The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

明治は祭政社会か 8

2014-04-22 08:51:32 | Weblog
               
 「宗教人類学の古野清人博士の応接間に掛かっていたね」
 「どういういきさつなの」
 「奈良の天理に参考館という博物館がある、これは知る人ぞ知る名品ぞろいで、万博あとのモノとは比べようがない」
 「・・・」
 「こういったモノは、一人の鑑識眼の上を出ない、アタマだけのインテリには、それだけの自信と眼力は身につかない」

 「そのキリストは」
 「アレクサンドリアの郊外で発見されたもので、専門家の鑑定書つきだ、これと同じモノがメトロポリタンにある、何代か前の真柱(しんばしら)は、古野さんの親友で、参考館建設に尽力したお礼にプレゼントされた」
 「どのくらいの価値かね、何億かな」
 「値段がつかないらしい」
 「どうだった」
 「いいね」
 「なるほど」
 「シェークスピアに、青年に知恵あれば老人に力あればというセリフがある、永遠のアイロニーだな、若者はウスペッラでものごとの本質が分からない。老人には知恵と経験があるが、すでに気力がない」
 「うん」
 「このキリストは、その二つを備えている」

 「古野さんは、なかなかの豪傑でナザレのイエスを『ヒツジ飼いのあんちゃん』と呼んでいた」
 「私が、『これならヒツジ飼いのあんちゃんでもいいですね』と言うと『うーん』と目をほそめる」

 「キリストは、あのプロテスタントの連中のイメージするような人物ではないと思ったね、もっと健康でおおらかでそばにいるだけで、ほんのりとあたたかくなる、そんな若者だったのではないだろうか」 



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