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旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

日本語の融解漂流

2007-12-03 20:34:52 | 日本語
 ■「日本融解」という悲しい言葉が流行したのは「失われた10年」の後だったと思いますが、あれは決して大袈裟なレトリックではなかったのかも知れない、と思ってしまったのは「新語・流行語大賞」の記事を読んだからでした。「大賞」もあちこちで大安売りされている「言葉」になってしまっていますから、この賞名に腹は立ちませんが、「流行語」と言われても、この一年間で一度も自分が口にした事が無かった「言葉」が並んでいるのを目にすると、日本は日本語のレベルで融解して四散している実態を垣間見る思いであります。
 
■国家が暴走して国民を強引に打って一丸にするスローガンなどが「大流行」するような時代も困りますが、一年を象徴するような言葉が見当たらないというのも悲しいものです。


1年間の世相を反映したキーワードを選ぶことで毎年注目されている「現代用語の基礎知識 選・ユーキャン新語・流行語大賞」。この2007年版が本日3日(月)に発表された。「KY(空気読めない)」や「どんだけぇ~」などの言葉が流行した1年だったがこれらを差し置いて、大賞を獲得したのは「(宮崎を)どげんかせんといかん」と「ハニカミ王子」。そのほか、トップテンには、「大食い」「消えた年金」「食品偽装」などが並んだ。

■『現代用語の基礎知識』という辞(事)典が販売不振に喘いでいるという話も聞きますから、毎年「基礎知識」を追い掛ける必要が無くなっているのかも知れません。日本語をローマ字で表記して音節の頭文字を並べた「KY」という表現は、立派な暗号でしょう。従って、内輪だけで通じるはず暗号が全国的なイベントに引っ張り出されるというのは、マスコミの迎合姿勢に原因が有るようです。東京の片隅で起こった小さな事象を「流行中!」と囃し立てる悪い癖は反省すべきでしょうなあ。「どんだけぇ~」ともども、この一年間で一度も使った事もなければ、来年以降も使う機会は無いでしょうなあ。


……
<トップテンに選ばれた言葉 一覧>

大食い  ギャル曽根
消えた年金  舛添要一(厚生労働大臣)
食品偽装  受賞者なし
そんなの関係ねぇ!  小島よしお
(宮崎を)どげんかせんといかん  東国原英夫(宮崎県知事)
鈍感力  渡辺淳一(作家)
どんだけぇ~  IKKO(メイクアップアーティスト)
ネットカフェ難民  川崎昌平(『ネットカフェ難民』著書)
ハニカミ王子  石川遼(アマチュアゴルフ選手)
猛暑日  瀧沢寧和(埼玉県熊谷市直実商店会会長)
12月3日 オリコン

■大賞は「どげんかせんといかん」と「ハニカミ王子」なのだそうです。地方自治体の知事選挙が日本中の注目を浴びたのは、ビートたけしという人の弟子が立候補したからでした。首都の知事も芸能プロダクションの応援で当選している日本なのですから、この現象は決して驚くようなものではありません。しかし、地方自治体の危機感を表わす血を吐くような「言葉」が大賞になる時代は、決して喜ばしいものではないでしょう。「ハニカミ王子」の方も、先に字は違いますが「監禁皇子」という気味の悪い若者が登場していたからこそ、その解毒剤か反動のようにマスコミが強引に作った呼称だったようです。

■他の候補も素直に納得できるような「言葉」は見当たりません。「大食い」は文化が爛熟した江戸時代には立派なお座敷芸だったと記録されていますから、芸の一種の認定しても良いとは思いますが、当時でも相当に変わった趣味の見世物扱いだったようですから、公共電波に乗せるべきかどうか?これは考え物ですぞ。記事にある「ギャル曽根」という娘さんが大食漢らしいのですが、玩具にしているマスコミは彼女の健康や将来を心配はしないのでしょうなあ。その内、宗旨替えした彼女が胃腸薬の宣伝でもするのでしょうか?

■「消えた年金」が流行語になって舛添要一厚生労働大臣は喜んでいるのでしょうか?もしもそうなら、予想通り他人事でしかないことになります。「食品偽装」は内部告発が蔓延しているらしく、玉石混交状態であちこちで騒動が起こっています。テレビがウソ番組を制作放送する罪に比べて、食品製造会社の責められ方は度が過ぎているような印象を受ける事が多いのは確かです。

■「そんなの関係ねぇ!」小島よしおという裸芸人が大活躍のようですが、今年だけでなくこの頃の日本を象徴する流行語はこれでしょう。彼の芸は自分の他愛も無い恥や失敗談を披露してから、開き直って裸踊りをして見せるというものですが、奇怪な殺人事件や後を絶たない公金横領、選挙をめぐる醜悪な話など、日本中に無言の「そんなのカンケイねえ」が響き渡っているような気がしますなあ。「鈍感力」は渡辺淳一さんの著作名で、偶々、間抜けな道化者になってしまった安倍前首相を元気付けようと小泉元総理が書名だけを引用した事実が元だったようです。首相就任直後の『米百俵』にしても、小泉さんは本は読んでいないか、驚くほど読解力が無いのではないか?と疑っております。

■「どんだけぇ~」という通常は疑問文とされるべきところですが、これは感動詞なのだそうです。従って、素っ頓狂な声に答えては行けないとか……。IKKO(メイクアップアーティスト)という人は、どうやら同性愛者のようですが、差別を撤廃するためなのか、人権思想が進んだからか、いつの間にかこの種の趣味を持つ「男」がテレビに出て来る機会が増えたようです。何故か女性の同性愛者が出て来ないのですなあ。抜群の歌唱力と演技力で他を圧倒したサガラナオミという女性が、この種の趣味の持ち主だという噂が流れただけで、あっと言う間に芸能界からもマスコミからも抹消されてしまった事が有りましたが……。同性愛者にも人権を認めよう!と頑張るのなら男女双方から出演者を探すべきでしょう。視聴者が持っている隠微な差別意識を利用したキワモノ商品扱い出来るのは「男」なのか?戦国時代の「衆道」や、江戸時代の「陰間茶屋」の伝統が日本には有ったからでしょうか?理由は兎も角、この感動詞は東京都下の極狭い場所で流通していたものだそうですなあ。

■「ネットカフェ難民」川崎昌平(『ネットカフェ難民』著書)、これはこれから大問題になる現象ですから、今年が元年となる可能性が大です!「ああ、2007年度の流行語に選ばれたんだっけ」と、これから何度も思い出すことになりそうです。「猛暑日」も、地球温暖化が原因とも思われる気候変動の予兆かも?瀧沢寧和(埼玉県熊谷市直実商店会会長)が「日本一の暑さ」を逆手に取って宣伝に使おうと思ったのが発端とか……。でも、気象用語として定着しているようですから、来年から毎年耳にするのでしょうなあ。

早稲田の決断

2007-12-01 11:36:32 | 日本語
 ■独立不羈、蛮カラで鳴らした都の西北早稲田大学が思い切った事を決めたそうです。一言にしてしまえば「日本語の危機」と申せましょうなあ。拙著『チベット語になった坊っちゃん』の内容にも通じる話なので気になります。因みに、ネット書店のアマゾンで拙著が数日間品切れ状態に陥りましたが、心配するほどの空白を置かずにユーズド良品が出品され、続いて新品も入荷したので一安心。更に入荷直後に1冊御購入された奇特なお方がいらっしゃるようです。何処のどなたかは存じませぬが、有難うございました。きっと、買って損はしないものと信じております。
 
■ついでに付記しておきますが、東京都文京区立図書館から拙著を奪い取った人物がいるらしく、ネット検索を続けていた1年以上もの間、他の全国図書館に追随を許さないペースで連続的に貸し出されていたのを確認しておりますので、さすがは文京区!と学生時代を過ごした懐かしい土地に改めて誇りを持ったものでした。かれこれ半年になりますが、「所蔵なし」の表示に変わったままであります。図書館の本に書き込み線引きぐらいなら可愛い方で、中には頁を切り刻んだり切り取ってしまったりするバカ者が多数現われているとの報道も有りますから、無傷で図書館の本を自分の本棚に移動?させて愛蔵する者は、相対的には本を大切にしている事にもなるのかも知れませんが、そういう心が動いたら、「是非とも買って下さいな!」


早稲田大学が来年度から一部の新入生を対象に「日本語の文章講座」を実施する方針を決め、波紋が広がっている。「学生の日本語能力が落ちている」「論理的に考えて、言葉にすることができない」などの声が一部の教員から相次ぎ、実施が決まった。数年後には新入生全員を対象とする計画。

■「分数計算が出来ない大学生」が出現して増殖中!という衝撃的な事実が報道されたのは10年以上前だったと思います。その後、奇怪な大学入試科目の削減によって、高校で生物学をまったく履修していない医学生が現われているだの、化学の基本を知らずに薬学部に入る生徒が居るだの、何となく生命の危機を感じるような恐ろしいニュースも続きましたなあ。「一芸入試」などという代物も飛び出して、大学での学究生活が成立するのか?と心配になる話も有りましたなあ。


この計画に対し、大学関係者からは「早稲田はできのわるい学生の巣窟であることを自ら認めてしまった」と冷ややかな意見も出始めた。ある難関大学の教授は「大学は自学自習が基本。一定レベルに達していない学生は来るべきではない。それを早稲田のように手取り足取り面倒を見るなど実にばかげている。今後は、大学ではなく『早稲田託児所』とでも名乗ったらどうか」と手厳しく批判する。

■こういう硬骨漢らしい骨太の発言は小気味良さを感じますが、実際問題として大学で講義している側としては、本題に入る前に馬鹿馬鹿しい前置きを長々と説明しなければならないとなれば、これは考え物であります。高い授業料を払って高校レベルどころか中学生の必修内容まで懇切丁寧に教えねばならない大学の先生方のご苦労が偲ばれます。今回、早稲田大学が一石を投じた大決断は、そんな知識情報の量の問題ではなく、伝達手段である日本語自体に不安が生じているという事でしょう。そもそも新しい知識というのは未知の領域に飛び込んで、大いに苦労を重ねて学ぶものですから、そのためには言語能力と論理構成力だけが頼りです。初めて聞く名詞に「知らな~い」。少々複雑な論証説明を聞いて「分かんな~い」を連発されては、教えている方もセクハラやらパワハラやら、怪しからん憂さ晴らしでもしないと「やってられない!」という困った事態になる危険が有りそうです。


