私事なんですが、先々週の金曜日(3/1)に姉の結婚式に参加して来ました。
当日は一睡も出来ずに(笑
一睡も出来なかったのに何故か目は冴えていて、
妙なテンションのままにゾロゾロと集まった親戚たちと話をしたり
様子を見てたり、
お互い(姉と旦那)の親戚一同で挨拶の機会があったりと
式までの時間はかなり長かったはずなのに気付けば半興奮状態のまま一気に過ぎ去っていました。
母親も相当ソワソワしていてめっちゃ心配してたんだろうな・・・と今振り返るとそう思います
ある程度時間が経って、
なんだかすごい久しぶりに姉の姿を観たような気分になったのは
きっと「どういう風に仕上がったんだろう?」って期待があったからだと思う
目の前に姿を表した姉さんは
まるで別人のようにきれいで、少し涙が出そうになった。
その姿だけで「ああ、今まで頑張って来たんだろうな・・・」というのが確信出来るくらいに。
多幸感溢れるムードの中で式が執り行われた訳なんですけど
これがまたヤバい・・・。
実際にああいう場所に立ち合ってみると何故かわけもなく涙腺が刺激される気分になるもんで
妹がずっと泣いてる中、自分も泣くのをこらえるのに必死でしたね。今書いててもちょっと危ないくらい
すごく美しいものを見させてもらった気分でした。
自分がよく知っている人が、明らかに幸せを手にして結ばれている
特に姉と弟の関係なので余計に、無性に感動してしまった節はあって
多分人生で絶対に忘れられない一日になったんじゃないかと思う。
特に旦那との詳しい話を聞いていたわけじゃないのに
ここまでグッと来たのは、
やっぱりどこまで行っても姉弟だからなんだろうな・・・としみじみ思いつつ。
後でビデオで撮影したバージンロードの映像眺めてたらこれがまた凄くてね。
父親が娘を旦那に渡す姿っていうのは特別なものがありますよね。
披露宴で久々に会った親戚と会話(と、いっても基本喋るのが大の苦手なので聞き役に徹する)しながら
ビデオ撮影したり写真を撮ったりしてました、それが自分に与えられた役割でした
だから、結構半分はお客さん気分でもなかったんですけど(笑
みんなが集まって祝ってくれている
そんな光景に「なんかいいなあ、素敵だなあ」としみじみと感じつつ
最後に両親への感謝の手紙を読む場面で
「産んでくれてありがとう。」
という言葉を姉は言ったんですけど、その言葉の後、生まれて初めて父親の涙のあとを見ました
逆に母親はかなりの心配性なので泣くどころではなく最後まで心配をしていました(笑
でも、実際感動よりも嬉しい気持ちの方が勝っていたそうです。
産んでくれてありがとう・・・言う方も言われた方も本当に幸せだったろうな。
なんだか、身近にいた人がすっごい遠くへ行ってしまったような感覚はあったけれど
反面「お前もさっさとしっかりしろよ」って考えるきっかけにもなった気がする
周りの人々がきちんと幸せや豊かさを掴んでいる中で
自分はと言えば全然パッとしない、しおれた生活を送っているという自覚があって(笑)。
単純に自分の姉ですから何の他意もない純粋な喜びに浸れましたけど
一方でそれは燻っている自分への平手打ちでもあった。
生活に対して常にネガティブなイメージが付き纏う中で、それでも頑張ろうと思える力をもらった気がする。
そんな(自分にとって)素晴らしい日の記録と記憶でした。
これだけはどうしても書いておきたかった。
精進しよう。
・・・ちなみにその後親戚の家でグダグダ飲んで絡まれたりしましたね(笑
でも、それを含めて有意義な経験になりました。ありがとう。 そして、おめでとう。