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大黒さん

つれづれに、道行く人のながれを眺めている土塀のうえの大黒さん

紀元前12世紀の箕子朝鮮は中国人の国

2025年03月15日 | Weblog

備えよ常に! 備えあれば憂いなし



        




中国では、紀元前1600年頃に、河南省に殷が

建国され、最初は転々としたが1400年頃には

現在の安陽市に紀元前1046年まで首都を置いた。

文献によれば、天乙(湯)が夏を滅ぼして建立

したとされ、考古学的に実在が確認されている

中国最古の王朝である。

この時代の、紀元前12世紀に朝鮮半島では

朝鮮の古代国家の箕子朝鮮(前12世紀~- 紀元前

194年)が、中国の殷に出自を持つ箕子によって

建国され、首都は王険城(現在の平壌)に置かれた。

中国の[史記]や[漢書]ひょれば、箕子は殷王朝の

王族で、殷の滅亡後に殷の遺民を率いて朝鮮に

亡命して箕子朝鮮を建国したと記されている。

箕子は中国の文化や技術を朝鮮に持ち込み、

善政を敷き、1000年間ほどにわたり、朝鮮

半島を統治し、栄えたとされる。

朝鮮半島西北部を中心に、紀元前11世紀頃の

ものと思われる中国様式の出土物が多くみら

れることから、この時代に中国からの大規模な

移民があったことを示しているとされている。

このことから、箕子朝鮮は、朝鮮族による

国ではなく、中国人の国であったことは明白。

韓国や北朝鮮は、近年一転して、箕子朝鮮を

中国側の[作り話]として否定。

朝鮮民族の民族意識を高揚させる観点から、

箕子朝鮮が中国人起源の国で在ることは都合が

悪い存在になったためだ。

このことが要因なのか、代わって前2,333年に

起源を持つ檀君朝鮮が正式な朝鮮の起源で

あると主張している。

神話の世界である檀君朝鮮を、学校の教科書

では、壇君が最初に[朝鮮]の呼称を用いた

国であり、壇君以来の古朝鮮の伝統を受け継ぎ、

民族の誇りとしなければならないとしている。

備えよ常に! 備えあれば憂いなし

健康と安心のメタボへの備えは?


