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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『プラハの憂鬱』

2015年07月29日 | 作家サ行
佐藤優『プラハの憂鬱』(新潮社、2015)

あとがきを読むと、人生で最も重大な時期の一つに位置づけられると書いている、イギリス陸軍語学学校での1年、とくにその時にであったインタープレスという古本屋のズデニェク・マストニークというチェコからの亡命人との交流とのことがメインに書かれている。

内容は、どんな問題意識で同志社大学神学部に入って、どんな勉強をし、どんな先生たちと出会ったかということから、チェコの宗教者フロマートカのことを勉強したいと考え、そのための手段として外務省に入り、イギリスでロシア語を勉強し、さらに語学研修を続けるためにモスクワに出発するまで、である。

きちんとした目的意識をもって日々を生きていた人のようで、行動に移す前に自分のしたいこと、しようとしていることのために、どういう方向に進んだらいいか、そのために何をしたらいいのかを考え、コマを進めている。

さらに読書を単なる知識吸収ではなく自分のものとして咀嚼している。だから、イギリスで出会ったズデニェク・マストニークとの会話でも表面的なものにならずに、最終的には彼から50回ものチェコに関する講義を受けたのと同じくらいの会話に発展していったという。

以前からどうして同志社大学神学部なのと思っていたが、マルクス主義とキリスト教という、キリスト教の文化が薄い日本ではあまり問題にならないが、ヨーロッパのように、決して避けて通れない問題として根を張っているこの問題を重視していたこと、そして同志社大学だけがクリスチャンでなくても神学部に入れたことから、ここが選択されたという。

それにしても、彼の私的先生となったズデニェク・マストニークも語学学校での先生であったブラシュコもそうだが、みんな佐藤優のことを人間洞察力のある人だと見抜いている。大抵の日本人は当たり障りのない人付き合いしかしないものだ。変な人間関係に巻き込まれて、自分の将来を無駄にしたくないという恐怖心のほうが先にあるからだ。

そういう意味では、この人が鈴木宗男事件に巻き込まれて外務省から抹殺されることになるという将来はすでに既定のものだったのかもしれない。

適度な長さで章分けがされており(というか初出は『小説新潮』なので、一回分の長さということ)、読みやすかった。もちろん内容がチェコの民族問題だとかキリスト教の問題とはいえ、会話体が中心なのも読みやすい原因だろう。

以前読んだ『自壊する帝国』が同じ時期をさっと通って、ロシアに赴任していた8年近くのことを中心に書いているので、その前編と言っていいだろう。『自壊する帝国』についてはこちら

『世界認識のための情報術』についてはこちら

『インテリジェンス武器なき戦争』についてはこちら

『反省』についてはこちら




『ヴォルテール、ただいま参上!』

2015年07月02日 | 作家サ行
シェートリヒ『ヴォルテール、ただいま参上!』(2015年、新潮社)

ヴォルテール、言わずと知れた、18世紀最大のフランスの劇作家、歴史家、哲学者、いわゆる啓蒙思想家である。かたやプロイセンのフリードリヒ大王といえば、フルートを愛し、自分でも作曲をしたりしたという「啓蒙君主」と言われた国王である。

フリードリヒの「ラブコール」を受けたヴォルテールが彼の宮廷に赴き、あっという間に犬猿の仲になって別れた顛末を史実(書簡など)に沿って小説化したものである。

訳者も指摘している通り、読んでいる限りでは、作者はそんなことはまったくひけらかしていないが、膨大な資料を読み込んであるらしい。ある時には日々の行動を詳らかにし、またある時には、あたかもその場にいたかのように、二人の会話を再現してみせるその手法は、そうした研究の賜物なのだろう。

したがって、ヴォルテールの研究者でさえも一読の価値はあると思う。しかし、小説ということで言えば、この作者、ヴォルテールとフリードリヒ大王という超有名な人物の有名性にあぐらをかきすぎているのではないか。

どういうことかというと、あまりに人物像形が貧弱すぎる。まるで、ヴォルテールとフリードリヒ大王の骨と皮だけを見ているようなそんな気がする。ある意味、研究論文でも読んでいるような感じ。

