こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

脱コシヒカリが最大のテーマ

2008年10月23日 05時06分39秒 | Weblog
 作付状況が“コシヒカリ”だけで全体の4割弱を占めてしまっている事を知っていますか。
産地でもこの状況に対して、徐々に危機感を感じ始めていて、“コシヒカリ”だけに頼り切らずに色々な品種をバランス良くお米を作っていこうという方向になり始めています。

 しかし、まだまだ消費者イメージが“コシヒカリ”中心となってしまっているため、産地も生産者自身も、なかなか積極的に方向転換が出来ないままになってしまっているのです。

 たぶん皆さんは洋服を選ぶとき、聞いたことが無いメーカーであっても、「このデザインや素材や色が好き」などと自分なりに気にいれば買うと思います。
 調味料などでも「このメーカーは辛口。こっちのメーカーは甘口。でも自分の好みはこのメーカー」などと自分の好みを知って選んで買っていると思います。

 このように、誰にでも好みというのはあるわけで、何かを購入しようとしたときには、自分の好みに合うものをシッカリと探してから買っていると思うのです。
 ところが、1年間毎日違う品種を食べても、食べ比べできないほどの品種があるにもかかわらず、なぜかお米だけは「“コシヒカリ”を買っていれば間違いが無く、美味しはずだ」となってしまっていて、自分の好みでシッカリと選んでいるようにはとても思えないのです。
 他のものを選ぶときには出来ているのに、なぜお米だけは自分で選ぶことが出来ないのでしょうか。

 お米には●外観●香り●味●粘り●硬さという特徴があり、これらの項目のバランスがよいのが、有名な産地の“コシヒカリ”です。
 また、このバランスは、全ての品種で異なっているだけでなく、同じ品種でも、産地や地域によっても、その年の天候によっても異なっていて、それが全てその銘柄の個性や特徴となっています。

 したがって、この違いというものを、消費者が自分なりに理解することが出来れば、おのずと“コシヒカリ”という名前だけに頼らず、自分の気に入ったお米を選ぶことが出来るはずなのです。

 具体例をあげてみると、《もっと粘りがあるご飯が好き》というのなら、もっと粘りが強いお米を選んだほうが良いのは当然のことで、もし今まで“新潟コシヒカリ”を食べていたというのなら“夢ごこち”や“ミルキークイーン”になるでしょう。
 また、《もっと柔らかいご飯が好き》で、今食べているが“新潟コシヒカリ”だったとしたら“ひとめぼれ”などが合うかもしれません。

 これ以外にも好みというのは色々と分かれるはずで、たとえば、《小さい頃に食べていた味》が食べたいなど、出身地や育ってきた環境によった好みもありますし、また、《玄米が好き》《分搗米が好き》《雑穀米が好き》など、食べ方による好みもあります。

 ここ数年、若い女性を中心に《玄米が好き》《分搗米が好き》《雑穀米が好き》という声が多くなってきていています。
 この場合は自分の好み以外に、お米をどのようにして食べるか、さらに調理器具に何を使うかによっても美味しさが違ってきますので、新しいお米の食べ方として、将来一つのジャンルとして確立する可能性も持っていると思います。
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自分の首を絞める縁故米

2008年10月23日 04時55分08秒 | Weblog
 縁故米という言葉を辞書で調べると『親戚や友人の農家から無料で、あるいは廉価で融通してもらう米。無料の場合は贈答米ともいう。 三省堂「大辞林 第二版」より』となっています。
 自分としては、縁故米とは無料でもらうお米だけであって、廉価で融通してもらうお米については、価格に関係なくお金が動くので産地直売:産直(産地直送。産地直売。産地直結の略。三省堂「大辞林 第二版」より)に該当すると思っていますので、無料でもらうお米を縁故米、廉価でもお金が動くものについては産直と位置づけて話していきたいと思います。

 消費者にとって、産地から直接無料でもらえる縁故米は「家計を助けてくれる心強い見方」として嬉しいものでもあるし、「生産者の顔が見える信用できるお米」として、安心して食べられる、最高の贈り物なのかもしれません。
しかし現実問題として、消費地からすれば心底ありがた迷惑な贈り物であって、そのしわ寄せは消費地・生産地だけに留まらず、お米を送った生産者本人にも直接跳ね返ってしまっているという、思いも寄らない現実があるということを知ってください。

 実際に縁故米を送り続けている生産者も、自分の首を絞めているという現実に気付いていない人が多いので、どうして跳ね返ってしまうのかを、順を追って説明してみましょう。

1.産地からお米が消費者に届くので、消費者がお米を購入しなくなります。
ひどい実例では、届く日が分かっているので、4~5日の間お米がなくなってしまったとしても、麺類などでつないでしまい、絶対にお米を購入しないというのもあります。