*2025.2.28. 投稿済み*

*衛氏朝鮮(前190~前108年)も中国人の国


箕子朝鮮の実在は、物的証拠が不十分だと

する理由で未だ確定されていないが、次の古代

朝鮮の国、衛氏朝鮮の実在は確定されている。

そのため、現在の韓国は中国人起源の箕子朝鮮を

否定したとしても、同じく中国人起源の衛氏

朝鮮を否定できず、中国人が古朝鮮を支配して

いたという実態を、覆い隠すことは出来ない。

古代中国の戦国時代は、 戦国の七雄の韓・魏・

趙・秦・楚・斉・燕 が割拠し、互いに覇権を争った。

燕は、現在の北京を中心とする中国東北部の

地域を支配し、劉邦の前漢王朝の成立に伴い、

前漢勢力と対立していた燕の人々を、燕の

武将の衛満が燕の人々を率いて朝鮮に亡命し、

衛氏朝鮮を建国した。

衛満の軍隊は鉄製の武器で武装し、優れた

機能と統制を兼ね備えていたので、朝鮮人は

ほとんど抵抗できず、高度な文明を擁していた

中国人に、朝鮮人は屈服せざるを得なかった。

これは、中国に記録が残る明確な史実であるが、

それでも韓国は、衛満が朝鮮人であり、衛満は

中国の燕に滞在し、朝鮮に帰って来て衛氏朝鮮を

建国したとこじつけて説明し、1990年代まで

学校の教科書に書かれて、教えられていた。

竹島が、古来からの韓国領の島であると

教えていることと共通する。

この衛氏朝鮮も前108年、中国の前漢の武帝に

よって滅ぼされ、朝鮮半島を四分して漢四郡を

設置し、中国の一部に組み込み支配される。

これが中国王朝の朝鮮半島支配の始まりとなる。



918年に統一新羅を倒して高麗が誕生 

2025年03月14日 | Weblog

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四世紀前半に、半島南部の辰韓十二国を統一し、

更に、唐と連合して西の百済を660年に滅ぼし、

668年には高句麗も滅亡させて、朝鮮半島と

制覇した統一新羅。

だが、9世紀に入ると各地で農民による反乱が

頻発し、統治が乱れて衰退。

混乱の続く新羅の北部で、新羅から自立した

弓裔の部下であった王建が、918年に高句麗の

再興という意識から高麗という国号を立て、

開城を都とした。

新羅は、880年代には国としての統制が乱れに

乱れ、土地の給付に基づく均田制も乱れた。

更に、凶作が続いたために国内は混迷し、

各地で豪族たちの反乱が起きるようになった。

出自が明確でないが王子の子であったが逆境の

身であった弓裔(きゅうえい)は、家を出て挙兵。

893年頃から、支配地域を拡大させて901年には、

松嶽(現在の開城)を拠点に自らを王を称して

後高句麗を建国した。

この時代には、新羅は都の慶州周辺地域を

支配していたが、半島西南部を支配した甄萱の

後百済と3勢力が鼎立する後三国時代となった。

後高句麗は、独自の年号や官制を定めるなどで

新羅や後百済に対して優勢な勢力を保持。

だが、弓裔は自らを弥勒菩薩だと自称する

などをして次第に暴君化。

918年に、弓裔が信頼を置く部下の王建が、

中国の儒教思想に基づく、弓裔は天命を受けた

君主にふさわしくないとする易姓革命により

王位を剥奪、追放。

919年、王建は高句麗の後継者を自称して

国号を高麗と定めて都を現在の開城に置いた。

936年には、朝鮮半島の後三国の統一を成し遂げ、

1287年から1356年まで元に併合されていた

時期があるが、1392年の李氏朝鮮建国まで

比較的安定して続いた半島の統一国家であった。

高句麗と共に高麗は、朝鮮人による国であると

主張するのに対し、中国は高麗は名前は似て

いても、高句麗は中国人の高朱蒙が建てた国で、

王建が建てた高麗は名前が似ているだけで、

互いに継承関係のない別の国の歴史であると

ここでも中国と韓国とで対立が続く。

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高句麗もまた中国の歴史の一部の国だった

2025年03月13日 | Weblog

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高句麗もまた中国の歴史の一部の国だった

される現在の北朝鮮咸鏡道の咸興付近に置いた。

この玄菟郡の北、国境を接し満州国にかけて

[濊(ワイ)]と[貊(ハク)]と呼ばれるツングース系の

集団の世界が広がっている。

現在の延辺朝鮮族自治州が存在する地域だ。

紀元前37年、朱蒙がここに高句麗を建国し、

東明王と名乗り初代国王についた。

遼寧省本渓市桓仁にある五女山の山上に高句麗の

第一王城である紇升骨城を築いた。

紀元前 37 年から西暦3年まで首都であった。

189年に、遼東太守に任命された公孫度は、

後漢より半独立した政権を樹立し高句麗を圧迫。

このため、209年に鴨緑江北岸の山中に丸都城

を築造し、更に342年に、丸都城の南の吉林省

集安市に、平城の国内城を築造し、丸都城と

合わせて高句麗の都城とした。


313年に、楽浪郡、帯方郡を攻略し消滅させる。

427年に平壌へ遷都した。


韓国では広開土王または広開土大王と呼ばれる

好太王(374年 - 412年)の時代には、南の百済や

新羅、更に加勢する倭の軍勢を追い詰め、

また満州から遼東半島にまで領土を広げ、

5世紀には最盛期を迎えた。

この時の領土の3分の2は中国国内であった。

668年、唐・新羅連合軍により滅ぼされた。

高句麗を建国した朱蒙は、ツングース系の

満州人であり、建国は中国領内であった。

中国は、高句麗もまた、民族の系譜で見れば

中国の歴史の一部だと主張。

歴史学者は、高句麗は中国の国であったと

捉えているのが一般的で、日本の教科書の

百済と同様の朝鮮史の一部ではないとする。

百済王族の始祖だけがツングース系満州人であり、

韓民族との混血、同化が進んでいるので、


同一視は出来ないとの指摘がある。
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古代朝鮮 660年百済滅亡 668年新羅が統一