ただ、現実問題として専門家の中には「東大、早慶といえども学生の学力は一昔前に比べて落ちている」(予備校関係者)との指摘も。基礎学力や日本語の能力が相当に落ちているため、それを放置していたら、大学の授業について来られないばかりか、卒業後に就職した企業で大学の評判を落とすことにもなりかねない。それなら早いうちに、恥をさらしてでも対策を打っておこうというのが早稲田の動きだ。
2007年12月1日 FACTA

■予備校関係者からは、ずっと前から受験競争が「戦争」とまで呼ばれた60年代から70年代に掛けて全国に流れた偏差値情報は、既に化石どころか単なるゴミ情報でしかなくなっている事態は公表されて久しく、偏差値という数値の性質上、受験生全体の学力が底割れして大規模な地盤沈下を起こしていれば、受験生の群全体の上方と判定される「偏差70」と言われても、二昔前の学生達と比較したら学生の実力は10も20も割り引いて考えねばならない、というわけです。

■頭を抱えている大学当局を相手にせず、さっさと海外の「本当の」名門大学に進もうという実力派が増えているとか、逆に海外からの留学生も、第一志望として日本の某有名大学に入るわけではないとか、ますます日本の大学は世界的な評価を下げて行きそうな話も聞こえて来ます。学生数がピークを迎え、世の中は高度成長の真っ只中だった60年代に、大学は入るのが難しく出るのは易しく、学生生活は自由気ままなモラトリアム時代と誤解されてしまう風潮が広がってしまったようです。卒業後の就職先に強力な「学閥」を持っている有名大学にさえ入れば、あとは野となれ山となれ……。でも、そんな時代の大学生達は学生運動や恋愛や、いろいろと人生に悩んで今の学生よりは遥かに多くの本を読み、映画を観たり音楽を聴いては語り合っていたようです。アルバイトもマニュアル化される前だったので、自分で考えて判断し、自分の言葉で語らないと給料が貰えないという事情もあったかも知れません。

■確かに日本語が抱え込んでいる膨大な漢字文化は習得するのに苦労するものではありますが、伝統文化の末端に生まれてしまったからには、継承伝達の義務を負ってしまっていると諦めて、少しでも古典や伝統文化に通じるように努力するべきでしょう。そのためにも駅前留学やら高額な詐欺商品やら、役にも立たず害毒にはなる英語学習熱を相対化・沈静化させて、読み書きと思索の訓練を重視するように、「ゆとり教育」を見直すのを機に、小中学校の学習内容を改善すべきでしょうなあ。教科名も「国語」ではなく「日本語」にすべきだ、という意見も傾聴に値しますぞ。早稲田出身の日本人が、どんな日本語を使ってくれるか期待してみましょうか……。

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「言い訳」とウソは違うでしょう? 其の参

2007-10-27 12:17:48 | 日本語

協栄ジムの金平圭一郎会長(41)は、対戦相手が決まらないため中止と発表していた亀田興毅のノンタイトル戦(25日・パシフィコ横浜)が、興毅の個人的な意思によるキャンセルだったことを明かした。実際は南アフリカ選手との対戦が決まっていた。会見で興毅は「大毅が負けてバッシングもされて、次の試合に挑めるような気持ちにならなかったから」と、説明した。
10月27日 日刊スポーツ

■こちらの方が、よほど大きなニュース価値を持つ話です。いくら相手が遠い国の選手であっても、契約を結んでおいて「決まっていない」というのでは、信義に悖(もと)る実に失礼な話です。しかも、状況からして興毅クンの言っている事が火に油を注ぐことにはならなかったのではないでしょうか?正直に興毅クンの発言を公表しておけば、「謝罪会見」はもっと早く実現していたはずですぞ!どうも、金平さんの過剰な保身がちらつきますなあ。


前WBA世界ライトフライ級王者で「亀田3兄弟」の長男興毅(20=協栄)が、涙ながらに約1時間20分間、謝罪し続けた。都内の協栄ジムで26日、金平会長同席で会見。協栄ジムのOB会会長でもある具志堅用高氏は、金平会長の責任に言及した。興毅が反則指示行為の有無を明確に答えなかったことを問題視。「はっきり言わなかったことで、すっきりしない。金平会長にも監督責任がある。潔く辞めるべき」と、ジム内処分に会長が含まれなかったことを厳しく指摘した。
10月27日9時43分配信 日刊スポーツ

■具志堅さんは、先代の金平会長に育てて貰った恩義を強く感じている人です。先代は「勝負の鬼」だったらしく、相手選手に薬物入りの差し入れをするほどの人でしたからなあ。御本人はそれで業界を追放されてしまった後も、その件を隠しもせず笑って聞き流せるほどの人だったとか……。具志堅さんは、日本で最初に「亀田疑惑」を公に指摘した人でした。それは決して亀田攻撃ではなくて、亀田一家の将来を心配し、ボクシング業界の未来を憂えての発言した。では、それを報じたマスコミはどう動いたか?逆恨みとしか言いようの無い亀田オヤジと金平現会長の「怒りの会見」の方を大々的に取り上げて、まるで具志堅さんが悪い人のように仕立て上げてしまったのではなかったでしょうか?「具志堅は正しい」という論陣を張る人が続々と現われれば、こんなに大きな騒動にはならなかったはずです。善悪に関係なく、騒ぎの大きさが商売になるのが悲しいところですなあ。

■具志堅さんの今回の指摘も実によいところを衝いています。亀田一家代表の興毅クンは、親父の伝言として「言い訳はしない」を繰り返していたようですが、反則指示をしたかしないか、山下将軍ではありませんが、問題は「イエスかノーか」の単純なものです。最初の親子会見で「指示はしていません。どう思われようと関係ない」という発言をしたのですから、亀田トウチャンには「言い訳」する材料が有りません。要は、あの会見で言った「指示していない」というのが、ウソだったかどうかです。取材陣が「あれはウソだったのか?」と問い詰めるべきでしたが、金平現会長が話を引き取って「私の認識」を披露して真相はまったく分からないままになりました。それを承知の上で、立派な「謝罪」だっと書き立てるマスコミは、何も変わっていないのです。

■週が明けたら、どこのテレビも亀田一家を取り上げなくなるでしょう。スポーツ新聞もまったく書かなくなるでしょう。そして、内藤チャンプのテレビCMが流れ始める頃、世界戦が行われても中継されるかどうか、分かったものではありません。たとえ放送が有っても高い視聴率は望めませんから、「スペシャル解説」に亀田興毅クンか、思い切って亀田トウチャンを引っ張り出すしかないでしょうなあ。今回の会見が「禊」扱いされているのは、そんなフザケた商売のシナリオが出来ているからなのかも知れませんぞ。今頃、何処かの出版社が、亀田トウチャンのところに『敗育論』とか『亀田一家の崩壊』とか、二匹目の泥鰌を狙ったオファーが来ているのかも知れませんなあ。
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「言い訳」とウソは違うでしょう? 其の弐

2007-10-27 12:17:13 | 日本語
■業界としては、両者が善戦してフェアな試合が行われ、素人目には互角に見えて内藤の「判定勝ち」で終わる。試合後には互いに抱き合って、理想的なボクシング興行が実現するというのが、一番よいのでしょうなあ。でも、多くの観客が集まったとしても、また「亀田負けろ!」の怒号が響くようでは世界戦としての品格は失われたままですぞ。

WBA王者は同ジムの坂田健史。今夏に対戦が浮上も、業界内から同門対決への反対意見が強まり断念。必然的に、標的は大毅に続きWBC王者の内藤になる。内藤は来年1月、前王者で同級1位のポンサクレックと再戦予定。興毅は来年5月にも、その勝者と挑戦することになる。……亀田家にとって、リベンジと真のみそぎのかかる試合になる。ポンサクレックにはデビュー時から挑発し、対戦を熱望。2年前には「スパーリングでボコボコにした」との発言に、激怒されることもあった。どちらとの対戦が決まっても、興味深い、盛り上がるカードになる。

■謝罪会見の翌日に、これだけ煽っているのですから、謝罪会見の映像を材料にして、訳の分からないコメンテーターは論外にしても、スポーツ記者や元チャンピオンを並べて雑談をしたり、うっかりすると教育評論家まで引っ張り出して「日本社会の問題」にまで話を拡大してしまうテレビ局には、まったく反省の色は見えません。新聞のテレビ欄に踊る「亀田」の名を含んだ番組内容の紹介を見ただけでも、テレビ業界は亀田騒動におけるテレビ自身の責任と役割をまったく捨象してしまっているのが明らかです。

 
亀田家の浮沈を握る、興毅の再起戦。ハードルは多い。史郎氏がボクシング界から完全に身を引いたことで、父との二人三脚は終結。今後は協栄ジムで他の選手と一緒に練習する。今までプライベートジムなど特別扱いされてきただけに、ジム内には「亀田アレルギー」も存在する。……前途は険しいが、興毅はあきらめるつもりはない。「不安だが一からのスタート。何事も一からやり直し。新しい亀田スタイルをつくりたい」。亀田家の汚名返上のためにも、再び世界の頂点を目指す。
10月27日 日刊スポーツ

■スポーツ新聞独特の書き方なのでしょうが、「亀田家」という言葉を使っている限り、亀田一家騒動は終わらないでしょう。「家族の絆」などという便利な包み紙でぐるぐる巻きにして商売してしまったのが、今回の騒動の根元なのですから……。「亀田家の浮沈」など、誰が心配しているのでしょう?スポーツ記者なら「特別扱い」を許したJBCの責任を厳しく追及するべきなのに、それを飛ばして「汚名返上」などとハシャイでは行けませんなあ。亀田一家はボクシングがスポーツだとは一度も考えた事は無く、「他人をドツイて銭が貰える商売だ」と公言していた人達です。それを野放しにしたばかりか業界の「救世主」だと勘違いした馬鹿者が居ましたし、今も同じ職に留まっているはずです。

