示す顕著な例」として
【HERO】の「今夜お前はヒロイン…痩せっぽちの俺たちが見えるだろう」と
【マッスル】の「街を歩いて来なよ…
だけど最後に叩くドアはこの俺の胸だけさ…鋼鉄の魂が今必要だ…」を挙げられ

「前者は[弱きもの]のヒーロー待望に聞こえ
後者の主人公は、すでに鋼鉄の魂を持っているように思える」と結ばれてました

パーカー自身によれば
「最初の1作は、チャンドラーにライバル意識を燃やして書き始めた
もしかすると、次の作品の半分くらいまではそうだったかも知れない」らしく
「チャンドラー風」の古典的ハードボイルドを好まれる方の中には
「初秋」は邪道とおっしゃる方もおられるようです(苦笑)

ただ、その後の「スペンサーの人物像」について
「スペンサーは私から生まれたものであり
おそらくは多くの点で私自身の説明にもなっていると言えるだろう」

また「スーザン」についても
「ジョウン・パーカーに対する私の反応を
スペンサーの眼で見るように置き換えて
より忠実に再現している」と発言していて
スペンサーとスーザンに重大な危機が訪れた作品は
パーカー夫妻が離婚の危機にあった時期に書かれたものだという(汗)

古き良きハードボイルド作品から
自身をさらけ出すような作品へと変化させたパーカーは
「表現者」としての甲斐さんと同じスタンスだったんですね
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機関紙BEATNIK(Vol.22・23)その1

2016-06-23 02:40:36 | 日記
BIGGIG特集が組まれた21号と
アフターBIGGIGの23号に挟まれた22号には
甲斐バンドの重要なキーワードのひとつである
「ハードボイルド」が取り上げられてます♪

当然の如く(笑)表紙の「シビレる言葉」は、ロバート・B・パーカー
「ただしボクは何も自分のものにすることができなかった」
「できたよ」「なにを?」「人生だ」
…正確には「初秋」のラストに登場するポールとスペンサーの会話です

ちなみに、23号の表紙の言葉も同じく「初秋」から
「自立というのは、自己に頼ることであって
頼る相手を、両親から、オレに替えることではないんだ」という
スペンサーのセリフが掲載されてましたが

その言葉と共に表紙を飾っているのは
BIGGIGの会場を俯瞰で捉えた写真で
当時の奥さんは、この言葉が
甲斐さんから観客へのメッセージなんじゃ?…と受け取ったらしい

ともあれ、甲斐さんが、BIGGIGについて話された際に
「近代建築物」云々のパーカーの言葉を引用なさってたり
【冷血】の歌詞の前にも、やはりパーカーの言葉をクレジットされたり

レコーディングのためNYに滞在されている間
スペンサー御用達(笑)のビール「アムステル」を愛飲なさってたりと
かなり刺激や影響を受けておられたようですが

この特集の冒頭で、亀和田武さんも
「サウンド・ストリートの中で何度か甲斐よしひろが
このアメリカのハードボイルド作家の名前を口にしている
しかし、俺はハードボイルドには
まったくと言っていいほど無関心だったので
本屋でパーカーの作品を手に取ることはなかった」

「[虜]のミックスダウンの時、パワー・ステーションのロビーで
甲斐よしひろが[約束の地]を読んでいるのを見た
すでに日本で何度か読み返していて
いま読んでいるのは3回目か4回目だと言っていた
3回も4回も読み返すというのは尋常ではない
そんなに面白いのだろうか?」

まあこれは、この本に限らず
甲斐さんはお好きな本を「暗記するくらい何度も」読まれる方ですもんね(笑)

「しかし、日本に帰ってからも、俺はパーカーを手に取らなかった
そして、ある時、俺の周囲がパーカーの愛読者で
というよりは、スペンサーのファンで包囲されていることに気がついた

佐藤剛は絶版になっている[失投]を
東海ラジオの○○さんから借りて来て
これでパーカーの全作品を読み終えましたと呟いてからニヤッとして見せた

古くからの友人である北上次郎は[初秋]のあとがきに
ポールがスペンサーのコーチで徐々に逞しくなっていく描写に
不覚にも目頭を熱くした…などと書く始末である」

「俺の友人たちがこれほどまでに夢中になるパーカーというのは
一体どんな小説を書くのだろうという好奇心が
ハードボイルドに全く無関心な男の心に芽生えたのである」と書かれていて