たしかにある場面では彼らの手紙を並べるだけで、両者にどんなやりとりがあったのか手に取るように分かるといえば、その通りだ。しかし、ヴォルテールがどんな人間だったのか、フリードリヒが表向きは啓蒙君主とか言いながら、その実、冷酷無比な暴君であったわけで、そのあたりのことがほとんど見えてこない。

訳者も指摘するとおり、たしかにあまり注目されない、ヴォルテールの金銭感覚に注目しているところは興味深い。しかしそれもさっと読んでしまえば、だれも気づかない程度でしかない。ヴォルテールはある意味ブルジョワであり、いろんなところで金儲けをしていたし、それを自立した生活のためと思っていたことは確かだが、生活できる金があればいい程度の話ではないことを、もっと追求したら面白かったと思うのだが。

ブルジョワとしてのヴォルテールなんて主題は興味深いと思うのだが、この小説にそれを要求するのはないものねだりか。

『藤原氏の正体』

2015年06月29日 | 作家サ行
関裕二『藤原氏の正体』(新潮文庫、2010年)

苗字に藤のつくもの(伊藤、加藤、佐藤など)は藤原一族のもとで家臣をしていた者たちで、その仕事内容や働いていた場所からそのような苗字をつけることを許されたのだという話を聞いたことがあるが、佐藤なんて日本の最多数を誇る苗字だから、もしそれが本当なら、藤原一族の家臣が日本にはそんなにいたのかと驚くほどだ。

それはともかく、藤原一族の祖である中臣鎌足(鎌子)がじつは新羅によって滅ぼされた百済の最後の義慈王の四男だか五男の豊璋(グーグルの漢字変換に出てきた!)だったのではないかという仮説を著者は出している。

もともと豊璋という人は日本に人質として滞在していたが、中大兄皇子と手を組んで、蘇我一族が進めていた公地公民制や新羅よりの外交政策を、蘇我入鹿を殺してこの一族に大打撃を与えて、公地公民制の手柄を横取りし、外交政策では百済よりに転換させ、660年に新羅が百済を滅ぼしたあと、百済の残党たちが反旗を翻した時に、彼らの応援のために日本軍を送って、白村江の戦いに参戦させた。

その後、豊璋の行方はわからなくなっていたというが、この著者は密かに日本に戻って、天皇となった中大兄皇子とともに国政を動かす存在になっていたというのだ。

ここまではまだ著者の仮設なのだが、中臣鎌足が藤原姓をもらい、藤原家ができてからは、それはもう権力を独占するために、邪魔者を陰謀にはめて自殺させる、毒を盛って殺す、菅原道真のように左遷させて憤死させるなど、ちょうど韓国ドラマの『チャングムの誓い』のチェ一族のように、ありとあらゆる悪行をなしてきたということは、これはもう歴史上の事実である。

著者は、このような独占欲の強い、一族のためには何でもする、みたいな一族は、それまでの日本にはいなかったと言う。それまでは共存共栄というのが多くの豪族貴族の行動様式であったから、藤原家のような行動は日本のようなところでは容易に成り上がれたという。

それにしてもなんとも面白い本だ。古代史の愛好家が多い理由も分かるような気がする。
アマゾンのカスタマーレビューではこの仮説はあまり人気はないようだ。中には「義経=ジンギスカン説」と同レベルなんてレビューもあったけど、そんなものなんだろうか?私は非常にレベルの高い仮説だと思うけどね。

『蘇我氏の正体』

2015年06月17日 | 作家サ行
関裕二『蘇我氏の正体』(新潮文庫、2009年)

米子に行くと、バスで往復する場合でも、電車を使う場合でも、起点は米子駅になる。少し前まで駅の中に本屋があった。もちろん山陰と言えば、出雲=古代となり、その関係の本と並んで、関裕二の本がたくさん売られていた。その中の一つで「「出雲抹殺」の謎 ヤマト建国の真相を解き明かす 」(PHP文庫)」をバスの中で夢中になって読んだ記憶がある。

今回は蘇我氏だ。なぜ蘇我氏を選んだかといえば、今見ている『善徳女王』と重なる時代だからだ。その頃の日本がどうなっていたのかを知るには、この時期のキーパーソンである蘇我氏に関係する本を読むのが一番だと思ったからだが、正解だった。

