いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

現代芸術の巨星不在。 we have not the big star in contemporary art

2015-03-22 15:21:05 | 日記
 (1)ビートルズ後が見えない音楽界に三島由紀夫後が見えない文学界と現代社会はカリスマ、スーパーミュージシャンがあらわれずに、文豪といわれる作家不在が続く。
 日本ではAKBとか嵐とか音楽グループ全盛を迎えているが印象に残る曲はなく、前面に出てくるのは所属事務所にプロデューサーでミュージシャンは完全な商品化(treat commodity)扱いだ。

 ミュージシャンの潜在能力、可能性が広がることなく事務所、プロデューサーの概念の中で踊らされているだけなので、カリスマもスーパーミュージシャンも出現しようもない二番煎じ争いのつまらなさだ。
 
 (2)世界的にもビートルズ後にモンキーズやベイシティローラーズなどつくられたアイドル系グループが二番煎じ争いをした同じ様な流れの時代もあったが、もちろん取って代われるものではなかった。

 クラシックの世界ではもっと顕著で、ベートーベンやモーツアルト、バッハのような巨星は今の時代には望みようもない。
 絵画芸術の世界でもモネ、ピカソ、ルソーの巨星を継ぐものは現代芸術(contemporary art)ではお目にかかれない。

 (3)文学界も村上春樹さんの作品は日本人作家の中でも世界各国で最も多く翻訳されて毎年ノーベル文学賞にノミネートされて注目は集めているが、世間はノーベル文学賞の今年こそはの思いが強く話題が先行しているように思える。

 三島由紀夫さんは70年に45才の若さで自決してノーベル文学賞には無縁であったが、世界的な名誉をひきつける引力重量感のある純文学観があって、これが文豪力というものだ。

 (4)現代社会も若い作家は数多く登場してくるが自意識過剰気味で芥川賞、直木賞にノミネートされるたびに、「もらう」と公言したり「とりにいく」感情があらわで、ようするに小者ということだ。

 当時の石原慎太郎選考委員の反対批判の中で芥川賞を受賞した田中慎弥さんは、反発してもらうのは自分しかいない、もらってやる発言で話題になったが、とても名誉をみずからにひきつける重量感は感じられるものではない。

 (5)スポーツの世界では科学的トレーニング、施設、思考法が充実して記録は大幅に短縮ないしは伸びている。短距離100メートル走は10秒を切るのが夢の時代から、今は余裕の9秒58が世界記録だ。
 男子マラソンでは2時間7分台が速いといわれた時代から今や2時間2分台で走り、1時間台突入も夢ではなくなっている。
 選手寿命も40代まで現役一線級で活躍する時代だ。

 (6)とびぬけた感性や情緒、想像、理論、知的財産は思考法やトレーニングではつくれない、持って生まれた普遍的なものが作用影響しているが、しかし人間は成長する可能性を内在しているという「いきもの」であることは間違いない。

 音楽を例にすれば、「5線譜」の中での世界観がはてしなく続いて、果たしてこれからどんな音、リズム、メロディの組合せが可能なのかあたらしい発想も及びもしない。

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