2025年03月12日 | Weblog

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紀元前195年ごろ、  燕の国からやっていた

衛満が箕子朝鮮を滅ぼして、王険城(平壌)を

首都とする衛氏朝鮮を建国。

朝鮮半島での最初の王朝となったが、紀元前

108年に漢の武帝により滅ぼされ占領された。

紀元前108年、武帝は朝鮮半島に楽浪郡を始めと

する漢4郡を設置し、朝鮮半島を4分して、

直接、或いはのちには間接統治をした。

3世紀には、朝鮮半島南部に馬韓、弁韓、

辰韓という小さな国の連合体があり、四世紀に

なると、北方の高句麗が徐々に南に勢力を拡大し

始め、これらの小国は影響されるかたちで、

馬韓から百済、辰韓から新羅、弁韓から

加耶諸国が生まれた。

4世紀になると、日本ではヤマト政権が全国を

統一し、朝鮮半島に鉄を求めて進出。

朝鮮南部の加耶諸国と密接な関係を結び、

鉄資源を入手すると共に、百済や新羅などとも

交易を進め、中国からの文化を吸収した。

特にヤマト政権は、百済と外交関係を結び、

4世紀から5世紀前半にかけて朝鮮半島に出兵し、

南下する高句麗と戦っている。

538年には、百済を通じて日本に仏教が伝来。

562年には新羅が加耶を吸収したため、日本は、

朝鮮半島における足場を失う。

660年、唐と新羅の連合軍によって、百済は

滅亡し、多くの遺民や人々が日本に渡来。

663年、日本は百済の復興を目指す王族などと

共に、天智天皇は朝鮮半島に出兵。

だが、白村江で唐・新羅連合軍に大敗した。

668年、唐・新羅の連合軍が、高句麗を攻め

滅ぼしたのち、新羅は唐の勢力を排除して、

朝鮮半島に朝鮮人による統一王朝を打ち立てた。

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中国 漢四郡を設置し朝鮮半島を組込み支配。

2025年03月11日 | Weblog

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武帝は征服した朝鮮半島をの地を4つに分け、

楽浪郡・玄菟郡・真番郡・臨屯郡を設置して、

中国の一部として組込み、中国王朝による

朝鮮半島支配が始まる。

中国王朝は、313年までおよそ400年にわたり、

朝鮮半島中部・北部を郡県により直接支配。

その後に、朝鮮半島南部を中心にで台頭した

古代朝鮮の3国、百済(前18?-660)、高句麗

(前47?-668)、新羅(前57?-935)を間接支配した。

漢四郡のうち、真番郡と臨屯郡は早く廃され、

玄菟郡は朝鮮半島から西に移った。

204年には朝鮮半島に新たに帯方郡が置かれた。

楽浪郡と帯方郡は313年まで存続した。

楽浪郡は、現在の平壌に、帯方郡は大同江の

南に置かれ、韓国古代3国と、日本の倭の

中国への窓口の役割を果たした。

前漢、北方の強大な異民族、匈奴と戦っていた。

倭などにとっては、楽浪郡と帯方郡は重要な

存在意義を持っていたが、中国にとっては、

人口も少なく、貧弱な生産力しか備えていない、

乏しい南の国々であり、重要な存在とする

意識はなかったとされる。

設置された四郡は、それらが統治機能という

よりはむしろ、偵察機能を持たせた、辺境の

情勢収集機関という存在であったとの指摘も。

後の中国の王朝は、朝鮮を隷属させて徹底的に

搾取しますが、前漢時代の朝鮮半島は原始的で

遅れた地域であり、得るものが無かったのだ。

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トヨタ [世界同一品質]を転換してBYDに対向

2025年03月09日 | Weblog

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故障したらお終い、動かなくなったら廃車の

運命が待ち受けるEV。

中国国内で、もう一台付いてきます、式の

乱売合戦が続くEV車は、安価な家電並みの

商品に成り下がっている。

バッテリー機能が命のEVを修理しようにも

修理技能を備えた工場の受入れ体制も整わず、

特殊技術を持つ修理工も絶対的に不足する

にも拘らず、EVが続々と溢れ出てくる中國

国内では、EVも使い捨ての家電並みの扱いだ。

商品更新サイクルを3年とか5年に絞って、

商品開発する範疇にはいっているEV。

トヨタは、中国市場でも[世界同一品質]の

基本方針の下で、せいぞうを続けて来た。

だが、市場が大きく二極化して来ている

中国市場では、大衆車をターゲットにする

場合は、BYDの経営コンセプトに対抗するには

同じ土俵での生産態勢が欠かせなくなった。