関裕二という人はもっと年寄りなのかと思っていたが、1957年生まれということで、ほぼ私と同世代のようだ。いわゆるアカデミックなところには所属していない物書きである。売れなければ食っていけない。だから、じつに文章がうまい。読ませどころが分かっている。

もちろんその根底には古代史に対する好奇心があるから、自分で問題を設定して文献を渉猟しているのだろう。だから蘇我氏の先祖は武内宿禰で、武内宿禰こそ天之日矛でありスサノオであったという、そして蘇我入鹿とは新しい政治を導入して大和政権を刷新しようとしていたから、中大兄皇子と中臣鎌足によって抹殺され、悪者に仕立て上げられたのだというような、聞いたこともない新説を提示するというようなスリリングな本も書けるのだろう。

学者の書くような、引用ばかりの読みづらい本と違って、自分の考えをズバっと提示するわかりやすい、読みやすい文章もいい。『藤原氏の正体』なども読んでみたい。



『第二音楽室』

2011年06月23日 | 作家サ行
佐藤多佳子『第二音楽室』(文藝春秋、2010年)

第二音楽室―School and Music
佐藤 多佳子
文藝春秋
表題作「第二音楽室」の他、非常に短い「デュエット」「FOUR」「裸樹」が収録されている。

どれも主題は音楽をすることで心の交流が成り立つというもののような気がする。実際、二重奏(二重唱)という非常に恋愛にちかいタイプの合奏(合唱)ではなくても、トリオ、四重奏程度だったら、相手の音を聞きながら自分も演奏するということが絶対に必要になる。それが相手を認め、自分を主張する、相手によって自分の音が生かされているという、まるで人生の縮図のような世界があることが分かる。

本来、音楽教育とはそのようなものであるべきで、リコーダーをもたせて演奏させるのもいいけど、30人40人という一クラス全員で吹いていったい何の意味があるのだろうか。二人で、あるいは三人で、四人で演奏できるように編曲をした教材がもっとあっていいはずだ。どうしてもソプラノ・リコーダーは音域が限られるから、よく知っている曲をそういう合奏用に編曲をすることなどプロなら簡単なことだろうに。

私の場合は、付いていた先生に言われて、団員でもなかったのに、応援という形で『メサイア』の伴奏をしたのが最初で、それがきっかけで合奏団に入った。バロックものが中心に年に一回の演奏会をやっていたが、気のあった仲間と四重奏をやるようになってから格段に面白くなった。バイオリンだけで演奏しているところへチェロが入ってくるときのなんとも言えない恍惚感。最初は自分のパートを演奏しているだけで精一杯だったところに、だんだんと他の奏者の特徴も分かってくる。音楽はそういうものだろうと思う。

この小説が成り立っているのはそこであって。それを無視したら、この小説は何の意味もない。「FOUR」の面白さはそこにある。この短編集のなかでは、私は「裸樹」が気に入った。どん底の「ウチ」を救ってくれた江上美月のような女性に憧れる。でも自分は、彼女のように恋愛でも音楽でも、とにかくどんなことにでも、自分をとことん追い詰めて、裏切られ、自死を試み、きっと嗚咽し、どん底に沈みながらも、ふわふわと生きているようなことは、絶対にできない。たぶんできないからこそ、そういう人に憧れるのだろう。


『僕のなかの壊れていない部分』

2010年03月05日 | 作家サ行
白石一文『僕のなかの壊れていない部分』(光文社、2002年)

読後感がすごく不愉快な小説。なぜこんなに不愉快なのかあれこれ考えてみるといくつか理由が見えてくる。

一番の理由は、主人公の松原直人が語り手でありながら(というか語り手であるからゆえに、というべきか)、彼の行動原理がぜんぜん見えてこないので、とくに枝里子にたいする対応などが突飛に思えるというところにある。

以前も書いたことがあるが、小説の登場人物は何をしようと自由である。たとえばAという行動を選択した場合に、読み手はその前後の流れからなぜ彼がAという行動を選択したのかを判断したり、理解しようとする。もし前後の流れから分からなければ、「常識的な線」から判断しようとするだろう。そしてそれですんなり収まれば、たいした違和感は感じない。しかしこの松原直人は前後の流れからは理解できない行動をとる。しかもその理由を説明しないので不愉快に感じられる。もちろんその理由はだんだんと後になって描かれるようになっているのだが、それを知った後になっても不愉快な感じは去らない。

