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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

感情を諭すこと。 to admonish the emotion

2021-09-09 20:12:21 | 日記
 (1)IR汚職事件で当時のIR担当の秋元副内閣相に懲役4年の厳しい実刑判決が出た。厳しいと書いたのは東京地裁裁判長の判決文で「収賄に限れば執行猶予の余地が残されていた。しかし保釈直後から贈賄側の買収という前代未聞の司法妨害に及び、その道も閉ざされた」(判決要旨)として、いわば裁判官が売られた喧嘩を買うという「中央官庁の要職にありながら~最低限の順法精神すら欠如している」(報道)と切り捨てた。

 (2)秋元被告本人が終始無罪を主張したが裁判ではことごとくはねのけられて、判決後は秋元被告は「頭にきた」(報道)と述べたといわれる。裁判長も秋元被告も公判としてはかなり感情的な、感情に走った論旨であり、主張といえる。

 近年は裁判長の感情論(emotionalism)が先行する事例がみられて、証拠が明白でない事案でも裁判長の推論による状況証拠の積み重ねで有罪に結びつける判決もみられて、ひとつの流れになっている。

 (3)暴力団の市民殺傷事件でも暴力団トップの指示があったかどうかで争われ、有力な証拠がないなかで暴力団トップの絶対的立場、影響力と部下の絶対服従の上意下達の組織論で初めて暴力団トップの死刑判決を言い渡した裁判があった。

 裁判は罪刑法定主義で日本の刑法は報復主義をとらずに、判決の公平、公正性の維持のために判例主義をとっているが、近年は裁判長の推論による状況証拠の積み重ねで有罪に結びつける判決が目につく。

 (4)やはり個人の自由、権利、利益を大きく制約する裁判、判決となれば、誰もが納得できる、する重要な証拠立証主義でなければならないが、裁判、司法が社会正義を守り、社会秩序を維持するためには証拠隠し、不明の逃げ得を許さない司法、裁判の少々前のめりの厳しい態度、姿勢が感じられる。

 (5)それにしても冒頭のIR汚職裁判では、裁判長は粛々と事案を法令に従って判断、判決すればいいところをあえて執行猶予の余地まであったと言及して、しかし贈賄側に自身の無罪につながる偽証の買収という司法妨害があったとして実刑判決にしたとあえて論じた。

 裁判官はどんな時でも冷静明晰に事案と向き合い法令にもとづき判断、判決すべきところを、被告の司法に向けられた挑発に対してお付き合いの挑戦するような裁判長のよけいな感情論が伝わってくるようだ。

 (6)IR招致決定に影響力の大きい担当副大臣として「中央官庁の要職にありながら」のIR汚職事件裁判で完全無罪を主張する秋元被告に対する司法断罪の感情の表れでもあるが、ここは「感情」を諭すこと(to admonish the emotion)が裁判官の役割でもある。

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