そこで、世界同一品質は中国国内では蓋をして

EV大衆車製造では方針を180度転換。

バッテリー性能も中国製並みにして、部品は

トヨタ系列以外からの購入でコストダウン。

3月に300万円のEV大衆車の販売を開始する。

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中國 BYD破竹の成長 24年販売41%アップ

2025年03月08日 | Weblog

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中国自動車大手、比亜迪(BYD)が発表した

2024年の世界での新車販売が前年比41%増の

427万2145台だった。

この内、バッテリーEVの年間販売台数は

176万台と世界トップのテスラの年間販売

台数の179万台に僅か3万台差と肉薄。

12月には、プラグインハイブリッド車と完全

EV車だけで50万9440台販売の月間新記録。

BYDの年間販売台数は、2020年までは50万台

未満だったのが、2021年は73万台、2022年は

187万台、2023年は302万台と急速な伸びを

示し、2024年には427万台と400万台を突破。

僅か3年間で、5・8倍を超える驚異的な成長。

この成長を支えているのが、プラグインハイ

ブリッド車(PHEV)の増産で、その要因として

専門家は、次のような優位性を指摘。

*高い性能を持つ電池を自社で開発・生産。

*電池の寿命と性能に合わせた品質の部品調達。

*垂直統合の一貫生産体制による原価管理

*生産の大規模化によるコストダウン。

*潤沢な政府からの補助金。

更に、政府のEV生産重視政策による支援などが

相まって、過剰生産を厭わず、採算は別の懐と

ばかり生産を集中させている結果だ。

最近公表された営業利益率は、レッドラインと

される5%を割り込み4・9%と経営は厳しいが

これを政府の補助金が支えているのだ。

BYDが24年5月の発表したPHV新車の価格は

9万9800元(約220万円)からと驚愕の価格で

世界の注目を集めたが、トヨタがこれに

本格的に対抗すべく中国国内でEV生産開始。

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BYD[天神之眼]システム搭載で制覇を狙う

2025年03月07日 | Weblog

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中国の大手電気自動車(EV)メーカーの

比亜迪(BYD)は2月10日に、インテリジェント

ドライビング戦略を発表し、今後すべての

モデルに高度運転支援システム[天神之眼]を

搭載すると発表した。

[天神之眼]には、A、B、Cの3つのバージョンを

設ける。

レーザー光を利用して、対象物の距離や形状を

計測する装置を備え、周囲の環境を3次元で

把握し、安全な運転を支援する。

LiDARと呼ぶこの技術をを利用したシステムが

[天神之眼]で、車種により[天神之眼A、B]を搭載。

[天神之眼C]は、LiDARを用いず、3つのカメラを

利用し、低価格帯の車種を含む7万~20万元

(約147万~420万円)のBYDブランドの車両に搭載。

これまで、コストとの関係から20万元以下の車に

搭載することが難しかった高度運転支援

システムを低価格帯の車種にも搭載し、道路

状況のリアルタイムの把握や潜在的危険性の回避、

運転疲労を低減し、運転の安全性を向上させる。

BYDは、自社開発のソフトウェアアーキ

テクチャに加えて、採用されるセンサーは、

5つのミリ波レーダー

12個の高精度カメラ

12個の超音波レーダー

LiDAR(レーザーレーダー):一部モデルに搭載

これらのセンサーから得られる膨大なデータを、

話題になったDeepSeekなどの先進AI技術と

統合し、車両周囲360度をリアルタイムで

高精度に把握する。

BYDは、自社内に蓄えてきたこと電子制御や

ソフトウェア設計のノウハウを生かして、

低価格帯の車種を含めて、BYD車として

業界制覇に一気に動き出した。

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中国 出生数の急減は国家の関与の結果

2025年03月05日 | Weblog

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中国では、出生率が2017年以降急減しており

24年には婚姻組数が610万組と前年から

一気に2割も減少した。

こうした現況に、国内の人口学者や経済学者

などがお国が危ないとばかり、国の政策に

対して異論を唱えたり、提言をしたりと忙しい。

