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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『<恋愛結婚>は何をもたらしたか』

2020年08月02日 | 評論
加藤秀一『<恋愛結婚>は何をもたらしたか』(ちくま新書、2004年)

恋愛結婚という絶対不動の真実と思われている人間関係がじつは歴史的にはごく最近のことであり、恋愛結婚はつねに、あの悪名高き優生思想と結びついてきたことを論じた本である。

悪名高きと書いたのは、ナチス・ドイツで種の純化という優生思想によってユダヤ人へのホロコーストが行われたからだ。またつい最近の日本でも戦中だか戦後だかに優生思想の名において精神障害者たちへの断種手術が行われたことが新聞でも記事になっていたからだ。

ここで扱われている問題は、この恋愛結婚を中心にして、結婚制度、結婚と国家の関係、男尊女卑の問題、女性解放、母性保護、などなどいろんな問題と結びつているので、こうしたこんがらがった諸問題を、手際よくまとめたこの著者の力量には感服する。

私自身は、制度としての結婚はいずれなくなると思う。現在の、とりわけ日本の結婚は、旧弊な家制度の名残にすぎない。○○家を残すための制度にすぎず、すでに○○家などというものが空中楼閣に過ぎない以上、そんなもののために結婚という制度を残しても意味がない。

フランスのように自由な男女の結合関係を尊重するような方向になるべきだと思う。なんかこういうことを書くと無責任な輩ばかりになるという意見が必ず出てくるが、人間そんな奴もいるだろうが、そんな人ばかりではない。別に結婚という制度がなくても、最初にできた相手と一生暮らすようなカップルだってたくさんいる。

では国家は何をすべきか。国家は、親が子育てしながら働くためにいい環境を作ること、すべての子どもが親の財産などに関係なく十分な教育を受けられるような環境を作ること。たぶん理念的にはフランスはこういう方向に向かっていると思うが、日本は理念さえもない。

個人の領域の問題と国家の領域の問題の重なり合い、感情と制度のからみあいなど、これらは、なかなか難しい問題だと思う。

『恋愛結婚は何をもたらしたか (ちくま新書)』のアマゾンのコーナーはこちら

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『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』

2020年06月19日 | 評論
蓮池透『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社、2015年)

数日前に横田めぐみさんのお父さんの横田滋さんが亡くなった。ずっと「家族会」の代表をしてこられたが、ついに横田めぐみさんとの再会かなわずに亡くなられ、さぞや無念だったことだろうと思うと胸がつまる。

それにしても2002年の平壌での小泉首相と金正日との会談で拉致が公になってから、なんと長い年月が経ったことだろう。その間、蓮池さん、地村さん、曽我さん本人たちと家族の帰国がかなった以外の成果はなかった。

この間、とくに安倍晋三が首相になってからは、とくに金正恩が北朝鮮のトップになってからは、核とミサイル開発を優先させたことから、経済制裁の一点張りになって、拉致問題は手を付けられなくなった。この本はこのあたりのことを何度も繰り返し主張している。

しかし、この著者の考えでは、核とミサイル問題と拉致問題は別問題だ。それを連結して議論したり、北朝鮮と交渉しようとするから、まったく前に進まないという。

経済制裁一辺倒の政策にどんな意味があるのかこの著者は疑問に思っており、ある政府関係者に尋ねた時の答えがこうだったという。

「経済制裁すれば北朝鮮はもがき苦しむ。そして、どうしようもなくなって日本に助けを求めてくる。ひれ伏して謝り、拉致被害者を差し出してくる。であるから、日本は広く窓を開けて待っているのだ。」(p. 80)

北朝鮮や韓国、つまり朝鮮の人々がどれほどプライドの高い国民か、慰安婦問題やその他の日朝関係の問題を見たら、だれでも分かるだろうに。そんなプライドの高い国民が、経済制裁に苦しんで、ひれ伏して謝ってくるって、絶対ありえない。この著者も「北朝鮮の人間は「日本に謝るくらいなら、死んだほうがましだ」と考えている」と書いているが、まさにそのとおりだろう。本気で日本政府はそんなことを考えているのだろうか。

