滋賀県長浜市の長浜城近くの湖岸から西方約
100m、水深1.8m付近の琵琶湖湖底で江戸時代の
祠の建物跡とみられる遺構が見つかった。
直径が20cm弱の建物の柱4本など柱材やこぶし
大の敷石などを含み、祠が存在したと見られる。
柱材の放射性炭素の年代測定では、江戸時代
後期の1801年〜1818年とされたことなどから、
1819(文政2)年に湖東地域を震源とした発生した
近江地震(M7・2前後)による地滑りで湖底に沈み
込んだものと推定されている。
長浜市の琵琶湖岸沖には広大な住居跡も湖底
遺跡として確認されている。
下坂浜千軒遺跡(長浜市平方町沖)で、天正地震
(1586年)に発生したM7.2前後の地震より発生した
大規模な液状化により集落が水没したもの。
この他に、京都と近江地方に大被害を出した
花折断層を震源とする寛文地震(1662年)で水没
した三ツ矢千軒遺跡(滋賀県高島町永田)や文政
地震による地滑りで水没した尚江千軒遺跡(滋賀県
米原市朝妻筑摩沖)などが知られている。
「備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。
健康と安心のメタボへの備えは?
W.ヒューストン DVD
マイケル DVD
Javari.jp レディース