読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『夢破れて』

2010年01月02日 | 舞台芸術
スーザン・ボイル『夢破れて』

紅白歌合戦でスーザン・ボイルさんの『夢破れて』を聴いた。上さんも聞きたいと言っていて、そろそろNHKにしてよと言うので、NHKにした直後にちょうどタイミングよく、彼女の番だった。スーザン・ボイルさんが歌う『夢破れて』を聴いて、おもわず泣きそうになった。もちろんその歌唱力もさることながら、歌詞がなんとも言えない。

スーザン・ボイルさんのことがネットに登場した頃から知ってはいたのだが、そのころに一度YouTubeでイギリスでのテレビ番組の録画を見たときには、歌詞が出ていなかったので、ただその容姿と歌唱力の落差が面白かったというだけのことだったが、紅白歌合戦では日本語の訳詩が字幕で出てきて、それを見て私はおどろいた。

これを聴きながら最初は彼女が自分のことを歌っているのかと思った。そして私自身のことを歌っているのかとも錯覚した。

「若い頃は恐れも知らず、夢を見てははかなく破れていた」
若い頃はたんに自分のことをよく知らないというだけのことではない、自分自身への自信もあったし、きっと自分の好きなことをやり抜けば、夢もかなうだろうし、大きなものを手にすることもできるだろうと思っていた。

「私には歌うべき歌もなく飲めるお酒もなかった」
きっとこれは自分には素晴らしい声と才能があるのにだれもそれに気づいてくれず、歌いたいのに歌を提供してくれないというスーザン・ボイルさん自身の若い頃の話を歌っているのだと思っていた。そして人並みの才能もあれば人に負けないほどの努力もしているのに、それを発揮するだけの場を与えられない自分自身のことを歌ってくれているのかとも。

「でも叶わぬ夢もある 今の現実とは全く違う素晴らしい人生を歩むという夢があった 今やその夢もやぶれてしまったけれど」
ほんとだれも知らないイギリスの片田舎の村でぼさぼさの髪で10年も20年も昔の歌手を夢見て、流行おくれの服を着て過ごしているが、こんなのは私が夢見ていたことではない。そして私自身も50歳も半ばになって、集中力も記憶力も落ちて、二流三流どころではなく、もうこの世界ではやっていけないだろうと思いつつも、まだ諦めがつかずに、もう一仕事したいと、だれからも注目されもしないのに、しがみついている、そんな自分を彼女が歌ってくれているのかと。

このI dreamed a dreamという歌は『レ・ミゼラブル』というミュージカルのなかの曲のようだけど、いったい誰がどんなシチュエーションで歌う曲なのだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。スーザン・ボイルさんにはまさに自分のことを歌っている曲に思えただろうし、私にはまさに私のことをスーザン・ボイルさんが歌ってくれたのかと錯覚してしまうような歌だった。たぶん私のように夢破れた世界中の人間たちはみんな彼女が自分のことを歌ってくれていると思ったことだろう。なんともはや。でもこれで彼女はまさに夢をつかんだのだね。よかった。

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