いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

カオス前夜の不定。 uncertainty of the night before of khaos

2017-05-26 19:58:01 | 日記
 (1)森友学園小学校新設問題に続いて加計学園獣医学部新設問題と、安倍首相、同夫人、官邸、文科省がかかわる政治疑惑問題が続く。森友学園問題は安倍夫人と森友学園長とのやりとりが、加計学園問題では所在不明の文書(職員メモ)が疑惑解明のカギとなって争点となっている。

 事は森友学園問題は小学校建設用地の国有地が異常な低価格で払い下げられ、加計学園問題は学部新設の要件が不十分のまま期限限定で手続きが進められたという不自然な事実が現存する。

 (2)不自然な事実が現存する以上は、正式な手続き上の問題とそれに至った疑惑問題とは切り離して考える必要がある。
 さすがに森友学園問題は工事見積書が3通りあるなど申請内容に不備があり、許認可権を持つ大阪府が同小学校新設を取り消し、補助金の返還を求める事態に立ち返った。

 まずは加計学園問題もこれまでの経過を白紙に戻して最初からやり直すことが求められる。その上で疑惑の真相解明について徹底的に審理をつくすことが必要だ。政治に疑惑が向けられているのだから、政治が主導して原点回帰をすべきことだ。

 (3)森友学園問題では文科省の国有地払い下げ、小学校新設対応で一時同学園小学校名誉校長だった安倍夫人の関与が焦点で、加計学園問題では獣医学部新設を期限を切って早期に進める文科省職員の「総理のご意向」メモの存在が焦点だ。

 森友学園問題では疑惑、焦点、争点の安倍夫人がその後完全に表舞台から消えて沈黙を通しており、パラドックス(paradox)として疑惑は深まるばかりで、しかし本人が出てきて事情説明しない限りは政治的関与の疑惑解明は進まない。

 (4)加計学園問題では昨日に当時の文科省事務方トップの前川前事務次官が記者会見を開いて、当時「総理のご意向」メモが文科省内に「確実に存在していた」(記者会見)と証言してあらたな展開をみせている。

 官邸、官房長官は同文書を出所もわからない怪文書だとして問題視せずに、文科相は1日だけ調査してそのような文書は存在しなかったと幕引き結論づけた。

 (5)政府、官邸、文科相と天下りで責任辞任した前文科省事務次官が全面対決の異様な様相だ。こちらは何しろ安倍首相の無二の親友(首相談)の加計学園理事長の学部新設にかかわる「総理のご意向」があったのかどうかの政治問題なだけに、安倍首相自らの政治関与疑惑が注目されている。

 (6)首相官邸と文科省前事務次官という不釣り合いな対決構図が異様であり、天下り問題で直接関与したとして責任をとらされて辞任した前事務次官がどういう経緯で目的で昨日記者会見を開いて「総理のご意向」メモの存在証言をしたのかはまだ読み取れない。

 せめてもの償い、正義感気取りの「本人の意向」だけなのか、政治的背景でもあるのか、この異様な光景は日本の政治がこれまで大臣の不適切発言、辞任が相次ぎ、さらに政治的関与疑惑の森友学園、加計学園問題と混迷、カオス前夜(the night before of khaos)を思わせる不定(uncertainty)だ。

 

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三島由紀夫から47年。 after 47 years from y.mishima affairs

2017-05-25 20:06:10 | 日記
 (1)1970年に三島由紀夫は自衛隊駐屯地に乗り込んで、自衛隊を憲法違反は憲法違反として認め、だからクーデターで自衛隊を正式な国家機関として認めさせようとしたが、政治的行為を制限されている自衛隊員はこれに同調せずに三島クーデターは未遂に終わった。文民統制、法律が働いたものだった。

 それから47年が経過して、安倍首相が(一応自民党総裁としての立場から)憲法9条に自衛隊を明記するなど憲法改正を2020年に実施することを表明し、今年中に自民党案をまとめるよう求めた。

 (2)三島由紀夫は戦力不保持、交戦権を有しない現行憲法では自衛隊は違憲との憲法学者の見解と同じ論理であったが、安倍首相は独自に拡大解釈をして現行憲法下での自衛隊の合憲性を憲法9条に明記することで成立させようとしている。

 これに対して自衛隊トップの統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになれば非常にありがたい」(報道)と述べていたことが問題になっている。

 (3)同じく「憲法は高度な政治問題なので統幕長の立場で申し上げるのは適当ではない」(報道)と断わってはいるので立場はよく理解しているはずだが、「一自衛官」としても自衛隊法上もさらにこれから国会発議の上国民が決めることでもあり、先走った軽率な発言であることには変わりはない。

 安倍首相が自民党総裁として憲法9条に自衛隊を明記するなどの改憲を表明したのと同じで、こちらも自衛隊トップの統合幕僚長の立場にあるものが一自衛官として「ありがたい」発言をしたとしても本質論は何も変わらないものであり、同じまやかし論の先走った軽率な発言に変わりはない。

