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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

コミュニティ グローバル化と社会理論の変容

2022年05月25日 | 都市開教

『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』(28, 2006・ジェラード・デラテイ)からの転載です。

 

 

 本書はこれまで、コミュニティという理念の不朽の魅力について考察してきた。近代世界は、自由、個人主義、理性の時代であるが、それだにけではない。そこでは、個人が寄る辺ない不安定化する世界の中に置かれるのであり、くつろしだ気分になれる心地よい世界―つまり、コミュニティや帰属(ソサエティ)、連帯感といったもの-を強く求める時代でもある。コミュニティは長らく社会と緊張関係にあり、最近では、近代国家に対する失望によって、多くの人々が、政治の基盤としてコミュニティの復活に望みを託すようになっている。

 コミュニティヲベユニティの理念は現状に対ずる批判の所在を示唆するものであり、社会と国家心対ずるオルグ士アイヅを含かと思われる。コミュニティはある意味で、モダニティによって破壊された何かを探し求めることなのであり、取り戻せない過去の探しードグムントーバウマンによれば、それは、これまで存在したことがないがゆえに、取り戻せないものであるがーの表現である。しかし、コミュニティの探求を、モダニィティに対する後ろ向きの否定や、失われたものの回復を願う絶望的なノスタルジアととらえてはならない。それは非常に近代的価値を持ったものであると同時に、今日の生活経験の中心をなす条件の表現でもある。それを私たちは、不安定な世界の中での対話的な帰属の経験と呼んでもよかろう。

 

今日のコミュニティは、ほんの少し昔のコミュニティと比較しても、拘束の度合いが少ない。

グローバル時代としての現代社会におけるコミュニティの紐帯や文化的構造は、―工業社会や伝統社会とは逆にー宗教、ナショナリズム、エスニシティ、ライフスタイル、ソエンダーを基礎にしており、数多くの帰属についてその可能性を切り開いてきた。新たなコミュニティが登場しつつあるのは、こうした複数性の世界のさなかにおいてであり、閉ざされた世界の現象なのではない。

 コミュニティの永続性は、何よりも、次第に不安定性を増す世界という文脈の下にあって帰属のあり方について語り合う能力にかかっている。その意味で、帰属としてのコミュニティは、制度的な構造、空間、ましてや象徴的な意味形態などではなく、対話的なプロセスの中で構築されるものである。私は意味よりも帰属に照準を合わせてきた。かつてのコミュニティ論は、その大半が帰属感と特定の社会組織を混同してきたのであり、基礎的な道徳感覚、集団、場所を強調したのであるが、それとは対照的に私は、帰属についての経験の一形態であるでニュニティの討議的な性格に重点を置いた。今目、グローバルな形態のコミュニケーンヨンは、⊃ミュサアイの構築のために多くの機会を提供している。(以上)

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