安倍政府がまったく拉致問題で無策らしいことはこの本を読めばあちこちで分かる。拉致対策本部がネットでアイデア募集しているとか、全員救出という意味不明のハードルをつけて解決を先延ばし(いや解決不可能)にしていることだとか。つまり拉致問題解決の「定義」がないのだとこの著者は何度も書いている。

日本という国は個を大事にしないとよく言われるが、拉致被害者にたいしても同じらしい。蓮池さん家族が帰国して両親の家に同居している時に、国に経済的な支援を頼んでも、帰国者二人分の領収書を出せとか、洋服ダンスを買うにも3万円以内にしろとか、規定ばかりうるさくて二人に寄り添う気持ちなんかないと書いてる。その結果、蓮池さんのお母さんは逆上して、「24年間も見放しておいて、やっと帰ってきたというのに、何もしてくれないんだね、国は」(p.132)とつぶやいたというから、悲しくなる。

家族会のなかの内紛を書いてある箇所を読むのも悲しい。帰国できた人とそうでない人がいる以上しかたがないのかもしれないが、残念なことだ。

このような本を書くことになったこの著者も最初からこんなスタンスだったわけではない。家族会がだんだんと右傾化してしまったので、それを揺り戻すために左翼化した発言をするようになり、それを咎められて、家族会から排除されたと書いている。まぁこの著者も最初から一貫した主張をしていたわけではなく、右に左に揺れながら現在の立場になったという。もちろん北朝鮮に拉致されたなんて信じられないというところから出発して運動をしてきたわけなので、当然といえば当然なのだが。

最後のジャーナリストの青木理との対談も、とくに273-4ページあたりに書かれている、おおきな構想力のある絵を描いて、その中の最初のステップとして定義を明確にした拉致問題解決をしていくという展望も説得力があると思う。

まぁ日本政府がこういう人たちの発言に耳を傾けるなんてことはないだろうけどね。『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』へはこちらをクリック


『外国人労働者をどう受け入れるか』

2020年05月10日 | 評論
NHK取材班『外国人労働者をどう受け入れるか』(NHK出版新書、2017年)

ただでさえ、少子高齢社会になっている日本、そこへもってきて3Kと言われるような仕事をはじめとした労働力人口不足が進んでいる。そこでどうするか。外国人労働者を受け入れようというのが自然な流れだ。

だが、外国人労働者が定住すること、つまり移民を受け入れることを日本社会は極度に嫌うと思い込み、外国人労働者を「労働者」として受け入れるわけにいかないと考えた歴代の自民党政権によって作られた制度が「外国人実習生制度」だ。

労働者ではない、ただ技能を身につけるために三年間もしくは五年間だけ勉強している実習生だ。だから日本の労働法制は適用されない、社会保険もいらない。こんな都合のいい制度を作った。

それだって表向きは、日本で技能を身につけて、母国に帰り、母国の産業の発展に貢献するというものだが、実際には、労働力人口の不足を補うためのものにすぎないから、現実の実習生の置かれた状況は、この取材班が指摘するような「奴隷労働」になっているという。

最低賃金以下の賃金で、長時間労働を強要し、冷房も暖房もない、汚い部屋に押し込めて、パスポートも取り上げる、なにか文句を言ってきたら、すぐに強制送還させる。場合によってはパワハラ、セクハラを行う。まさに人を人とも思わない扱いをされているのが現状だという。

この本ではそういう人たちが避難して、未払い賃金などを勝ち取り、母国に帰れるようにするためのシェルターを運営している夫妻の活動を取材して、そうした現状を告発している。

もちろんそういう悪徳業者ばかりではない。日本人と同じ労働条件で待遇し、日本語の勉強やその分野の勉強の支援もしている社長も紹介されている。本来ならそういう環境で働いてもらえるような制度のはずなのだが。