■会見の中で、亀田興毅クンが「ファン」に対する謝罪を口にしていたようですが、ファンを自称していた有名人に対してはTBSから陰に陽に商売上の圧力が加えられていた事は、これから徐々に明らかになって行くでしょう。ボクシング業界もテレビ局も、切符を買う人や視聴率を上げている人達を「ファン」だと思っているのが大間違いなのでしょうなあ。それは「野次馬」というのです。新しいボクシング・ファンを作ったとか、ボクシング人気を復活させたとか、無責任で乱暴な事を言うマスコミは分かっていたはずです。奇妙な一家が大阪から東京に出て来て、出世欲と金銭欲を剥き出しにして「金儲け」をしている生の姿がもの珍しかっただけでしょう。それが小泉時代の殺伐とした「弱者切捨て」の世相との相乗効果で、「勝てばよい」「人気が出ればよい」「儲けた奴が勝ち」という恥も外聞も無い風潮を助長して行ったのでしょう。

■昔ながらもボクシング・ファンは、亀田一家の名前が大きくなるにつれて試合会場からも新聞記事からも遠ざかって行ったのではないでしょうか?眼が肥えている熱心なファンならば、素人には見えない反則もちゃんと見えますし、試合展開から実力ははっきりと見えてしまうものです。亀田一家が常に口にした『世界タイトル』は、スポーツの栄光やら称号ではなくて、一番高く売れる商品でした。それはマスコミを上手に利用して株価を吊り上げ、インサイダー取引きで売り抜けて莫大な利益を上げた悪い人達と重なる生き方でしたなあ。どちらもマスコミの不作為の罪、そして、受けての愚かさが相俟って起した現象です。恐ろしい話であります。


……王者の内藤大助は26日、東京都内の宮田ジムで取材に応じた。亀田興の会見の模様を夕方のテレビニュースで見た内藤は「大毅君からもお父さん(史郎氏)からも謝罪を受けているし、僕の中では終わっている話」と語った。亀田興の会見での態度については「自分が言うのも変だが、立派だった。反則の指示も言い訳せずに認めていたし、思いが伝わってきた」と、13歳年下の後輩をたたえた。亀田大の練習再開に再度の謝罪会見が条件となったことには「もう謝ったのに誰に謝るのかな」と相手を気遣い、「特に興毅君には名誉回復のため、ぜひ日本人選手と戦ってほしい」と語った。
10月27日 毎日新聞

■こうして「美談」が更新されて行くのでしょうなあ。既に、「イジメを克服したチャンピオン」として、教育界が涎を垂らしているとの情報も有ります。昔、なかなか味の有る演技をしていた穂積隆信さんという役者さんが、『積み木くずし』という一冊の本を出したばかりに、「教育評論家」に祭り上げられて一家は離散、本職の芝居も出来なくなる悲劇が起こりました。役者さんは舞台や映画で評価されるべきで、ボクサーはリング上で評価されるべきなのに、マスコミは悪質な悪戯を仕掛けるものです。いろいろな才能に恵まれている人は、よほど注意していないと、トンデモない目に遭いますぞ。既に内藤チャンプには、宣伝業界からは注文が殺到しているそうですが、間違っても「教育論」などを出版しないように!亀田トウチャンも『闘育論』とかいう、意味不明の題名を付けた本を出しているのだそうですが、(誰が買ったのでしょう)亀田叩きに熱心なマスコミにとっては実に利用価値の有る本になっているようです。

「言い訳」とウソは違うでしょう? 其の壱

2007-10-27 12:16:39 | 日本語
■何も「構図」は変わってはいないようです。亀田一家の騒動は、マスコミが作ってマスコミが儲け、限度を越えてもマスコミが煽り続けて行き着いた先が「反則」試合。今度はそれをマスコミが叩いて商売にしています。きっと亀田興毅クンの「謝罪会見」映像は、累計すれば相当に高いものになるのでしょう。勿論、その累計の中には「一度死んだ」TBSもちゃっかり紛れ込んでいるわけでして……。既に『週刊新潮』などでは、菊池伸之(48歳)という実名が報道されている「功労プロデューサー」の姿がまったく表に出て来ないのは、業界内での暗黙の了解によって傷を舐めあっているとしか思えませんなあ。菊池さんはTBSスポーツ局のエグゼクティブ・プロデューサーなのだそうで、前職は共同通信社の相撲担当だというのですから、不祥事だらけの相撲業界に関係していた後、今度は自分が主導してボクシング業界をめちゃくちゃにした人という事になりそうです。

■『週刊新潮』11月1日号の記事によりますと、TBS社内で「亀田批判」は徹底的に禁止されていたとか……。ズバッと騒ぐみのもんたさんも、あの大きな口を塞がれていたという話です。報道番組どころではありませんなあ。心してテレビは観ましょう。特にスポーツ関連のニュースは芸能モノと同じで、客観報道と主観的な商売宣伝との線引きが非常に難しい部門ですから、本気になって商売目的で作られた「伝説」を本気にしていると後で腹を立てねばなりません。最悪の実例を示してくれたのが今回の「世界タイトルマッチ」を実況放送したTBSだったわけですなあ。そのTBSは自社が何をやって来たのかをまったく検証もせずに、他のマスコミと一緒になって「客観報道」に転じています。社内ではスポーツ局が白眼視され、菊池さん個人が「元凶」扱いされてイジメられているとか……。

■そんな企業体質のままで、防衛省の偽報告事件やら社保庁の横領事件などを報道出来るのでしょうか?まして深刻な「イジメ問題」を追及するような番組など、どんな顔をして作るのでしょう?そんなTBSを含めて、亀田興毅君の「禊(みそぎ)」イベントを温かく受け止めて、大急ぎで幕引きしてしまおう!というマスコミ内での談合が行われたような流れが透けて見えますなあ。


亀田興毅(20=協栄)が来年5月にも予定される再起戦でいきなり世界戦に臨む。同1月に予定されるWBC世界フライ級王者内藤大助(宮田)-同級1位ポンサクレック・ウォンジョンカムの勝者に挑戦することが26日、確実になった。この日、亀田家を代表して会見し、反則指示などについて全面的に謝罪。トレーナーの父史郎氏(42)は辞任という形でボクシング界から去った。地に落ちた信頼を回復するために、再起戦では実力者との対戦が求められる。父の後ろ盾なしで、厳しい復帰ロードを歩む。

■やっぱり亀田一家はまだ「商売になる」のですなあ。鉄は熱いうちに打て、とは言いますが、人気商売はもっと急がねばなりません。火消し用に急いで正義の味方に仕立て上げられた、とても地味なキャラクターの内藤チャンプは誰でも賞味期限が短いと思っているはずですから、「亀田一家の禊リベンジか?」「内藤チャンプの返り討ちか?」と煽りに煽ってボクシング業界の問題も、マスコミの自家中毒体質も、すべてを忘れさせるお祭騒ぎが先に決まっていたというわけです。こちらが主で、亀田興毅クンの会見はオマケです。


再起戦からボクシング人生を懸けた大勝負になる。この日、興毅は亀田家代表として、一連の反則問題を全面的に謝罪。協栄ジムからも3カ月試合自粛の処分を受けた。一応のけじめはつけた。今後の焦点は再起戦に移るが、興毅は「フライ級の中で、一番強いと思っている。1日も早く世界王座を取るために頑張りたい」と即世界戦を望んだ。当然、リスクは大きい。だが、今回の騒動で失った信用を取り戻すには強い相手と戦う必要がある。これまで亀田兄弟が実力差のある外国人選手との対戦が多かったことも批判されたからだ。協栄ジムの金平桂一郎会長(41)は「(再起戦の相手は)みんなが認める強い相手になるでしょう」と、“再起戦=世界戦”を示唆した。

■金平会長も神妙な顔で「謝罪」を演出していましたが、何のことはない、次の商売の宣伝をしていたわけですなあ。果たして、今だけ人気絶頂の内藤チャンプが本当に「強い相手」なのかどうか?本当に亀田興毅VS内藤チャンプが実現したとして、亀田側がぼろぼろになって負けたら、内藤の強さを証明することになるでしょうか?単に、「やっぱり亀田は弱かった」とマスコミは書き立てるはずです。逆に亀田が一方的に勝ってしまった場合、「本当は内藤は弱かった」と騒がれて、「それより弱いのは亀田大毅だった」という比較論が飛び出して、今回の反則試合の映像が何度も繰り返し放送されるでしょう。但し、内藤がタイトルを失ってくれれば、「頑張れ!内藤!」の国民の願いが膨らんで、ボクシング商売は次の試合も組めるので一安心。でも、世界戦を日本国内の喧嘩だけで商売にしても良いのか、という疑問は出るでしょうなあ。

最近の日本語 其の六

2007-08-17 10:43:15 | 日本語
■国際交流基金に関する話の続きです。

……国際交流基金関西国際センターは、関西国際空港対岸のりんくうタウンに位置し、「海」「空」「陸」の空間的な広がりを感じられる場所に建っています。目の前に広がる大阪湾を臨めば、正面に関西国際空港、その先に淡路島、右手には大阪の臨海地帯から、神戸、明石、六甲の山並みを見渡すことができます。関西国際センターはこうした環境に呼応するかのように、中庭を中心として垂直に伸びる宿泊棟と、水平に広がる研修棟の三次元的な構成が印象的な建物となっています。

■これも公式サイトからの抜書きですが、建物の立地条件と不動産屋さんのパンフレットみたいな自画自賛が最初に出て来る紹介が異様です。


施設・運営の面では、専門日本語研修施設として、参加者の視点を重視し、研修室の充実、視聴覚教材等の積極的な導入を行うとともに、最長9カ月におよぶ長期滞在期間中も、参加者が充足感を持続できるように、きめ細かい配慮を行っています。

