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旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

朝日新聞書評

2006-02-05 11:58:08 | 著書・講演会
■朝日新聞書評

チベット語になった『坊っちゃん』 [著]中村吉広
[掲載]2006年02月05日
[評者]多賀幹子

 著者はチベット仏教の研究を進めるうちに、中国・青海省のチャプチャにある青海民族師範高等専科学校に留学しチベット語を学んだ。やがて、逆にチベットの学生に日本語を教えることになる。

 日本から学校に寄贈されていた書籍の中より、夏目漱石の『坊っちゃん』を選んで翻訳させた。チベット語文法と日本語文法の共通点を利用した著者の教授法は、チベット語教育を高めることに通じると、漢族への同化を進める中国共産党サイドから警戒される。しかし著者は「チベット語が秘める可能性を広げ、生徒の能力を伸ばしたい」と孤軍奮闘を続けたのだった。

 漱石が日本語に埋め込んだウイットに、学生は翻訳の最中に大笑いし即興芝居まで演じる。生き生きとした授業の様子は、まるで奇跡を見るようで感動を呼ぶ。情熱にあふれた講師の姿勢と、それを見事に受け止めた生徒たちは、共に称賛に値するのではないか。

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関野吉晴さんの報告を拝聴しました

2005-03-26 15:49:23 | 著書・講演会

■関野吉晴さんの「グレート・ジャーニー」の続編!と言うので、大勢のファンが詰め掛けました。
1993年から2000年まで、人類の大いなる旅路を逆に辿るという空前絶後の人力旅行を敢行した関野さんは、語り口は温厚で、その視点は優しさに満ちています。様々なメディアで取り上げられたこの大旅行(グレート・ジャーニー)も、元はと言えば仲良くなった南米大陸の原住民の顔を見ているうちに、「この人達は、人類の中で最も遠くまで旅した人の子孫なんだなあ」と思ったのが発端だったそうです。それが、彼らの御先祖様が歩いた道を逆に辿って「故郷」を見てみたいという企画になって、10万年に亘る人類最大の旅を追体験する事になってしまったようです。
 私事ながら、かつてイスラエルのキブツで仲良くなった老人達が「捨てた」故郷を、一人勝手に訪ねたことが有りました。そこはチェコの片田舎で、何の変哲も無い地方都市でしたが、再訪した折に平凡な風景写真を土産に差し出すと、珍しくも無い「石造りの橋」が、思い出が限り無く湧き出す世界にたった一つの「貴重な橋」になり、貧弱な花壇に疎(まば)らに咲いている薔薇の花の写真が、「最上の花園」になってしまう経験をした事があります。古ぼけた路面電車、公園のベンチ、面白くも可笑しくもない写真が、何よりも土産になったのでした。故郷とはそういうものです。

■医師でもある関野さんは、遺伝学調査の結果を踏まえながら、人類学や考古学等の「日本人のルーツ」に関する諸説を比較検討して下さって、「日本人はあちこちから集まった」事実をさり気なく示しました。御自身のグレート・ジャーニーのコースから枝分かれする形で、我ら日本人の御先祖様の旅路を三方向から追体験しようと、手始めにシベリアを貫通する北方ルートを旅して来た体験を発表しました。詳しい内容は、『地平線会議』の公式サイトにレポートが掲載されるので、ここでは当ブログと関連の有るポイントを並べてみます。
北から渡って来た御先祖様、朝鮮半島から渡って来た御先祖様、南の島伝いに渡って来た御先祖様、これが主要な三つの経路です。
 三万年前に、最初の御先祖様がこの「オノコロ島」(『古事記』より)に辿り着いたようですが、その理由は「好奇心」や「冒険心」よりも、止むに止まれぬ事情が有って、一大決心をして家族を連れて渡って来たのではないか?という世界の少数民族と深い交流を重ねて来た関野さんの指摘は印象的でした。
 山田洋二監督が作った『家族』や『故郷』に描かれた家族の移住物語に通じる無数の人間ドラマが、三万年前から日本列島を舞台として続いているのです。
 長い氷河期には世界中の海の水位は下がって、ほとんどの海峡は陸地になっていました。モーゼが紅海を割る『旧約聖書』を思い出します。北海道までシベリアのマンモスはとことこ歩いて来ましたから、それを追いかけてグルメな御先祖様がやって来たのかも知れませんが、関野さんは、御自身の体験から「トナカイ」の方が、ずっと重要な意味を持つ、と断言しておりました。これには同感します。長野県の野尻湖周辺からも巨大な角を持った鹿の化石が大量に出土しますし、何よりも「鹿」を日本語で「シシ」と読んでいたり、長らく「肉」を「シシ」と読んでいた習慣が気になります。今でも日本語に通じている人は痩せていない様子を「太りジシ」と言います。

■馬を家畜化したことで、恐るべき機動力と攻撃力を手に入れた人類は、幾つも古代王国や帝国を造りましたが、北方ではトナカイを家畜化することで文化が発達したようです。但し、食料と交易品としてトナカイを飼う場合には、数千頭規模の群れでないと生活は安定しない事を、関野さんは教えて下さいました。それが許される広大な土地が有るのは、シベリアの西北端と東北端だけだそうです。その間の広大な地域では、財産と移動手段として数十頭のトナカイを飼いながら、野生動物の狩猟を主な生業として暮らしているとの事で、大河の流域では漁労が中心となるそうです。その現場となっているロシアのサハ地方に行った記録が発表されましたが、スライドで紹介されたオーロラの美しさに場内はドヨメキました。
 面白いのは、アイヌの人々も含まれるシベリアの東端で、アシカやラッコなど、多くの海獣がいるので、たっぷりと肉と毛皮が得られるのでトナカイは飼わなくても良いとの指摘でした。この件は、当ブログの『板橋と云えばアイヌ』を御覧下さい。