2.消費者が縁故米を当てにしているために、たとえ有名産地のお米でさえも、思うように売れませんので、米屋は、米卸や産地などからお米を仕入れることが出来なくなってしまいます。
 さらに、マイナーと位置づけられている産地や知名度が無い品種については、ほとんど販売計画が立たないために、取扱そのものを止めてしまう傾向になっているので、消費地の売場から次々と姿を消してしまっているのです。

3.米屋が売れなければ、当然、米卸などもお米が売れない分けですので、入札があっても売れ残ることを嫌い、必要最低量しか落札しない傾向になっています。
 さらに、米店が欲しがらない産地や品種などについては、最初から落札しないという傾向にもなっていますので、マイナーと位置づけられている産地や品種については、消費地から売場から姿を消してしまうだけではなく、消費地にも来なくなってしまっているのです。

4.その結果、マイナーと位置づけられている産地が上場したお米は、出来不出来には関係なく不落(売れ残る)となってしまったりします。
 これが続いてしまうと、新米の時期になっても、産地の倉庫には1年前のお米がまだ残ってしまっていて新米を入れる倉庫が足りなくなってしまったりする可能性もありますし、最悪の場合は、1年前のお米と新米を同時に売らなければならなければならなくなる可能性も出てきます。

5.不落を無くしたり、最悪の事態を無くすためには、お米の出来不出来には関係なく、次回の入札時には価格を下げざるおえなくなってしまいます。(完売させるためは現状やむ終えない方法)
 これによって、逆に人気の品種は、早い時期に完売してしまう事も出来たりすると思いますが、マイナーと位置づけられている産地や品種、人気が出無い銘柄などについては、最後まで残ってしまう可能性も出てきます。

6.1~5が繰り返されることによって、生産者からの買入価格や産地側の販売価格は、どんどん下がり続けてしまって、その結果、お米を作るために必要な最低価格をも下回ってしまっているという現実も出始めてしまっています。

7.当然のように生産者から不満の声が出始めてしまい、全農・経済連や農協などに頼らず、生産者が独自に動き出してしまうようになります。
 そして、これが縁故米や産直の始まりとなることが多いと思っています。

8.しかし、いざ販売をすることになったとしても、生産者がお米を販売していることを消費者は知りませんので、当然購入することはありません。
 そのため、「当初考えていた予想よりも売れない」という厳しい現実に生産者は直面してしまい、その解決策として、美味しいお米を作っていることや、お米を販売していることを1人でも多くの人に知ってもらうために、知り合いに対してお米を送り始めてしまうことが多いのではないでしょうか。
 それで購入してもらえるようになれば良い方で、実際には、「ただで貰えて嬉しい」という言葉だけで、お米は販売できず終いという場合がほとんどのようです。
 その結果、余ったお米の処分として、機会があるごとに貰ってくれる消費者に対して、お米を送ってしまっているということも良く聞きます。

 1~8が繰り返されてしまえば、誰が考えても完全に悪循環だということが分かると思います。
実際にはこれが10年近く、当たり前のように繰り返され、年を負うごとに縁故米の量は増え続けてしまっています。
 そして今、お米の価格は各産地の限界最低価格にまで落ち込んでしまっているのです。

 確かに、以前から縁故米は存在していましたが、送られてくる量と回数(白米10キログラム程度で、年1~2回程度)が少なかったので、全てに於いてあまり問題はならなかったのです。
 ところが最近では、1回に送られてくる量と内容が変わってきていて、玄米で30キログラム。
それも年に1~2回程度ではなく、年間を通して何度も送られてくるようになってしまったために、あちらこちらに障害が出てしまっているのです。
 ちなみに縁故米が大量に出回る時期は、3月下旬~4月始め(春休み)、5月連休、夏休み、お中元、収穫直前(去年のお米)、収穫直後(新米)、お歳暮、正月で、特に新米時期ともなると、消費地の宅配業者の荷台の中は、日本全国からの縁故米ばかりというのが現実なのです。

 こういう話を生産者にすると、「自分の知り合いに送っているだけだから、たかが知れている」という人が多いのですが、消費地の1人1年当たりのお米の消費量は、長期的に一貫して減り続けて、現在では約60キログラムにまで減少してしまっていますので、この数字を1ヶ月に直すと5キログラム程度。
 既に自分の周りでは4人家族で、1ヶ月に5キログラム程度も食べきることが出来ないのです。

 そういう家庭に、10キログラム送ってしまえば2ヶ月以上。30キログラム送ってしまえば6ヶ月以上、そのお米を消費するのにかかります。
それなのに、まだ食べきってもいないうちに産地からは次のお米が送られてきてしまい、最後には部屋に入りきらずに、玄関にお米が置いてあるという消費地の現実を見つめようとしていません。
 また、貰ったほうも遠慮してしまって、食べきれないという現実を、生産者に対して知らせてはいないのです。

