読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『広開土王と「倭の五王」』

2018年11月12日 | 人文科学系
小林惠子『広開土王と「倭の五王」』(文藝春秋、1996年)

少し前まで『太王四神記』をやっていた。数年前に見ているので、初めてではないが、他に面白いものがないので、また見始めたら、やはり面白くて、途中でやめられない。

それで広開土王の時代というのはどんなだったのかと思ってアマゾンを見ていたら、この本が紹介されていた。「倭の五王」の一人の讃は広開土王のことだと書いてある、うそー!ってわけで読み始めた。

時代としては西暦400年ころから500年ころまでの100年間が記述されている。その初っ端が広開土王の話だ。ドラマでもタムドクが広開土王になる。タムドクは漢字では談徳で、413年まで高句麗の王をした後、日本(この本では朝鮮が半島で、日本は列島と書いてある)に来て、応神亡き後に仁徳になったというのだ。

またここでうそー!仁徳って言えば、堺(私の地元)にある日本一でかい古墳で有名な仁徳天皇?その後、百済王の餘映が履中天皇になり、広開土王の息子がその次の反正天皇(珍)になり、その次は高句麗王と新羅王もやった訥祇が允恭天皇(済)になり、その次は列島に一度も来ることなく天皇になった安康(興)が天皇になり、さらに百済の将軍であった昆支が雄略天皇(武)になり、さらに百済王の牟大が武烈天皇(武)になったというのだ。

上に書いたように仁徳が讃で、以下、珍、済、興、武で倭の五王と呼ばれた(中国の史書でのこと)王たちはみんな半島の高句麗や百済の王たちで、列島にやってきて、倭の王にもなった。つまり、もうこの時代の列島は半島の一部みたいなものだった

この著者は、日本の『古事記』や『日本書紀』だけでなく、半島の『三国史記』その他や、中国の当時の文献をつぶさに渉猟して、『記紀』の記述の傾向を見つけて、これらの史書のあいだの照合をしていった結果、これらのことを発見したという。1世紀から7世紀までの日本と朝鮮の歴史はほぼ解明したと豪語する人で、少なくとも私にとっては、この後に来る聖徳太子と大化の改新といった超有名な歴史をこの著者がどんなふうに記述しているのか知りたい。

ちょうど『日本古代史シリーズ』として出版されているようなので、少しずつでも読んでいきたいものだ。素晴らしい研究者の、素晴らしい本に出会うことができた。



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