■「膠着語回廊」に関連付けますと、三万年前からの二万年間に、日本列島に辿り着いた御先祖様達は、ほぼ全員が「てにをは」の原型を使っていたはずです。御先祖様たちとは逆方向の西へ向かった親戚たちは、フィンランドやハンガリーに定着しました。
 この謎の二万年間に御先祖様たちが「てにをは」を共通化させた過程は、まったく記録が無いのでさっぱり分かりません。その後、地球は温暖化して海峡が出来て、雨が沢山降って鬱蒼とした森林が現れまして、我が国は縄文時代に入ります。この1万年近い豊かな時代に、日本海を囲む「てにをは」の輪が出来ていたようですが、NHKも文部省も無いので、地方色豊かな幾種類もの「てにをは」体系が使われていたはずです。基本単語は「二音節」にまとめる癖は共有されていたようですが、北から広まっていた言語に、やや遅れて入ってきた朝鮮半島経由の言語が楔(くさび)を打ち込む形で北九州から入って来まして、アイヌと沖縄が切り離され始めます。
 ここに、東南アジアの島々から、次の御先祖様たちが島伝いにやって来ました。「てにをは」を使わず、基本単語が「一音節」の言葉を持った人たちです。日常会話で多用されるのが、肉体に関連した単語ですから、「手」「目」「歯」「身」などの便利な単語が流行したようです。彼らは、今のASEAN諸国の国民とは違う人種だったようです。
 そして、秦の始皇帝が「天下統一」などという空前絶後の大事業を完成してしまったので、長江以南の楚の国と呼ばれていた場所から、大挙して渡って来たボート・ピープルがいたようです。彼らは稲作という最先端のバイオ技術と土木技術を持ち、恐るべき植物学の知識を持っていました。日本語の植物と農業関連の単語が急に豊かになります。
 仕上げが、大唐帝国の出現です。古代国家の基礎を固めていた日本列島の豪族たちは、北九州・出雲・近畿・北陸・関東などに王国を築き、近畿と北九州が最終的な覇権を競う段階で、運命の「白村江の戦」が勃発します。日本初の連合艦隊と陸軍が展開しましたが、結果は大敗北。唐を中心とする半島の新羅に連なる日本の誕生です。チャイナの公式歴史書に「日本」が登場します。この漢籍ネット・ワークに乗って、政治や文化の中核となる抽象概念を表す膨大な数の「漢字」が雪崩込んで来ました。
 時代を一気に飛び越えますが、大東亜戦争が最終的に「太平洋戦争」という対米戦争の形で終了した後、現在も続くカタカナ外来語の氾濫が始まりました。きっと御先祖様たちは、同じ事が繰り返されている様子を見て苦笑していることでしょう。

■結論としまして、最初にやって来た御先祖様たちが残した「てにをは」という言葉の土台だけは、今でも残っているということです。
そして、古代国家の日本を誕生させた大唐帝国の出現が、バイカル湖周辺にいたトルコ系民族を西に動かす原因となって、途中イスラム教に改宗しながら、とうとうオスマン・トルコ帝国を建ててボスポラス海峡を渡ってしまいました。こうして、日本列島からボスポラス海峡までの「膠着語回廊」が出来上がったというわけです。残念ながら、日本人は「てにをは」を大事にしようと意識するのが遅過ぎました。1400年前にサンスクリット文法を手本にして「てにをは」文法を学問レベルにしてしまったチベット語を見習おう、というのが1月の報告会の趣旨でした。

今回の関野さんの報告会では、ネパールで試みた「ホメオパシー」治療の奇跡的効果の話が、一番好評だったようですが、医学については、当ブログでも間も無く扱うことになると思います。

関野さん、どうも有難うございました。そして、いつまでも無事な旅を続けられることをお祈り申し上げます。「無事、是、名馬」
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冒頭雑談の裏ネタ2

