このブログで、書いたままアップ忘れの原稿があります。下記のその一つです。
浄土真宗本願寺派と真宗大谷派との相違
浄土真宗本願寺派と真宗大谷派、分派して400年。その違いは本山へ行っても、本山の伽藍配置も、御影堂と阿弥陀堂の位置関係が逆になっていたり、堂内の外側の柱が大谷派は丸、本願寺派は角、畳の敷き方(大谷派は縦、本願寺派は横)まで違います。
お荘厳では本派にあって大派にないものとして①金張の柱 ②戸帳(仏さまのカーテン)③仏具の宣徳(真鍮でない)④輪燈・木瓜形(もっこがた)⑤人天蓋⑥翠簾などです。分派の当初は喚鐘は本願寺派でけでしたが、いつの間にか大派も使用しています。
少し箇条書きにしてみます。
仏飯 本派・蓮含形(れんがんぎょう)、大派・蓮実形 本山本派上供後勤行、大派勤行後上共
二連珠 本派・切房、大派、頭付(これは習慣です)
焼香 本派1回、大派2回(代香の場合は一回、2撮(さつ)という)
香炉 大派は透彫土香炉を用いる
西本願寺(浄土真宗 本願寺派)では「な"も"あみだぶつ」、東本願寺(浄土真宗 大谷派)では「な"む"あみだぶつ」と発音するのが一番大きな違いです。
本尊 本派、大派ともに光明は48本だが大派の上の光6本に対して本派は8本
衣にいたっては、かなり相違します。これは大派が古い様式を継承しているからです。たとえば足袋は、襪子(したうづ)という足の指割れのない足袋も使用も可能ですが、実勢にはあまり利用されていないようです。でも皇室などでは、足袋は襪子(したうづ)です。七行袈裟の下に着ける衣も袍裳(ほうも)といって、上依の袍と腰に巻く裳が二分されています。本派も江戸時代は、大派の形式でした。
浄土真宗本願寺派と真宗大谷派との相違
浄土真宗本願寺派と真宗大谷派、分派して400年。その違いは本山へ行っても、本山の伽藍配置も、御影堂と阿弥陀堂の位置関係が逆になっていたり、堂内の外側の柱が大谷派は丸、本願寺派は角、畳の敷き方(大谷派は縦、本願寺派は横)まで違います。
お荘厳では本派にあって大派にないものとして①金張の柱 ②戸帳(仏さまのカーテン)③仏具の宣徳(真鍮でない)④輪燈・木瓜形(もっこがた)⑤人天蓋⑥翠簾などです。分派の当初は喚鐘は本願寺派でけでしたが、いつの間にか大派も使用しています。
少し箇条書きにしてみます。
仏飯 本派・蓮含形(れんがんぎょう)、大派・蓮実形 本山本派上供後勤行、大派勤行後上共
二連珠 本派・切房、大派、頭付(これは習慣です)
焼香 本派1回、大派2回(代香の場合は一回、2撮(さつ)という)
香炉 大派は透彫土香炉を用いる
西本願寺(浄土真宗 本願寺派)では「な"も"あみだぶつ」、東本願寺(浄土真宗 大谷派)では「な"む"あみだぶつ」と発音するのが一番大きな違いです。
本尊 本派、大派ともに光明は48本だが大派の上の光6本に対して本派は8本
衣にいたっては、かなり相違します。これは大派が古い様式を継承しているからです。たとえば足袋は、襪子(したうづ)という足の指割れのない足袋も使用も可能ですが、実勢にはあまり利用されていないようです。でも皇室などでは、足袋は襪子(したうづ)です。七行袈裟の下に着ける衣も袍裳(ほうも)といって、上依の袍と腰に巻く裳が二分されています。本派も江戸時代は、大派の形式でした。
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