■さり気無く並べられていますが、「研修室」「視聴覚教材」「長期滞在」のために用意されている設備は素晴らしい物です。関東地区では埼玉県さいたま市(旧浦和市)に最初の施設が完成していますが、高級ホテルと競うようなとても豪華な設備だそうですなあ。ハコモノ行政と悪口を言われないように、設備に負けない内容を持った活動をして貰えれば文句は無いのですが、文科省とは別枠で運営される日本語教育という、縦割り方式がどれほどの役に立つのやら……。

■公益法人の存廃問題が出始めてる昨今ですから、独立行政法人の存続にも議論が広がって行く可能性が有ります。本来は、日本語の問題を考えようとするなら、日本国内の教育内容と対外的な文化発信とを両輪にして上手にリンクさせながら相乗効果を狙うべきところです。しかし、国内は文科省で外向けは外務省、その縦割りの谷間に日本語が落ち込んでいるような気がして来ます。座長のヤンキー先生が参議院議員になってしまった「教育再生会議」は、既に瓦礫同然らしいので、委員が好き勝手に発言した玉石混交の意見はとっ散らかったまま放置されてしまったようです。安倍政権が掲げた「お約束」は根こそぎ廃棄処分になりそうですから、「教育再生」議論は漂流しながら水平線の彼方に消えるか、大穴が開いた船がばらばらになって海底に沈むか、もう誰も心配さえしていないようです。

■元々、「再生委員会」が発足した時から、「中央教育審議会」という既存の機関が有るのに、一体、何のための委員会なんだ?と疑問視されていたものです。「美しい国」を目指した国造りなどという抽象的なテーマを教育行政に流し込もうという安直な動機だったようですから、最初から地に足の着いた議論などは期待出来ませんでした。死に体内閣となった安倍政権をせせら笑うかのように、「餅は餅屋だ」と言わんばかりのニュースが飛び出して来ましたなあ。


今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固めた。国際学力調査で低下していることが明らかになった文章表現力や思考力を向上させる狙いがある。中教審は今後、各教科ごとに言語力の具体的な育成方策をまとめる方針だ。

■教育の根幹は言語教育だというのは当たり前の話なのですが、ついつい「自分で考える力」だの「生きる力」だのと先走った議論が目立つようになる度に、言語教育の基盤となる文字と語彙の比重が軽くなってしまう傾向が有りましたなあ。安部首相が主張していた「国を愛する心」はどうなるのか分かりませんが、「言語力」という切り口は良い感じであります。まあ、今の首相が選挙に負けたのはお粗末な「言語力」が原因だという意地悪なメッセージも読み取れないことも有りませんが……。


学習指導要領は、小中高校の授業で行う内容や時間数などを定めた国の基準で、ほぼ10年に1回改定される。現行の指導要領は、学校5日制の完全実施など、学習内容を大幅に削減した「ゆとり教育」が柱で、小中学校は2002年度から、高校は033年度から施行されていた。
8月17日 読売新聞

■「文章表現力」「思考力」と、これまた抽象的な能力を重視する話になっていますから、具体的な対応を迫られる学校の現場に立っている先生方は、またまた御苦労されることになりそうですなあ。教員に採用される前の大学生も、採用された後に雑務とバカ親からの支離滅裂なクレーム対応に忙殺される先生方も、どちらも「読書量」が圧倒的に不足しているのは衆知の事実です。文章力の基礎は読書量で養われるものですから、少なくとも先生方の読書量を増やさないことには、官僚の思い付きで通達を濫発しても効果は上がらないでしょう。まだまだ、日本語の明るい将来は見えて来ませんなあ。
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最近の日本語 其の伍

2007-08-17 10:41:53 | 日本語
■更に国際交流基金の公式サイトから引用します。
 
国際交流基金は、日本語教育・研修のための場として、日本国内に2ヶ所、また海外に7ヶ所、合計9ヶ所に日本語センターを有しており、これらセンターを活用しつつ、海外の日本語教育機関に対する日本語教育専門家の派遣、現地教師の給与助成、日本語教材の開発・寄贈、現地講師を日本に招いての研修、海外での日本語能力試験実施など、数多くの事業を先進国、開発途上国を問わず世界各地において展開しています。

■お役人の「作文」ですから、良い事ばかり並べられているのは当然です。最近も、林野庁の「詐欺商売」が発覚して大騒ぎになっているのも同根でしょうか?それは兎も角、拙著『チベット語になった「坊っちゃん」』の読者諸氏には、どこかで聞いたような印象を受ける話ではないでしょうか?拙著に描かれている漱石の『坊っちゃん』をチベット語に翻訳する悪戦苦闘は、まったくの私闘でありまして、こうした公的助成などは一切受けずに実行されたものであります。


また、世界各国にある在外公館では、それぞれの任国、任地の日本語教育機関、関係団体と連携しつつ、日本語教育、日本語普及活動を総合的に調整、支援してきています。一部の在外公館においては、公館或いは公館の委託を受けた外部の団体が日本語講座を開設しているほか、海外の現地日本語教師会と協力して日本語教育セミナーなどを実施している公館もあります。また、関係機関と協力して日本語弁論大会を開催し、海外の日本語学習者が日頃の学習の成果を発表する貴重な機会を提供しています。

■「総合的に調整、支援」とは、一体、何を意味しているのか、さっぱり分かりませんが、どうやら、何の意味も無いらしい?という疑惑が非常に濃くなる報道が有りましたぞ。


外務省所管の独立行政法人「国際交流基金」(東京都港区)の海外事務所19か所のうち10か所が2004~05年度、内部通達に反し、本部への業務報告を出していなかったことが分かった。提出した事務所でも、新聞記事を写しただけの報告もあった。同基金では「適切ではなかった」として今年度から報告の形式を改めた。しかし、特殊法人時代より経営に自由な裁量が認められた反面、健全さが求められる独立行政法人に移行したのに、「外部への説明責任を果たそうという意識改革が進んでいない」との指摘も出ている。

■前に引用した豪華絢爛、感涙を禁じ得ない積極的な日本文化と日本語の普及活動の数々……それらが全部ウソだったという可能性が出て来ますなあ。単純に「業務報告」を怠っただけなら、傷は浅いのですが、報告すべき活動をしていなかったとしたら、大問題です。


……問題となったのは「海外事務所業務報告」。理事長名の通達では、海外事務所は年4回、4半期(3か月)ごとに、
〈1〉駐在国の文化・社会状況、日本語教育事情
〈2〉在外事業実績
〈3〉事務所の出張
〈4〉会議費支出記録――などを報告するよう、義務づけられていた。
8月14日 読売新聞

■重要なのは①と②でしょうなあ。駐在国の言語を徹底的に研究しないと日本語の教育を発展させられませんし、比較研究の成果を日本に持ち帰る事で日本語研究に役立てる情報も豊かになりません。たまたま、「てにをは」を持つ膠着語構造と語順が酷似している点に注目して『坊っちゃん』を翻訳した経験からしますと、日本で国語教師をしていた人達を中核として海外の日本語教育を展開しようとする風潮には疑問を感じますなあ。「直接法」という、習うより慣れろ!を押し通す教育法も確かに有りますが、そうやって身に付けた日本語の会話能力を何に使うのか?という大問題を先送りしている点も問題なのです。最終的に、日本人とのコミュニケーション能力を高めた人達を丸ごと日本に招いて、将来は日本で働いてもらうという明確な意志を政府が持っているのかどうか?

■それが定まっていないからこそ、目的不明の日本語留学生やら就学生などという奇怪な身分を利用して不法滞在する者が増えてしまったりするのでしょう。残念ながら、こうした混乱は、日本の小中学生に英語学習を強要しておいて、努力の甲斐があって英会話能力を身に付けた人材が増えたところで、その潜在力を活用する場がまったく用意されていない日本国内の事情と表裏の関係に有る問題のように見えます。

■先の引用文に「日本語教育・研修のための場として、日本国内に2ヶ所」という話が有りましたが、その施設の名称は日本語国際センターです。『其の四』に引用した「メールマガジンを発行することなどを検討している。日本語研修生OBをネットワーク化」という外務省のニュースは、この国際センターに招いた人達を対象としたものです。つまり、これまでは莫大な税金を使って「やりっ放し」だったのを、少しは反省してちょっとでも元を取り戻そうと、やっと考え始めたという話なのでしょうなあ。さてさて、間に合いますかな?

最近の日本語 其の四

2007-08-17 09:28:28 | 日本語
■明治時代に台湾の統治を始めた頃の日本は、国内でも国語教育の教材も方法も確立してないという実に奇怪な新生近代国家でありました。司馬遼太郎さんのお話では、神主さんが公立の初等学校で祝詞(のりと)を教えていたことも有ったそうです。日本の語学教育は和歌・短歌・俳句だけが長い伝統を持っていたくらいで、言語学や文法学などは一部の天才や変人が研究していただけだったようです。巨大な文化体系を独占していた仏教も、鎌倉時代の革新運動以降は万能の学問体系を誇れる状態ではなくなってしまいました。太平の江戸時代には、国学の基盤を築いた契沖など真言宗のお坊様の活躍が見られますが、その業績が明治の教育に生かされる事は有りませんでした。

■今更、あれこれと文句を言っても仕方がないのですが、台湾に始まって朝鮮半島へと伝播した言語教育行政の展開の中で、日本人は実に豊かな自国語に関する発見をしたようです。どんな言語にも普遍性は有りますから、「日本語は日本人にしか分からない」などという馬鹿馬鹿しい迷信は成り立ちません。事実、旧大東亜共栄圏の中には平均的な日本人が脱帽してしまう日本語の使い手が無数に誕生しましたし、特に漢字文化圏では高度な文化交流も盛んでした。悲しい事に、海外に出掛けて行って空威張りして顰蹙を買っていた愚かな日本人の多くは、自国の言語文化に関する理解が非常に浅かったようです。貧乏な近代国家の悲劇と言えるでしょうなあ。中には漢字文化が日本独自のものだと信じきっていたような困った日本人も居たそうです。……今も日本語文化についての理解が深まらないのは何故でしょう?