2005-02-11 18:12:45 | 著書・講演会

冒頭の裏ネタ1のつづき…

■ネタ5「読売新聞「日本語の現場」職場で 123」

 「上司に対する敬語や電子メール、携帯電話のやりとりなどでどんな言葉が使われているのかを探ってきた今回の連載」は、この第123回を以って終了しました。最終回は「させていただく」の乱用についてのお話でした。
 助動詞の「せる・させる」に、「もらう」の謙譲語「いただく」が付いたこの表現は、
「営業活動などで丁寧に応対することによる差別化、個別化を図った結果、次第にビジネス界全体に広がり、一般に波及した…」と記事の中で推測されていますが、更に詮索しますと、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という危険な本が米国で出版されて日本語訳本がベスト・セラーになったた1979年から、狂気のバブル経済がピークを迎える89年までの十年間に、外食産業が急成長して接客マニュアルが日本語を絡め取った時代状況に思い当たります。
 米国が発明したマクドナルド方式の接客マニュアルが日本語に翻訳されると、リクルート社を中心として雨後の筍(たけのこ)のように日本語がマニュアル化されました。アルバイト店員も正社員も、規格が統一された日本語を使いました。客の目を見ないで反射的に発せられる「イラッシャイマセコンバンワ」に始まり、無闇矢鱈(むやみやたら)に「ノ・ホウ」を挟み込む機械言語が大流行した時機に、身近な機械自体が喋り始めたのでした。機械が人間のように喋るのは鉄腕アトム以来の人類の夢でしたが、人間の方が機械のように喋り始めるとは、手塚治虫さんも想像しなかったでしょう。 随分話題となった「○○円からお預かりします」も同様のマニュアルから発生しました。日本語の専門家や文法学者、国語学者でもない「翻訳家」達が、米国製のマニュアルを日本語に写し取ったのですから、奇妙な言い回しが氾濫するのは当然なのです。売り上げと実績のみに心を砕く仕事をする人々は、自分が日本語に対して重大な歴史的責任を負っているとは思いもしなかったでしょう。
 一般受けを狙(ねら)って視聴率稼ぎに命を懸けるマスコミやテレビ業界の人々も同様で、例えば、未成年者の売春が社会問題化した時に、「援助交際」という専門用語を茶の間に投げ込んだのは彼らです。「売春」という生々しい言葉を避けて、罪悪感から逃れようとして工夫された罪深い言葉なのに、報道に携(たずさ)わる人々までが、笑顔でも使えそうな響きを持ったこの用語を公共の電波や紙面に溢れさせてしまいました。
 敬語表現として日本語に刻み込まれた文化的な上下関係が、個人と自由を何よりも尊重する米国からの言語文化と激突したとも言えそうです。名前を呼び捨てにするのが、親愛の印(しるし)だと信じきっている文化を日本に導入するのに熱心の余り、或る日本の有名企業の社長さんが、「社員にファースト・ネームで呼ばれたい。」と放言したのも同じ時代の話です。企業の中で重大な責任を負っている役目の人に向かって、ゾンザイな言葉を発してしまえば、上下関係だけでなく、責任の所在も不明確になります。
 学校でも、教える責任を負っている教員と、謙虚に学ぶ義務を負っている生徒達との間でも似たような変化が生まれました。「師の影を踏まない」ほど遠く隔たる必要は無くなったにしても、学ぶべき知識と教養を蓄えている教師に対しての尊敬心が失われれば、学問に対する真摯な気風は消滅し、時には教師が暴力の対象となり、時には生徒が性欲の対象になったりするのは予想出来た事ではないでしょうか。
 加えて、経済の勝者となったと浮かれた日本社会は、子供の扱い方も大変化しました。「買い食い」は死語となって、親に同伴されていない小中学生が、生意気に顧客となってテーブルからあれこれと注文する姿が奇異に感じられなくなったのも、この頃の話です。自分で稼いだわけでもない金銭が、大の大人を傅(かしず)かせるのですから、体や下着を売ってでも、或いは麻薬を売りまくってでも、この最強の武器を手に入れようとするのは当然です。
 ファミリー・レストランという奇妙な日本語名を持つ飲食店に、放し飼いの動物のような子供を連れて母親達が集まったり、未成年者ばかりの集団が我が物顔で、行儀の悪い飲食行為をしている姿に、ファミリー(家族・家庭)の影は見られません。
 敬語表現が弱体化し、混乱を来たすという事は、私達自身が尊敬すべき対象を見定められないという事を示しています。自分を尊敬してくれる者の視線を感じなくなった者は、どんな破廉恥な行為をしても平然としていられるのではないでしょうか。


■ネタ6 読売新聞は1月25日から『教育ルネサンス』連載開始

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変化の最前線①
 神奈川県の会社員前田さんは作春、群馬県太田市の中古マンションを700万円で購入した。長女(6歳)が今春、同市にできる私立ぐんま国際アカデミーに入り、妻と次女も引っ越す。
 相模原の自宅のローンも残るため、新たなローンは四つ目の銀行でやっと組めた。前田さん一人が相模原から勤め先に通う二重生活を始めることになる。
 アカデミーは、特区制度を利用して太田市が中心となって設立した小学校から高校まで12年間の一貫校。国語と社会、小学校1、2年の道徳以外はすべて英語で教えるイマージョン(言葉漬け)教育を掲げる。……「大学まで受験がないから、塾通いも英会話学校もいらない。損はないと思った」
 ビデオリサーチ社の昨年の調査では、首都圏の3-6歳約300人中、14.7%が英語教室に通っており、5年前から三倍増。
……福岡県太宰府市に昨年開校した私立リンデンホール小学校も、英語付け教育が県外から志願者を引き寄せる。
……親子短期留学ツアーには昨秋、JTBグループも参入した。ある業者は、扱うホームステイについて「十年前に高校生が増え始め、五年前に中学生に拡大、今は半分近くが小学生」という。
……横浜中華学院(横浜市)では、今春の小学部の新入生36人中、両親が日本人の子が9人になる。

