ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(2/8)5

2018-02-15 21:14:00 | メディア
「…ということで、色々言わなきゃいけないことがありますが…
今年もついに5月からビルボード・ツアー始まります」と甲斐さん

「甲斐よしひろ ビルボード&ブルーノート2018
『EAST with WEST』ね…『with』になりましたか
これ付けたの何ヵ月も前なんで、忘れておりますが…(笑)
『from』だったか、ナンだったか…ナンだっけ?…ということで」

…と、ツアー日程を告知なさってましたけど
「孤独のグルメ」よろしく?シーズン6を目指されるとしたら(笑)
「to」「from」「with」の後はどうなるんでしょうね?(笑)

ともあれ…こちらの番組でも、ビルボード東京のカジュアル席が
ビルボード大阪のそれより500円安くなってることに触れられ
「これは、ビルボード・ライブ東京の弱気なんですか?(笑)
そうだよね?考えたら、いつもこうだもんね」と話され(笑)

「今日は1回目なんで、ちょっと詳しく言いました、ハイ
ということで、ムーディー・ブルースかけます」…で、4曲目【サテンの夜】へ…

「これも1月4日ですね、亡くなったのが…
これ、フルートとボーカル…レイ・トーマス
えー、ねぇ…日本人は大好きでした、この曲…ハイ、当時…

で、この人たちがいたおかげで、サディスティック・ミカバンドの…
日本に来日した時に、サディスティック・ミカバンドのレコード聴いて
『素晴らしい』っていうんで、彼らがイギリスへ持ち帰って、ミカバンド広めて
ミカバンドがイギリスでレコーディングするようになった
…という、すごい最大のきっかけを作った」と紹介なさってたんだけど

曲が明けて…「別にこれは、深夜喫茶の話じゃないですよね(笑)
違いますよ!あの生地のサテンみたいな、ビロードみたいな
そんな夜を表してると…ね?」と軽くボケられたのかと思いきや

「やっぱ、みんな同じこと思ったんですね?(笑)
『サテンの夜』って言ったら、ナンか深夜喫茶に入り浸ってね
学校クビになるような、そんな女の子の話かと思いますよね?(笑)

違います!違います!(笑)みんなスゴイなー!
それを言っただけで、全員が頷いたっていう…(笑)恐ろしい…ハイ」
…って、じゃあ甲斐さんも以前はそう思われたってこと?(笑)

ちなみに、甲斐バンドのドラマー時代の松藤さんは
「ライブで汗をかいても、つるんつるんと滑るから」と
サテン素材のステージ衣装を選ばれていたそうです(笑)

続いて…小室哲哉さんの引退についての投稿を読まれ
「まあ、とにかく引退は残念ですよね
それぞれ己れの決意が…みんなね、アーティストは自分なりの決意があるんで…
その…引退どうの、決めるのも自分ですから」と甲斐さん

「まあ、それはそれとしてもですね
だけど、それなりに仕事の繋がりが…僕、あってね…仕事一緒にやった仲なんで
ホントにこう…残念に…思いました、ええ…
まあ、僕、引退会見フルで見た訳じゃなくて
『ミスター・サンデー』とか、そういうような感じでしか、僕、見ないんで…

まあ、だけどもナンか…『そうか、ナンかこう…自分の中で幕引きをね
自分の中で決意していたんだな』
…っていうことは、よく伝わりましたね、ハイ」とコメントされてましたが

先日の「SWITCH」で、かつての小室さんと同様に
「年間100曲制作」なんて活動をなさっていたつんく♂さんが
「15年くらい、新しい音楽は聴かなかったかも知れない」と話されたほど
音楽業界に身をおかれながら
「音楽を楽しむ」余裕もない生活でいらしたことを明かされていたのを拝見して

小室さんも、スタジオに寝泊まりなさるような生活から
奥様の介護やご自身のご病気などで、ご夫婦の関係や環境が一変して
思うようなお仕事が出来ないことに
息苦しさを感じておられたのかなあ…と思ったり

また、会社員と違い「定年」がないお仕事だし
多くのアスリートの方みたいに、気力や体力の限界を感じられたり
ご本人の意志とは別のところ…例えば「戦力外通告」など
…で活躍の場が失われたりというのとも違って

いわば、ご本人が「もう、や〜めた!」と宣言するだけで
まあ、すぐにでも辞められるっちゃあ辞められる…とはいえ
今回の報道が、その「ふんぎり」のきっかけを作ったことは
間違いないんじゃないかと思ったり…

ただ、文春側に非難の矛先が向けられたのは
引退会見をなさる小室さんのご様子が弱々しく感じられたことや
介護が多くの方々にとって切実な問題であるために
「弱者をいじめる許しがたい行為」に映ったのではないか?とのご意見や