国内の著名な人口・経済学者らが、は25年1月

[中国人口形勢報告2024]を発表した。

この中で[このまま有効な施策を講じなければ、

中国の人口は2050年に11億7222万人に、

2100年には4億7900万人にまで減少、世界の

人口に占める中国の割合は現在の17%から

4.8%に縮小、国際的な影響力は大幅に減少

する]との危機感を表明。

更に、[子どもを産み、育てる権利を、国家の

計画から家庭の自主的決定に取り戻すべきだ。

子どもを産むか産まないか、何人産むかの

選択権は家庭に戻し、個人の決定に委ね

なければならない]と述べている。

出産・子育ての領域からの[国家の関与]を

排除すべきだと訴えた。

中国には、[計画生育]という中国の国策があり、

改革開放政策が始まった直後の1982年9月に

[計画生育]は基本国策と定められ、12月に

憲法に書き込まれた。

[一人っ子政策]や[3人っ子政策]による出産

奨励政策も、国家の[計画生育]という国策の

枠内のことである。

従って、個人や家庭にとって極めて重大な

出産・子育てが政府の方針によって左右されて

しまうという構造には変わりはないと指摘。

こうした、人間の基本的権利である出産や

子育てを政治の都合で左右しようとする姿勢に

対する不信感が、婚姻数や出生率の低下の

原因になっていると学者たちの指摘なのだ。

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中国の出生数が7年ぶりに回復の一方では

2025年03月04日 | Weblog

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中国で、新生児誕生は2017年の1723万人から

年々急落、2023年には902万人にまで減少。

一人の女性が生涯に、何人の子供を産むかを

示す合計特殊出生率は、2022年に1・09に減少

した後、23年は発表を取りやめてしまった。

推計では、1・0位まで落ち込んだのではとされた。

中国国家統計局が1月に発表したデータでは、

2024年末時点の中国の総人口は14億828万人で、

前年末から139万人減少。

また、24年通年の出生数は954万人で、23年より

52万人増加し、17年以来初めて上昇に転じた。

出生率は6.77‰と発表された。

ひと先ずはやれやれだったが、民政省が

2月中旬ごろに発表した2024年の結婚届け出

件数は610万組と前年比2割も減少していた。

新生活のための住宅価格の高止まりや学費、

医療費などの経済的負担の大きさが影響して

結婚による負担の大きさで敬遠されたとする。

610万組は、国家統計局がデータを公開し

始めた1985年以降で最少の結婚数となった。

中国の統計では、婚姻数が翌年の出生数と

極めて高い相関関係があるため、24年の

婚姻数2割減は、25年出生数に確実に影響し、

予測では出生者数は2割減となるだろうとする。

となれば、合計特殊出生率の1・0割れは確実に。

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韓国 依然として大きく改善されない出生率

2025年03月03日 | Weblog

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韓国は、2024年の合計特殊出生率が、0・75と

23年よりも0.03ポイントの増加したと発表。

とは言え、経済協力開発機構(OECD)加盟国で

唯一1・0を下回る世界最低の水準である。

今国政府は、少子化対策として2006年から

24年までに投入した予算額はおよそ41兆円にも

達するが、目立った効果は得られなかった。

韓国の出生率が低い理由として、様々な要因が

挙げられているが、その一つが激しい進学競争。

有名大学に入学させるための高額な教育費や

高い住宅費、特に大きな要因として指摘される

短大を含めた女性の進学率は、最近では95%

にも達しており、ほとんどの女性は高等教育を

受けている才女だ。

母親世代と娘世代で、高等教育を受けた人の

割合に60ポイントもの開きがある。

儒教の厳しい因習に縛られて、自由な教育を

受けられなかった母親は、子供には高い

レベルの教育を受けさせて、自分のような

惨めな経験をさせたくはないと考える。

いまだ、儒教の因習が根強く残る現代社会に

在って、この世代間の価値観の衝突が出生率の

著しい低下を引き起こしていると指摘。

男性の方が家事をよくする国では出生率が高く、

逆に家事をあまりしない国では出生率が低いと

する指摘がある。

男性が家事をすることが少ない韓国・ギリシャ・