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<コメント>
 最後に出て来る「中華学院」ですが、現在北京政府は五輪を目指して国内に向かっては英語学習を熱心に勧めながら、国外には「孔子学院」という北京語教育施設を世界に100校開設して、今の中国語学習者3000万人を一挙に1億人に増やそうという計画を進めています。英国やドイツも自国語を世界に広めようと専門の施設を設けていますし、フランスは嘗(かつ)ての植民地地域に根付いたフランス語文化を死守しようと、臆面も無くフランス語国際会議を熱心に開催しています。彼らは、「先の大戦で多大な御迷惑をお掛けした」などとは一切考えずに、「○○語を教えてやったのだから、感謝しろ」と平然と言ってのける人々なのです。
 大日本帝国も、北は樺太・満洲から南は台湾・南洋諸島まで、広大な地域で不慣れな日本語教育に努力しました。今でも、シンガポールなどで、「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんはやまに……」と吟遊詩人のように朗々と桃太郎を暗誦(あんしょう)する御老人に出っくわしたりしますし、旧満洲や朝鮮半島、或いは台湾には油断のならない日本語の使い手が潜在していて、「最近の日本語は乱れていますねえ。」などと指摘してくれます。
 南米に渡った日系人達や各国に赴任している日本人社員達、日本語は地球の半分以上を覆い尽くすネットワークを持っている言葉です。しかし、その活用方法を考える御役所を持たない言葉でもあります。英国のBBCと日本のNHKの最大の違いは、それぞれの政府と対決するか癒着するかの違いではありません。英国人は、海外に向かって「正しい英語を身に付ける為に、BBCを聴きなさい。御覧なさい。」と言えるのに対して、日本人はNHKの名を使って同様の忠告が出来ないという所が違うのです。
 NHKは80年代半ばに、公式声明として「標準的な日本語の規範を提供する任務を放棄する」旨、発表していますから、NHKを視聴しても正しい日本語は身に付かない上に、日本語を磨く役にも立たないのです。それでも四月だけ売れる各種語学教材に紛れ込ませるように日本語に関する語学番組テキストを書店に並べている神経が分かりません。権威主義的だと批判されようと、傲慢だと誹(そし)られようと、頑固な保守性を維持する機関や集団を持たない言語は容易く外国語に侵食され、やがて自滅して消え去ってしまいます。
 教育者でも文筆家でも言語に関わる職業人は、後世に文化を伝える役目を果たさなければなりません。後続の世代に、自分が授けられた文化を伝えねばならないのです。古典が読める能力を伝え、その古典が次世代にも残る努力が必要なのです。若い世代が「ダセエ」だの「ウザイ」だのと動物のような叫び声を上げても一切動ずる事無く、「諸君もやがて老いる。その時に、千年の時を越えて伝えられた文化遺産の中に自分がやって来た道と、帰るべき場所を見つけるだろう。」と威厳を持って応じれば良いのです。
 問題なのは、社会生活の中で喜怒哀楽に応じて、詩歌や物語の一節を思い出そうにも、まったくその素養を授かった経験が無い年長者が日本語を伝える立場に置かれてしまっている事なのです。現在週刊新潮に連載されている森繁久弥さんの『大遺言』という聞き書き記事には、森繁さんが幼い時から青春期までの間に覚え続けた美しい言葉が湧き出すように彼の口から零(こぼ)れ出す様子が書かれています。もしも自分が、幸運にも高齢になれたとしたら、一体どんな言葉を思い出すのだろう、と背筋が寒くなるような連載です。
 引用した新聞記事のように、日本人の親達の中に、我が子に日本語を伝える必要性を感じない人々が増えている様子が分かります。確かに米国の爆弾と砲弾で列島の主要都市は焼き尽くされましたが、英語で日本語を焼き尽くしてしまっても良いのでしょうか。もしも、公立の教育機関に、生徒達に伝えるべき「日本語」が無くなっているのならば、親達は学校以外の場所を血眼になって捜さなければなりません。それが、台湾や韓国であったらどうしましょうか。


■ネタ7 読売新聞1月12日の記事「難民申請6割虚偽か」

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2004年に法務省に届け出られた約420件の「難民認定申請」のうち、約6割の約240件は、在留資格の期限が切れた外国人の申請だったことが11日、同省の調査でわかった。不法滞在外国人の間で、「難民認定申請中は入管当局や警察の摘発を受けない」という風聞が広まっている……
 東京入国管理局と警視庁は2004年5月、東京都板橋区の土木建築会社を入管難民法違反(不法就労助長)容疑で摘発した。この会社で不法就労していたトルコ人19人のうち11人が、「自分はクルド人であり、難民として日本に来た」と主張。いずれも難民認定申請中だったため、強制収容されなかった。……在留資格が切れた後の難民認定申請は、トルコ人、ミャンマー人、アフガニスタン人などの間で急増しているという。……摘発されたトルコ人男性は「自分はクルド人ではない。雇ってもらう際に会社から『クルド人として申請しなければならない』『申請中は摘発されない』と言われた」などと話したという……2002年7月から摘発までに雇用した139人のトルコ人のうち、実に96人が難民認定を申請していた。

