■世の中には「瓢箪から駒」という事が本当に有るものでございます。拙著『チベット語になった「坊っちゃん」』が刊行されて1年4箇月、チベット人学生の一部が日本に留学している事実が判明してから10箇月、そして朝日新聞松山総局主催による松山市の子規記念博物館4階大ホールで講演をしてから8箇月、講演の打ち上げ会などでも「生徒を呼ぼう!」という声は上がっていたのですが、まさか本当に元師弟、総勢6人が松山を訪れるとは思いもしませんでした。酒の勢いで盛り上がる妄想に近いロマンだったはずが、
『坊っちゃん』チベット語訳の完成を支援する会
などという恐るべき?組織が立ち上がり、有志の皆さんの奔走によって本格的な支援体制が生まれるのに、大した時間が掛からなかったのは『坊っちゃん』に対する松山の皆さんの強烈な思いが脈々と活きているからなのでしょうなあ。
■では、チベット人生徒たちと再会して松山を訪れた珍道中の始まり始まりぃ~。
……翌日なんの気も無く教場へ入ると、黒板いっぱいぐらいな大きな字で、天麩羅先生と書いてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれはばかばかしいから、天麩羅を食っちゃおかしいかと聞いた。すると生徒の1人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と言った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控え所へ帰ってきた。十分経って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯也。ただし笑うべからず。と黒板に書いてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を過ごせば悪戯だ。焼き餅の黒焦げのようなもので誰も賞め手は無い。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないと言う了見だろう。1時間歩くと見物する町も無いような狭い都に住んで、他に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争のように触れ散らかすのだろう。憐れな奴らだ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓みたような小人が出来るんだ。……
■なかなか厳しい管理体制の中で寄宿制の学校で勉強している生徒たちは、このような「ひねっこびた」生徒達の悪戯を、実に楽しそうに翻訳したものです。勿論、実際の師弟関係は古き良き日本以上に、礼儀正しくきっちりしたものですから、5年ぶりの再会となった今回もその関係はほぼ?そのまま維持されておりました。文中にある「1時間歩くと見物する」物が無くなるというのはウソですし、お世話になった愛媛大学の生徒達や松山の人々は「野蛮」でも「憐れな奴」でもありませんので念のため。
■3月8日、高速夜行バスでJR大阪駅に着いたのが午前7時前、周辺の地理を確認したり交通機関のイメージを得てから、コイン・ロッカーに大荷物を預けて身軽になったのが8時頃でした。別にお洒落着や化粧道具を持って来たわけではなく、荷物の半分以上は「辞書類」であります。日蔵(チベット)大辞典が存在していない以上、「日漢大辞典」→「日本語大辞典」+「日中辞典」+「漢蔵詞典」→「チベット国語辞典」という曲芸のような辞書リレーが必要となるからです。日本では入手困難な辞書ですから、宅急便で先に送っておくわけにも行かず、大きな鞄に詰め込んでふらふらと歩き回るしか無いのでした。ああ、重かった!
『坊っちゃん』チベット語訳の完成を支援する会
などという恐るべき?組織が立ち上がり、有志の皆さんの奔走によって本格的な支援体制が生まれるのに、大した時間が掛からなかったのは『坊っちゃん』に対する松山の皆さんの強烈な思いが脈々と活きているからなのでしょうなあ。
■では、チベット人生徒たちと再会して松山を訪れた珍道中の始まり始まりぃ~。
……翌日なんの気も無く教場へ入ると、黒板いっぱいぐらいな大きな字で、天麩羅先生と書いてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれはばかばかしいから、天麩羅を食っちゃおかしいかと聞いた。すると生徒の1人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と言った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控え所へ帰ってきた。十分経って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯也。ただし笑うべからず。と黒板に書いてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を過ごせば悪戯だ。焼き餅の黒焦げのようなもので誰も賞め手は無い。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないと言う了見だろう。1時間歩くと見物する町も無いような狭い都に住んで、他に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争のように触れ散らかすのだろう。憐れな奴らだ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓みたような小人が出来るんだ。……
■なかなか厳しい管理体制の中で寄宿制の学校で勉強している生徒たちは、このような「ひねっこびた」生徒達の悪戯を、実に楽しそうに翻訳したものです。勿論、実際の師弟関係は古き良き日本以上に、礼儀正しくきっちりしたものですから、5年ぶりの再会となった今回もその関係はほぼ?そのまま維持されておりました。文中にある「1時間歩くと見物する」物が無くなるというのはウソですし、お世話になった愛媛大学の生徒達や松山の人々は「野蛮」でも「憐れな奴」でもありませんので念のため。
■3月8日、高速夜行バスでJR大阪駅に着いたのが午前7時前、周辺の地理を確認したり交通機関のイメージを得てから、コイン・ロッカーに大荷物を預けて身軽になったのが8時頃でした。別にお洒落着や化粧道具を持って来たわけではなく、荷物の半分以上は「辞書類」であります。日蔵(チベット)大辞典が存在していない以上、「日漢大辞典」→「日本語大辞典」+「日中辞典」+「漢蔵詞典」→「チベット国語辞典」という曲芸のような辞書リレーが必要となるからです。日本では入手困難な辞書ですから、宅急便で先に送っておくわけにも行かず、大きな鞄に詰め込んでふらふらと歩き回るしか無いのでした。ああ、重かった!