イタリア・日本・ポルトガル・スペインなどでは

出生率が1・3%前後かそれ以下に下がっている。

これに対して、男性が積極的に家事に関わる

米国・デンマーク・フランス・ドイツ・スウェー

デン・英国など出生率が1・6%前後かそれ以上だ。

韓国で不幸なことは、未だ男性優位の意識が

強く、上下関係、年功序列の旧態依然の

習慣が根強く残る社会では、[女性は家に

居るべきだ]との考え方が強いことだ。

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衛氏朝鮮(前190~前108年)も中国人の国

2025年02月28日 | Weblog

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箕子朝鮮の実在は、物的証拠が不十分だと

する理由で未だ確定されていないが、次の古代

朝鮮の国、衛氏朝鮮の実在は確定されている。

そのため、現在の韓国は中国人起源の箕子朝鮮を

否定したとしても、同じく中国人起源の衛氏

朝鮮を否定できず、中国人が古朝鮮を支配して

いたという実態を、覆い隠すことは出来ない。

古代中国の戦国時代は、 戦国の七雄の韓・魏・

趙・秦・楚・斉・燕 が割拠し、互いに覇権を争った。

燕は、現在の北京を中心とする中国東北部の

地域を支配し、劉邦の前漢王朝の成立に伴い、

前漢勢力と対立していた燕の人々を、燕の

武将の衛満が燕の人々を率いて朝鮮に亡命し、

衛氏朝鮮を建国した。

衛満の軍隊は鉄製の武器で武装し、優れた

機能と統制を兼ね備えていたので、朝鮮人は

ほとんど抵抗できず、高度な文明を擁していた

中国人に、朝鮮人は屈服せざるを得なかった。

これは、中国に記録が残る明確な史実であるが、

それでも韓国は、衛満が朝鮮人であり、衛満は

中国の燕に滞在し、朝鮮に帰って来て衛氏朝鮮を

建国したとこじつけて説明し、1990年代まで

学校の教科書に書かれて、教えられていた。

竹島が、古来からの韓国領の島であると

教えていることと共通する。

この衛氏朝鮮も前108年、中国の前漢の武帝に

よって滅ぼされ、朝鮮半島を四分して漢四郡を

設置し、中国の一部に組み込み支配される。

これが中国王朝の朝鮮半島支配の始まりとなる。

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韓国の建国は日本より遥かに古い前2333年

2025年02月27日 | Weblog

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2025年2月11日は、日本の建国記念日、初代

天皇である神武天皇、神日本磐余彦(かんやまと

いわれひこ)が即位した日の紀元前660年2月

11日から 本年は2,685年目。

日本政府は1872年(明治5年)、神話に基づき

日本建国の年を西暦紀元前660年に当たると

定め、これを「皇紀元年」とした。

韓国など、朝鮮民族の人々は神話上の檀君

王倹が檀君朝鮮を開いた紀元前2333年を

元年とする檀君紀元(檀紀)を定め、1961年まで

公的に西暦と併用し、一部では現在も使用。

だが、檀君王倹が存在したかについては、

中国の史書にも全く記載がなく、檀君朝鮮が

存在した根拠は全く見当たらない。

神話の世界の説話であり、全く歴史事実とは

みなされていない。

檀君は、13世紀の[三国遺事]に初めて登場し

天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと

されている。

三国遺事では、天帝桓因の庶子で、人間を

広め増やそうとして、桓因から天符印を授かり、

3千人を率いて今の妙香山(太白山)に降臨した。

桓雄を[桓雄天王]と呼び、穀物・命・病気・

刑罰・善悪など人間の360余りの事を司り、

世を治めた。

熊と虎が人間になりたいと訴え、人間になった

熊女との間に檀君を生んだ、としている。

歴史学者は、典型的な北方系の王権起源神話で

あり、元来は高句麗を経由して入ってきた

夫餘系の神話で、日本の天孫降臨神話とも

同類型であると説明。

韓国の歴史学者は、[檀君神話は創作する過程に

おいて日本神話を借用しており、一面では

対決した点とともに、多面では模倣した点が

みられると指摘している。

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韓国 大学で弾劾反対運動広がり対立激化

2025年02月25日 | Weblog

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24年12月3日の尹錫悦大統の唐突な非常戒厳を

宣布に端を発した左派勢力主導の大統領弾劾