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<コメント>
 日本に始まってユーラシア大陸を貫いてボスポラス海峡を渡ってハンガリー平原まで続く「膠着語回廊」の西半分を占めるのが、1億1千万人が話していると言われる40種類のトルコ(チュルク)系の言語です。その最大勢力が、現在のトルコ共和国に住む5800万人のトルコ人です。西のトルコ共和国に発して東に向かって延びる「チュルク語回廊」は中華人民共和国の新疆ウイグル自治区に達しますし、さらに河西回廊を通って青海省や甘粛省に暮らすサラ族の言語に連なって、中国語地帯に細長い楔(くさび)のように広がっています。
 世界の三大料理を御存知でしょうか。人によって選び方は違うのでしょうが、大方の見方ではフランス料理、中華料理、トルコ料理の三種類に落ち着くようです。私見ながら、この三大料理が提供してくれる料理の多くが、パンにも御飯にも合うのです。我らの日本料理では、小鉢や美しい皿に盛り付けられた品々の前にパン籠(かご)が置かれたら、全てがぶち壊しになってしまう料理が圧倒的に多いのです。だから日本料理が劣っているなどという事はまったくありませんが、先の三大料理の間口の広さと奥深さにはちょっと適わないような気がします。
 世界の半分の富を集めたと称されるオスマン・トルコ帝国のスルタンが賞味していたのですから、まさに世界の山海の珍味が集められ、料理の腕自慢が続々と集まって作り上げられたのがトルコ料理です。イスラム教国なのに、各種のお酒も楽しめるという不思議な料理です。
 日本の歴史を考える時に、トルコの歴史とと対照すると、意外な発見をするものです。少し並べてみましょう。
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1353年 オスマン・トルコの欧州進入開始。
1354年 日本の倭寇が高麗の全羅道を侵す。

1467―1479年 オスマン・トルコがヴェネチアと戦う
1467―1477年 応仁・文明の乱、戦国時代が始まる

1526年 オスマン・トルコがオーストリア侵攻開始
1523年 寧波(ニンポー)の乱、遣明使の同士討ち

1541年 オスマン・トルコがハンガリーの大半を占領
1543年 種子島にポルトガル人が来訪

1587年 オスマン・トルコがイラクを占領
1590年 豊臣秀吉が天下統一

1638年 オスマン・トルコがイラクを併合
1639年 江戸幕府が鎖国

1811年 ムハンマド・アリによりエジプト独立
1812年 高田屋嘉兵衛がロシア船に捕らえられる

1853年 クリミア戦争勃発
同年  ペリー艦隊浦賀に来襲

1859年 ルーマニア公国独立
1858年 日米修好通商条約締結

1867年 トルコ最高法院設立
1868年 明治維新

1876年 トルコ新憲法(ミドハト憲法)発布
1889年 大日本帝国憲法発布

1877年 露土戦争勃発
同年  西南戦争起こる

1890年の大事件
「明治23年9月14日(日曜日)午後一時横浜を出港し、一路母国イスタンブールに急ぐトルコ軍艦があった。サルタン・ムハメッド5世の勅命を受けて明治天皇に対し、トルコ最高の名誉勲章奉呈のため同年6月7日横浜港に到着し、3カ月間日本での歓待を受け、日土親交の大役を果たした後、栄えある帰途につく特派大使海軍少将オスマン・パジャ 一行の
エルトグロル号であった。……」
この話は、トルコの小学校で使われている教科書には必ず掲載されている事件だと聞いていますが、日本ではまったく知られていないのはどうしたことでしょうか。

1904年 日露戦争勃発
1908年 青年トルコ党が革命に成功

1921年 トルコ国民軍がギリシア軍を破る
同年  日英同盟廃棄される

1923年 トルコ共和国成立
同年  関東大震災

1928年 トルコがローマ字を採用
同年  張作霖爆殺事件発生

1933年 トルコが国際連盟に加盟
同年  大日本帝国が国際連盟を脱退

1937年 イラン・アフガン・トルコ・イラク不可侵条約締結
同年  日独伊防共協定締結

1941年 トルコがドイツと友好条約
同年  日ソ中立条約締結。太平洋戦争勃発

1945年 トルコが対日宣戦
同年  大日本帝国が降伏

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 特に、国家の近代化に苦労する時機とその内容は、面白いように類似していて兄弟のようです。しかし、第一次大戦が二つの国の運命を大きく変えてしまいました。大日本帝国は、勝ち組に加わって領土拡大に向かいましたが、オスマン・トルコは帝国を徹底的に解体しようとする欧州列強に食い荒らされてしまいます。
 名作映画『アラビアのロレンス』ではすっかり悪役扱いのトルコ帝国ですが、あちらにはあちらの事情が有ります。ロレンスと一緒になって楽しく駱駝に乗って活躍するような気分で観ていてはいけません。
 今、トルコはイスラム教国として初めてとなるEU加盟という驚天動地の申請をしている国です。対米偏重の外交を修正する為に欧州との新たな連携を考えねばならない日本にとって、トルコはもっと重要視されても良い国ではないでしょうか。
 随分遠くに行ってしまった「てにをは」仲間のトルコ人達ですが、遠い昔は、バイカル湖の辺りで頑張っていた高車や突厥などが彼らの御先祖様ですから、日本にとっても御近所だったのです。彼らが西へ西へと移動した後に、「膠着語回廊」が残されたのでした。トルコ系の民族の大旅行は、日本から見ると丁度チャイナの背後で繰り広げられた歴史の死角となってしまいまして、学校の歴史教育でも余り扱われていないようです。とても残念な事です。
 難しい対ロシア外交にしても、いよいよ大きな節目を迎える中東問題にしても、トルコはこれからちょくちょくと国際政治の檜(ひのき)舞台に顔を出す機会が増えるでしょう。凶悪犯罪は日本人であろうと外国人であろうと徹底的な処罰が必要ですが、難民問題や在留許可の問題は、日本側の法律内に残されている不備にも大きな原因が有るのですから、緩める所と締める所を間違わないで頂きたいものです。