二つ目には、彼の判断がまったく幼稚で笑ってしまうくらいに、この松原直人という人物は言っていることとやっていることがちぐはぐな人物に描かれている。作者がそれを知って書いているのか、知らずにそうなったのかは、私は分からない。まず「かあちゃん」にびっくりする。なに、これ? もちろん登場人物が母親のことをどう呼ぼうと勝手だが、上にも書いたようにまったく説明抜きで、会話文のなかにならいざ知らず、地の文に「かあちゃん」はないだろう。

またえらそうなことを言っているくせに、枝里子に嘘を言う。もちろん登場人物が嘘を言ってはいけないなんて言うつもりはないが、枝里子は何も分かっていないいいとこのお嬢さんだみたいな見方で描きながら、また自分は高潔だみたいな描き方をしながら、いざ都合が悪くなると嘘を言う主人公に違和感を感じる。

彼の判断が幼稚だという理由は、たとえば子育ての話である。この小説の主題の一つは親子関係である。もちろん主人公直人の母親との親子関係は言うまでもなく、朋子と拓也との親子関係、雷太と日本共産党の稲城市会議員をしている彼の父親との親子関係、ほのかと母親の親子関係など歪んだ親子関係ばかりが描かれている。これに関係して文部科学省だか厚労省だかのキャリアが保育所作りに力を入れるがそれが失敗だったと自分たちの子どもたちを見て思うというエピソードや産後数十日で自分の子どもを他人に預ける制度(産後保育)を子育て放棄だと主張している。

産後保育をされた子どもたちがみんな主人公の直人のような人間になっていたり、エピソードにあるような無気力な子どもたちになっていたりするかのような描き方が、まったくお笑い種としかいいようがない。たぶんそれは産後保育のせいではなくて、彼らの親が育児を放棄したからだろう。産後保育と育児放棄はまったく関係がないにもかかわらず、産後保育は育児放棄だと結び付けているところが、彼の判断が幼稚だという理由である。

たぶんこの作者がそういう育て方をされたために、それを絶対視して、みんなそうだと勘違いしているのだろうが、なんともお粗末としか言いようがない。これも不愉快さの理由の一つ。

たぶん雷太の例もわざわざ日本共産党の稲城市会議員などという実在する名称を使っているのは、共産党など口ではいいこと言っているが自分の子どももまともに育てられないということを言いたいがためだろう。だが、口ではえらそうなことを言っているが自分の子どももまともに育てられないなんてのは、なにも共産党だけの話ではなくて、世間には自民党の議員だろうと教員だろうと会社の社長だろうと作家だろうと、そういう例がごろごろしているのではないのか?それをわざわざ実在する政党の、実在する自治体の名前を使おうとするところに、なにか作為を感じる。これも不愉快さの原因ともなっている。

この小説の読後が不愉快ばかりというわけではなかったことも書いておかなければ公平とは言えないだろう。穏かな気持ちになれたところもあった。それは真知子さんのエピソードだ。でもこれだって、このエピソードが決して主人公にいいように影響を与えていないという意味では浮いたエピソードになっている。

『草にすわる』

2010年02月26日 | 作家サ行
白石一文『草にすわる』(光文社、2003年)

「草にすわる」と「砂の城」という二編の短編が収録されている。

私は書き下ろしの「砂の城」のほうから読んだ。学生時代に書いた処女作で文芸新人賞をとり、第二作でA賞(芥川賞のことだろう)をとって、一躍文壇の寵児となっていらい、ずっとトップランナーとして文学界を走ってきた矢田泰治を主人公として、63歳にいたって「緩慢ながらも五体を引き裂くような焦燥感に始終駆られている」矢田の回想という形での文学者人生を描いているが、瓜二つの文学者として、彼のライバルでもある小宮麟太郎も描かれている。

二人は世界的に有名なヨーロッパの文学賞の候補にこの数年挙がっており、「昭和四十年代にある老人作家が受賞して以来すでに二十年を越えて日本からこの文学賞の受賞者は出ていなかった」ことから、矢田と小宮のどちらかが有力候補といわれて、どちらかが受賞するのは時間の問題のように書かれている。