活動に対し、世論の7割以上が支持している

ことが明らかにされ、一気に大統領逮捕へと

進み、左派勢力の完勝だと見えた。

だが、最近になって、弾劾運動の先頭に

立っていたはずの大学の中から、弾劾に

反対する活動が起り活発化しているという。

左派勢力が中心となる最大野党の[共に

民主党]は、こうした動きに対して、若者を

孤立させようとする動きを強めているとされ、

若者との対立が過激化し始めたと伝えられる。

尹錫悦が、保身のために北朝鮮支持勢力の

排除を目的とした非常戒厳宣布を手段として

持ち出したとのことが明らかにされている。

世論の混乱もそうした解釈で収拾されたかに

見えて、進行中の憲法裁判所の判断に関心が

移っていると見られていた。

大統領弾劾反対の声を上げている学生たちは、

大統領は非常戒厳宣布により北朝鮮の脅威や

[反国家勢力]から韓国を守り、自由な憲法

秩序を守るためだと説明し、尹錫悦が非常戒

厳宣布の理由として述べていた内容に沿う

説明をしている。

また、[大統領は自由民主主義に傷を付けた

のではなく、すでに崩壊していたこの国を

守るために非常戒厳を宣布した]とする。

共に民主党と支持勢力は。若者の弾劾反対に

対し[極右・内乱勢力]だとして、韓国内では

普遍的に行われるデモ活動も許さないのは、

民主主義と法治主義を否定する対応だとの

批判が中高年層にも広がっている。

数で国会を牛耳っている共に民主党が執る

非支持勢力に対する譲歩や妥協を許さない

自己中心的な方針への反発が強まって来た。

李朝朝鮮時代から根強く残る自己中心的な

考え方が今も韓国政治を左右している。

憲法裁判所の判決後に行われる大統領選挙の

行方にも、大きな影響を与える動きである。

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日本の建国 国の誕生から卑弥呼の時代へ

2025年02月21日 | Weblog

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日本の誕生の歴史は[古事記]と[日本書紀]で

語られ、日本人には広く親しまれている。

始まりの神代の世界では、天之御中主神

(アメノミナカヌシ)が古事記に最初に登場。

その後に、200~300柱にも達する神々が

登場する神代が続き、イザナキ神とイザナミ

神が国造りをし、八つの島からなる大八島国、

日本の国が誕生する。

父のイザナギ(伊邪那岐神、伊邪那岐命、

伊弉諾尊)と母のイザナミ(伊弉冉尊、伊弉

弥尊)は3人の子供をもうけ、長子が天照大御神

(アマテラスオオミカミ)。

天照大御神の五世孫として、初代天皇である

神武天皇が登場する。

神武天皇は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(うがや

ふきあわせずのみこと)の四男として前711年

(庚午年)1月1日に、海神の娘の玉依姫を母として

日向国で生まれた。

45歳の時に、兄や子を集めて東征を開始。

日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、

河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え

東征開始から7年目に中洲(大和国)を征服し、

畝傍山の東南橿原の地に都を開いた。

そして事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴

媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、

翌年に即位して初代天皇となる。

神武天皇は前585年に126歳亡くなったとされる。

その後の2代目の天皇の綏靖天皇から9代開化天皇

まで8代は、研究者により具体的な史実記載が

乏しく、その多くが後世の創作によるものと

見られ、実在した可能性は学術的にはほぼないと

して欠史八代とされている。

10代天皇に、実在した可能性のある最初の

天皇である崇神天皇が登場する。

考古学上実在したとすれば治世時期は、卑弥呼の

死後で、3世紀後半から4世紀前半と推定される。

卑弥呼は、魏志倭人伝に記載されている北部

九州に存在した伊都国など倭国の女王で、

249年ごろに南の狗奴国に滅ぼされて死亡。

崇神天皇は、この後の混乱を治めて、奈良県の

巻向の地を本拠地として治世。

宮は、磯城瑞籬宮と呼ばれ桜井市の三輪山山麓の

金屋にあり、陵は天理市柳本町にある墳丘長

242mの前方後円墳[行燈山古墳]。

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