冒頭雑談の裏ネタ 1

2005-02-08 23:55:57 | 著書・講演会
■ネタ1 平成16年11月10日国家基本政策委合同審査会
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 小泉首相が「非戦闘地域の定義を問われて、法律上の定義は文書を読めば分かるからと前置きして、
「自衛隊が活動している地域非戦闘地域なんです。」と発言。質問者の民主党の岡田代表は待ってましたとばかりに激高パフォーマンスを開始。怒号の中で、相手を小馬鹿にした表情の小泉首相は、
「特措法というのは、自衛隊が活動する地域非戦闘地域だと決めた法律なんです。」と答弁を繰り返す。審議会場は、抜き打ちテスト実施を宣告された落ちこぼれ学生が満ちる荒れた教室と化す。
 同年11月17日の党首討論会、眦(なまじり)を決した民主党の岡田代表は、先日の答弁の後に新聞記者の取材に対して「(我ながら)良い答弁だったでしょ?」と言い放った小泉首相に一矢報いようと、更なる墓穴を掘った。
 「自衛隊の活動する地域非戦闘地域」と答弁し、剰(あまつさえ)翌日には良い答弁だったと自画自賛した、と再び激高。「戦闘地域になれば、自衛隊は活動しないんです。」と、小泉首相は岡田代表が浴びせ掛ける太刀を受けようともしない。

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<コメント>
 この御二人は「ハ」と「ガ」の違いが分からないまま子供の喧嘩をしているだけなのです。もしも、この違いを知っていたのなら、「私はハと言っているのに、貴方は含む所が有って、わざとガと言ってるんでしょ?」と鋭い小手撃ちを放てば、日本語も分からん野党第一党代表に政権は渡せない、と視聴者を誘導出来たのに、名人の一閃を放てぬまま、だんだん素人が振り回すダンビラから逃げ回るサンピンのような醜態を晒してしまいました。どうやら、この必殺の「ハ」は総理のオリジナルではなさそうです。そして、岡田代表の輝かしき学歴と職歴は、戦後の日本語が急速に弱体化した事を象徴的に暴露してしまったようです。
 止せば良いのに、今年2月2日の衆議院予算委員会に登場したのが、スピーチの中に動詞が出て来る度に「させて頂く」と言わないと気が済まないという、重い病気を持っている鳩山由紀夫議員でした。誰も止めなかったのか、民主党内部の「棒倒し」がいよいよ本格化したのか、鳩山さんはテレビ用教材を引っさげて恥の上塗り、一人相撲、テレビ・カメラばかり気にする棒読み質問をする為に登場しました。大きなパネル画面を色でニ分割して、片や「戦闘地域」でもう半分が「非戦闘地域」だそうです。そこに、大きなステッカーを貼ったり剥がしたりしながら、蜃気楼でしかない小泉首相答弁中の「ガ」を叩き続けました。確かに「ガ」であれば、鳩山さんが得意げにペタペタと張り場所を変えるステッカーが置かれた所は「非戦闘地域」なのですが、「ガ」と言っているのは、日本語が分からない民主党や、同胞が拉致されても四半世紀、朝鮮労働党の友党だった社民党の皆さんぐらいです。怒号と遠吠えしか聞こえてこない国会議事堂の中では、既に日本語は死んでいるのでしょう。それにしても、鳩山さんが汚い物でも持つように張り替えていたステッカーに描かれた迷彩服姿の自衛官三人は、鉄兜を目深に被って目の辺りが黒くなっているイラストでした。政権交代はまだまだ遠そうです。


■ネタ2 2005年1月14日 読売新聞の記事より
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 国際交流基金(小倉和夫理事長)は、海外での日本語教育の重要性を訴える提案書を政府に提出した。水谷修・名古屋外国語大学学長を座長に、上野田鶴子・元東京女子大教授、鈴木孝夫・慶大名誉教授、作家の米原万里さんら9人の有識者を交えて意見交換を重ねてきた。
……日本語を学ぶ人は1970年代、全世界で10万人だったが、93年に150万人を超えた。一昨年には127の国・地域で236万人に膨らんでいる。最も多いのは、高校で履修する第二外国語に日本語が含まれる韓国の89万人。次いで中国(39万人)、オーストラリアでも初等・中等教育機関で日本語を学ぶケースが多い。……中国でも、52%が高等教育機関で習得しているほか、26%が学校教育以外で日本語教育を受けている。増え続ける各国の日本語学習者に対し、日本は有効な支援策を打てていない。情報発信も英語に頼りきりだ。辞書一つを取ってみても、市販の国語辞典は外国人にはなじめないという。例えば、「妻」「奥さん」「女房」「夫人」などをどんなふうに使い分けるのか、用例を挙げて簡潔に説いた辞書が少ない。助詞の「は」と「が」の使い分けも難しい。

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<コメント>
この中国の統計数値は、まったく意味が不明です。党が管理するお手盛り調査でさえも、文盲率の高さに苦悩し、学籍簿に名前が載っている生徒が実質的な在校生とは限らない国です。国内を北京語で統一しようと必死なのに、それは永久に不可能だろうと誰もが思っている国です。北京や上海、或いは旧満州地域、特に大連辺りを歩き回っても中華人民共和国の教育実態は分かりませんし、日本語学習の現状は決して分かりません。歪(いびつ)な好景気の上澄みを掬(すく)って、一割の富裕層でも一億以上になるから有望な市場になる、と叫んでいる経済人と教育を考える人との視点は根本的に違っていなければなりません。


