ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ラジオ深夜便(2/7)その5

2018-02-20 14:39:00 | メディア
「音楽プロデューサーとして、やり残したことは?」と訊かれて
佐藤さんは「プロデューサー自体が、そもそも何で始まったのかなと思うと
自分が夢中になって聴いた音楽のようなものを
自分も作る側に回って、今の時代のものを作って、様々な人に届けたいな
そういう才能と出会いたいな

自分の力じゃないから、才能ある人と出会わない限り
プロデューサーって仕事は何も発揮できない
素晴らしい作家や素晴らしいシンガー、演奏家がいないと出来ない仕事
そういう人達と出会ったら、そういう人達とどこまで行けるのかな?
…って、ところから始まってるんです

僕は、ずいぶん幸せだなあと思うのは、こうやって話していても
聴いてる人がある程度、名前を聞いただけで
曲を聞いただけで判るような話が出来る
そういうところに関われて来たというだけで、すでにとても幸せなこと

ほとんどやり残した感じはなく、やれることは全部やった
それよりも、自分のやったことも含めて
先人達が様々な作品を様々な思いで作って来たものを
後世に正しくキチッと伝えたい

20年くらい前、とにかく新しい音楽から
ヒット曲を作りたいという考えから離れて
長く歌われる歌の中にも、だんだんすたれて行く歌
逆に年月を経て、新しい人達に発見されて、聴く人が増える歌がある
そういったものに目を向けて行くのが
本来の自分の資質に合ってる」と話され
話題は「スタンダードナンバーについての思い」へ…

「【上を向いて歩こう】が、どういうシステムで、どういう流れで
100万枚もアメリカで売れたのか?その事実関係を誰も知らなかった
それを調べたら、裏でキチッと仕事をしていた人達がいる

これは、たまたま、この歌がどっかから流れて
『あ、いいね!』と言われてヒットしたっていう夢物語ではない
そもそも、九さんの歌声含め…だけど歌がなくても
『このリズムのこのメロディは世界で通用するよ』と判断した人がいて

楽譜、譜面を出版社、レコード会社に売り込んで
それがカバーされ、ヒットしてからオリジナルに火が点いた
確信犯的に誰かがこういう仕事をキチッとやってなければ奇跡は起きないんです

1961年に日本でヒット、63年、80〜81年、94〜95年に世界でヒットした
言葉も歌った人も全部違う
そんな風にヒットするということは
新しい解釈で、新しい命を吹き込む歌手や演奏家がいれば、ずっと生きて行くんだと…

自分の時代に感じたことを伝えて行きたい
次の世代の人にも、次の世代の人にしか受け取れない感覚がある
新しい生命力を吹き込んで貰えば、眠ってる曲が生き続けるんです」と佐藤さん

甲斐さんが、ソロアルバム「翼あるもの」で、カバー曲を取り上げられたのは
「甲斐バンドのソングライターとしての甲斐よしひろと
明確に区別したい」ということはもちろん

「昔、ヒットして知られてる曲を
今の時代にも充分通用するように斬新なアレンジをして
原曲を知らない人達にも、その良さを判って貰いたい

流行した時期を過ぎると、どんな良い曲も懐メロとしてしか評価されず
スタンダードが生まれにくい日本の音楽状況に対する
『本当はそうじゃないよ!』という思いがある

このアルバムで、甲斐バンドのファン以外の人達に
歌の面白さを知って貰えればと思ってる」と説明なさってますが
どちらかというと「昔、ヒットして知られてる曲」よりも
「隠れた名曲」の方が多かったような気が…(笑)

ムッシュの【喫茶店で聞いた会話】はB面の曲だし
浜田省吾さんの【あばずれセブンティーン】や、森山達也さんの【えんじ】は
テレビやラジオで、広く一般に耳にする機会のない曲だったでしょう

「翼あるもの2」を作られる際には
「『手垢のついてない曲』というのをキーワードにした」とおっしゃってたし(笑)
去年カバーされた【非情のライセンス】も
「ナンで誰もやらないのかなあ?」と「目をつけていた」曲ですよね?(笑)

でも、その【非情のライセンス】にしても
【ダイナマイトが150屯】にしても
甲斐さんが歌われたことで「初めて知った」方は少なくないでしょうし
佐藤さんのおっしゃる「眠ってる曲」を起こす役目を果たされたんじゃないかと…?

ともあれ…「【黄昏のビギン】は、ちあきなおみに歌われ
『いい歌だね』と大勢の人に知られるスタンダードになった
元々の歌詞やメロディが素晴らしくても
もしかしたら埋もれてたかも知れない
…というようなことが、現在進行形で行われている
発見されるように向けて行くことが必要」と佐藤さん

「発表された当時は、そんなに売れなくても
何十年後かにまたヒットする?」と訊かれて
「歌謡曲が盛んな60〜70年代、80年代前半
当時の何枚売れたという数字やランキングをつけられることは
その後、何の意味があるか?思い出の意味しかない

当時、ランキング外の歌…中島みゆきの【糸】はヒット曲ではない
ユーミン、はっぴいえんど…発表時、ヒットというレベルでは全くなかった
異端だったんです
今は、音楽好きの人は、基本ここは押さえるっていう
ある種、クラシック的な扱いになってる」とお答えになり

「スタンダードナンバーは、単なる名曲ではない?」との質問には
「『名曲』っていうのは個人のもの
ある人にとっては名曲でも、ある人にとっては全然そうじゃない

スタンダードナンバーは、誰にとっても良いという訳ではないけど
それを『良い』と感じる人が、極めて共通している
その共有感覚がスタンダードを生むんだと思います」と話されてましたが

当時の歌謡曲が「最大公約数」に沿って…
いわば「売れ線」を狙って作られた曲だとしたら
聴き手の年齢や時代が変われば、輝きが失われるのは必然だし
逆に当時は、万人に受け入れられなくても普遍性を持った曲は
歌い継がれ、生き続けて行く力を秘めているんでしょうね?

そして、最後に…「歌は、実際に聴いてくれる人がいて初めて成り立つもの
ある意味、歌い手、作り手、聴き手…全員の思いが、ギュッと凝縮した瞬間に
キラッと光る結晶が生まれたりする
偶然、宝石が出来るのと近いような気がする

ただ、それは放っておけば、埃をかぶって
だんだん輝きがなくなって来て…という時にそれを磨いて…
生物だとすれば、常に水や光を充てて…いないと色も輝きも失われてしまう

受け取る人、手助けする人、支える人の総合力が、一つの音楽を作るんだとしたら
その音楽の成り立ちみたいなことを広めて行けば
世の中に潤いが生まれるのではないか?

聴いたり、歌ったりするのも、単に消費するのではなく
次に繋がって行くものになって欲しいと思う音楽を見つけて
その物語を解明して、伝えて…という仕事をやって行きたい」と結ばれてました

以前に甲斐さんが…「人間には2種類あって、文に書いて饒舌になる人と
喋ることで情熱を入れられる人がいるんですよ」とおっしゃってたけど

佐藤さんは、ライターでいらっしゃるし
「一人で研究することが、性に合ってる」といったご発言もあり
親しい方と話されるのならともかく
ラジオは苦手でいらっしゃるのかなあ?…と思いきや

甲斐さんに負けず劣らず?(笑)
「絶対に後者ですね」って感じのお話しぶりでビックリ!(笑)
お酒を飲みながら、お二人が話されているご様子を想像すると
思わず口元がゆるんでしまいますねぇ…(笑)
コメント
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