矢田の文学はこんな風に解説されている。

「たしかに、矢田はこれまでの拙い体験をありのままの形で書き込んだことはなかった。メタファーにつぐメタファー、シミリにつぐシミリ、アナロジーにつぐアナロジー、西洋的観念主義と無神教的な呪術への信仰、そうした様々な意匠によって、かほりの発狂も喜久子との情事も愛実の病も自分の自殺未遂も、すべてを限りなく不明確なものに転換させてきた。それは、傍目には私小説からの飛躍であり、作者から読者への書簡めいたこれまでの普遍性のない未熟な日本文学からの脱却であり、と注釈され、また矢田自身もそういう解説をしてきたけれど、実際のところは、わずかな材料を使っていかに多くの品数を桁えるか必死になって工夫を重ねた料理人の苦心のようなものでしかなかった。」(p.165)

デビュー作は矢田が国立大学のドイツ文学専攻の大学院生だった頃だとか、この処女作は愛欲にまみれた若者のことを書いているにもかかわらず、当時の矢田はまだ女性経験もなかっただとか、愛人に産ませた子どもに障害があるとか。

他方、彼のライバルである小宮麟太郎については、次のように書かれている。

「いまから十年以上も前、小宮は反核運動というものに熱中した前科がある。それまでも小宮は何かというと平和主義者の顔を表立てて世間の歓心を買ってきた。若い時分には保守反動の論客として知られる某劇作家との問で平和論争なるものをやらかし論壇の寵児と化したこともある。矢田からすればどうみても小宮の一人負けに終わったその論争も左翼ジャーナリズム全盛の当時にあってはまったく正反対の評価を与えられ、小宮は以来、良心と人道にもとづく政治批評で折々の政権をこっぴどくこきおろして、いまもその愚劣な行為をつづけていた。
 ちようど米ソの軍備管理交渉が、東欧、欧州に配備された中距離核の問題で一頓挫をきたし、ソ連の巧みな平和攻勢が弱腰の米政権を次第に翻弄しはじめていた時期、小宮は欧州から広がった反核運動なるものの日本における代理店業のようなものを思いつき、「世界の反核勢力への連帯」などというおよそ文学者の修辞とは思えぬアジテーションを文壇中でぶち上げ、(...)
 いまにして思えば、あのいかがわしい運動はソ連による謀略活動の一環に他ならず、先頃ある月刊誌が膨大な旧ソ連公式文書を基に報じたところによると実際、資金の大半がソ連共産党国際部および国家保安委員会から支出されていたそうだが、ともかくも小宮はその運動に熱中し、矢田にも反核署名などというインチキなものを求めてきたのであった。あげくに彼はヘルシンキで開かれた反核知識人の国際会議にも共同議長の一人として堂々と出席、西側の核のみを一方的に糾弾するという噴飯ものの「国際文化人アピール」を下手な英語で壇上から読み上げるというパフォーマンスまで平然とやってのけ、それは日本のジャーナリズムにおける彼の声望を再び急速に高めたのであった。
 さらにいまにして思えば、彼はあれで世界に顔を売ったのだ。ソ連東欧で彼の作品の翻訳が一気に進んだのは、あの一件以降のことであったし、あの活動によって彼は文学者の由緒ある国際組織で枢要なポストを獲得したのである。それが、いずれは今日の文学賞狙いに通ずる遠大な戦略であることを政治的なあの男は最初から換算していたにちがいない(...)」(p.124-125)

いったいこの矢田とか小宮という作家がいったい誰のことか、私のように50歳前後に人ならすぐにピンと来るだろう。もちろん矢田とそっくり、あるいは小宮とそっくりというのではなく、この二人を足して出来上がるのが、現実にヨーロッパの文学賞をもらったあの作家である。

それにしても、よくまぁ書いたものだね。この作家から嫌がらせとかなんか起きなかったのだろうか。まぁ「世界的な巨匠」がこの程度の新人の小説にあれこれ口を挟んでくることはないか。しかし、「メタファーにつぐメタファー、シミリにつぐシミリ、アナロジーにつぐアナロジー」によって作り上げられた小説世界とか反核運動で「世界に顔を売った」だとか、まぁ心ある人ならだれでも思っていることを書いているわけだけども、いったいどういう心境でこんな小説を書こうと思ったのか、そのほうが知りたいものだ。