 (4)自衛隊の文民統制(civilian control)から自衛隊法では隊員の政治的行為が制限されている。かって政府の方針に反した論文を発表した当時の自衛隊幹部が更迭されたことがあった。

 安倍首相の目指す憲法改正は国会議員の3分の2以上の発議で国民投票により国民有権者の過半数の賛成が必要であり、そのプロセスも未定の中での自衛隊トップの「ありがたい」発言は事の前後、立場、制度を顧みない先走った不適切発言のそしりはまぬがれない。

 (5)ことに自衛隊組織での制服組の立場、影響力が大きくなっている中での制服組トップの事を先取りした発言には、安倍首相が目指す国民投票への影響、文民統制上の問題も懸念される。
 
 稲田防衛相に対しては国会答弁などから資質、統制力の問題が指摘されて、自衛隊内から公然と頼りない(報道)との意見も聞かれて、文民統制、統制力不足の懸念も大きい。

 (6)個別的自衛権のもとに自衛隊の役割、存在は、国民社会では広く一定の理解を得ており、それを憲法9条に明記しようとすれば戦力不保持、交戦権を有しない規定との整合性が問題になる。

 安倍首相が目指す自衛隊は安保法制による集団的自衛権の行使容認による組織で、通常の憲法9条規定が認める個別的自衛権(国際紛争を解決するための手段としての戦力不保持、交戦権放棄)としての理解との整合性を明確にしなければならない。
 

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パラサイト社会。 parasitic society

2017-05-24 19:43:50 | 日記
 (1)人間がどう生きて、どう働くかなどは極めて個人の考え、問題であって、社会が国が政府がどうこう決めることではない。それがこの国では政府が働き方改革とかいって働く構造を決めようとしている。

 冒頭のような個人、国民がいなくなって、社会と国が働き方を決めないと示さないと回らない社会構造になっていることも要因だ。

 (2)経産省の20~30代の若手職員が「若者が高令者を支える現在の社会保障制度を改め、働ける高令者は若者を支えるべきだ」(報道)とする報告書をまとめた。
 国民は年令、老若男女にかかわらずに国家という運命共同体の構成員なのだから、相互に協力、協調しあって支え合うというのはいわずもがななことだ。

 (3)少子高年令社会の到来は誰もが重々周知のことだが、これまで国、政府の打つ手が適切だったのかの疑問、問題がある中で国、政府の反省、検証もなく、さんざん若い頃は団塊世代の強力な労働力として国家、社会、当時の老令社会を支えてきて、いざ社会保障制度を国が約束したはずの年令に達すると若い頃から負担してきた老後資金の年金支給の今度は支える若者減少による財源不足とかで先送り先送りで、働けるうちは働いて若者減少社会をまた支えてほしいとは、ちょっと調子がよすぎるのではないのか。

 (4)現実社会がそうではあっても、どこに問題があったのか。これまで少子高年令社会到来が重々予測できる中で無作為政策を続けてきた政府、機関から面と向かってそれまで国、社会を支えてきた高年令者が言われるような筋の話、ことではない。

 少子高年令社会の問題点は、これまでの国、政府の重々に予測できながらそれに適切に対応してこなかった無作為政策によるものだが、今日的社会における働く世代が働き方方法論(methodology)について自己主張もなく建設的意見もなく、意欲もなく自立性もない社会になっているのはどうしたことか。

 (5)冒頭にも述べたようにどう生きて、どう働くかは本来個人の自由で自主的な意思決定の問題で、国、政府に関与を受ける問題ではない。おせっかいに国、政府が働き方改革として個人の自由、自主、自立的判断、考えにまで関与することに、声をあげ行動を起こさない社会もおかしなことになっている。

 それぞれに事情はあるから一概には言えないが、従来20代前半に独立、自主、自立生活に向かったものが今日的社会は40代でもパラサイト(parasite)世代といわれて久しい。

 (6)どうしてこうなってしまったのか、こういう社会になってしまったのか、とくと考えてみる必要がある。

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憲法9条と自衛隊。 the nineth article of a constitution and a fundamental question

2017-05-23 19:55:53 | 日記
 (1)安倍首相の改憲要旨は、当初の96条の改憲発議の変更(3分の2から過半数)から緊急事態条項(災害時の首相の権限強化、議員資格の延長)となり、今年の支持者集会への自民党総裁としてのビデオメッセージで憲法9条に自衛隊明記と高度教育の無償化を主張して、これをもとに今年中に自民党改憲案の取りまとめを求めた。

 憲法9条に自衛隊明記発言は手続き上の問題から自民党総裁としての主張となっているが、安倍首相が目指す改憲の本流だ。憲法9条に自衛隊を明記することは、その後の自民党草案にある自衛隊の国防軍化の足がかりとするものだ。

 (2)これに対して自衛隊の違憲意見も根強くある憲法学者の団体からは「自衛隊は既に国民に広く受け入れられた存在で、憲法への明記に意味はない。不必要な改正」(報道)という指摘がある。