世間に渦巻く「処罰感情」自体がなくなった訳ではなく
今回は、引退や介護などが免罪符になり
「誰かを罰したい」という欲求が、文春批判に繋がっただけ…とのご指摘もあり
変に会見を見慣れてしまったのかなあ?と反省したり…(汗)

でも、本来なら、人気絶頂期に引退された山口百恵さんや
皆さんが「なぜ?」と驚かれた安室奈美恵さんの引退宣言のように
惜しまれつつ…というのと少しニュアンスが違うことが残念ですね…

王貞治さんはホームランの世界記録を樹立された後
「あと3年は続ける自信があったが、満足のいく活躍が出来ずに
惨めな姿をファンに見せるようなことはしたくなかった」と
40歳で現役を引退なさったことを
「出来るなら自分の人生を書き換えたいくらい」後悔されたそうで(汗)

人々の夢や憧れを一身に背負われる方にとって「引退」は
ご自身のお気持ちだけでは決められないのかも知れないし
そういう意味で小室さんの「幕引き」は、何かの巡り合わせだったのかなあと…

それはともかく…
「去年の10月くらいですかね?船越さんと、ある時、メシ食ってたら…
イヤ、こないだ屋形船でさ、みんなで宴会みたいな…
そこで、座ったら隣が小室さんで、甲斐さんの話したら

『イヤー、会いたいなー!会いたいなー!』って
1時間半くらいの間に、12回くらい言われた…っていう」
『甲斐さん、会いたいな』っていう、ナンか話があったんで…

ナンかこうねぇ…今、こういう感じで
ちょっとホント残念な感じで幕引かれたんで
まあ…『うん…そうなのか』って感じが
逆に船越さんの言葉でね、こう…ズンと…
その記者会見見ながら、自分の中でズンと来たんですけどね

まあ、そうは言っても、彼が書いた曲とか、そういう時代っていうのは
ずっと、みんなの記憶の中で、ずっと続きますからね
音楽って、そういうこと…そういうものです、ハイ」と甲斐さん

「THE BIG GIG AGAIN」発売の告知の後
「僕は、甲斐バンドが武道館5日間連続…解散することになった時に
『イヤ、バンドは終わっても曲は生きて行く』っていうね
それはね、みんな同じように感じるし
同じようにやっぱ考えるはずなんですよ

だけど、本当はそこにもう一つあって
まあ、それはね、86年に僕ら、そういう発言…僕がした時に
実は、その後、甲斐よしひろが生きて行ってる上での
そのストーリーというか、物語というか
そういうことが、すごく実は付加価値になっていて
それで、その書いた曲とかにフィードバックしてると…

だからやっぱり、どういう風にそのシンガーなり、アーティストなりが
生きて行くかっていうのが、その歌にフィードバックして行く
作品にフィードバックして行くってことなんで

だから、彼は引退したんですけど
小室くんは、そこにちゃんと存在はしてる訳だし
色んな意味で、色んな形で発信はして行くと思うんでね
是非やって頂きたいなと、僕は思ってます、ハイ
これ、ホント正直な気持ちですね」とおっしゃった後

「ビルボード・ライブから…2016年にやったライブですね
1曲聴いて貰いましょう」と5曲目に【卒業】を選ばれてました
甲斐さん流のエールだったんでしょうか

余談ですが…甲斐さんが、大森さんからの3度目のアプローチで
ついに甲斐バンドの解散をお決めになったことをご家族に伝えられる時

「もちろん虚しくなる瞬間があったのも否めなかった
ただ結果オーライという部分でもないけど
『ここぞ』と男が決めたことに家族の意見が入って来ちゃうと
小難しくなったりするからさ、結論だけバッと言った」そうですが

「音楽はてめえがやってるものだからね
家族は曲も作ってくんないし、詞も書いてくんない(笑)」という
冗談めかされた言葉に、前述の「アーティストの決意」が籠められてるなあと…

ただ、以前に甲斐さんが「お引きあっての芸人」と話されたことがありましたけど
結成60年のボニージャックス・鹿嶌武臣さんも
「この世界は、コンサートに呼んでくれる人がいなくなったら
それが定年なんです」とおっしゃっていて

確かに、聴きたいと願うファンの方が大勢いらしても
興行として成立しなければ「事実上の引退」になっちゃうし(汗)
プロとアマチュアの違いは「自分の技を職業とするか否か
それで生計を営むのか、それを楽しみとしてやるのか」ということだし…

…といったことをボクが話すと
奥さんは「誰も聴く人がいなくなってね…
5人しかいない…それが女房とガキだとしても
結構、一生懸命歌うと思うんだ、その時…」って日が
永遠に来ないことを願っておりました
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