柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書、1982年)
明治時代の始めに翻訳語として新たに日本語に付け加えたれたり、これまでの漢語とはまったく違った意味を付与された言葉を取り上げて、翻訳語を創りだした先人たちの苦労や、それがどんな経緯で日本語に入ってきたのかを論じたもので、先人たちの苦労がよく分かる興味深い本だ。
一番興味深く読んだのは、最後の「彼」「彼女」という言葉。そもそも日本語には主語が必要ないということは、今では多くの議論のなかで明らかになっていることだから、小説で初めて使われた「彼」が、いわゆる西洋語の三人称単数形の人称代名詞の翻訳ではなくて、「これ、それ、あれ」という日本語固有の指示語の「あれ」に該当する漢字であり、侮蔑的な意味合いももっていたということが書かれている。
また面白かったのは、田山花袋の有名な『蒲団』の一つ前の作品に頻出する「彼」のこと。現代の人が何も知らないで読んでいると普通に読める。なぜならこの「彼」を三人称単数形の人称代名詞と思って読むからだが、じつはそうではないということをここで明らかにしている。この登場人物はどんなときでも「彼」と呼ばれていて、人称代名詞ではなくて、「田中」とか「一郎」のような固有名詞と同じ使い方がされているという。どうも田山花袋が西洋小説にでてくる三人称単数形の人称代名詞を使ってみたくてこれを用いたらしい。
さらに前作で「彼」の使用が上手くいったことが、『蒲団』で「私」を使うきっかけになったということも書かれている。
次いで興味深く読んだのが「近代」という言葉。最初は近世が一般的だったのが、だんだんと近代が近世の一部として使われ始め、最後には近代が近世を駆逐してしまったという。そういえば一般に西洋の歴史では古代、中世、近代となるのに、日本の歴史では、古代、中世、近世、近代となるのが不思議だと思っていたが、そういう名残なのかもしれない。ウィキペディアで調べたら、日本語版では古代、中世、近世、近代とするのが世界的に一般的だと説明しているが、近世を英語でなんと言うのだろうか?英語版で調べたら、古代、中世、近代となっている。だが近年では近代をフランス革命とか産業革命といった資本主義の確立以前と以後に分けて、以前を初期近代、以後を後期近代、さらに現代と下位区分すると説明されている。こちらのほうがよほど合理的である。そもそもその分類の仕方で言っても日本史の一般の分類のような、近世の意味が分からない。近世はたぶん江戸時代をのことを指すのだろうが、江戸時代は、初期近代ではないのだろうか。たとえばフランスでは絶対王政の始まりが近代の始まりとされている。
とまぁこんなふうにヨーロッパの時代区分を日本に適用しようとすると訳がわからないことになる。それをまだそういった地域によって時代区分が違うということもわからない時代に、外国の時代区分に使われている言葉を日本語に翻訳するというのだから、それがいかに難しいことか、およその想像がつくだろう。
翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189) | |
柳父 章 | |
岩波書店 |
一番興味深く読んだのは、最後の「彼」「彼女」という言葉。そもそも日本語には主語が必要ないということは、今では多くの議論のなかで明らかになっていることだから、小説で初めて使われた「彼」が、いわゆる西洋語の三人称単数形の人称代名詞の翻訳ではなくて、「これ、それ、あれ」という日本語固有の指示語の「あれ」に該当する漢字であり、侮蔑的な意味合いももっていたということが書かれている。
また面白かったのは、田山花袋の有名な『蒲団』の一つ前の作品に頻出する「彼」のこと。現代の人が何も知らないで読んでいると普通に読める。なぜならこの「彼」を三人称単数形の人称代名詞と思って読むからだが、じつはそうではないということをここで明らかにしている。この登場人物はどんなときでも「彼」と呼ばれていて、人称代名詞ではなくて、「田中」とか「一郎」のような固有名詞と同じ使い方がされているという。どうも田山花袋が西洋小説にでてくる三人称単数形の人称代名詞を使ってみたくてこれを用いたらしい。
さらに前作で「彼」の使用が上手くいったことが、『蒲団』で「私」を使うきっかけになったということも書かれている。
次いで興味深く読んだのが「近代」という言葉。最初は近世が一般的だったのが、だんだんと近代が近世の一部として使われ始め、最後には近代が近世を駆逐してしまったという。そういえば一般に西洋の歴史では古代、中世、近代となるのに、日本の歴史では、古代、中世、近世、近代となるのが不思議だと思っていたが、そういう名残なのかもしれない。ウィキペディアで調べたら、日本語版では古代、中世、近世、近代とするのが世界的に一般的だと説明しているが、近世を英語でなんと言うのだろうか?英語版で調べたら、古代、中世、近代となっている。だが近年では近代をフランス革命とか産業革命といった資本主義の確立以前と以後に分けて、以前を初期近代、以後を後期近代、さらに現代と下位区分すると説明されている。こちらのほうがよほど合理的である。そもそもその分類の仕方で言っても日本史の一般の分類のような、近世の意味が分からない。近世はたぶん江戸時代をのことを指すのだろうが、江戸時代は、初期近代ではないのだろうか。たとえばフランスでは絶対王政の始まりが近代の始まりとされている。
とまぁこんなふうにヨーロッパの時代区分を日本に適用しようとすると訳がわからないことになる。それをまだそういった地域によって時代区分が違うということもわからない時代に、外国の時代区分に使われている言葉を日本語に翻訳するというのだから、それがいかに難しいことか、およその想像がつくだろう。