丁宗鐵『正座と日本人』(講談社、2009年)
漢方医学を専門とする大学の先生であり、みずからクリニックを開いている医者ではあるが、もともと歴史が好きだったこともあり、たくさんの茶道家が膝を痛めてクリニックを訪れることから、正座に関心をもち、一冊の本をまとめたということのようだ。
人間だれしも、現在支配的なことはずっと昔からあったと思い込んでいるが、なんでも始まりがある。正座もそんな昔から日本人の座り方だったわけではない。衣服、住環境、倫理、教育、そういったことがからまって当たり前みたいになっていくものだ。
私が驚いたのは、この本でもすこし触れられているが、朝鮮での座り方である。もちろんチャングムとか『王と私』といった韓国の時代劇を見ていると、女性もアグラをかいたり、片膝を立てたりして座っている。もちろん目上の人の前でも日本で言う正座ではなくて、アグラで座っているのをみて、もちろんチマチョゴリの下に女性もズボンのようなものをはいているから可能なのだろうけど、これが正式の座り方なのだと分かって、不思議な気持ちがしたものだ。
ということは多くの文化は朝鮮から入ってきていることを思うと、昔は当然ながらアグラや片膝たてが普通の据わり方だったのだろうと推測できる。だから、この本でも多くの肖像画に描かれている支配者、思想家、僧侶などがアグラや片膝たてであると指摘されて、まぁそうだろうなと合点がいく。
この人の調査によれば、江戸時代に武士のあいだで他の階級と区別する、あるいは武士の倫理観を強めるために正座が導入されたが、実際に武士の間で当たり前のようになったのは江戸時代の後半、終わり頃で、明治時代になって明治政府が外国とくに東アジアの国との差別化のために庶民にも正座を教育するようになり、明治の終わり頃に畳が一般家庭にも普及するようになって初めてかなり広がり、太平洋戦争の時期に思想教育として正座を強要するようになったことが、そのまま戦後にも残ったということらしい。
とくに正座をよしとする(アグラや片膝たてはしにくい)とためには、服がいまの女性の着物のようにまっすぐ立っているのが精一杯で、足を広げるということは不可能というものの場合にせいぜい正座で座れるということから、着物=正座となり、着物を着用して行う茶道で正座が一般的になったということのようだ。千利休だってアグラでお茶をしていたというから、もっと楽な気持ちでお茶をしたらいいのに。
正座を日本の伝統的な座り方というとすれば、以上のことから、間違っていることになる。せいぜい60年位前から一般的になったに過ぎないのだから。「精神が身体や所作に表れる」という発想はいったいどこからくるのだろうか?たぶん儒教的な発想なのだと思うのだが、すべてはここに端を発している。そこからだらしない座り方や所作や服装をしているものの内面はだらしないということになる。怖ろしいことに、そういう教育を私たちでさえもされてきたから、自然とそんな風に見る癖がついてしまっている。そういう意味では、10年位前から当たり前になってきたダラシナ系のファッションは、そういう日本人に染み付いている戦中教育の名残を払拭するものとして有効かもしれない。
漢方医学を専門とする大学の先生であり、みずからクリニックを開いている医者ではあるが、もともと歴史が好きだったこともあり、たくさんの茶道家が膝を痛めてクリニックを訪れることから、正座に関心をもち、一冊の本をまとめたということのようだ。
人間だれしも、現在支配的なことはずっと昔からあったと思い込んでいるが、なんでも始まりがある。正座もそんな昔から日本人の座り方だったわけではない。衣服、住環境、倫理、教育、そういったことがからまって当たり前みたいになっていくものだ。
私が驚いたのは、この本でもすこし触れられているが、朝鮮での座り方である。もちろんチャングムとか『王と私』といった韓国の時代劇を見ていると、女性もアグラをかいたり、片膝を立てたりして座っている。もちろん目上の人の前でも日本で言う正座ではなくて、アグラで座っているのをみて、もちろんチマチョゴリの下に女性もズボンのようなものをはいているから可能なのだろうけど、これが正式の座り方なのだと分かって、不思議な気持ちがしたものだ。
ということは多くの文化は朝鮮から入ってきていることを思うと、昔は当然ながらアグラや片膝たてが普通の据わり方だったのだろうと推測できる。だから、この本でも多くの肖像画に描かれている支配者、思想家、僧侶などがアグラや片膝たてであると指摘されて、まぁそうだろうなと合点がいく。
この人の調査によれば、江戸時代に武士のあいだで他の階級と区別する、あるいは武士の倫理観を強めるために正座が導入されたが、実際に武士の間で当たり前のようになったのは江戸時代の後半、終わり頃で、明治時代になって明治政府が外国とくに東アジアの国との差別化のために庶民にも正座を教育するようになり、明治の終わり頃に畳が一般家庭にも普及するようになって初めてかなり広がり、太平洋戦争の時期に思想教育として正座を強要するようになったことが、そのまま戦後にも残ったということらしい。
とくに正座をよしとする(アグラや片膝たてはしにくい)とためには、服がいまの女性の着物のようにまっすぐ立っているのが精一杯で、足を広げるということは不可能というものの場合にせいぜい正座で座れるということから、着物=正座となり、着物を着用して行う茶道で正座が一般的になったということのようだ。千利休だってアグラでお茶をしていたというから、もっと楽な気持ちでお茶をしたらいいのに。
正座を日本の伝統的な座り方というとすれば、以上のことから、間違っていることになる。せいぜい60年位前から一般的になったに過ぎないのだから。「精神が身体や所作に表れる」という発想はいったいどこからくるのだろうか?たぶん儒教的な発想なのだと思うのだが、すべてはここに端を発している。そこからだらしない座り方や所作や服装をしているものの内面はだらしないということになる。怖ろしいことに、そういう教育を私たちでさえもされてきたから、自然とそんな風に見る癖がついてしまっている。そういう意味では、10年位前から当たり前になってきたダラシナ系のファッションは、そういう日本人に染み付いている戦中教育の名残を払拭するものとして有効かもしれない。