(1)政治、政党の抱える問題、課題を指摘し、改革するのは国民の「仕事」だが、それでは国民の抱える問題、課題を指摘し、改革するのは誰か、どこか、政治、政党も自己に不利益が回ってくるからそんなことには目を閉じてやらずに国民に媚びを売るだけだから、つまりは国民自身が我が身を振り返り自覚するしかない。
(2)もちろんこれが一番やっかいでむずかしい「仕事」で、政治、政党が国民の利益になることをやるうちは利益を受ける人は満足だから国家、社会全体をみることはなく現状に甘んじることになる。
利益を受けられない国民は不満、不平を訴えるが、利益を受ける国民の前では共感を得られずに大きな声にはならない。
(3)つまりは政治改革で問題なのは政治、政党ではなく、「国民」をどう改革するのかが大きな問題だ。現在の日本の政治は国民の圧倒的な支持による09年民主党による本格的政権交代が革新的政策の財源保障もなく、保守、革新混在の党内抗争にあけくれて「決めれない政治」のまま3年半で自壊した国民の苦いトラウマからその後自民党一強時代が続いて、野党には国民支持は集まらない弱小野党の政治状況が続いている。
(4)もはや国民には野党には期待も希望もないから、政権がするがままの利益を享受するだけの小市民的国民意識(the petite bourgeoisie)でしかない。安倍元首相が銃撃されて亡くなって1年を迎えた。
安倍元首相の官邸主導による政治手法、その後の菅前首相、岸田現首相の国会軽視の独断専行政治に対してメディアでは民主主義を立て直す時だとして国民の声をていねいにすくいあげることこそ政治の果たすべき役割(社説)と主張している。
(5)しかし前述したようにその国民は野党には失望して、自民党の言うことしか聞かない小市民的国民意識だ。政治に責任を持つのは最後は誰か、どこかといえば、議院内閣制民主主義国家では議員を選ぶ「国民(有権者)」でしかない。
(6)その国民が自己利益しか見ずに自分の生活がよければそれでいいという小市民的国民意識では、政治が国民の声をすくい上げてもそれは大企業、富裕層優遇の政治であり、弱者の声が届かない分断社会の政治でしかない。
(7)国民を、社会全体の利益を重視して公平で公正、平等な社会正義、政治を実現するためのものとして改革することを真剣に考えなければ、民主主義は後退するだけだ。
政治は国民の程度のものしか持ち得ないという言葉を理解したい。