そしてこの本で強く指摘されているのが、こうした詐欺的な制度で外国人労働者を働かせている日本政府に対して国際的な機関から非難の声が上がっているということだ。そしてそれは労働者の提供元となっている中国や東南アジアの諸国における日本の評価の低下を招来し、これからは外国人労働者を丁寧に処遇している韓国やその他の国々に外国人労働者が逃げてしまって、日本には外国人労働者が集まらなくなるという心配である。

これからまさに労働人口減少が急激に進み、外国人労働者が必要となる時期に、日本が敬遠される時代になる可能性がある。その原因を作っているのが「実習生制度」なのだ。

自民党政権って、ろくなことせんな。早く安倍には罷めてもらわんと、日本はにっちもさっちも行かなくなる。
外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ (NHK出版新書 525)へはこちらをクリック

『ソフトバンク崩壊の恐怖と農中・ゆうちょに迫る金融危機』

2020年05月08日 | 評論
黒川敦彦『ソフトバンク崩壊の恐怖と農中・ゆうちょに迫る金融危機』(講談社+α新書、2020年)

恐ろしいことが書かれている本を読んだ。しかも昔の話ではない。今目の前にある危機に警鐘を鳴らしている本だ。

ソフトバンクが投資会社になり、しかも危ない投資ばかりをすることで2013年あたりから多額の負債を抱え、今や18兆円もの負債を抱えているという。携帯電話などの本来の事業のほうは大幅な黒字で健全なのだが、孫正義がいつの間にか投資家になってしまい、その投資がどうも素人ばりのことばかりやって、大赤字を生み出しているという。このままいけば、完全に破綻するのも間近だという。

そしてうちの生活に直結するのがゆうちょ銀行の金融危機。かつてゴールドマン・サックスの日本法人で天才トレーダーと言われた佐護勝紀という人がゆうちょに入って、かつてのサブプライムローンのような不良の金融証券を買わせているらしい。その結果、いつそうした不良債権が破綻してもおかしくない状況なので、そうなれば100兆円というゆうちょマネーなんか吹っ飛んでしまうというのだ。

月曜日にでも郵便局に行って、お金を引き下ろしてこよう。コロナで経済も無茶苦茶になっている状況が引き金となって、上のような事態が起きることも予想される。せめて現金でもっているほうがいい。

金融に詳しい人なら、金にするとか、優良な国の国債にするとか、いろいろあるのだろうけど、そういうことには全く疎いので、せめて現金で。庶民の悲しさよ。

コロナの恐怖に金融破綻の恐怖まで…。恐ろしい世の中になったもんだ。

『ソフトバンク崩壊の恐怖と農中・ゆうちょに迫る金融危機』 (講談社+α新書)へはこちらをクリック



『反日種族主義』

2020年04月10日 | 評論
李栄薫(編著)『反日種族主義』(文藝春秋、2019年)

なんだかすごい本を読んでしまったというのが偽らざる印象だ。

韓国は民主化以降、左右の政権(左右という分け方も、保守革新という分け方には疑問だが、とりあえず)がだいたい一期で政権交代してきた。そしてそのたびに、前政権の大統領は貶められる。裁判を受けて有罪になったり、誹謗中傷を受けて自殺したりと、他の大統領制の国々では考えられないようなことになる。

前政権が対外的に(とくに日本と)交わした条約とか取り決めも、政権が変わると、破棄される。慰安婦問題がそう。

この本は、日本に対する歴史認識が大きな「嘘」の上に成り立っており、それに基づいて韓国の教育が行われているので、そうした反日種族主義が増幅されて、たんに日韓関係だけではなくて、韓国の発展そのものを阻害しているという認識から、書かれたものだ。

戦時下の強制動員、竹島問題、慰安婦問題など、日韓双方で主張が対立している問題について、私には断定を下すほどの認識はないので、保留しておく。

ただこの本を読んで感じたのは、日韓の問題と言われているものの多くが、日韓の問題ではなくて、韓国自身の問題なのではないかという気がしたことだ。だからこそ、韓国の学者たちがこうした形で声を上げざるをえなかったのではないか。
『反日種族主義 日韓危機の根源 (文春e-book)』へはこちらをクリック




『生きて帰ってきた男』

2020年03月02日 | 評論
小熊英二『生きて帰ってきた男』(岩波新書1549、2015年)