[初秋]を手にされてからは
「読むのが遅い俺が1日1冊のペースで読み進んだ
こうして、俺たちがパーカー、パーカーというのを耳にして
1年に3冊しか読まない田家秀樹も
ついに[初秋]を手に取ることになった」そうです(笑)

その田家さんも「甲斐バンドの変化をはっきり感じたのは
[破れたハート…]の時だった
サウンドの変化という言い方で、それなりの納得の仕方をしていたのだが
[虜]の詩を見た時から、明らかに言葉の変化が起きているような気がした
それは、情緒的な言葉をどう物語として表現するか
…という方法論の変化のように思われた」

「[虜]でNYに行く時、彼は[郵便配達は二度ベルを鳴らす]と
[約束の地][エデンの東]を今愛読している本として挙げ
ハードボイルドという言葉を繰り返していた」

「まだ売り出す前の作家、矢作俊彦が
ハードボイルドというのは、卑しい街路を行く
トレンチコートを着た一人ぼっちの軍隊のきびしいスタイルのことなんだ
…と言っていたことを思い出した

甲斐バンドとハードボイルド
今、このテーマを語ってみるのにふさわしいように思う
ハードボイルドは[軟弱]の対極だからだ」と書かれてます

そして再び、亀和田さんによると…「確かに、俺や田家秀樹は
フラフラと流行りモノに手を出したお調子者には違いないが
今までハードボイルド小説に無縁だった2人の男が期せずして
[面白いね]と感想を洩らしたのには
やはり何かの必然性があると考えた方が面白い」

「アレッという発見もあった
[銃撃の森]の原題は[Wilderness]
そう[荒野をくだって]の英語題名は、パーカー作品に由来していたのだ
そして[銃撃の森]の官能的と言っていいほどの生々しい暴力描写は
甲斐バンドのいくつかの最近曲の世界と明らかに重なっている」

「ハードボイルド小説とは
都市でしか生きて行けない男を描いた物語である…というのが俺の感想である

栗本慎一郎という学者は、ムラが生産や秩序や文化の場であって
都市は反文化の場だと言っている
[都市は、ムラに象徴される秩序の世界から押し出され
落ちこぼれた人間が流れつき、ほっと胸を撫で下ろし
肩で息をつく場所なのだ]」そうだ

ハードボイルドに関しては、以前にご紹介しておりますので
興味がおありの方には、そちらを参照して頂くとして

奥さんから「これだけは読んでみて」と勧められても
ナカナカ手を出さなかったボクでさえ[初秋]を読了(笑)
その後、スペンサー・シリーズを中心にパーカー作品を読み漁ることに…(笑)

スペンサーは、ボクがそれまでイメージしていた
いわゆる「ハードボイルド」な主人公とは少し…
イヤ、かなり違っていたけど…(笑)

ボクのイメージでは、こういう小説に登場する「探偵」は
時にキザなセリフを口にするものの
基本的に寡黙で、酒と煙草をたしなみ
不健康で不規則な生活を送っている…というような
いわば「アウトロー」的な男性…

一方、スペンサーはといえば
依頼人には「気のきいたこと」を言って怒らせるし(笑)
恋人のスーザンを始め、友人達とも大いに語り合う「おしゃべり」ぶりで

煙草は吸わず、ジョギングやジムで身体を鍛え
「コーヒーに入れる砂糖とミルクの量」を気にしたり
「ビールを飲んだら甘いものは食べない」などとルールを作ったり(笑)
料理もするし、スポーツ観戦や読書も好きらしい

…全くもって「健全」な一般社会人(笑)といった男性なんですが
ちょっと甲斐さんに似てませんか?(笑)
スーザンと二人で犬も飼ってるし…(笑)
少なくも、奥さんが甲斐さんを重ねて読んでいることは間違いないんじゃないかと…(笑)
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機関紙BEATNIK(Vol.21・23)その5

2016-06-22 21:14:00 | 日記
BIGGIGのライブレコードについて一言…というタイトルで
「甲斐バンドの名曲中の名曲【翼あるもの】のないレコードなんて
クリープのないコーヒー、江川のいないジャイアンツと同じ」との投稿があり(笑)

