仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

言葉のソムリエ③

2013年08月03日 | 日記
2年ほど前、このブログで次のようなことを書いたことがあります。

宗教者も、ある意味ではソムリエ的な要素が必要だろう。
相手の闇を破る言葉や、安心を与えることのできる文言を、相手に応じて提供する。言葉のソムリエ。いや宗教者だけではないだろう。普段の会話も、言葉のソムリエのようにありたいものだ。(以上)

そして大須賀発動先生の逸話を紹介しています。業界新聞『中外日報』(25.7.27日号)を読んでいたら、同じようなことが書かれていました。

『けさのひと言』大正大学教授 村上興匡
東日本大震災の被災地では、多くの宗教者が被災者の方々に対して傾聴ボランティアを行っている。苦しんでいる人から話を聞くカウンセリングは非常にニーズがあるが、ではカウンセラーと宗教者は何か違うのだろうか。
 宗教者にできて、カウンセラーにできないことがあるとしたら、苦しんでいる内容に対して形を与え、本当にほしい言葉しを見付けられるようにお手伝いすることではないか。それは単に説教することではない。    
 私はこのことを「仏教ソムリエ」と言っていう。ソムリエは料理に合うワインなどをそっと差し出すことが仕事。仏教者も難しい言葉をそのまま語るのではなく、相手に合うものを選び、そっと差し出すことができる教ようになれば良いと思う。(以上)

考えてみると、釈尊ご自身が「応病与薬」(病気の応じて薬を与える)、「対機説法」(その人に応じて法を説く)の方なのですがら、釈尊こそ「言葉のソムリエ王」の称号にふさわしい方です。
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