■「20世紀最大の詩人」とまで賞される阿久悠さんが無くなったのが、「美しい日本語」を操れない安部首相が選挙で大敗した直後だったのは皮肉な話です。新聞もワイド・ショーも、阿久悠さんの死によって日本語に巨大な穴が開いている事を再確認しているようですが、それを参議院選挙の浅薄さの分析にまでは広げていない模様です。でも、阿久悠さんが作り出した詩の世界には、奈良・平安以来の古典が底流になっている事を指摘する優れたコメントも散見されます。大学の国文系の研究に「阿久悠学」が加わる日も近いかも知れませんなあ。

■特に詩は翻訳するのに最も苦労する芸術ですから、阿久悠作品を武器にして日本語を広める方策も有ったのですが……。大衆文化に関する日本の政治家の感覚は驚くほど鈍く、その証拠が手治虫さんに国民栄誉賞を「死後」に贈ったくらいですからなあ。阿久悠さんが生前に受賞する事は有り得なかったでしょうし、これからも無理かも知れません。嗚呼。


外務省は、日本で日本語研修を受けた各国の外交官や公務員に対し、日本の最新情報を伝えるメールマガジンを発行することなどを検討している。日本語研修生OBをネットワーク化し、海外の「親日派」を増やしていく考えだ。対象とするのは、外務省が実施している日本語研修の修了者。費用は日本政府がすべて負担して1981年に諸外国の外交官を対象にスタートした。97年からは一般の公務員にも対象を拡大。毎年、数十人が受講している。修了者は発展途上国を中心に500人を超え、母国で日本語通訳や日本の政府開発援助(ODA)受け入れなど対日関係の業務で活躍しているほか、在日大使館に赴任している人もいるという。
7月28日 読売新聞

■こんな記事を読むと、結構な事ばかりで「美しい日本」を目の前に見ているような錯覚に陥りますなあ。米国の下院でトンデモない決議が、安部首相の立場を考えて選挙後に持ち越されていたとは言え、しっかりと可決されて日本の一部のマスコミが大仰に取り上げているような時に、「メールマガジン」を発行するという小手先の政策が発表されるというのは、大きな違和感を覚えます。外務省の下部機関として「国際交流基金」という組織が有りまして、その業務の中に記事に有る日本語研修が入っています。「毎年、数十人」という部分に注目しなければなりません。1981年に始まって四半世紀で「500人」というのは、役人一流のエリート趣味がぷんぷん匂います。

■外務省の公式サイトから引用します。


一般に、言語を学ぶことは、その言語が使用されている国の文化・社会に対する幅広い理解に繋がるといえます。従って、海外において日本語教育・日本研究を促進することは、外国人に日本をより正しく、より深く理解してもらうために、非常に大切です。……海外の日本語学習者数は1970年代以降急増しており、98年には約210万人に達しました。これは、海外の小学校、中学校、高校、大学、及び民間の語学学校などの日本語教育機関での日本語学習者の数字であり、これにテレビ、ラジオ等で日本語を学習している人を加えると、実際には数百万人もの外国人が世界中で日本語を学んでいることになります。……

■「数百万人」という不正確な数字は曲者(くせもの)で、「1970年代以降」と野放図な時間の切り方をしているので、まったく危機感が有りませんなあ。大口のお得意様だった米国でもチャイナでも、日本語学習者は激減しているのが現実です。逆に東南アジアを席捲して欧米にも攻め込んでいるのが北京語学習です。今頃になって「海外の親日派を増やす」目的でメールマガジンを始めるなどというのは、手当てが遅れた瀕死の重傷患者に慌てて高価な薬を投与するようなものです。役所の悪い癖で、何事も予算を取って執行したら、後はやりっ放しなのです。日本を理解して貰う目的で海外から人を招いて日本語を教える。その後はどうなるのか?とは誰も考えないのです。

最近の日本語 其の参

2007-08-17 09:24:46 | 日本語
■欧州の旧列強は、世界中に自国の言語文化を広めるために立派な施設を建てて回りまして、東京都内にも欧米諸国の素敵な情報センターが幾つも有ります。在日大使館とは別の施設ですが、語学を学んだり最新の国内事情を紹介する強力な補助機関として機能しているようです。きっとそれを真似たのでしょうが、北京政府も凄まじい勢いで「孔子学院」とかいう北京語を学べる教育機関を世界中に林立させつつあります。日本はどうかと言いますと、大東亜共栄圏が消滅してしまってからは積極的に日本語を広めようとする努力をしなくなった一億総懺悔の時期が終わると、「国際交流」やら「異文化理解」などを目的とする受け身の政策が動き始めたのでした。ただ、これが費用対効果の点から見ますと大きな問題が有るのですなあ。

■日本語に関する政府の及び腰の姿勢は、教育行政のダブル・スタンダードを生み出してしまいます。敗戦後に嵐のように吹き荒れた漢字廃止運動に翻弄された日本語教科書は、振り仮名が漢字諸共に削られて平仮名だらけになったのが象徴的で、バブル時期の浮かれた気分に影響されたのか、豪華なグラビア写真と漫画文化が日本独自の文字文化を侵食する舞台になってしまったのでした。その後に続いたのが「ゆとり教育」論争ですから、ますます貴重な漢字文化が弱体化して行きまして、そこに携帯電話の絵文字と感嘆語と間投詞の濫立状況が起こりましたなあ。小泉総理の「ワン・フレーズ・ポリティクス」が大いに受けた時期と重なるのが無気味な感じがします。

■日本語がふらふらになっている裏側では、何の根拠も無い英語熱
ばかりか上昇し続けておりました。中学校で必修になっている事自体に疑問を呈すべきなのですが、対米戦争に敗北した衝撃が教育行政を拘束し続けているとも解釈できます。確かに外国語教育は重要ですが、国民全員が「英語」を強制される理由は定かではありません。欧米系の言語を習うなら、ドイツ語でもフランス語でも良いはずですし、日本の地理的条件を勘案すれば、ロシア語・ハングル・北京語を選んでも良い道理です。国家が教育内容を一律に管理する手法が続く限り、全国一律の教科書とテストを採用するのが最も効率的なので、あれこれと理由を付けて英語必修論が罷り通ることになります。最近、愛用されているのは「インターネット言語としての英語」というのと、「理系の論文は英語」というのが目立ちます。

■実に皮肉な事に、日本語をじっくりと学ぶ機会を失った奇怪な国語教育が負っている欠陥を補うのが中学校での英語教育だという有力な説が有りますなあ。それが「文法学」の素養です。言語には表層にも深層にも不思議なルールが存在している事、それは歴史的な変遷の痕跡でもあると同時に、歴史以前の謎を内包している実に面白い世界なのですなあ。国語教育から「文法」を駆逐しておいて、英語教育ではせっせと文法的説明に努めているのが今の学校です。そこから「使えない学校英語」という痛い批判が出て来るのは仕方が無いところです。「オーラル・コミュニケーション」という名前の口語重視の政策が突然出て来たのは、民間の英会話学校が急成長した時期と重なっているようですなあ。


英会話学校最大手の「NOVA」(大阪市)が中途解約時に受講生に不利な清算方法をとっていた問題で、今年4~6月に全国の消費生活センターに寄せられた苦情は前年同時期の約6倍の計1803件に上ったことが8月2日、わかった。……NOVAが経済産業省から一部業務停止命令を受けた後、同社に苦情対応の専門部署を設置することや、今年4月以降に見直した清算方法を過去にさかのぼって適用し、苦情を早期解決することを要望した。4~6月に寄せられた苦情の大半も、「過去に不利な清算方法で解約したので再計算を求めたが、門前払いされた」などと清算方法をめぐるもので、6月末時点で22%にあたる398件が未解決のままになっている。
8月3日 読売新聞

■「門前払い」と聞きますと、反射的に社保庁を思い出しますが、8月下旬に到っても解決の兆しさえ見えないNOVA問題です。同じ業界で中規模の英語学校の倒産も続いているようで、少しは日本の語学教育について落ち着いて考える機会がやって来たのかも知れませんぞ。

三者一様 

2007-08-07 23:14:16 | 日本語
■普通は「三者三様」「十人十色」と言うべきなのですが、この数日、まったく同じ意味の発言が連続したので、それを表現するには「三者一様」になります。でも、この物言いは小泉時代から日本中に蔓延しているような気がしますなあ。

NHKと民放で組織する「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会から、不二家報道で「重大な放送倫理上の問題があった」として番組制作の改善を求められたTBS系の情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」は、7日朝の同番組内でアナウンサーがあらためて一連の報道について謝罪。改善の取り組みについて説明した。司会のみの氏は夏休み休暇中のため「反省すべき点を踏まえ、よりよい番組作りに邁進(まいしん)したい」と文書でコメントした。
8月7日 産経新聞

朝青龍問題で大揺れの大相撲でも、毎日マスコミに追い回されている高砂親方とは対照的に、一切顔を表に出さない北の海理事長は気配を消したまま「予定通り」に夏休みに入って完全にプライベート体制に入ってマスコミから逃げ出したのだそうです。みのもんたさんは、夏休み中でも録画映像やら録音音源を使って生放送の番組中に自分の存在感を浸み込ませているようです。張りぼての頭を被った偽みのもんたも番組に出ているとか……。先日も、朝っぱらの番組なのに東国原宮崎県知事と「酒飲み話」をしている録画映像を流していたようです。本人の独断にしても、放送局の品性と常識を疑う話です。

■「不二家」問題では、事件と無関係な取材映像を強引にコジツケて嵩に掛かって攻撃を加えたのが問題とされているわけですが、正義の味方を任じて、何でも大仰に怒って見せるみのもんたさんのお蔭で視聴率が上がっていると思っているTBSの放送姿勢にも大いに責任が有るはずですが、放送事業に直接関わるペナルティーも無く、放送はこれまで通りで、「改善の取り組み」に関する(代読)発表も抽象的な内容に終始していたようです。「TBSは死んだ」と身内の筑紫さんに斬って捨てられたオウム真理教事件では、迅速に「ワイドショーからの撤退」を決定して、今も続く純朴な「生活情報番組」に切り替えています。それが瓢箪から駒で、案外な視聴率を稼いでいるのでその枠は一般的なワイドショーに戻していませんが、その後ろに早めの昼ワイドショーを組み込み、更に、朝の5時半から「ワイドショー」そのもののニュース番組を置いて挟み込んでしまいました。考えようによっては、随分とあざといやり方をしていますなあ。

■「反省すべき点」を分かり易く言い直せば、「みのもんたの軽率な暴言を無くす」という事になりますから、みのもんたの進退問題にも関連する責任問題という事でしょう。しかし、そんな事をしたら再びTBSはジリ貧ですから、そんな話はオクビにも出しません。不二家パニックを大きくして再建の妨害をしたのは間違いはないのですが、お詫びの印として当該番組の控え室には不二家製品を常備すると、みのもんたが悪びれもせずに冗談ごかして約束したそうな……。不二家の経営が改善するほど莫大な量を消費できるわけでもないのに、日本テレビの昼ワイドショーで全国的な夕食前の買い物に影響を及ぼしている「業績」を過信して、自分が「食べてます」と一言すれば、忽(たちま)ち不二家の人気が回復するとでも思っているのでしょうか?