『一瞬の光』

2010年02月24日 | 作家サ行
白石一文『一瞬の光』(角川書店、2000年)

たしかこないだの直木賞を受賞した人だ。新人どころか、もう確たる世界を持っているし、文章も素晴らしい。しかも、普通の小説だと、字の文章は読まずに飛ばして会話の部分だけを読んでも別に作品の理解や作品の味わいというものにたいした違いはない(要するに地の文章にたいしたことは書いていない)から、そういうところはぶっ飛ばして読むのだが、この小説は字の文章にけっこう味わい深いことが書いてあるし、この部分を読み飛ばしたら、作品の味わいがまったく違ったものになるということが読みながら分かったので、丁寧に読んだ。

たとえば、この小説は単行本になったのは2000年だが、舞台はどうも1990年前後のようで、たぶん現在のようにGPSというものが一般的になっていなかった時代なのだが、すでに米軍がこれを使って全地球的な軍事システムを作りつつあるという話が、主人公の橋田の会社(たぶん三菱商事かなんかみたい)が次期FSXの開発に関わるという話題のところで書かれていたが、こういうちょっと面白い政治がらみの話だけではなくて、香折が受けてきた幼児期からの虐待が香折にどれほどの心的傷害を負わせているかについての説明についても、あるいは橋田が自分自身と恭子や両親や扇谷や駿河たちとのかかわりについて回想したり説明したりするところも、じつに重要なので、読み飛ばすわけにはいかない。

東大を出て、たぶん三菱商事みたいな有名会社に入社して、エリートコースをつっぱしてきたという主人公の話なので、私のようなものには口幅ったいことをいうところは何ひとつないのだが、まぁ人生ということで言えば、誰にでも人生というものはあるものだから、それなりの感慨もあった。

最近私は老後が心配でならない。もう上さんも体があちこちガタがきていて、そろそろ仕事もやめなければならないみたい。しかし年金なんてまだまだ先の話しだし、それまで退職金を食いつぶして生活していかなければならないが、かといって、私の収入では心配でならないから、なにか他に収入の道をつけるためにサイドビジネスでも考えるかと思ってみたりして、くよくよしているのだが、これまでそういうことを何も考えずに霞を食って生きているような生活をしてきたのだから、そんなサイドビジネスだなって言ったって、何も名案が浮かぶわけでもなく、結局は、これまでどおり霞を食って生きているような生活をするしかないなと悟りの境地に達したようだ。

そう、いまさらじたばたしても始まらない。


『龍馬がゆく(七、八)』

2010年02月03日 | 作家サ行
司馬遼太郎『龍馬がゆく(七、八)』(文春文庫)

とうとう最後まで来てしまった。何度か同じことを書いたことがあると思うが、読み終えてしまうのが寂しい小説というものがある。たとえば奥田英朗の『サウスバウンド』だとか重松清の『いとしのヒナゴン』などがそうだった。そして『龍馬がゆく』もそういう小説の一つの仲間に入る。そして改めて第一巻からまた読み直したくなってくるから不思議だ。

薩長同盟、大政奉還、船中八策(五箇条のご誓文)など幕末から明治維新へと続いていく激動の時代の中で、日本の進む道をここぞというときに示したものがすべて龍馬から出ていたというのだから、言葉がない。

たぶん一つの道が見えている人には、周りの人間には八方塞に思えても、そこでどんな手を打つべきが自然と見えていて、それがちょうど将棋の手がずっと先まで読める人とそうでない人との違いのように、超人的に思えるのだろう。

司馬遼太郎の『龍馬がゆく』では、龍馬が中岡慎太郎とともにテロにかかった事変についてはほとんど触れていない(代わりにあとがきで詳しく書かれている)が、司馬も書いているように、龍馬が何をしたかがこの小説の主題であり、大政奉還を実現させ、その後の新政府のありようについても船中八策で示したということまで書いた後は、この小説の主題は終わったのだ。だから司馬は龍馬暗殺については詳しく書かないとしている。こういうところにも私は龍馬にたいする司馬の敬愛を感じる。

