いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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走り切る。 finish running

2016-04-16 20:10:32 | 日記
 (1)女子マラソン五輪金メダリストの野口みずきさん(37)が現役引退を発表した。2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんの後を引き継いでその4年後の04年アテネ五輪で25キロ過ぎからのロングスパートで外国有力ランナーの追走を振り切っての堂々たる王者(champion)の走りの五輪優勝が強く印象に残っている。

 小柄な体ながら手を横に振るあまり理論に合致しているとは思われない独特のスタイルながら、飛ぶように走る姿はまるで孫悟空を思わせる偉駄天ぶりで五輪2大会連続での日本女子マラソン金メダル獲得の偉業を果たした強じんな精神力の強さも同時に示した。

 (2)当時まだ25才ですごいマラソンランナーが出てきたものだと思わせた。しかし、その後の野口みずきさんは多分に過酷なマラソン・トレーニングの影響からか、小柄な体への過負担からなのかケガに苦しめられて思うようなレースを走れなくなっていく。

 かって世界的名ランナー瀬古利彦さんを指導した中村清さんはある記者会見で、マラソンランナーの過酷な練習方法に対してそうしないで42.195キロを2時間7分台(当時の世界最高レベル)で走れるならやってみなさい、と話していたことが印象深い。

 (3)その瀬古利彦さんでも4年に一度の五輪レースには体調が整わずに恵まれなかった。野口みずきさんはケガに苦しめられながらまだ若かったこともあり、果敢にマラソンレースに挑んだがついぞ本来の強じんなマラソン身体能力を取り戻すこともなく37才を迎えていた。

 それでも野口みずきさんがマラソンレースを走るというだけで、その潜在能力(potentiality)への期待、活躍が楽しみな特別の存在感だった。

 (4)順調に来ていれば37才といってもまだマラソンレースで十分経験能力を発揮できる年令であっただけに、結果として最後のレースとなった名古屋マラソンは23位という平凡な結果に終わって、今回の引退発表となった。

 12年前の鮮烈なぶっちぎりレースでのアテネ五輪金メダルの強い夢をただ追っていた37才でもなかったのだろう。名古屋マラソンは23位で一見すがすがしい笑顔でのゴールであり、引退会見では「思う存分走り切れた」と話した。

 (5)1964年東京五輪男子マラソンで金メダルのアベベ・ビギラさんは裸足で走る哲学者といわれて、マラソンレースがただ42.195キロを走るだけのスポーツではないことをあらわしていた。

 マラソンは特に「走り切る」(finish running)ことが大事で、2時間ちょっとの時間をかけた人生レースでもある。「走り切る」ことが大事だった。

 (6)願わくば25才の若さで五輪金メダル優勝者となった野口みずきさんが、いかに過酷な練習方法が求められていたとはいえ、その影響と思われるケガでその後の12年間を栄光との落差に苦しめられながらも、いつも人なつっこい笑顔を見せて心の内にしまい続けたプライドに苦しめられることなどがない、くり返されることのない先端的トレーニング理論、方法、支援の確立が大事で必要だ。

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