編集部の方のお答えは
「BIGGIGが、1983年の甲斐バンドの現在だとしたら
少しでも、そんな現在らしさを出した方がいい
選曲にしても、出来るだけ今までのライブと重なり合わない方がいい
…という考え方もある」

さらに「甲斐よしひろは、ビデオとFM東京の特番とLPと
それぞれ、全て違ったミックスダウンをするという画期的な試みをしていた
それぞれの特性があるのだから、媒体によって
一番あの雰囲気をイイ音で伝えようとしていた」と続き

「FMは、拍手を主体にした臨場感が強調され
レコードは、甲斐よしひろのボーカルと演奏のバランスが主眼になっている
空間の広がり、かすかなエコーが
かえって遠い客席を思い浮かべるような
アタマの3曲は、ステージの風向きが
そのまま音に出ているような
そんな気がして来るくらいに作られている」と…

テレビのオンエアも含めれば、23曲全曲が収録されてるみたいですが
ビデオでは【ダイナマイト…】【テレ・ノイ】【ミッドナイト】
【胸いっぱいの愛】【破れたハート…】がカットになり
【観覧車'82】と【100万$ナイト】が入れ代わってましたよね?

その撮影について、井出情児さんと
津島秀明さんへのインタビューが掲載されていて…

10台のカメラを全部フルに回したら
3時間テープに移して14箱、42時間分
情児さんは、総監督とご自身のカメラを担当され
津島さんは、5台のカメラ映像が見られる中継車の一つから
怒鳴っておられたらしい(笑)

もう1台の中継車からもどなたかが指示をなさってたそうだけど
やはり現場とのギャップがあったみたいで(汗)

「ここは大森さんのギターで入るから
絶対撮ってくれって言ってるのに逃してたり
すっかりあてにして、レンズがアッチ向いてるから
撮ってるもんだと安心しきってたら撮れてなかったり(笑)」

また、ステージ上に置かれたクレーン・カメラは「大問題」だったらしく
「甲斐さんやメンバーの人は、やりにくかったと思うよ
花道の真ん中に置いちゃったから
行こうと思ったら鉄のかたまりがドーン(笑)」と情児さん

佐藤剛さんも「事前にも問題になったし、本番中もメンバーが怒った
基本的にはクレーンが避ける、時々出て来るってことだったのに動かない
話が違うじゃないか!って」

「PAはPAで、スピーカーの前にクレーンがいるから
音が届かない、ふさぐな!とか
舞台監督も話が違うって言うし

【危険な道連れ】の時にパァーッと花道に行って、すぐ戻って来るでしょう
あの時にもう甲斐は行きたかったんですよ、でも行けなかった
良い画が出て当たり前(笑)」と話され

情児さんいわく…恨まれてますよ(笑)
クレーンは一生懸命避けるけど、間に合わない(笑)
…確かに、3人がかりで避けようとなさってる映像があり(笑)
【ムーンライト・プリズナー】の時には
無事に甲斐さんが花道の先端のリフトに辿り着いておられました(笑)

また、情児さんご自身の撮影に関しては
「歌手も肉体労働だっていうことがよく判ったね
走ってもカメラが追いついてないもんね(笑)」とおっしゃってます(笑)

歩道橋の上は「かつぎのカメラ」で
「車1台用意してグルグル回ってたんだよねぇ」
でも、収録されたのは「ワン・カットだけ」(笑)

もっと勿体ないのは、タイトル・バックに使われただけの
ヘリコプターからのワン・カットやら
FM東京の屋上からの映像も
「最後のドカンって1発しか使ってない」やら(笑)

それも全ては「ストレート一本直球だけの方がシンプルで
見る時の感情みたいなものが移入できるし、長持ちするんじゃないか
一番ナマっぽい、女の人で言えばお化粧してない
メッキしてない、古くなっても渋さが出て来る
それでいて音楽の邪魔をしてない
歌を殺しちゃいけない、それだけを思って」のことだったようです

他にもステージを支えておられた方々についての記事を拾ってみると…
やはり、当日の暑さのせいか
救護本部はいつも満員だった…とか(汗)

オープニング・アクトの「ソング・オブ・ジョイ」は
沖縄の基地の中でミサなどを歌っているセミプロで
観光シーズンのため、東京までの直行便のチケットが取れず
経由ルートで来ることになっていたものの
当日2時には、まだ何時に着けるか定かでなく
結局、全くのリハーサルなしだった…とか(汗)

