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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

弔辞

2014年02月07日 | 日記
昨日(26.2.6)は、世話人Sさんの葬儀、19日のお別れのことばを告げてくれた方です。

総代の松尾俊彦さんが、弔辞を読んでくれました。掲載します。

弔辞

謹んで阿弥陀如来の尊前に申し上げます。このたび須藤友之さんご逝去のこと。人の世に別れのあることは、諸行無常と、お釈迦さまもおさとしのことですが、肉親のお別れは、辛く、悲しく、お寂しいことであろうと、まづは、ご遺族、ご親族の方々ご心中をお察しい、お悔やみ申し上げます。

須藤さんは、あなたは昭和15年6月5日、山形県に生まれ、昭和43年より豊四季団地は競馬場で、田舎の風景が広がって、現在の豊四季に居住するようになったとお聞きしたことがあります。山形から東京へ出てきて、洋家具店に勤めました。集団就職が、金の卵と言われていた時代です。配属されたのがデパートで、標準語が身につけるのにもご苦労があったようです。
 奥様とのご縁は、奥様が就職で上京されしばらくして体調を壊され入院された時、須藤さんの同僚が同じ部屋に入院されお見舞いに行かれた時、奥様も同じ東北出身でお互い心をひかれ2年後に、ご結婚され一男、一女に恵まれまして、又、お嬢さんの優子さんには、二男二女に恵まれ良き好々お爺さんとお聞きしておりました。

昭和43年、柏に来てユニホーム店をはじめられ、またボランテイアで本業の傍ら地域の知人と葬儀の手伝いをしていたともお聴きしたことがあります。そのようなか、来年17回忌を迎えられるご子息を失い、そのご縁で、山形の実家は曹洞宗の檀家でしたが、すでに知り合っておられた西方寺のご住職に葬儀を依頼されたようです。

地域にあっては、法人会をはじめ地域の方が都と交わりを深め、西方寺では世話人として門信徒をまとめ、また特別養護老人施設での講話などを毎月され、まさに一隅を照らす人でした。
過去に引きずられず、未来にとらわれず、今を生きる人は、清らかな川の流れのように濁ることはないとお経にありますが、あなたの実直な生き様は、常に今を大切に生きてきた証しのように思われます。いまあなたのご遺体を前にして、“そのときがきたら、秋の落ち葉が風にさそわれて、樹木から離れるように、時の流れに身を任せて、そっと目を閉じればよいのですよ”とささやいているようにも思われます。

常日頃、西方寺ご住職より、浄土真宗の宗祖であります親鸞聖人は、阿弥陀さまの働きを磁石にたとえられておられるとお聴きしております。磁石は鉄を吸い寄せる時に、鉄を磁気で満たし鉄を磁石にして吸い寄せる。同様に阿弥陀如来が私たちを浄土へ摂取するに当たっては、私たちをして、念仏を称え念仏を悦ぶ身となさしめて浄土へ摂め取るとのことであります。あなたのご生涯は、まさに阿弥陀さまの働きにより、念仏の香りと阿弥陀如来のお慈悲に色づけられたご一生でした。
あなたは今、浄土真宗のご本願の道理によって、美しいみ仏のみとなられ、無量のいのちにつつまれ、親鸞さまや先にご往生された方々と尽きせぬお慈悲を語ろうておられることでしょう。
私たち一同は、ご遺族の皆さまと共に、いよいよ仏法に心を寄せ、阿弥陀如来の恵みの中に生かされ、うるわしい念仏相続の歩みをまっとうすることを、ここにあらためてお誓いし、お別れの言葉としたします

平成26年2月6日 西方寺 総代
松尾俊彦
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