-記事引用-----------------------------------------

 増え続ける各国の日本語学習者に対し、日本は有効な支援策を打てていない。情報発信も英語に頼
りきりだ。辞書一つを取ってみても、市販の国語辞典は外国人にはなじめないという。例えば、「妻」「奥さん」「女房」「夫人」などをどんなふうに使い分けるのか、用例を挙げて簡潔に説い
た辞書が少ない。助詞の「は」と「が」の使い分けも難しい。

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<コメント>
個人的には何の恨みも御座いませんが、この記事を書いた左山政樹記者を、便宜的に相手として質問してみましょう。「仮に、辞書が整った場合、その主要部分をカタカナ表記の外来語が占領しますが、それを善い事と認識しておられますか?」「仮に、左山さんが妻帯者であったら、公私に亘る日常の会話で、自分の伴侶を「妻」「奥さん」「女房」「夫人」等と呼び分けていませんか?貴方はその使い分けを日本人相手に説明し尽くせる自信をお持ちですか?税金を費やして見事な外来語カタカナ辞書を世界中にばら撒いたら、英米諸国への留学生の増加に寄与するだけではないですか?カタカナ英語は、日本の極限られた場所でしか通じない日本の一方言ではないですか?ネイティヴに執着する英語の幼児教育にとって、最大の障害は日本のマスコミと役所に溢れるカタカナ語ではないのですか?」
「前記の如き国会の現状に接して、小泉首相と岡田代表の間に入って「は」と「が」の使い分けを御当人達に納得させられますか?」


-記事引用-----------------------------------------

国際交流基金・日本語事業部の岡真理子部長は「バブル崩壊で日本人が自信を失っていた間にも、海外では日本文化が評価されて、日本語を学びたいという若者が増えている。日本文化、ひいては
日本の理解者を増やすためには、日本語を的確に学んでもらう必要がある」と話している。

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<コメント>
 意地悪く岡部長のコメントを書き換えてみましょう。「バブル崩壊で、日本の政財界人が自信を失って銀行預金の利息を無くし、裏金や闇金、脱税と資金の海外避難に熱中し、国内では意味不明のリストラという外来語を振り回して、最小人数による既得権益の死守を目的に、残虐な馘首(クビ)を合法化している間に、日本の次世代を担う若者が言葉を失ってムカツキ・キレて短絡的な衝動犯罪に走り、若年層だけを狙った音楽CDは、とうとう日本語の片鱗さえも失って、目出度く義務教育の国語教科書から漱石や龍之介が駆逐され、日本語を的確に教えようという者も、それを学びたいと思う者もいなくなって、駅前留学の怪しげな英語塾は大繁盛です。日本文化、ひいては日本人の復活をそろそろ誰かが考えねばならないのではないでしょうかねえ」
 アニメ・ファンが増えたのを、日本文化の価値が広く認められたと勘違いするのは危険です。既にアニメーションのセル原画の書き手は東アジア地域に散在しています。そして、日本製アニメの原典が、欧州やチャイナである事は間も無く見抜かれてしまいます。


■ネタ3 「1月25日、読売新聞の紙面より」
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常用漢字、抜本見直し 「手書き重要」強調 文化審報告書案
国語に関するさまざまな問題点を検討してきた文部科学相の諮問機関・文化審議会の国語分科会は24日、パソコンなどの急速な普及で、国民が目にする漢字が増えていることを受け、常用漢字表を含む漢字政策の抜本的な見直しが必要だとする報告書案をまとめた。

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<コメント>
 御役人と医者の共通点は、絶対に過去の過失と責任を認めないという一点です。「国民が目にする漢字が増えている」などという一節には惚れ惚れしてしまいます。漢字が増えたのではなくて、馬鹿馬鹿しい漢字制限の罪深さが文化の歴史に断罪されているのです。時代の変化を象徴するパソコンに、全ての責任を被せるという思い付きは名人級です。日本が二千年掛けて導入した漢字は30万以上有るだろうと言われています。大陸でも熱心に海賊版を作って愛用している日本製の諸橋大漢和辞典は5万字を徹底的に解説しています。 伝説によると、諸橋一門が呼び集められてこの世紀の大編集作業を開始した時、漢字の「一」を担当した御弟子さんに、参考図書として提示されたのはスチール本棚三台分の書籍だったとか。敗戦後、軍事官僚が撫で斬りにされる中で、必死に生き残ろうと努力していた文官達の群れの中に文部官僚が居ました。漢字全廃、全文横書き(我が憲法も原文は英文横書き)、表音文字採用等々の理不尽な占領軍指令に対して、漢字制限と「新かな遣い」でお茶を濁した文部官僚と御用学者の皆様の努力が実って、現在の奇怪な日本語文化が出現しました。千年前に仮名遣いを体系化した天才藤原定家の業績を相対化して手直しする資格を持っている方がいらっしゃったのかどうか、後世に生を受けた我々には分かりません。ただ、漢字制限の騒動の最中に、その原案をリークした人が居て、当時の佐藤栄作首相に、「佐藤の藤の字が削除される」とう重大機密を告げたところ、怒気を含んだ「担当者を呼べ!」という首相の怒鳴り声が官邸に響いたという微笑ましいエピソードが残っています。首相や有力者に縁故の無かった日本人の多くは、自分の名前を書くのに、今も法務省の御機嫌を伺わねばなりません。一つの盲点を衝いておけば、全ての高学歴の日本人が「振り仮名文化」の優秀性をまったく理解していないという事実を指摘しませう。彼らは振り仮名は、幼児か愚者の道具と思っているのです。嘗ての日本では、どんな大文学者でも、幼少の頃は誰でも粗雑な印刷の振り仮名を頼りに「日本語」を覚えたのです。自分が苦しんだ強度の近眼は読み辛い「振り仮名」が原因だと信じ込んでいた山本有三さんは、名作『路傍の石』に盛り込んだヒューマニズムの衣を着けて、子供の目の健康を守るという論陣を張って、振り仮名撲滅に晩年の情熱を注ぎました。彼は、ジェット・プリンターも文字の大きさを自在に変えられる日本製ワード・プロセッサーも知らない時代の方です。21世紀の日本語に責任を負っている御役人の大切な備忘録には、山本先生の主張が今でも麗々しく書かれているのです。彼らは、「世界に冠たる便利な振り仮名を使うな。」と命じますし、漢字好きの子供を見つけると、「お上が折角制限したのだから、余計に覚えるな。」と命じます。文部省が気楽に発する「指導要領」が最低限度を示すのか、最高限度を示すのかが急に問題化したのも、日本語の文化的危機に対応した現象です。文部省は、一度も日本語に対する責任を負った事は有りません。筆文字を規範とする明朝体で教科書を印刷しながら、教室から筆を駆逐して裕福な家庭と物好きな親の子供だけが町の習字教室に通えば良いと決めたのは誰なのでしょう?今更、「手書き」を重視しようと言っても、その筆記具は何を指しているのか、さっぱり分かりません。衰退し切った筆職人の組合よりは、高級万年筆の輸入業者の方が、少しは政治献金や天下り先の点で魅力的かも知れません。それとも、薄利多売で頑張っているボールペン業界の方が頼りになりますかな?


