マタイによる福音書から
預言者ダニエルによって言われた。荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
筆者は神秘主義者ではないし、預言や予言の類を余り信用しない。だが、今確実に我々の心中には予感めいたものがジワジワとワジーワジーと湧いてきている。それは安倍一派が煽っている対中、対北、対テロ脅威の事ばかりではない。あらゆることにわたって不安と薄気味悪さを感じないわけにいかない。
安倍一派のアナクロニズムが醸す世間の雰囲気やら実態、更に大震災原発災害の記憶も未だはっきりとしている中での東京五輪話やその他の浮かれ話、原発再稼働、沖縄蹂躙、武器輸出、原発輸出、タカ派トランプ旋風、世界に充満し始めたpost truth現象。我々を取り巻く環境は、少なくとも戦後70年以上の時間経過が淘汰する「敗戦に纏わるコモンセンス」ともいうべきあらゆる真面目な話の行方が、最早取り返しのつかない領域にまで追いやられている様として実感されてきた。大方の読者にはこの事実に異論はあるまい。
今起こっていることはまさに「火中の栗」並の安易さにすら程遠い。栗を拾おうとすれば確実に愚かしい火傷を避けられず場合によっては「木乃伊取りの木乃伊」、命さえ奪われることを覚悟しなければならない。見よ、アベのウツケが得意げに自信満々言いのける国会の惨状を。野党が問題なのではない、そういう次元を超えたところで「荒らす憎むべき者」が、立ってはならない場所に立っているのだ。この惨状に希望を見るとすれば、アベが死ぬか、議員を辞職するか、さもなくばアベが自己反省しおのれの恣意性にピリオドを打ち、真摯に国民の声に耳を貸すか、だ。どれも余り期待できない。従って今この国は絶望の真っただ中に置かれている。
トランプ政権のシリア滅多殺し戦争は世界の批判を浴びている。これをもろ手で賛美したアベのバカは国の恥さらしだ。しかし、この男が権力を振るっている限り、この政権が繰り出す一切が現実に具体的に不安と恐怖、底知れぬ不気味な事態を引き出しているとわかった上は「逃げ恥」は確かに有効であろう。この国に居てはならない。少なくとも精神の自由は何としてでも確保せねばならない。琉球沖縄などはさっさと独立すべきであろう。海外逃亡しても埒が明かない。卑怯者になることだ。どうせアベなんぞは自宅地下にシェルター完備、官邸にはいくらでも逃げ道が隠されている。馬鹿を見るのは我々だ。そうならないように否でも本気で利口にならなければならない。(つづく)