こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

どこが「ふっくらごはん」なの

2009年09月15日 10時51分16秒 | Weblog
某コンビニに行ったら、ふっくらごはんというラベルがある「おにぎり」が売っていたので、「どんな感じなのかな」と買ってみることにした。

買ってきて、海苔をはずして米粒を見てみると、「えっ」と思うほど米粒が割れていた。
そのせいで、「ふっくら」としているようでも、口当たりが悪く、ベタベタして感じてしまう。

でも、どうしてあんなに米粒が割れてしまっているのだろう。
精米方法? 炊き方?
それともお米の品質が悪いのかな?

ちょっと残念だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

籠神社 奥宮 真名井神社に行きたい

2009年09月15日 02時31分41秒 | Weblog
籠神社 奥宮 真名井神社は、天橋立の元伊勢籠神社の奥にあり、一帯には禁足地を示す立て看板がたっている、最大級の聖地である。

実はこの神社は、自分にとって最大のパワースポットになっているのだ。
とはいっても、東京からはあまりにも便が悪く遠いために、訪れたのは1回だけなのだが、その時の印象は、今でも強く残っていて、ホームページなどに掲載されている神社などを見ているだけでも、自然とエネルギーが満たされてくるほどなのだ。

とくに自分の強く思っている場所は、社殿の背後にあり、神が宿っていると信じられ、神代から崇拝されてきた岩で、向かって右側が豊受大神(天御中主神)の磐座、左側が天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神の磐座とされている場所だ。

この神社の場所は、地図にも載っていなかったり、載っていても簡単にしか書かれていないため、存在すら知らない人も多い。
なのに、自分がこの地を訪れたとき、地図も何も持たずに、ただ導かれるように歩いて行って、この神社にたどり着く事が出来たのだ。
さらに、何の知識も持っていなかったのに、社殿の背後に歩いて行って、この磐座があることを確認したのだ。

今の自分にとっては、もっとも行きたい所なのだが、とてもではないが遠くて行くことが出来ない。
だからホームページを見ているしかないのだが、それでもエネルギーは流れてくるようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんて情けないんだ、自分は。

2009年09月15日 01時53分14秒 | Weblog
自分のブログの1年前には、何を書いていたのかと確認したところ、事故米のことなどが書いてあったが、その中に、自分の情けなさをさらけ出す記事があった。

それは2008年9月21日からの、秋田・神代についての記事だ。

長い間行っていなかった神代に、呼ばれるような思いから、無理やりスケジュールを調整して行って、周りを全て山で囲まれている神代の地が、一つの聖域となっていて、その地には、山の神・水の神、そして米の神が住んでいると確信し、さらに、その神が、胡坐をかいて座り込み、若干うつむき加減で、目は瞑っていて、口は堅く閉めていて、明らかに「悲しそうで辛そう」だったことにショックを受けて「なんとかしなければ」と考えていたのに、その作戦が立たないまま、既に1年たってしまっていたのだ。

なんて情けないんだ。
偉そうに他県のブラント米の批判なんてしている場合ではない。

神代の神を笑顔に変えなければ。
初めて神代に行ったときに感じた、胡坐をかいて座り、楽しそうに嬉しそうに、微笑んでいた、あの時の神に戻さなければ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

響かない。動けない。でも・・・

2009年09月15日 01時16分41秒 | Weblog
深夜のため、いくら小さな音だとしても、音楽は響いてしまう可能性があるので、ヘッドホンをして、聞きたい音量で、自分の好きな曲だけを聴いている。

BALLADE・POP・ROCKとジャンルは様々。
そんなものは関係なく、ただ自分のお気に入りだけを選んで聞いているのだ。
その中には、自分に対する応援歌も沢山入っているのだが、今は心に響かない。

理由は「疲れた」という今の心境と、「それでも進まなければ」という思いとの葛藤があるから。

「疲れた」という気持ちは本当。
「自然に許してもらっていない」という思いも本当。
「それでも進まなければ」という思いも本当。
でも今は、その狭間で動けずにいる。

自分を後押ししてくれる人がいたら。
自分を理解してくれる人がいたら。
そうであったら、どこかに進むことは出来ると思うのだが、そんな人は、残念ながらいない。

なぜなら、今の自分は「また一人」
見方も仲間も、またいない。
ブランド化をしているときは、いつも一人。
仲間とブランド化を一緒にしている時でも、責任を背負わせたくないので、本筋は一人。

だから、こうなってしまうと厳しいのだ。

でも、この状況は深夜の今だけにしよう。
朝には、また進まなければならないことが山ほどあるのだから。

空元気は得意。
作り笑顔はいつだって出来る。
心にウソをつくことも簡単。

朝になれば、大丈夫。
出来るさ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のために、そこまでして・・・

2009年09月15日 00時10分57秒 | Weblog
知り合いから「何故そんなになってまで、ブランド化をしなければならないのか」という、自分を気遣ったメールが届いた。

「何故」と言われても、うまく言葉にはできない。

NPOでもない。それを仕事にしているわけでもない。そんなことをする義務もない。所詮自分は「たかが米屋」。
本来なら、その程度の自分が、産地のブランド化を進めていくなんて、場違い。お門違い。

それでも・・・
周りから何と言われようが・・・・
自分は、自分が持っている知識の全てを使って、ブランド化をし続けてきた。

ただ言えることは、本当に自分がやりたかった仕事は環境保全。
その中でも、自然と野生と人間が共存できる世界が作りたかった。
しかし、違う世界に行ってしまった自分は、それを直接することが出来ない。
だから自分は、今自分がいる世界で、自分がやりたかった仕事をやろうとしていることは事実である。

今の農業は、表面的には綺麗で良い言葉を並べているが、明らかに自然を無視して、自然に戦いを挑んで、無理やり押さえつけてはいないだろうか。

一つの例として、無農薬が自然に良いことは当たり前のことである。
なら、いますぐ全てを無農薬にすることが良いのだろうか。
全て無農薬にすれば、水の中に生態系を取り戻せば、地上を飛び交う生き物を増やせば、ここまで破壊をし続け、傷つけてしまった自然は、許してくれるのだろうか。
そんなことがあるはずがないことは、自然の恵みの中で農業を続ける人なら、当然判ることであろう。
そして今、自然から復讐されているということも、判っているのではないだろうか。

水田では以前、無農薬米を作るために、日本にいるはずかないジャンボタニシを外国から持ち込んだ、愚かな人がいた。
その結果、日本の水田は、その地域の生態系は、どうなってしまったかは、誰もが知っている事実。
ジャンボタニシの繁殖力は凄まじく、在来種は次々と淘汰されて消えていき、その結果、ジャンボタニシが埋め尽くした水田には、生き物の音も声も無くなり、風だけの音が響く、死滅した世界が残されていた。
自然を、生態系を無視した、自分勝手な考え方か招いた無音の世界。
水田の歴史の中で、一生消せない最大の汚点だろう。

一度持ち込んでしまった生き物は、間違ったといっても無くす事は出来ない。
もし無くしてしまうとしたら、それはジャンボタニシを、自分の都合で持ち込んできて、今度は邪魔だという理由で殺すことになるのだ。
生き物を自分の都合で殺す。それは立派な破壊なのだ。

復讐を始めた自然は、多分もう許すことはないだろう。
でも許してもらわなければ、次の時代は来ない。
だから自分は、自分の世界で、ブランド化という、産地や地域をや環境を守る方法で、自然に頭を下げるしかないとは思っている。

「何故」という問いの答えにはなっていないと思うが、こんな言い方しか、やっぱり出来ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする