ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.21・23)その5

2016-06-22 21:14:00 | 日記
BIGGIGのライブレコードについて一言…というタイトルで
「甲斐バンドの名曲中の名曲【翼あるもの】のないレコードなんて
クリープのないコーヒー、江川のいないジャイアンツと同じ」との投稿があり(笑)

編集部の方のお答えは
「BIGGIGが、1983年の甲斐バンドの現在だとしたら
少しでも、そんな現在らしさを出した方がいい
選曲にしても、出来るだけ今までのライブと重なり合わない方がいい
…という考え方もある」

さらに「甲斐よしひろは、ビデオとFM東京の特番とLPと
それぞれ、全て違ったミックスダウンをするという画期的な試みをしていた
それぞれの特性があるのだから、媒体によって
一番あの雰囲気をイイ音で伝えようとしていた」と続き

「FMは、拍手を主体にした臨場感が強調され
レコードは、甲斐よしひろのボーカルと演奏のバランスが主眼になっている
空間の広がり、かすかなエコーが
かえって遠い客席を思い浮かべるような
アタマの3曲は、ステージの風向きが
そのまま音に出ているような
そんな気がして来るくらいに作られている」と…

テレビのオンエアも含めれば、23曲全曲が収録されてるみたいですが
ビデオでは【ダイナマイト…】【テレ・ノイ】【ミッドナイト】
【胸いっぱいの愛】【破れたハート…】がカットになり
【観覧車'82】と【100万$ナイト】が入れ代わってましたよね?

その撮影について、井出情児さんと
津島秀明さんへのインタビューが掲載されていて…

10台のカメラを全部フルに回したら
3時間テープに移して14箱、42時間分
情児さんは、総監督とご自身のカメラを担当され
津島さんは、5台のカメラ映像が見られる中継車の一つから
怒鳴っておられたらしい(笑)

もう1台の中継車からもどなたかが指示をなさってたそうだけど
やはり現場とのギャップがあったみたいで(汗)

「ここは大森さんのギターで入るから
絶対撮ってくれって言ってるのに逃してたり
すっかりあてにして、レンズがアッチ向いてるから
撮ってるもんだと安心しきってたら撮れてなかったり(笑)」

また、ステージ上に置かれたクレーン・カメラは「大問題」だったらしく
「甲斐さんやメンバーの人は、やりにくかったと思うよ
花道の真ん中に置いちゃったから
行こうと思ったら鉄のかたまりがドーン(笑)」と情児さん

佐藤剛さんも「事前にも問題になったし、本番中もメンバーが怒った
基本的にはクレーンが避ける、時々出て来るってことだったのに動かない
話が違うじゃないか!って」

「PAはPAで、スピーカーの前にクレーンがいるから
音が届かない、ふさぐな!とか
舞台監督も話が違うって言うし

【危険な道連れ】の時にパァーッと花道に行って、すぐ戻って来るでしょう
あの時にもう甲斐は行きたかったんですよ、でも行けなかった
良い画が出て当たり前(笑)」と話され

情児さんいわく…恨まれてますよ(笑)
クレーンは一生懸命避けるけど、間に合わない(笑)
…確かに、3人がかりで避けようとなさってる映像があり(笑)
【ムーンライト・プリズナー】の時には
無事に甲斐さんが花道の先端のリフトに辿り着いておられました(笑)

また、情児さんご自身の撮影に関しては
「歌手も肉体労働だっていうことがよく判ったね
走ってもカメラが追いついてないもんね(笑)」とおっしゃってます(笑)

歩道橋の上は「かつぎのカメラ」で
「車1台用意してグルグル回ってたんだよねぇ」
でも、収録されたのは「ワン・カットだけ」(笑)

もっと勿体ないのは、タイトル・バックに使われただけの
ヘリコプターからのワン・カットやら
FM東京の屋上からの映像も
「最後のドカンって1発しか使ってない」やら(笑)

それも全ては「ストレート一本直球だけの方がシンプルで
見る時の感情みたいなものが移入できるし、長持ちするんじゃないか
一番ナマっぽい、女の人で言えばお化粧してない
メッキしてない、古くなっても渋さが出て来る
それでいて音楽の邪魔をしてない
歌を殺しちゃいけない、それだけを思って」のことだったようです

他にもステージを支えておられた方々についての記事を拾ってみると…
やはり、当日の暑さのせいか
救護本部はいつも満員だった…とか(汗)

オープニング・アクトの「ソング・オブ・ジョイ」は
沖縄の基地の中でミサなどを歌っているセミプロで
観光シーズンのため、東京までの直行便のチケットが取れず
経由ルートで来ることになっていたものの
当日2時には、まだ何時に着けるか定かでなく
結局、全くのリハーサルなしだった…とか(汗)

元マネージャーの武石輝代さんは、ステージが始まってからも
通路や客席に放り出されている空き缶を拾って
誰かが投げて怪我人が出ないように気を配っておられた…とか

終演後、缶ビールを飲みながら「バラシ」を見ていらした方々が
作業なさっているスタッフの方に手を振って合図され
缶ビールを投げ込まれた…とか

逆に、アルバイトの少年が手にしていた売れ残りのポスターと
缶ビールを「取りかえてくれない?」と声をかけていらした…とか(笑)

そのバラシを見届け、ホテルに引き揚げられた中西健夫さんは
翌日、2万人以上の人間が出したゴミの山(4トントラック4往復分)を
6人だけで片づけなければならなかった…(汗)などなど

この「東京の一夜」のために、観客には見えない所で
汗を流しておられた方々が大勢いらっしゃったからこそ
今も奥さんが「あの日はねぇ…」と楽しげに話してるんだなあと…m(__)m

そうそう!このVol.21の表紙を飾った「観客の少年」のお母様から
驚きのあまり「その場にへたり込んでしまった」との投稿があり(笑)

「彼にとっての甲斐バンドが、甲斐さんにとってのストーンズのような
そんな存在であり続けて欲しい」と記されてますが
当時12歳でいらした「少年」が、今も甲斐バンドを聴いておられ
野音に参戦されるんじゃ?と想像してニンマリしてしまいました(笑)
コメント
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