元マネージャーの武石輝代さんは、ステージが始まってからも
通路や客席に放り出されている空き缶を拾って
誰かが投げて怪我人が出ないように気を配っておられた…とか

終演後、缶ビールを飲みながら「バラシ」を見ていらした方々が
作業なさっているスタッフの方に手を振って合図され
缶ビールを投げ込まれた…とか

逆に、アルバイトの少年が手にしていた売れ残りのポスターと
缶ビールを「取りかえてくれない?」と声をかけていらした…とか(笑)

そのバラシを見届け、ホテルに引き揚げられた中西健夫さんは
翌日、2万人以上の人間が出したゴミの山(4トントラック4往復分)を
6人だけで片づけなければならなかった…(汗)などなど

この「東京の一夜」のために、観客には見えない所で
汗を流しておられた方々が大勢いらっしゃったからこそ
今も奥さんが「あの日はねぇ…」と楽しげに話してるんだなあと…m(__)m

そうそう!このVol.21の表紙を飾った「観客の少年」のお母様から
驚きのあまり「その場にへたり込んでしまった」との投稿があり(笑)

「彼にとっての甲斐バンドが、甲斐さんにとってのストーンズのような
そんな存在であり続けて欲しい」と記されてますが
当時12歳でいらした「少年」が、今も甲斐バンドを聴いておられ
野音に参戦されるんじゃ?と想像してニンマリしてしまいました(笑)
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機関紙BEATNIK(Vol.21・23)その4

2016-06-21 10:47:14 | 日記
甲斐さんいわく…今思うと【東京の一夜】っていうのは
歌って、俺なりにめちゃくちゃに良かったって気がしてますね
あれが一番最初に選んでやりたかったという…

ノスタルジックに曲を再現するだけっていうんだったら、NOだよね
今の時代にフィットする部分が非常に濃厚にあるという
ニュアンスがある古い歌だったら良いと思う
そういう部分の余裕っていうのは
何年か長くバンドをやってないと生まれてこないんだよね

ただ、俺たちはあれ以後、ある種「あれはあれ」っていう気ではやってた
そうしないと、色んな街に行く時、観客に失礼だしさ
だけど、3万人近く集めたあのイベントの照り返しっていうのを
身体に持ってやろうとしたし、やりましたよね

ちなみに…甲斐さんは、BIGGIG後すぐに休みを取られたものの
「結局、ライブ(音源と映像)の編集が差し迫ってたから
電話で呼び寄せられる羽目に陥ったけどね
明るい母子家庭よ、ホントにウチは(笑)」と話され(笑)

8月末から始まったツアーでは
まず「BIGGIGは終わりました」とおっしゃったらしい

また、別のインタビューでは…
去年くらいまでかな、ツアーはエンジョイ出来たけど
レコーディングに関して、非常にエンジョイ出来にくい状態になってたわけ
やっぱり10年近くやってると、そういう部分も出て来るのね

リスナーの期待が、ミュージシャンにとってはプレッシャーになるじゃない?
オリジナルLPを作っていくことに対して
プレッシャーを感じる時もあるんだよ

自転車操業みたいにやってけばいいってものじゃないし
やっぱり、ある種の影響を与えたい
このロックシーンに貢献もしたい
自分の満足するスタイルで、しかも時代に準じて変わっていきたい
その辺のプレッシャーが、発散されることなく膨らんでいくとね

甲斐バンドの場合、そんなにシニカルにはなってなかったんだけどさ
気づいたらエンジョイ出来なくなっていたっていうのがあったのね

長いことやってると、どこのバンドだって同じだろうけど
アップの時、ダウンの時って、やっぱりあるからね
だから、本能を大切にしてる
自分たちのありのままの本能を信じて、それに従うことで
色んな困難とか危機を乗り越えられると信じてるし
実際にそれで乗り越えて来てるからさ

今年はBIGGIGをやって、その勢いでツアーに出ちゃうってことだから
いっぱい集まったのを知って、色んな街で待ってるだろうし
エンジョイして美しくやりたいですね

そして、BIGGIGについて
甲斐さんが、もうひとつよく口になさってるのが「ロケーション」で…

「近代建築物というのは、この世の中で一番すごいものだ」という
ロバート・B・パーカーというハードボイルド作家の言葉がありますが
スペンサーっていう私立探偵の男に言わせてるんですけどね

