ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐さんスポ

2016-06-27 07:55:17 | メディア
「甲斐バンド・この1曲」の途中ですが
昨日、東京の甲斐友さんから「サンスポ」が届けられましたので
急遽、内容を変更させて頂きます(笑)

甲斐さんの記事が掲載されるとのKメールが届いた時
「一部発売されていない地域が…」の一文に
「ヤな予感がした(苦笑)」と奥さん(笑)

発売されてはいたけど、甲斐さんの「か」の字もなく(汗)
取りあえず、ネットで内容をチェックしたものの
甲斐友さん達が「なかなか大きな扱いでビックリ♪」と騒いでたらしく(笑)
お願いして、関東版を送って貰うことにしたんだとか…

奥さんいわく…野音の告知は、まあ、関東圏に力を入れるのは判るけど
NYボックスは全国的に発売されるんじゃないの?(笑)

ただの紙切れとなった(笑)我が家のサンスポと
関東版サンスポと見比べてみると
裏1面が「中日vsヤクルト」なのに対し、関西版では「阪神vs広島」
まあ、これは想定内として(笑)

かなりの紙面を占めている甲斐さんの記事の部分は
「高知東生容疑者」と「美脚刑事・波瑠」のニュースになっていて
その余白部分には「発毛促進剤」の広告が…(苦笑)

ちなみに、関東版で「高知東生容疑者」の記事が掲載されている部分は
「EU離脱・プレミア崩壊危機」との見出しで
かなり大きな記事が載ってました
発毛剤より、こちらの記事に追いやられたと思いたいですね(笑)

そうそう!第1面の「宝塚記念」の予想も東西で違っていて
こちらは東の予想馬が2着、西は3着でした(笑)

ともあれ、記事自体は皆さまがよくご存知の内容だった訳ですが
小見出しごとに違う甲斐さんの顔写真が使われていて
奥さん的には「もっと他にイイのなかったの?(苦笑)」というものも
何枚かあったみたいです(笑)

ただ「ワイドナショー」での「SMAP解散」についての甲斐さんの発言が
「話題を呼んだ」ことに関して訊かれたくだりで

「僕だって当時、今のような音楽事情だったら
ソロとバンドの両方をやりたかった
ブレークするまで苦楽を共にした
本音をぶつけ合える仲間がいると安心できる
帰って来られる場所があることは大事ですよ」

…とおっしゃったことに、ただならぬ反応を示す奥さん(笑)
毎度のことながら「オリジナルメンバーの甲斐バンド」ファンなもので…(笑)
と、ここでボクが思い出したのが、BIGGIGのライブCD

奥さんが野音用の曲をiPodに編集するために
【ダイナマイトが…】以外は、当日のセトリ通りに収録されてるからと
このCDを取り出した際、ふとライナーを眺めてみたら

萩原健太さんが、甲斐さん、松藤さん、イチローさんへのインタビューを
まとめておられ…

「甲斐さんが一人でギターの弾き語りをやっていた頃の話を伺うと
背景にバンドが見えたというか、ギター1本でやっているんだけど
そこにドラムが鳴ってるんだろうなっていうカッティングがあったり
ベースがいるんだろうなっていうラインの取り方をしてたり…」と萩原さん

甲斐さんが「うん、そう、サビに行く時は
ドラムのフィルみたいなカッティングをしてたんですよ
あと、やっぱり、ベース・スケールを弾いてたよね
だから、鳴ってるんですよね、頭の中で」と話されると

萩原さんいわく…そんな風に頭の中で鳴っていたバンドサウンドを
現実のものにするためには、やり方が2つ
ひとつは、めちゃくちゃギターが上手くなるという道(笑)

…って、押尾コータローさんみたいに
「ひとり甲斐バンド」が出来るくらいってことでしょうか?(笑)

甲斐さんのお答えは「そうそう(笑)それも確かにあるけど
僕、4人兄弟の末っ子で育ってるから
ナンか、やっぱりバンドグルーヴの方がいいよなって気持ちがあって…
これが長男だったら、ひとりで頑張ったかも知れないけどさ(笑)」

萩原さんが「甲斐バンドは、4人編成でスタートして
その後、サポートでキーボードが入るようになって
更に、長岡さんが脱けたことをきっかけにベースもサポートになって
その頃から他のサポート・ミュージシャンの数も増え始めて
やがて、一郎さんも正式メンバーとして加入する…」と
甲斐バンドの変遷を紹介なさると

松藤さんいわく…確かに昔は、サポートでキーボードが入るだけで
イケナイみたいなこと言われたもんね
だから、オリジナルの4人編成の頃は、バンドで何でもやろうと
最初は甲斐よしひろでさえ【裏切りの街角】で
ツインギターの片方を弾いてましたからね
長岡が片手でソリーナ弾いたり
居るメンバーで何でもやってしまおうと…

それが、アルバムでの音像を再現するための専用の人員が
ステージにも全員揃っていて…みたいなことをやり始めた
最初のライブがBIGGIGだったんじゃないかな

すると、イチローさんも「考えてみると、ベースが居ない状態で
ちゃんとバンドをやったのって
たぶん日本では甲斐バンドが初めてですよ」とおっしゃって
松藤さんいわく…B'zのはしりだ(笑)

甲斐さんいわく…うるさいな(笑)だから、異常なことなんですよね
でも、ジェネシスが同じような道をたどった時
「やっぱ、そうじゃん」って…
絆っていうのはそういうことじゃん、大事にするんだったらね
間違いじゃなかったって、僕、思ったんですけど…

このCD-BOXが発売された当時
奥さんは甲斐さんのこの言葉を読んで
少しうるうるしてました(笑)

更に、萩原さんが「例えば、花園でのプリミティブなグルーヴに比べると
(BIGGIGは)音の質感も変わってますよね」とおっしゃると

「その前の年、82年の武道館で
花園以降のあのグルーヴは完結したんです
あそこで、バンド形態の甲斐バンドは完成形を見ました」と松藤さん

甲斐さんも「松藤の言うように、ある種の整理整頓をして
もう1回グレードを上げるための場として
僕らはあのイベントをやったんです
確実にバンドが自分たちのプレイに実感を伴い始めた時だと思うんですよね

だけど、振り返ってみれば、それはたぶん花園で芽生えたんだと思う
あれだけ客が大騒ぎになって、死ぬとか言ってる時に…にも関わらず
その分、バンドは自分のプレイに対して、どんどん冷静になって行く
これスゴいじゃないですか、ミュージシャンズ・マインドじゃないですか
目の前の光景に舞い上がって、バラバラになって行かなかったんだから」と…

そして、萩原さんから「GOLD」のミックスの時に
甲斐さんが「何もかも放り出したくなった」と思っておられたことと
その直後のこのイベントで「躍動的な、しかも新しい方向性」を
打ち出されたことについて質問されると

「確かにやめたいと思った、本当にやめようと思ってたんだけど
でも、そう思ったとしても、自分の中で
いや、やっぱりそうじゃないんだって思える瞬間もあるでしょ
そんな中で、もっと良い音に向かおうって思いもするわけ

それで実際に良い音が出て来たら、これはもうゴキゲンな訳ですよ
スタジオの中であろうと、ライブだろうと
やっぱり踊らせてくれるものがあれば踊る訳じゃないですか
それでその時は、やめたいって思いは自分の中で封印した
やっぱり僕だけじゃないし、メンバーもいるし、家族もいるなって…」

長らくライブから遠ざかっておられた上に
こんな経緯がおありだったことが
BIGGIGでの鮮やかなパフォーマンスに繋がっていらしたんでしょうね?
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