■ネタ4 「1月25日の読売新聞記事より」
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韓国「ソウル」中国語表記変更 漢城→首爾 中国は同調せず
従来の「漢城(中国語読みでハンチョン)」から、韓国語音に近い「首爾(同ショウアル)」に変更したところ、ずっと「漢城」を使用してきた中国がこれに応じる気配を見せず、中韓の足並みの乱れが露呈している。
……ロンドンやモスクワは中国語で、「倫敦(ルントゥン)」「莫斯科(モースーコー)」と現地音に沿って表記している。……「ソウル」は、韓国語では、ハングルのみで表記され、漢字はない。

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<コメント>
中韓の間に亀裂が入った事を珍しいことのように書いていますが、「反日」以外では常に仲が悪いのが中韓です。満洲の女真族がチャイナを支配した清朝時代など、本家の中華は滅んで、我こそが中華の後継者だと、半島の論語読みや官僚は勇み立ちました。残念ながら、その結果が国内での汚職大流行と、大日本帝国による韓国併合でした。現在の朝鮮民主主義人民共和国(ロシア語からの直訳)の食糧不足は別として、半島に森林が見られない遠因は、フビライによる大規模日本遠征(元寇)計画に有ります。半島中の森林を伐採して輸送船団を急造したのです。チャイナの半分を草原にしようとしたフビライですから、半島が禿山と岩山になっても心が痛む筈は有りません。嗚呼!韓国政府が、本当は馴染んでいた筈の日本の「振り仮名文化」を独立後にも流用していたら、表記は「漢城」で読み仮名(ハングル)は「セオウル」なのだ、と涼しい顔をしていられたのです。反日の勢いで英語ブームに沸く韓国ですから、振り仮名に英語表記の「Seoul」を直接当ててしまえば良いでしょう。
 漢字として東アジアに広まったこの扱い難い表意文字体系は、現在の中華人民共和国の政府とも人民とも一切の関係は有りません。バグダッドで恥を晒したサダム・フセインさんがバビロニアの「楔形文字」とは何の縁も所縁(ゆかり)も無いように、我々が縄文時代の線形文様と無関係であるように、「漢字」と一括りにされる文字群は、嫌になる程の大変化を繰り返して来ました。中華四千年だの五千年だのと安売りしてますが、甲骨文字の正確な読み方を知っている学者は居ませんし、孔子様の御弟子達が書き残したオリジナルの文字を扱える人も居ません。秦の始皇帝以前は、同意異字が氾濫していて、放っておけば共食いして自滅した筈でしたが、偉大なる合理主義者(世界初の近代主義者かも知れません)の始皇帝が強引に文字を統一したばかりに、生き残る事が出来ました。「漢字」は生まれつき「絵画」なのです。ボディ・ランゲージ(ジェスチャー)が文化的障壁を破れないのと同様に、異なる習慣の者には意味が通じないのです。例えば、日本人は咄嗟に「自分」を表現しようとして自分の鼻を指差しますが、その動作は異文化の目には「鼻」の意味でしかないですし、「違います。違います。」と慌てて否定する時に鼻先で掌を左右に振れば、話し相手は自分の口臭を心配します。漢字が絵画的に表現する、動作と道具の組み合わせは、時と場所を変えた瞬間に「意味」を失うのです。ですから、大陸では只管(ひたすら)書き写し、暗記し続けたのです。日本は、こうした意味の密林から脱出する為に、仮名文字という素敵な贈り物を後世の我々に残してくれました。そして、二つを合体させたのが「振り仮名」文化でした。我々は今でも、漢字を書いて「振り仮名」で読み発音しているのではないですか?