何かこう、BIGGIGもね、高層ビル街の中で
2万人集まる空間っていうのがあった訳でしょ
そこに2万人の人間の熱が吹き出す空間なんだっていう意味合いも含めてね

そんな「THE BIG GIG」っていうものは、俺の目から見て
「近代建築イコールBIGGIG」
あの近代建築物こそが、BIGGIGの最大の長所であり、最大の風景だった
そして、最大の照明だったような気がしますね
この時代のこの社会の中で、ひとつの「明かり」となる
パワーがあったんだというように考えてるんだよね

田家秀樹さんによると…
甲斐さんが3年前から「新宿でやりたい」と思っておられたのは

「どうあがいても、アスファルトの上で生きていくしかないなら
最も近代的な場所でやりたいという
甲斐バンドが東京に出て来た時から持ち続けていたテーマ
[都会の若者の挫折と夢の物語]を描こうとした」からではないかと…

甲斐さんご自身も「僕らの音楽には、今の時代
このアスファルトの上で生まれた恋や愛の歌を
率直に歌ったものが多いでしょう
だから、その都会の中で、その瞬間を呼吸しながら歌いたかったんだ
それがあのイベントだった」

「都会との遭遇戦」と呼ばれた「ガラスの動物園」から
【東京の一夜】を選ばれたのもナットクです♪

「近代建築物が、あれだけ絵になるんだと改めて思い知らされたよね
後ろに大理石みたいなので出来た
でっかい高層ビルがバンと一発あって
周りにいくつか並んでる訳じゃない

それだけで、もう何にも要らないんだもんね
例えば、ストーンズみたいに両サイドに絵を描くとか
そういうのって、全く必要ない訳じゃない?

そこにステージを作っただけで、一枚の絵になってるしさ
しかも、かなり芸術の域に達してるくらいのね
それは素晴らしいイマジネーションだったよね」

「そりゃ、文句なく燃えましたね
道路の端にタクシーの運転手が車を停めてさ
顔、いや、体ごと乗り出して
商売を忘れて手拍子を打ってる

ダーッて建ち並ぶビルの前で
スモッグと雑踏の大都会を見ながら
ほら、みんなで本当にやってるよって感じ

僕は僕の歌を歌ってさ、みんなはみんなの思いで受けとめてくれる
それぞれの人生の苦衷を噛みしめて
みんなで生きているって感じでしたね
良い時間を過ごせたなと思ってます」

ただ「それは、ロックがストリート・ミュージック的な意味合いに
変化していることと関係あるのか?」との質問には

「そこまでは考えてないよね
良い意味でこじつけて貰ったり、褒めてくれたりするけどね
バンドの性格ってあるじゃない?
1983年の甲斐バンドに似合ってる場所はどこかな?という選び方だしね」

「初めての野外だから楽しくやりたい」とおっしゃった箱根
「最もハードで汗にまみれた場所」として選ばれた花園
そして「都会のど真ん中」でのBIGGIG

それでも「それはそれで済んだこと」として
かつての初武道館ライブのMCのように
また、普通のホールに戻られたごとく
ライブに、ツアーに、レコーディングにと励まれて、早や33年…
野音では、どんな「AGAIN」を見せて下さるんでしょうね?
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機関紙BEATNIK(Vol.21・23)その3

2016-06-20 07:43:19 | 日記
さて、再び1983年の「BIGGIG特集」です(笑)
【安奈】に続いて、12曲目は【ナイト・ウェイヴ】
奥さんの大好きな「マイクスタンドを抱えて歌う甲斐さん」だけど(笑)
やはり、なんと言ってもこの日のハイライトは【東京の一夜】らしい

亀和田武さんも「コンサートのちょうど真ん中で
突然歌われた【東京の一夜】…あれでキマリだ
8.7BIGGIGをもし一言で表すとすれば
ハイ、それは【東京の一夜】です…というのが俺の答である」と記されてます

「イントロが鳴って、ホンの1秒か1秒半たった時に
会場のそこかしこから、決して多い数ではないが
[えーっ]という正に[!]マークと[?]マークの混ざりあった声が
沸き上がった」ことについて考察なさってるんですが