「ある日本兵の戦争と戦後」という副題がついているが、要するに著者の父親謙二さんの出生から現在までの人生の記録である。普通の半生記と違うのは、息子が書いていることと、息子が社会学者なので、父親の人生の有り様をその時その時で社会の動きと関連付けて書いている点である。

大きく見渡せば、現在80数歳になる謙二さんは、その前半生つまり40歳くらいまでは、貧しさと戦争と結核療養と戦後の混乱などによって、かなり厳しい不運の連続だったが、後半生は逆に順風満帆というか、とくに60歳を過ぎて仕事も退職してからは、自ら進んで社会的な運動などにも参加して人生の幅を広げていったという意味で、充実したものだったといえる。他人の人生を充実したとかしていないとか言うのも変だが。

もちろん著者としては、自分の父親の人生をこういう形で残したいという気持ちが出発点であったであろうことは容易に察しがつくが、社会学者としての意識が、個から出発して普遍に迫ろうとしなければならないという方向に進んだのだろう。たんに父親の人生だけでなく、広く貧しかった日本人の戦前から戦中・戦後へ、そして現在の姿を浮き彫りにしたいという思いがあったのだろう。

それにしても高度経済成長というのは、良くも悪くも日本人の生活を変えたということがよく分かる。謙二さんも商売をしていたから特にその影響(恩恵)を大きく受けることになったようだが、私の父親も同じであった。

私の父親は数歳年下だったので、年少兵のような形で徴兵されたが、国内に残っていたようで(詳しい話は聞いたことがない)、終戦後すぐに帰ってきた。戦後は米子でふとん店のサラリーマンをやっていたが、そこでの営業で得た知識をもとに独立して、畳屋を始めた。最初は、家を借りて、その土間に畳表を付ける機械を入れて、職人を雇い、おふくろが事務をやって、父親が営業に出るという家族経営だったが、まさに高度経済成長時代で、次々と売上を伸ばし、数年で、自社の工場を建ててその二階に住むようになった。さらに6年くらいして、インテリアにも手を伸ばして、もう一つ事務所を立てた。二階が住居になっていたので、私たちもそちらに引っ越しをした。

父親の若い頃の話を聞いておけばよかったなと、もう聞けなくなってから思う。

『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 (岩波新書)』へはこちらをクリック



『作曲家の発想術』

2020年02月27日 | 評論
青島広志『作曲家の発想術』(講談社現代新書、2004年)

この芸人のような顔で得しているのか、損しているのか、私にはわからないが、作曲家?と思わず首を傾げてしまいそうな雰囲気を持った人で、なんどかテレビでも見たことがある。

もちろん音楽的には申し分ない人で、たぶん一つのテーマを与えられたら、その場で、バロック風に、モーツァルト風に、ベートーヴェン風に、マーラー風になどに変奏曲を作って聞くものを魅了するだけの力量を持っているようだ。

それを如実に示すのが、この本の第三部の「作曲なんてこわくない!」である。ハ長調の一オクターブの7音だけを使って書いたたった8小節の簡単な曲に、ピアノ伴奏を付けていく、オーケストラ伴奏を付けていく、さまざまなタイプの変奏曲を作る作法を紹介している。

なんだか本当に私でも作曲ができてしまいそうと勘違いさせるほどの巧みさである。本当に私も簡単な詩を見つけてきて、それに音楽を付けてみようという気になっているから、恐ろしい。

さらに面白かったのは、第一部「作曲家への階段」で、こちらは著者の幼少の頃から作曲家として知られるまでを詳細に記述して、それに自らいろんなコメントを入れる形で書かれており、べつに作曲家を目指す人でなくても、読んでいるだけ面白かった。

いずれにしても作曲家として活躍するには、子供の頃からそうした活動をしていることが必須のようだということがわかる。

あまり期待しないで借りてきた本だけに、面白かった。



『山本直純と小澤征爾』

2020年02月24日 | 評論
2月24日
柴田克彦『山本直純と小澤征爾』(朝日新聞出版、2017年)