■「反省すべき点は反省し……」という枕詞はこれからも濫用されるに違い有りませんから、後用心、ご用心。これはまったく反省などしていない時にこそ使われる言い回しですからなあ。少し前までは、最高責任者が愛用した「この混乱を一刻も早く収拾して皆様の信頼を回復するのが自分の責務と……」という逃げ口上と実質的にはまったく同じ意味ですから、ジャーナリズムがこれを聞き流しているのは問題でしょうなあ。


2場所出場停止などの処分を受けた横綱朝青龍(26)の師匠の高砂親方(51)=元大関朝潮=が1日、師弟での復活を誓った。同親方も4カ月間30%の減俸処分を科されたが、これまでの指導力不足を認めた上で、「もう一度2人で頑張る」。苦境に立たされた弟子を再起させることを宣言した。……再三の朝青龍のわがまま行為で、これまでも横審メンバーなどから「師匠の指導が甘い」などと指摘されてきた。今回の不祥事が発覚した際にはモンゴルの朝青龍に国際電話で「巡業に出られるなら出ろ。出られないなら入院しろ」と通告した上で、協会には「わたしの監督不行き届きでもある」と謝罪した。……今回の処分を契機に、今後はより一層、朝青龍に対して厳しく指導することを宣言した。朝青龍の謹慎4カ月の間は、厳しい態度で腰、左ひじの治療に専念させる。「けいこできるまでは水中歩行とかで補う。そのうち若い衆とけいこができるようになってくれればいい」。自由に許してきたモンゴルへの帰国についても「今までは見逃してきたが、首根っこをつかんででも引き戻す」と話した。……
8月2日 サンケイスポーツ

■「もう一度頑張る」という言葉と、「自由に許してきたモンゴルへの帰国」とは矛盾します。高砂親方も「反省すべき点は反省して」という流行の言い回しを口にしていたようですが、本人以上に崖っぷちに追い込まれてしまった親方にしては、「監督不行き届きでもある」という発言の「も」に甘さ強く出てしまっていますなあ。「に尽きる」と言うべきでしょう。この報道の後、高砂親方がいくら力んでもどうしようもない精神疾患騒動になってしまい、「首根っこをつかんで」などと勇ましい事は出来なくなってしまいました。後手後手に廻ってしまう所も、言葉に実が無いところも安部首相によく似ています。


安倍晋三首相は6日夜、参院選後の報道各社の世論調査で内閣支持率の低下が続いていることについて、「1つ1つ実績を積み上げていくことで、信頼を回復していかなければならないと決意している。選挙の結果もそうだが、わたしも反省すべき点は反省しなければならない」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。 
8月6日21時 時事通信

■「実績」「信頼」「決意」「反省」という、どんな順番で組み合わせても支離滅裂な話にしかならないのに、御本人はそこに「反省」を加えても平気なようです。そもそも「反省すべき点」とは何だ?と身内からも突き上げられ出した安部首相ですが、答える気が無いのか、能力が無いのか、黙して語らず、マスコミには鸚鵡(おうむ)になって意味不明の「反省」を喋り続けているようです。恐らくは、この奇怪な「反省」の弁が一度放送される度に、支持率は1%ずつ減って行くのではないでしょうか?支持率が一桁になり、長期金利と同じような数値になる日も近いのかも?

■東京電力の社長やら、社保庁OBなど、似たような空疎な「反省」を発表しながら、実質的には何も反省などしない無責任なエライ人があちこちに居るようですが、これが学歴社会に高齢化社会が接木された新しい社会現象なのかも知れません。不思議な「責任」論を振り回す人は、そろって有名な大学を卒業して立派な経歴を持っている人ばかりです。今の日本では、学歴を積むと無責任な人間になってしまうのかなあ?と疑問に思いますが、「教育再生」を掲げているのが安部首相で、その専門委員会の座長だったヤンキー先生が職責を果たさないまま参議院議員になってしまいましたなあ。やれやれ……。

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最近の日本語 其の弐

2007-08-01 20:45:26 | 日本語
作詞の傍ら小説も執筆、1979年に発表した「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補となり、映画化された。代表作に「家族の神話」「絹婚式」のほか、横溝正史賞を受けた「殺人狂時代ユリエ」など。97年に菊池寛賞、99年には紫綬褒章を受けた。2001年に腎臓がんが見つかり、摘出手術を受けたが、リハビリを続けながら創作を続けていた。 
8月1日 時事通信

■「作詞の傍ら」という書き方は不正確です。阿久悠さんはこの時期に誰にも知られず「断筆」していたのでした。恐るべき時代感覚を持っていた阿久悠さんは、日本と日本語が非常に短い時間で大きく変化した事を、誰よりも早く、誰よりも深く直感して反応しました。その後、再び作詞活動を始めたので、「周囲の誰も気付かなかった」と御本人が書いていました。その「断筆」期間中に阿久悠さんが何を見て何を考えたのか、もっと書き残して欲しかったのですが、その時期に切れ目を入れて作品を分類してみれば、きっと何かが分かるでしょう。


病気療養中だった作家・作詞家の阿久悠(あく・ゆう=本名:深田公之)さんが1日(水)午前5時29分、尿管癌のため死去した。享年70歳。ヒット曲は数知れず、歌謡曲からアニメ・特撮ソング、プロ野球球団歌、演歌まで幅広く手がけた。20世紀最大の作詞家といっても過言でなく、昭和歌謡黄金期を牽引した偉大な作詞家だった。……

■阿久悠さんが書いた歌は、とにかく寿命が長かった。それに助けられて元アイドルやら、元人気歌手が今でも商売が出来るくらいです。阿久悠さんは、歌謡曲を「3分間のドラマ」、極論してしまえば三時間を越える大作映画や半日がかりの舞台劇に匹敵する感動をドーナツ盤レコードの片面に凝縮してしまえる!という確信を持って、本来は使い捨ての歌謡曲の作詞を続けたのでした。ドラマの生命は普遍性に有りますから、たったの3分でも見ず知らずの聴衆にも人間ドラマの核心が伝えられるのでしょう。


昭和40年代後半から50年代にかけてヒットチャートを席巻、1977/12/5付のオリコンシングルランキングではTOP100のうち実に16曲が阿久さんの作品となった(うち6曲がTOP20にランクイン)。阿久さんが手がけたシングルの総売上枚数は6,818万枚で歴代1位(2位=松本隆 4946.3万枚 3位=小室哲哉 4216.7万枚)。ランクイン総数511作。※いずれも2007/8/6付現在

■このような「数字」でしか創作者の偉大さを表現できないのは悲しい事です。妙に小遣いに余裕が出来たお嬢ちゃん達を相手にミリオン・ヒットを飛ばして大儲けしたはずの作品が、ほんの数ヶ月後には飽きられてしまって誰も知らないような恐ろしい事が繰り返されている昨今です。芸術作品は、たった一度しか接する機会が無くても、それが一人の人間の人生をがらりと変える事もありますし、再生芸術の場合は、忙しい毎日の中でも何度も繰り返して接したと思わせる作品も有ります。「思い出の~」だの「~の名曲集」だのとランク付けするのも可能ですが、オリコン資料の第3位に入っている小室哲哉さんが作詞家だったのかどうか、即断を出来ないくらいです。残念な事に、1980年初頭、日本人は歌詞を聴かなくなったのです。体感して消費し続ける対象に変化し始めた事を阿久悠さんは誰よりも早く察知していました。

■その結果が今の「ダウンロード」文化なのでしょう。何千、何万曲を納めた小さな再生機械をポケットに入れられる時代に、一曲に込められた「言葉」はどんな扱いを受けるのか?その疑問は刹那と永遠、個人と普遍という深い問題に関わっています。その1年を振り返る日本最大のイベントとしての『紅白歌合戦』と、それに対抗して企画された民放系の『日本レコード大賞』が大晦日の夜を飾った時代が終わった時、安部首相とは無関係に「戦後レジーム」は庶民の文化レベルで変わったのでしょう。阿久悠さんの動き方は時代の流れの数歩先、人が驚くような前衛的でもなく、ことさらに「預言者」ぶる訳でもなく、少しだけ先回りするものでした。ですから、人が苦労する前に苦労して、人が悩む前に悩まねばならない使命を負っていたことになります。炭鉱のカナリアみたいなものです。


日本レコード大賞は「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、「雨の慕情」(八代亜紀)の5回受賞。平成11年には紫綬褒章を受章。ペンネームの由来は「悪友」から。今年はちょうど作詞家生活40周年という節目の年だった。
8月1日 オリコン

■ノーベル文学賞やら、毎年の芥川・直木賞やら、その他、同工異曲の商売臭ぷんぷんの文学賞を受ける作品が誕生する時代、その全盛期も過ぎて権威を認められている賞を受けた作品が商売にならなくなるという自家撞着に到った時代です。阿久悠さんの「40年」、つまり、1967年から2007年の40年は、昭和史研究・日本人研究・日本文化研究の宝庫である事は間違いありません。阿久悠さんの死を悼みつつ、少しばかり日本語の現状を考えてみようかと思います。