 安倍首相は自衛隊を違憲だとする意見もある憲法学者もいることから、憲法9条に自衛隊の役割、存在を明記して名実ともに合憲自衛隊を主張したいところだが、専門家からは9条の条文を残したまま自衛隊を明記することは同9条の戦力不保持の条文と競合して憲法の整合性に問題があるとの指摘もある。

 (3)憲法9条の国際紛争を解決するための手段としての戦力を保持せずに、交戦権を有しない規定は、旧社会党などから長らく自衛隊は違憲とする意見があった。
 その後国連が各国の自衛権を保障する意向があったこともあり、憲法9条が「国際紛争を解決するための手段」としては戦力不保持、交戦権を有しない解釈から同憲法上自衛権は保障されるという解釈、見解が国民の一定の理解を得ているとして、旧社会党も個別的自衛権の存在を認めて自衛隊も合憲との判断に変更した。

 (4)憲法学者の専門的見解からの違憲論はあっても、いまでは自衛隊は合憲というのが広く一般的な理解だ。政府もこれまで個別的自衛権の範囲内での自衛隊の役割について合憲という解釈であったが、安倍首相は独自に憲法解釈の変更により自衛隊の役割に集団的自衛権の行使を認める安保法制を成立させた。

 この集団的自衛権の行使容認は、これまでの個別的自衛権を前提解釈とする憲法9条の主旨を逸脱するものとして大多数の憲法学者、国民の違憲判断による反対を受けた。
 
 (5)こういう経緯からも憲法9条に自衛隊を明記することは集団的自衛権の行使容認をも認める前提解釈となるもので、単なる自衛隊の存在、役割にとどまらない重要改憲主旨となるものだ。

 個別的自衛権の行使としての自衛隊の戦力、交戦権の一定の理解の中で「拡大解釈」として安保法制で集団的自衛権の行使を容認したものを、改憲で集団的自衛権そのものを憲法上認めようというものであり、大きな問題、国民的議論を含むことになる。

 (6)安倍首相、政府が拡大解釈した憲法主旨の前提を否定して、今度はあらたに憲法上の本主旨として自衛隊、それに付与する集団的自衛権の行使を容認しようという根本問題(a fundamental question)がある。

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木を見ても森は見えない。 we can't see the forest for the tree

2017-05-22 19:55:35 | 日記
 (1)当初の対象犯罪が700近くでいくらなんでも多過ぎるとしてそれでも277に絞り込んでのテロ等予備罪(共謀罪)は、多分国会で質問する与野党議員も全体像などわからずに、それに答える金田法相はもちろんのこと法務省刑事局も巡り巡って実はよくわからないのではないのかと思える。木を見ても森は見えない(we can't see the forest for the tree)。

 対象犯罪が700近くとなると何がどう関係して絡(から)んで罪になるのか主なものは別にしても細部になるとわからなくなって、そこで一般人、国民が犯罪取り締まりの対象になるのではないのかの素朴な疑問も出てきて、一体全体どういう犯罪取り締まり法なのかわからなくなってしまっている。

 (2)直近のメディアの世論調査では52%が今国会成立にこだわらずに議論を続けるべきだと回答しているが、過半数をわずかに占める程度の数字でそれでも極めて低い数値であり、その他今国会で成立を図るべき(17%)、廃棄(14%)を含めて48%は実際同法案のことがどれほどにわかっているのかさえよくわからない。

 多分に推測するに安倍首相が言うようにこの法律がないと2020年東京五輪は安全に開催できないという「言葉」を漠然と信じているだけなのではないのかと思える。
 実際にこの法律がなくても現行法制度でテロ等に対処できる体制は可能なことはいうまでもないことだ。

 (3)テロ等準備罪は対象犯罪が多いこともあって国会審議ではいちいち具体的事例への対処法が取り上げられて問題となって、やはり同法案の全体像をつかめるような法案提出ではなくて、国民の過半数(52%とそれでも極めて低いが)が審議を続けるべきだと判断するのも当然のことだろう。

 安倍首相、政府はいつものように決まり文句の(そうしておいて一度もそうしたことがない)国民に理解してもらう努力は今後も続けるというが、同法案を数の力で委員会を強行通過させておいて今後も国民の理解を得る努力を続けるとはまったく変な話で、本末転倒の無理強い、あべこべの論理矛盾でしかない。

 (4)国民の理解を得るていねいな国会審議の上での採決でならないのはいうまでもないことだ。確かにテロ防止対策法は国際テロの危険、被害を直接的に受けている他の先進国ではすでに必要なものとなっている。

 そういう国際政治的背景の中で日本でも論議は必要だろうが、それは2020年東京五輪開催に限った話ではなく同法案の利益、不利益を十分に比較検証して、検討して、論議して結論を求めるものだ。

 (5)安倍首相が心配するように2020年東京五輪の安全開催に同法案が必要なら、まずは時限立法にしておいて本論の共謀罪の構成要件の変更は時間をかけて論議すればいいことだ。

 国民の意向はまだまだ低いとはいえ過半数がテロ等準備罪の論議は続けるべきだと考えている。

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