「BIGGIGの後で、甲斐よしひろ本人から聞いた話では
今回の【東京の一夜】のイントロは
以前のものと比べると少し違えてあるらしい
となると、かつてコンサート会場で
この曲を聴いたことのあるファン達も
一瞬、何の曲だか判らなかったに違いない」

「で、どうも東京の一夜らしい、と気づくまでに1秒か経過し
気づいてからも[えっ、嘘ッ、嘘ッ、そんな嬉しい
気持ち良いことが本当に起きる訳ないわ、嘘よねッ]というような(笑)
女性心理特有の葛藤が0.5秒ほどあって、両方足すと1秒半の時間が
あのドヨメキまでには必要だったのではないか」(笑)

奥さんによれば「そうそう!おっしゃる通り!(笑)」みたいで
実際、一緒に行った友人と二人して
「えっ⁉」「えっ⁉」「うそ〜っ?!」とうわごとのように言いながら
顔を見合せていたんだとか…(笑)

「この曲がステージで取り上げられていた頃は
観客の9割5分までが女だった時代である
そんな彼女たちのあのタメ息、ドヨメキと共に
その一瞬後には、主催者側発表2万2千人という数の観客に
スーッと伝染し、行き渡った」と亀和田さん

映像を観ると、確かに「ジャーン!」と鳴った後に
少数ながら女性の悲鳴のような声が聞こえ
「ダンダンダンダン…」というイントロが始まると、更に大きな歓声となり
甲斐さんが歌い出された途端
会場中が爆発したみたいにどよめいているのが判ります(笑)

「さて、なぜ、あそこで【東京の一夜】だったのかといえば
これはもうバンド側の[余裕]ということに尽きる
どちらかといえば水分の多い【東京の一夜】のような曲を
サラッと、しかし観客を喜ばせるノスタルジックな薬味は忘れずに添えて
歌い上げるというのは[余裕]と[自信]の産物以外の何物でもない」と…

甲斐さんによると…
「6〜7年前の古い曲なんて、もうやらないよって時期もあれば
逆に時間がそういうのを気持ち良く消化させてくれる場合もあるし
良い意味で時間が経って、良いタイミングでその時期が来ればね
もう古い曲でも、今、良いと思うものは歌ってやるって心情はものすごくある」

「BIGGIGをやる前にさ、田中一郎と二人で酒飲んだ上での冗談なんだけど
甲斐バンドの[タイム イズ オン マイ サイド]って何だろうって話してたら
一郎が[東京の一夜じゃない?]って言ったことに端を発してる

スロー・ミディアムで、ものすごく情感があるくせに
どっかこう、ある種の強さを感じさせる、で、シンプルだっていう…
実際、当夜やってみるとすごく良かったしね」

…この一言が、イチローさんの甲斐バンド加入の決め手になった訳ですが
後のサンストで甲斐さんは「この男、デキるなっていう部分も含めて
こいつとならバンド、一緒にやれるっていうようなことをね
俺ははっきり思ったんだよね」と話されてます

それはさておき…「曲って、やってみなければ判らない
それはいつもある、絶対ある
やってみてダメだったら、いつでも切るしね」と甲斐さん

BIGGIG後に【東京の一夜】をシングル発売なさって
ツアーでも取り上げておられた頃のインタビューで…

BIGGIGにも足を運んだという少女が、そのツアー会場で聴くよりも
「やっぱり、あそこで聴きたかった」との感想を洩らしたとお聞きになって

甲斐さんは「それはそうでしょうね
だけど、それはその女の子の勝手な言い分だよね
だって、行かれない子たち、一杯いるんだからさ

僕の中にあの歌を歌うことで
心に火がつくような部分があれば、僕はやっぱり歌うしね
シングルを出したのは、あん時のひとつのキャンドルみたいなもんじゃない?
それに、すごくよく歌えてたしね」とお答えになってました

まあ、奥さんも件の少女と大差ない感想を持っていたようだけど(苦笑)
ライブはナマモノ、ワン・ナイト・スタンド…とはいえ
それだけインパクトが強かったということじゃないかと…?

このBIGGIGの象徴とも言うべき【東京の一夜】
今年の8月7日には、どんな気持ちで聴くのか?
どう聴こえるのか?楽しみですね♪
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