最近の日本語 其の壱

2007-08-01 20:44:43 | 日本語
■このところ、拙ブログの『チベ坊』書評記事のアクセスが急上昇して高止まり中なのを喜びながら、日本語について考えていました。「教育の再生」を掲げる総理大臣が現われたのに、教育そのものに関する議論がさっぱり深まらないのは何故だろう?と思っていたら、生々しい「言葉の戦争」とも言える選挙が有りまして、教育再生を叫んでいたはずの総理大臣本人の「日本語」があまりにも貧困で知性も情熱も聞き手にまったく伝わらないという、民主主義国家の政治家としては最悪の資質しか持ち合わせていない事実が明らかになったのでした。

■各候補者の言語能力が低いのか、有権者のレベルに合わせて「分かり易く」話を単純化して薄っぺらにする工夫をしているのか、簡単に結論は出ませんが、少なくとも、文章に起こしたら貧困な語彙と論理の破綻が暴露される小泉前総理の人気がまだ高いという事実から推測しますと、安部首相ではない言語能力の高い総理によって本当の教育再生を急がねばならないようです。ペラペラ喋った割には同士も得票も伸びなかった田中康夫さんや、信念が空回りしている印象が強い義家さんなどの言語活動も目立ちましたが、今回の選挙でもっとも日本語が輝いたのは、やはり川田龍平さんの「命の叫び」だったという評価は広く認められるところでしょう。

■組織票だの利権だの、こうした物に頼っている候補者が語る日本語は、政治的な既製品ですから部外者が聞いていても楽しくもないし、勿論、感動などしません。支持者の皆さんも話の内容などには興味が無いようですから、政治を活性化させる言葉などは期待できません。「言説」が商売道具のマスコミはどうかと思って注目していましたが、大した収穫は有りませんでした。そんな視点で今回の選挙を振り返ってみようかと思っていたら、何とも悲しいニュースが入って来ました。


「また逢う日まで」「UFO」などのヒット曲を作詞し、小説「瀬戸内少年野球団」でも知られる阿久悠(あく・ゆう、本名深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんが、1日午前5時29分、尿管がんのため東京都港区の病院で死去した。70歳だった。兵庫県洲本市出身。葬儀は近親者で行い、後日「送る会」を開く。喪主は妻雄子(ゆうこ)さん。

■阿久悠さんは日本語の現状を考える時に、最も豊かな言葉と発想を与えて下さる人でした。月刊誌や新聞紙上に掲載されたエッセイには、驚くべきことにハズレがほとんど無い書き手でしたし、戦後の日本語に作詞家として肉薄した経験から語られる「昭和」は、下手な歴史書の何倍も示唆的でした。


明治大卒業後、広告代理店勤務を経て作詞家となり、5000曲以上の作品を発表。手掛けたジャンルは演歌や歌謡曲からフォーク、アニメソングまで幅広く、代表曲に「白い蝶のサンバ」「勝手にしやがれ」「津軽海峡・冬景色」「熱き心に」「ピンポンパン体操」「宇宙戦艦ヤマト」などがある。テレビ番組「スター誕生!」の企画にも携わり、新人歌手の発掘、育成にも努めた。

■1970年代、大袈裟に言えばNHKの『紅白歌合戦』の半分は阿久悠さんが作詞した歌で構成されていたようなものです。ご本人の回想録にあった話で、『白い蝶のサンバ』の裏話がとても面白く、そのオチが「当時は早口で何を言っているのか分からないと文句を言う人が多かったが、今、この歌を聞きなおすとちっとも早口には聴こえない」という意味のオチは、短いエッセイだったので何度も読み直す価値の有るものでした。確かに早いテンポのサンバのリズムに乗せた歌詞は文字数は多かったのでしたが、子供達は直ぐに覚えて意味も分からず大人の恋を口づさんだものです。でも、日本の歌は本当に「何を言っているのか分からない」ものになってしまいました。その証拠に熱烈なファンを自称する人でも好きな歌を文字に起こせないのですから……。

気になる日本語

2007-04-05 21:31:01 | 日本語
■またまた、気になる日本語の問題です。以前にも『痴漢電車を考える』という拙文を書きましたが、取り敢えずは日常生活に定着を見たと言える状態になっているようです。元々、非人道的な混雑が解消されない通勤電車の中で、窮屈な状態を悪用して「不適切な接触」を試みる輩(やから)が急増したのに困った鉄道会社が決断したのが、「女性専用車両」でした。痴漢行為は被害に遭う女性にばかりでなく、痴漢冤罪事件に巻き込まれる男達にとっても甚だ迷惑な犯罪ですが、「女性専用列車」の運行決定は、果たして英断だったのでしょうか?

首都圏を中心に、女性専用車両を導入する鉄道会社が増えている。朝のラッシュアワーに、女性を痴漢から守るためだ。しかし、女性専用と分からないまま車両に足を踏み入れ、冷たい言葉を投げつけられる視覚障害の男性たちもいる。この車両、障害のある男性も利用できることになっているが、一般には知られていない。身が凍り付くような経験をした障害者らは「交通弱者も利用できることをもっと知らせてほしい」と訴えている。

■視覚などに障害の有る方が、比較的空いている列車に優先的に乗れる制度は必要です。満員列車の中で「優先席」の場所まで移動するのは大変ですからなあ。
……

さいたま市見沼区に住む全盲の男性(41)は毎週2回、持病の療養施設に通うため東武野田線の七里―大宮間を利用する。同線は05年6月以降、平日の早朝から午前9時まで、6両編成のうち最後尾1両を女性専用車両とした。1年半ほど前、何気なく電車に乗ったところ、「ここは女性しか乗れませんよ」と女性客に注意された。冷たい空気が車両に広がった。恥ずかしくて逃げ出したくなったが、満員で身動きも取れない。揺れる電車の中でじっと耐えた。この時以来、男性はヘルパーを駅まで同伴して確実に一般車両に乗ることにしている。

■駅のホームで読書に熱中している時など、目の前に来た車両に足を踏み入れて空いている椅子に座ろうと歩き出した瞬間に、窓に貼られた「女性専用」の文字を目にして足早に隣の車両に移動した経験を持つ男性諸兄も多いのではないでしょうか?


女性専用車両は、京王電鉄が01年3月に導入したのを皮切りに鉄道各社が取り入れるようになり、現在はJR東日本や西日本、全国の私鉄15社が朝夕のラッシュ時に運行中だ。痴漢対策が主な目的だが、交通弱者にも配慮して、障害者や女性に介護されている男性も乗車可能になった。しかし、こうしたルールはあまり知られていない。

■この冷たい言葉を投げかけた女性が、特に冷酷な人間だというわけでもないでしょう。「女性専用車両」に女性以外の人も乗れる、というのが分かり辛いのです。「専用」に例外を認めれば「専用」ではなくなってしまいます。「女性に介護されている男性」というのは理解出来ますが、「交通弱者」に対象を広げると「女性専用」と矛盾するような印象が強まりますなあ。


日本盲人会連合の時任基清副会長は「我々は急いでいたり、普段使わない路線を使う場合、つい間違えて乗ってしまう。鉄道事業者が『障害者は乗車できる』と車内放送するだけでも十分な対策になるのだが……」と提言する。「車内放送は駅間が短くて難しい面がある」と漏らす鉄道会社の担当者もいるが、全国の私鉄71社が加入する日本民営鉄道協会は「障害者も乗れることを放送やステッカーで積極的には知らせておらず、確かに対応不足。今後、一般に周知するよう取り組みたい」と話す。
4月5日 毎日新聞

■本来なら、「女性専用」ではなく「痴漢厳禁」の車両にすべきだったのではないでしょうか?男は全部、信用できない!と言われれば返す言葉もございませんが……。男全員が疑惑の目で見られる痴漢行為をしている輩にマナーを求めても無理だという諦めから始まった制度ですから、最低の公共心も持ち合わせていない困った連中なら、「偽物障害者」が出て来ることまで心配しなければならなくなりそうです。ますます「被害者」が増えてしまいますなあ。やっぱり、「痴漢専用車両」の出番でしょうか?

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最近の気になる日本語 其の弐

2007-04-04 02:12:54 | 日本語

埼玉県の上田清司知事は2日、県の新規採用職員就任式の式辞の中で、仕事に対する使命感の一例として「自衛官は大変だ。平和を守るために人殺しの練習をしている。『国民の生命と財産を守るために頑張って下さい』と褒めたたえないといけない」と述べた。

■この文章を通常の言語感覚で読みますと、「自衛隊は憲法違反の人殺し集団だ!」という非常に分かり易い皮肉を込めた当て擦りとしか思えません。でも、御本人はまったく違う感覚でこの演説をやってしまったようなのですから、埼玉県民の可哀想です。


式後、上田知事は記者団に「殺傷という言葉を使えば良かったかもしれない。分かりやすくなり過ぎて、きつい言葉となった」と釈明した。防衛省の守屋武昌次官は、同日の記者会見で「自衛隊の現場は多種多様で、一つの戦闘場面に限定されるものではないということを理解してほしい」と不快感を示した。知事周辺は「地元には駐屯地もあり、自分の命を犠牲にすることをいとわない方々がいるということを言いたかったのだと思うが、言葉足らずだった」と語った。
4月2日 読売新聞

■「言葉足らず」や「説明不足」という便利な表現が愛用されているようですが、大きな文学賞を取って偉大な弟の力も借りて政治家になった都知事さんまで、この言い回しを使っているのですから、やはり日本語は病んでいるのでしょうなあ。上田知事さんが言っているように「訂正」しますと、「自衛官は大変だ。平和を守るために『殺傷』の練習をしている。『国民の生命と財産を守るために頑張って下さい』と褒めたたえないといけない」という演説原稿になるのですが、何がどのように変わるのでしょう?上田知事さんは、宮崎県の東国原知事と同じように、前任の知事さんの大きな不祥事を起こした後の選挙で出て来た人です。県政がどれほど是正されたのかは存じませんが、「言葉足らず」の意味が分からない人である事だけは確かなようです。


気象庁が天気予報で使う用語が、1日改訂された。都市部の気温が上がるヒートアイランド現象などの影響で、35度以上の「猛暑日」を新設。情緒ある言葉として親しまれた「宵のうち」は、惜しまれながら姿を消すことになった。10年ぶりの大幅改訂。同庁は約1200語すべての見直し作業を実施。今年2月から3月にかけて一般から意見を募集し、最終決定した。気温の高い日を示す言葉はこれまで25度以上を「夏日」、30度以上を「真夏日」としていたが、地球温暖化やヒートアイランド現象により都市部を中心に35度以上になる日が増えたため、新たに「猛暑日」を設けた。

■「猛暑」という言葉は今までにも多用されていましたが、こうして「猛暑日」と定められますと、若者言葉の「チョー暑い」と似たような響きを感じてしまいますなあ。上出来だった「熱帯夜」に準じて「熱帯日」としたら安っぽい感じがしますが、これまでに多用された「猛暑」が使い難くなるばかりでなく、「夏日」「真夏日」の造語自体が軽薄な造語だったことを改めて証明してしまったような印象が有ります。それを隠し通すなら、今まで通りに「35度を越える真夏日」のままで良かったのではないでしょうか?


