読書な日々

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『モリエール 恋こそ喜劇』

2010年04月15日 | 映画
『モリエール 恋こそ喜劇』(ローラン・ティラール監督)

火曜日は男性が1000円均一ということなのでテアトル梅田(ロフト地下)にこれを見に行ってきた。一月くらい前にもなんだったか忘れたが、見に行ったら、朝一の上演時間だったのに、もう最前列しか席がないということだったので、諦めて帰ったが、またまた昨日も最前列と二列目しか残っていないといわれ、少々頭にきたけど、目がくらくらしてもいいから観ようと意を決して観たら、それほどでもなかった。これからは最前列でも空いていれば観ることにしよう。ちょうど来週からは『ドン・ジョヴァンニ』というのが上演されると予告していたし。

なんでこんなモリエールなんて映画にたくさん来るのだろうかと不思議でならないけど、映画は面白かった。じつによくできている。1664年頃にパリに戻ってきてルイ14世にその才能を見出されて、ヴェルサイユでの祝祭などでの喜劇の上演を任される前の、フランス一周の旅に出る前の下積み時代のモリエールを描いている。

『恋するシェイクスピア』と同じように、モリエールがのちに『町人貴族』や『タルチュフ』で描くことになるような経験をしたという設定で、そこでであったジュルダン夫人が彼に新しい喜劇を創始しなさいと勧めてくれたことが、フランス一周のどさ回りに出かけて、腕を磨くきっかけになったという話になっているのだが、たぶんこれは実話ではない。でもモリエールの家系は実際にジュルダン氏のような成上がりの商人であったのだし、あちことで似たような人たちを見たことだろうし、またタルチュフのようなえせ信者も見たことだろうから、まったくの作り物とはいえないだろうけど、この映画そのものを経験したというわけではないだろう。

モリエールといえばもう20年くらいまえに太陽劇団が史実に忠実な映画を作っているが、こちらは時代考証などはしっかりした上に、創作の楽しみを付け加えた、新しいタイプの時代映画、有名人映画になっていて、面白い。

冒頭でジュルダン氏が貴族になろうとして貴族としての必須の教養である音楽、ダンス、剣術、絵画などを先生について習うという場面が出てくるが、先生たちを待たせておいて、次から次へととっかえひっかえこれらの科目を習う場面は、部屋の壁に白馬の馬上のルイ14世に似た絵がかかっていることからしても、『王は踊る』のパロディーだと思う。

それにしてもフランスの古典悲劇の朗唱というのはすごい。顔を白塗りにして、下駄のような履き物をはき、ほとんど直立不動で、Seigneur, vivez, seigneurとか大声をはりあげるのだから、よくまぁあれで観るものを感動させることができたものだなと、17世紀フランスの感性がどんなものだったのか、不思議な感じがする。この辺は、最近では『女優マルキーズ』だとか『シラノ・ド・ベルジュラック』などで一般でも観ることができるようになった。

それに比べれば、モリエールの喜劇はやはりすこし前にここにも書いた『町人貴族』なんか今見ても面白い。スタイルがやはり町人を描いているということ、自分の本来のものとは違うものを身につけようと無理をする姿が多少とも滑稽に映るというのはいつの時代にもあることだからだろう。

役者もいい。主演のロマン・デュリスとかジュルダン夫人役のリュディヴィーヌ・サニエなんかはすごく上手だし、久しぶりにみたファブリス・ルキーニがジュルダン氏をじつに上手に演じていた。

歴史上の有名人をただ史実そのままに描くのではなく、こういう風にアレンジして作り上げるのも面白い。フランス映画はあんがいこういう方向で新たな発展を見せるのかもしれない。


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