山本直純については、寅さんの主題歌の作曲家という程度のことしか知らなかったので、この本で多くのことを知った。

幼少の頃から音楽に親しみ、天才的な記憶力の持ち主であったこと、11歳で作曲を始めたこと、斎藤秀雄の門下生であったこと、小澤征爾と音楽家として同志のような関係であったこと、正統派クラシックからCMソングにいたるまで幅広い作曲を手掛けたこと、などなど。

一番の驚きは斎藤秀雄門下であったということだ。私は、昔、斎藤秀雄についての本ー『斎藤秀雄のチェロ教育』ーを読んだことがあり、斎藤秀雄の音楽家としての業績や、教育家としての功績などの他に、弟子たちが対談したり、思い出を書いたりしているのを読んだ経験がある。

しかしそこに山本直純の名前が出てきたという記憶がまったくないので、驚いている。

小澤征爾のことは、彼の本などをけっこう読んで知っているが、音楽家の同志としての山本直純との関係で読むことは、またたいへん興味深いものだった。

『山本直純と小澤征爾 (朝日新書)』へはこちらをクリック

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『サラムとサラン』

2020年02月22日 | 評論
朴慶南(パク・キョンナム)『サラムとサラン』(岩波書店、2008年)

在日のエッセイストの本で、小説でも書いているのなら読んでみたいと思ったのだが、どうも小説は書いていないよう。

この人のものの考え方や捉え方には共感するところが多い。具体的にどこがと言われても困るけど。

この人の別のエッセー集のレビューで触れていたが、あちこちに出かけていって、いろんな人やことを繋がりを持って生きているというのは、羨ましい。講演会もあちこちでやっているみたい。きっとどんな人とでもすぐに仲良くなれるそんなバリアフリー的な心の持ち主なんだろうなと思う。

で、いったい何をした人なの?と思って調べてみてもとくにこれというものはない。それでも岩波書店からこのエッセー集以外に、二冊も本を出しているって、岩波書店編集部に彼女のファンでもいるのだろうか?

私と同じ鳥取県米子市の出身だという。ウィキペディアによると、高校卒業までは新井慶子という日本名を名乗っていたが、大学入学とともに朝鮮名で通すことにしたという。

このエッセー集の冒頭近くに、考古学者の佐古和枝さんとお友達だと書いてある。生まれはこの人のほうが2歳くらい年上だから、同郷のよしみでお友達になったのかな。佐古和枝さんには面識がないが、彼女の弟とは高校三年生の時に同じクラスだった。スポーツマンで、みんなから慕われる好青年。いまは眼科医になっている。

こんなふうに、このエッセー集の本題と無関係のことしか書くことがないのも、どうなんだろう。



NHK100分で名著 フランクル「夜と霧」

2020年02月17日 | 評論
『NHK100分で名著 フランクル「夜と霧」」(NHK出版、2013年)

先にフランクルの『夜と霧』を読みたかったのだが、解説書のほうが先に図書館から来てしまった。

『夜と霧』のほうは、高校生の頃に読んだ北杜夫の小説に似たようなタイトルのもの(『夜と霧の隅で』)があり、それがすごく陰鬱な内容だったので、それと勘違いして、長いこと敬遠していた。

私のブログで勝手にリンクを張っている「40からのパリ日記」の著者さんが、最近この本のことにふれて、最近出たらしい仏訳のDecouvrir un sens a sa vieについて、生きる勇気を与えてくれる本だと書いているのを見て、すごく興味を惹かれた。こちら

もちろん著者の諸富という人の解説はこの本の意義をわかりやすく提示しているものであるのは言うまでもないが、巻末にある姜尚中の文章も、彼の息子の自死という、触れたくないようなことまで率直に告白していて、深いものだ。

私自身が先の見えない牢獄に閉じ込められているような毎日を過ごしているので、これらの文章を読んで、心が晴れたとまではいかないが、今後どうしていくべきかについて、重要な示唆を得られたことは確かだ。でも、まだ、「本当によい本に出会った」と述懐するところまではいっていない。今後、じっくり自分に向き合うしかないだろう。