合わせて「熱中症」も追加。北海道などで昨年頻発した竜巻・突風災害で知られるようになった竜巻などの強度を示す「藤田スケール」も加わった。「宵のうち」を無くすことについては「情緒ある言葉だから残してほしい」「好きな言葉」などと反対意見が多く寄せられた。しかし、夜のもっと遅い時間帯を表すとの誤解もあるため、分かりやすい「夜のはじめ頃(ごろ)」への変更を決めた。
4月1日 時事通信

■一体、何処の誰が「夜のはじめ頃」を提案したんだ!?不健康に夜更かしが一般化したからと言って、「宵闇迫れば…」の歌詞を聴いて深夜と思う日本人が増えたのでしょうか?京都の「宵山」も「夜のはじめ頃・山」にするのか?夢二の『宵待ち草』はどうするんだ?「まだ宵の口」とは言えなくなるのか?「こ宵」は夜中のイベントでしか使えなくなるのか?どうも話が逆立ちしているようですなあ。文科省の中央教育審議会にでも、国語審議会にでも怒鳴り込んで、「宵」も知らない日本人を増やすなあ!と騒げば、国民は啓蒙されたり感動したりしたのではないでしょうか?嗚呼、「夜の始め」が広まれば、「夜の終わり」が早暁・早朝・朝ぼらけ・夜明けに取って変わられるのでしょうなあ。


松岡“還元水”大臣の事務所費問題。松岡は国会のトイレで「辞めなきゃいかんのかなぁ」と嘆息し、安倍は若手との昼食会で「ご迷惑をかけている」と謝っているが、国会では相変わらず「法に従って適切に処理」の一点張り。ところが、19日の参院予算委員会で菅義偉総務大臣が松岡擁護のこんな珍答弁をした。
「お茶やジュースは消耗品費だが、ミネラルウオーターは光熱水費。ミネラルウオーターはお茶やジュースとは明らかに違う」
政治資金収支報告書を所管する担当大臣がミネラルウオーターなら事務所の光熱水費に計上しても問題なし、との見解を示したのだから、もうムチャクチャ。……野党議員は来年の収支報告書にミネラルウオーター代の名目でガッポリ計上してみれば面白い。ところで、ミネラルウオーターでお茶をいれた場合は消耗品なのか光熱水費なのか。菅大臣、アタマは大丈夫か?
3月23日 日刊ゲンダイ

■既に松岡発言問題では、有りもしない「事務所」に、有ると言っていた「還元水生成機械」など存在していない事が報道されてしまっているそうです。菅総務大臣は『あるある大辞典』のデータ捏造問題に関しても、なかなか面白い事を言っているのですが、国語辞典に出ている「光熱費」に一字加えて「光熱水費」とした上で、その「水」の一字を拡大解釈して見せたわけですから、テレビ業界でも同じ手法を使えば恐ろしい過剰演出が可能になりますぞ!時節柄、地方自治体の選挙の季節でもありますから、御当地の方言を含めて、正確で味わい深い日本語を使える人に投票したいものですなあ。

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最近の気になる日本語 其の壱

2007-04-04 02:12:20 | 日本語
■必要な事を言葉で伝えるには、無駄を省いて順序良く遺漏の無いように工夫しなければなりません。そこで「言葉を選ぶ」「文を練る」「推敲を重ねる」という作業が不可欠になるわけであります。その反対に位置する言語文化が「即興(アドリブ)」というもので、これは当意即妙と評されるような名人芸に出来る人は非常に少ないわけでして、日本ではほぼ絶滅に瀕しているような状態であります。古くは「狂言」、江戸時代の遺産として「古典落語」などが有りまして、やはり、テレビがその凶暴性を発揮してしまったと申しましょうか、狂言では変な宗家が出し物よりも実生活の方が面白い見世物になり、名人でもない(失礼ながら…)ご老体が体調不良で引退するネタを大袈裟に取り挙げたりして商売にしている一方で、ろくな演芸番組を放送もしないのですからなあ。

■田中角栄さんが大臣だった時代に、電波法に従って免許を大盤振る舞いしてテレビ放送局が雨後の筍(たけのこ)のように誕生した歴史も、ロッキード騒動の時に御本人が「免許なんか出さなきゃ良かった」と悲しい皮肉を言ったことも、覚えている人が少なくなった昨今であります。納豆・蜜柑・味噌汁…そんな物を万能の特効薬みたいに放送した番組が有ったと大騒ぎしているようですが、もっと怪しげな番組は吐いて捨てるほど有るのではないでしょうか?米国文化を最も濃厚に浴び続けたのがテレビなのですから、エイプリル・フールの洒落っ気も真似すれば良いと思うのですが、結局、文化的にレベルの低い視聴者を相手に、高級なジョークを放送したら後が面倒だ、と言う便利な言い訳を使って楽しいパロディ番組を作ろうとしていないのではないでしょうか?

■視聴者をバカにしている一方で、かつては「大本営発表」をし続けた罪やら、米軍の占領時代に「米国万歳」をやり過ぎた恥ずかしさやら、そのまた反動に悪乗りした「安保反対!」や中国万歳、北朝鮮万歳と続いてしまった思い込みの強い報道したを総括もせず、行け行けドンドンで走って来たツケが溜まってしまったのでしょうなあ。欧州諸国が年に1回、見事な花火のように打ち上げるテレビと新聞を使った大ホラ祭りを、日本のマスコミが本気でやったらどうなるのでしょう?一つ残らず、何処かで見たり聞いたりしたネタのような印象を撒き散らしてしまうような気がしますなあ。最近の筑紫哲也さんの番組にはその兆候が濃厚の模様ですが、丹念に検証したわけではありません。少し遅れて出て来た田原総一郎さんはどうでしょう?

■今年のエイプリル・フールはいろいろと考えさせられる、妙な年のようです。ついでながら、重箱の隅をつついて見ようと思います。


千葉県市川市のマンションベランダで3月26日夜、大手英会話学校「NOVA」講師で英国人のリンゼイ・アン・ホーカーさん(22)が他殺体で見つかった事件で、ホーカーさんと市橋達也容疑者(28)=死体遺棄容疑で指名手配=が一緒にいる姿が同月25日朝、東京メトロ行徳駅前の喫茶店の防犯ビデオに写っていたことが2日、行徳署捜査本部の調べで分かった。……
4月3日 産経新聞
 
■裁判官を呆れさせているという「監禁皇子」の2代目みたいな、お医者さん夫婦の息子がカネと暇を持て余して、歪んだ趣味の外人好みの欲望と妄想を追及したとしか思えない猟奇的な事件が起きてしまいました。日本だけでなく世界に恥を晒した千葉県の警察は、まともな記者会見も開かないまま、汚名を雪ごうと頑張っておられるようですが……。長身の男が裸足で逃げ出して1週間、似顔絵だの写真だのと騒いでいても、専門家の捜査員が目の前で取り逃がし、背負っていたザックまで毟り取っているのですから、面通しは簡単でしょうなあ。容疑者に殴り倒された警察官は、夜も眠れないでしょう。同情するしかありませんが……。

■会見報道が無いので、千葉県の警察がどんな「言葉」で痛恨事を表現しているのかはまったく分かりませんが、どのマスコミも一斉に報道した上記の記事は、ちょっと立ち止まって考えると、やはり変です。「防犯ビデオ」に犯人(容疑者)が写っている?それなら「防犯」には、何の役にも立っていない事になりますから、「監視ビデオ」と呼ぶべきでしょう。テレビ業界が飛びつくような「衝撃の瞬間」も、やはり「防犯ビデオ」に記録されて報道されますなあ。犯罪の発生率が低下しているから「防犯」なのか、設置した人の願いが「防犯」なのか、犯罪に対する抑止力などという寝言を言う前に、暇とカネを持て余している若い肉体の上に載っかている脳みそに、どんな刺激的な情報が流し込まれているかを検証した方が良いでしょうなあ。人間の頭脳には妄想を無限に膨らませる容量がたっぷりと組み込まれているのですから、オウム真理教が愛用した手法で特定の映像を集中的に編集して日常的に観続ければ、現実は簡単に妄想の下敷きになって押し潰されます。

■残念ながら、マス・メディアはあらゆる妄想の持ち主に向かってでも、無差別に「情報」を送り続けねばなりません。最近も、お尻を丸出しにして名を売った女性がテレビ業界から「引退」するとて、ちょっとした騒ぎになっていたようですが、変質的に女性のお尻を好む者も有り難い視聴者の1人でしょうし、CMでもバラエティー番組でも、やたらと白人女性を映し出すテレビの画面を常軌を逸した興味を持って観ている視聴者も居るわけですから、ややこしい映像は、ややこしい場所に出掛けて手に入れるようにしておかないと不味いのではないでしょうか?『あるある大辞典』で学習したテレビは、これからは小まめに言い訳がましいテロップを、これでもか!というほど流すのでしょうなあ。