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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

『LGBTQ運動の歴史』②

2022年05月19日 | 現代の病理

『LGBTQ運動の歴史』(マーシュー・トッド著) 以下抜粋です。

 

 

 変化は起ころうとしていた。一九五八年三月七日にはタイムズ紙に「同性愛犯罪法改正協会」が設立され、オールパニー財団がこれを支援して、同性愛者の安心で幸福な生活推進に向けて活動した。

 

 一九六〇年代には社会的、政治的に大きな変化の波が起こった。イギリスでは。一九六二年に、ヘテロセクシュアルの労働党議員レオーアブセが、ウルフェンデン報告の勧告実行の法制化を推し進めた。また抗議運動のモデルとなったのが、ベトナム戦争反対運動だった。人種差別に反対するブラック・パワー運動は、一九六五年のセルフからモンゴメリーへの行進といった市民による不従順行動を生んだ。メキシコ人やプエルトリコ人は警察の横暴と闘った。そしてインド文化(これはビートルズも取り入れた)の影響を露され、騒ぎとなった。その五年後、個人の援助と医療界の教育を目的とした、イギリス初のトランスジェンダー支援団体である「ボーモント協会」が設立された。

 一九六四年にはアラン・ホースフォールが、同性問の性行為を犯罪とする法の改正に向けた組織「同性愛犯罪法改正委員会北西支部」を設立し、この団休の書記長であり、もっとも著名なメンバーとなった。

 一九六七年にはBBCが、時事問題シリーズ『マン・アラチフ』のふたつのプログラムでレズビアンやディ男性の生活を取り上げた。ここでは、さまざまな階級の人々が、愛情に満ちた関係を続けたいという基本的な願望を満たすのにくわえ、平和な生活を送るために奮闘しているようすが紹介された。脚本家で詩人のモーリーン・ダフィーは、著名人としては初めて、レズビアンであることをカミンダアウトしたイギリス人女性のひとりで、一九六六年には初のゲイ小説を刊行した。タフィーは国営テレビに登場し、ゲイの人々に関する法改正を求めた。

 その後、一九六七年七月二七日には、ウルフェンデン委員会の勧告により、一九六七年性犯罪法が制定された-この委員会のリーダーで、保守党政府から委員長に任命されたウルフェンデンはストレートの男性で、のちに息子がゲイであることがわかっている。またこの法案はヘテロセクシュアルの庶民院議員が推進し、労働党政府が制定したものだった。この性犯罪法では、二一歳超の、ふたりの合意ある男性同士の私的な性行為は、イングランドとウェールズにおいては違法ではなくなったのだ。これは多数のゲイ男性にとっては遅すぎた合法化だった。(以上)

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