ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.22・23)その2

2016-06-25 08:27:45 | 日記
樫井浩世さんは「甲斐バンドとハードボイルド」というタイトルの文章で
BEATNIK編集部の「なぜ、いま、ハードボイルドか?」との
テーマに答えておられます

「甲斐よしひろの詞について書きたい」が
「その前にハードボイルドについて語っておきたい」と樫井さん

「ハードボイルドとは表現の問題で、決して感情の問題ではない
登場人物たちの心の動きや感情を表すものではなく
あくまでも書かれた小説の表現形式である
[私は悲しい][僕は淋しい]といったセリフはなく
登場人物たちの心は、彼らの動作や彼らを取り囲む風景の中に描き込まれる」

「さて、この[悲しい]とか[淋しい]という
ストレートな心情吐露の言葉に注意しながら
甲斐よしひろの詞を見ていくと
初期の甲斐バンドの行方を決定づけた[英雄と悪漢]の中では
[とてもステキさ]とか[恐かったんでしょう]という
ストレートな表現に混じって
[悲しさ]とか[むなしさ]との言葉も頻出する」

「しかし、シンプルな感情のオンパレードという訳ではなく
[ポップコーンをほおばって 天使達の声に耳を傾けている]や
[ジングルベルに街が浮き足だった夜
人の声と車の音が飛び交ってる]というフレーズには
甲斐よしひろの詞の世界の最も良質な部分に匹敵する輝きが秘められている

ストレートでシンプルな感情表現が多いというのは
あくまでも最近のものに比べてという意味である」

「その最近の甲斐よしひろの詞は、実にハードボイルドである
この傾向は[虜]辺りから強まったものだが
最新アルバム[GOLD]の詞には[悲しさ]や[むなしさ]など
ストレートな感情表現はほとんどなく、代わって情景描写が多用され
感情はそれらの情景描写のウラに注意深く織り込まれている」

「[シーズン 波打ち際 ロマンスの波を浴び]
[月明かりの中 夜の階段 降りてくる][黒い霧が流れ 冷たい雨が降る]など
全10曲中8曲が、情景描写から始まっている
これらの詞の書き出しは、実にハードボイルドな物語性を帯びた形式だが
どうして最近の甲斐よしひろの詞が
こうした表現形式を必要としてきたかを考えてみたい」

「ハードボイルドというのは、極めて現代的な表現形式である
現代社会を象徴する言葉として[多様化][細分化]という言葉があり
そこで語られる[現代の心]も多様化され細分化される

多種多様な複雑な心を捉えるのに
ストレートでシンプルな感情表現は適切ではない
甲斐よしひろの詞がハードボイルドを志向しているのも
現代という[時代の心]に鋭く斬り込もうとする
彼の詞の誠実さの証に他ならない」と記されてます

続く西一雄さんも、同じテーマ、同じタイトルの記事で
【地下室のメロディ】の歌詞…
[急ぎすぎた青春に傷ついて
まるで運命のそのように 君さえも去ってしまった]…を例に挙げられ
「ここまで他動的に愛を失っていいのだろうか?と
思わず口に出しそうなくらい弱々しい青年像だ」と…(苦笑)

「ところが、この脆弱な男は、何年か後の同じ酒場に帰って来るのである
[どんな奴でもOK、誰かハートをくれるなら…]
ただ愛の嵐が吹き抜けるのを茫然と見送っているだけだった男は
孤独を癒やすために、性別すら定かでない人物を抱けるようになる」
…と「救いなき魂の徘徊から、救済する側への成長」説を展開されてますが

この【ボーイッシュ・ガール】の歌詞には
「俺は恋に破れ 死にそうだった」
「俺は孤独だった」「泣きたいくらいの俺らは…」といった
目いっぱい、どストレートな感情表現が登場してますよね(笑)

ともあれ「甲斐よしひろの心象風景の変化を
愛読書によって、牽強付会的に判断してみるのはどうだろう」と西さん

ロバート・B・パーカーが、ハードボイルド文学や
ハメット、チャンドラーの研究家だったことに触れられ

「冊を重ねる内に、旧来の皮肉とアクション
筋肉優先主義みたいな思想だけでは通用しにくいと考え
男性や女性を越えた、人間として名誉ある行動を取る者こそが
ハードボイルドのヒーローと成り得ることを提示したのではないか?」と…

「初秋」の中でスペンサーが
[子育て]という意味では箸にも棒にもかからない
離婚した両親から少年を引き取り
自分の食べたいもの、やりたいことも判らず
毎日、テレビでメロドラマを眺めているような無気力な状態から

「俺が出来ること」…ウェイト・リフティング、ランニング
丸太小屋建築、料理、ボクシングなど…を教え込んで自立させるという
「教育」をテーマにすることで、新しいヒーロー像を作ったとおっしゃってます

「精神的な強さ、柔軟さを示す顕著な例」として
【HERO】の「今夜お前はヒロイン…痩せっぽちの俺たちが見えるだろう」と
【マッスル】の「街を歩いて来なよ…
だけど最後に叩くドアはこの俺の胸だけさ…鋼鉄の魂が今必要だ…」を挙げられ

「前者は[弱きもの]のヒーロー待望に聞こえ
後者の主人公は、すでに鋼鉄の魂を持っているように思える」と結ばれてました

パーカー自身によれば
「最初の1作は、チャンドラーにライバル意識を燃やして書き始めた
もしかすると、次の作品の半分くらいまではそうだったかも知れない」らしく
「チャンドラー風」の古典的ハードボイルドを好まれる方の中には
「初秋」は邪道とおっしゃる方もおられるようです(苦笑)

ただ、その後の「スペンサーの人物像」について
「スペンサーは私から生まれたものであり
おそらくは多くの点で私自身の説明にもなっていると言えるだろう」

また「スーザン」についても
「ジョウン・パーカーに対する私の反応を
スペンサーの眼で見るように置き換えて
より忠実に再現している」と発言していて
スペンサーとスーザンに重大な危機が訪れた作品は
パーカー夫妻が離婚の危機にあった時期に書かれたものだという(汗)

古き良きハードボイルド作品から
自身をさらけ出すような作品へと変化させたパーカーは
「表現者」としての甲斐さんと同じスタンスだったんですね
コメント
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