(1)大概何かあった時に「この人」にまかせたらいいという人がそれぞれの分野にはいる。音楽界(クラシック)でいえば小澤征爾さん、スポーツ界(野球)では王貞治さん、作家では思想的確信性の問題はあっても論理的に筋を通す責任感から、すでに故人ではあるが三島由紀夫さんかな、やはり、そして建築界ではこれも保守的な思考法に懸念はあっても幅広い社会、文化活動から安藤忠雄さんだ。
(2)その安藤忠雄さんが審査委員長を務めたJSC主催の国際デザインコンペによる新国立競技場(the new national athletic stadium)デザインが、イラク出身の女性建築家の「宇宙船のような(like a cosmic ship)」キール・アーチ(keel arch)の外観設計が選ばれて、当初プレゼン段階で建設見積もり額が1300億円だったものが東京五輪招致が決定したら3000億円に高騰して最終見積もり2520億円(五輪後の追加工事費は別)になって、周囲景観との不調和とともに他の五輪主会場(800億円程度)との比較でも余りの落差の大きさに社会問題化していた。
見積もり額もまるで「宇宙船のような」規模にふくれあがっていった。
(3)選考過程が情報公開請求による議事録であきらかになって、2次審査で3点の作品が委員票で同点となり安藤忠雄委員長が最終判断でキールアーチ作品を決定したとある。
この選考に文字どおりすべての責任を持った選考委員長の安藤忠雄さんが、新国立競技場建設計画の社会的批判の中ではじめて公の場で説明責任に臨んだ。
会見ではデザインコンペの選考責任はあるが、建設コストに関してはかかわっていないとして「アイディアがダイナミックで斬新だった。2520億円になり、もっと下がるところがないのか私も聞きたい」と説明した。
(4)説明を聞く限りでは、情報が系統立てて管理されずに手当たり次第に各プロジェクトとして決定したものから発表されて巨大プロジェクト総合計画として一体化した完成度の高さまでコントロールされていない実態があきらかになった。
都、国をあげての五輪巨大建設プロジェクトはデザイン、工期、建築法、予算が総合的に判断、スキーム管理(scheme control)されての完成度の高い系統性発表(発信)が必要だった。
(5)主管のJSC(日本スポーツ振興センター)の組織がどういうものなのかはよくわからないが、プレゼン前の当初の建設見積もり1300億円もすでに他の五輪主会場と比較しても相当高額のものであり、東京五輪のコンパクト開催の理念とは相容れないものだった。
建築家安藤忠雄さんとしてはデザイン選考の責任者であったわけだが、基本計画のスタート土台として予算との適合性、適正性についても助言、進言が期待されてもよかった。
(6)それだけの識見、能力、洞察がある「何かあった時に『この人』」でもあったはずだ。会見で組織論としてはその通りであったのだろうが、デザイン選考だけの責任を強調して最終2520億円に高騰した建設見積もりについて「私も聞きたい」と釈明したのは残念だった。
せめて新国立競技場建設計画の良識人格として一本大黒柱となって、善良な管理者として代表してほしかった思いが強い。
(7)新国立競技場建設計画は社会的批判を受ける中で、政府がようやく全面的(白紙)に見直すことを決定した。すでに現国立競技場は解体されており、計画の甘さ、一体性のなさは「宇宙船のような」破格のものだ。
(2)その安藤忠雄さんが審査委員長を務めたJSC主催の国際デザインコンペによる新国立競技場(the new national athletic stadium)デザインが、イラク出身の女性建築家の「宇宙船のような(like a cosmic ship)」キール・アーチ(keel arch)の外観設計が選ばれて、当初プレゼン段階で建設見積もり額が1300億円だったものが東京五輪招致が決定したら3000億円に高騰して最終見積もり2520億円(五輪後の追加工事費は別)になって、周囲景観との不調和とともに他の五輪主会場(800億円程度)との比較でも余りの落差の大きさに社会問題化していた。
見積もり額もまるで「宇宙船のような」規模にふくれあがっていった。
(3)選考過程が情報公開請求による議事録であきらかになって、2次審査で3点の作品が委員票で同点となり安藤忠雄委員長が最終判断でキールアーチ作品を決定したとある。
この選考に文字どおりすべての責任を持った選考委員長の安藤忠雄さんが、新国立競技場建設計画の社会的批判の中ではじめて公の場で説明責任に臨んだ。
会見ではデザインコンペの選考責任はあるが、建設コストに関してはかかわっていないとして「アイディアがダイナミックで斬新だった。2520億円になり、もっと下がるところがないのか私も聞きたい」と説明した。
(4)説明を聞く限りでは、情報が系統立てて管理されずに手当たり次第に各プロジェクトとして決定したものから発表されて巨大プロジェクト総合計画として一体化した完成度の高さまでコントロールされていない実態があきらかになった。
都、国をあげての五輪巨大建設プロジェクトはデザイン、工期、建築法、予算が総合的に判断、スキーム管理(scheme control)されての完成度の高い系統性発表(発信)が必要だった。
(5)主管のJSC(日本スポーツ振興センター)の組織がどういうものなのかはよくわからないが、プレゼン前の当初の建設見積もり1300億円もすでに他の五輪主会場と比較しても相当高額のものであり、東京五輪のコンパクト開催の理念とは相容れないものだった。
建築家安藤忠雄さんとしてはデザイン選考の責任者であったわけだが、基本計画のスタート土台として予算との適合性、適正性についても助言、進言が期待されてもよかった。
(6)それだけの識見、能力、洞察がある「何かあった時に『この人』」でもあったはずだ。会見で組織論としてはその通りであったのだろうが、デザイン選考だけの責任を強調して最終2520億円に高騰した建設見積もりについて「私も聞きたい」と釈明したのは残念だった。
せめて新国立競技場建設計画の良識人格として一本大黒柱となって、善良な管理者として代表してほしかった思いが強い。
(7)新国立競技場建設計画は社会的批判を受ける中で、政府がようやく全面的(白紙)に見直すことを決定した。すでに現国立競技場は解体されており、計画の甘さ、一体性のなさは「宇宙船のような」破格のものだ。