 家庭で、もはや置ききれないし食べきれないとなれば、当たり前のように「縁故米のお裾分け」が始まってしまい、それが、ご近所と仲の良い家庭であればあるほど、最終的にはその地域が、丸ごとお米を買わない地域となってしまうのです。
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消費者を裏切る産直

2008年10月23日 04時47分34秒 | Weblog
 産直でお米を購入している消費者は、余程の事がない限り、他の産地のお米を食べることが無いと考えてよいと思います。

 消費者からすれば、毎回同じ生産者からお米を購入しているので、品質・味・特徴・安全性などについては、1年を通して、全て同じものが届いていると信じているのですが、なぜか、味・特徴についてはトラブルが多く、産地にではなく自分たちに「相談」という形で問い合わせが多いのが現実なのです。

 生産者からすれば、「設備の問題などから、味や特徴に変化があっても当然」と考えるかも知れませんが、お米を購入している消費者には理解できないことです。
ましてや購入している以上、お米は「商品」ということになるので、味・特徴が変わってしまうということは、クレームの対象となってしまうことを知ってください。

 よく「消費者は味覚オンチだから」という生産者がいますが、自分たちからすれば、自分たちのお米しか食べたことが無い生産者ほど、実際は「味覚オンチ」だと思っていますし、産地と色々な企画を進めている中でも、想像以上に多いと感じているのが現実です。

 消費者は、お米以外に、パンも麺も当たり前のように食べますし、コンビニのお弁当も食べますし、レストランでお米を食べることもあります。
さらに、旅行に行って産地でお米を食べることもあるのです。
 したがって、食べ比べを意識しいてる訳では無いため、品種などは全く当てられませんが、「美味しい・美味しくない」の判断や、自分の好みに「合っているか・合っていないか」の判断は、生産者よりもシッカリと出来ているのです。

 産直を購入している消費者は、他の産地のお米を食べることが無く、毎回同じ生産者からお米を購入しているため、当然同じものが届いていると信じているので、チョットした違いでも「いつもと違う」と、生産者が考えているよりも敏感に感じとっています。
 したがって、「お米が届くたびに、味や特徴が違っている」ということが繰り返されると、消費者からは「信用できない」「いいかげんだ」という不満が出てしまうのも当然のことなのです。

 これらの不満が、生産者だけに向けられているのであれば、「自らが招いたことだから」と言い切ることも出来るのですが、実際はそれだけに留まらず、生産者だけでなく産地そのものに対しても、「あの産地は信用できない」となってしまっていることも知ってください。
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産地の評価を下げる産直

2008年10月23日 04時43分46秒 | Weblog
 よく消費者から「産直は安くて安全で美味しい」という言葉を聞く事があります。
確かに中間の流通を省略しているので、その分は安くなるのは自然かもしれませんが、お米に関しては、極端に産直の価格が安すぎる傾向があります。
 安いことは、消費者にとっては嬉しいことなのですが、このしわ寄せも、実は生産者に跳ね返ってしまっているということも分かってほしいと思います。

 生産者は米屋に対して「今年はこれだけ苦労して栽培した」「ここまでこだわってみた」「こんな新しい肥料を水田に投入してみた」「思った以上に獲れなかった」「農薬を使用しないで作った」などと一生懸命説明をして、少しでも高くお米を買ってもらおうとします。
そして、その大変さを少なからず理解している米屋も、その努力に合った価格をつけるように努め、さらに、消費者に対しても生産者のこだわりなどを説明するように勤めたりしています。

 それなのに、生産者が行っている産直の価格が、スーパーなどの特売価格と同じだということが多々あるのですが、これは一体どういうことなのでしょうか。
米屋には高く売りつけ、自分たちは特売価格で安く売るというのでは米屋は納得できるはずがありません。
 生産者に問いただすと、「高いと販売しきれない」という回答が戻ってきたりすることがあります。
ということは、最初からその価格でしか販売できないようなお米を作っていたということなのでしょうか。
もしもそうなら、米屋にも消費者に対しても失礼でし、米屋に買ってもらうよりも、最初からスーパーに買ってもらうようにしたほうが、簡単に完売できるのではと思ってしまうのです。

 現在は情報社会で、インターネットも普及しているので、米屋でなくても産地の情報を手に入れることが簡単になりました。
米屋もインターネットで産地の販売価格などを参考にして、店頭販売価格を設定することもあります。
 ところが既に産直をしており、それが特売価格で販売しているお米だったとしたら、消費地だからといって高く販売することは出来ません。
結果として、「産地と同じ価格で販売する」のか、それとも「販売を中止してしまう」かの選択となってしまいます。

 産直をしている生産者は、自分で自分の首を締めているんだということを、よく理解してほしいと思っています。
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