しかし司馬遼太郎の書いた龍馬が大筋で事実に即しているのなら、龍馬は自分が日本のためにやろうとしていたことをほぼやり終えてからテロの刃にかかって死んだことになるのだろう。そういう意味では志半ばにしてということではないようだ。なんか革命運動家なんかがよく言うような、志半ばで倒れても、自分が進む道に向かって死ぬのだ!みたいなものかと思っていたので、たしかにテロリストの手にかかって死ぬのは、人生を全うするという意味では無念かもしれないが、日本のためにすべきことと彼自身が思っていたことを果たしての死であれば、無念もなかろうと思う。

『龍馬がゆく(三、四、五、六)』

2010年01月31日 | 作家サ行
司馬遼太郎『龍馬がゆく(三、四、五、六)』(文春文庫)

三巻を読んだ後、なかなか四巻が戻ってこなくて、いらいらしつつ待っていたところ、やっと数日前に図書館の本棚に戻っていた。ついでに一気に七巻まで借りてきて、読んでいるが、六巻まで来て、少々疲れてきたので、このへんで一休み入れて、ちょっと感想を書いておこう。

土佐の仲間たちが尊皇攘夷に血気盛んな時期に、心の中ではジョン万次郎やアメリカの事情に詳しい蘭学者たちから聞いたアメリカ的民主主義に心奪われ、国民が大統領を選出して政治を行なうという日本という国を目指しつつも、当面は倒幕のために船を手に入れて貿易を行なって経済力・軍事力をつけようという方向で勝海舟の弟子として神戸に操練所を作って蒸気船を手に入れるために奔走しているあいだに、さまざまな人間関係を作り上げていたが、京都での情勢が蛤御門の変などによって長州が逆賊として追い出され、かわりに薩摩藩が朝廷といい関係になり、各藩の勤王派が次々と処刑・処罰されていった。神戸の操練所から蛤御門の変に参加した浪士が多数いたことで、勝海舟は解任されて江戸に帰され蟄居を命ぜられてしまう。

しかし龍馬はこういうときにこそ犬猿の仲である薩長が手を握る必要があると痛感し、ちょうど同じ頃に同じ思いを抱いた中岡慎太郎たちと協力して薩長同盟のために奔走する。理屈の上では分かっていても、これまでの深い恨みと不信感を振り払うことができない薩長の桂と西郷に理屈でまとめようとする中岡の試みは失敗するが、まず実際の同盟関係を築くことから始めようとする龍馬の試みはドンぴしゃりとあたって、ついに薩長同盟が成立する。

その頃、龍馬に対する幕府の追及がきびしくなり、池田屋にいるところを町方たちに襲われ、やっとのことで京都の薩摩藩邸に逃れる。ついにお竜との関係も夫婦同然となり、池田屋騒動で負った傷を癒すために小松帯刀の誘いで鹿児島の鄙びた温泉に「新婚旅行」をする。

とまぁこんな感じのところまで来た。四巻目あたりから急に龍馬の動きが活発になったのは、やはり勝海舟と知り合って、志を理解した勝が龍馬のために人間関係を作ったり、神戸操練所の設立のために手を貸したりしたあたりから、龍馬の進む方向への道筋ができつつあったことが大きい。

こうやって見ると、龍馬という人間もすごいけど、勝海舟というのも、度外れに規模の大きな人間だなという気がする。幕府旗本でありながら、幕府の重要な役どころにありながら、倒幕をめざす龍馬の後押しをする、それも日本を変えていく大きな展望を持った上でのことのようだから、まったくすごいとしか言いようがない。

それにしても、もちろん勝や龍馬たち先覚者たちがいればこその明治維新だったのだが、あの大変動の時代に命がけで尊皇攘夷を叫び血気に生きた武士たちがいたればこそ、勝や龍馬の指し示す道筋が開けたということもあるわけで、司馬遼太郎のこの小説がいいと思うのは、そうしたほとんど知られていないし、多くの龍馬本や明治維新の本などには出てくることもない志士たちの名前を丁寧に拾い上げて記しているところだろう。彼らの末裔にとってはこの上ない名誉であることは言うまでもないことだが、そういうほとんど知られていない無名の志士たちの命があってこその明治維新だったということを読者に知らしめる意味でも、意義のあるものではないだろうか。