沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩626 偽物横行の世界的現象と沖縄の闘い 12 安倍晋三の無責任国政1

2017年04月02日 15時00分07秒 | マスコミジャーナリズム

 下世話な話だが、不倫は文化なんかじゃない、それは恥知らずな(秘匿性がある半公然の)性衝動の暴走であり、自慰行為の延長乃至過激化(甘美な官能への耽溺)、恣意的で利己的な言い訳の温床となり、そして必ず高くつく代償を払うことになる。その低俗な実例は巷間に溢れているから今更実態を見直す必要もないが、多くの場合不倫不貞行為の末、離婚してもうまくいかずに別れるケースが過半を占めるらしい。但し、この場合「自由」という観点で物申せば「自由恋愛」の実践といえなくもない。

 さて、この不倫という言葉を概念的に倫理性不在、倫理感の欠如、というふうに捉えるなら、何も婚姻男女の事案に留まらず、この安倍政権下の政治の場ではしばしば見受けられ、しかも公然、堂々とやってのけられているのを、既に随所で目の当たりにしている。簡単に言えば、極めて恣意的な思惑に基づいて国家政府の施策が決定実践され、バックの三権を私物化して民意に対し問答無用を言い渡し、しかも現行憲法を否定するような、到底受容できそうもない(彼等だけに通用する)私家憲法を復古的に強引に持ち込んでこの国を元来た道へ引き戻そうという話だ。その馬鹿げた実態の一々を今論う暇はないが、しかし我々は今後ともこれをしっかりと注視し監視していく必要がある。同時に安倍政権に明確に「ノー」を突きつける決定的な意思表示こそ求めなければならない。今は「他に適当な党派がない」という理由での消極的支持さえ彼らに与えてはならないのだ。彼らの不倫性、恥知らずな恣意的政治、玉砕主義、更に、諸共滅びることを躊躇わない虚無的な亡国の徒、いずれの評価も史上最悪の結論へ導くものがある。彼らの無責任さはこの国の為政者の政治的精神的伝統なのだが、この安倍政権におけるいい加減さ、でたらめ加減は実際、恥知らずにもほどがあるというものだ。これは言うまでもなく主として政治家不在の官僚主導政治形質にその淵源があり、戦後自民系保守政治の腐った土性骨そのものだったわけで、所詮、材料・資料・参考媒体にすぎない官僚の政策立案は、当然に国民の主たる意思を背景に、高度な政治的判断を仰ぐものなのだが(つまりこの判断に於いて当事者たる政治家の責任が派生するのだが)安倍政権はこれをよくも検証、検討し遍く議題に付すということもなく、強権的に、多数決原理に全面依拠して強行採決してしまうというやりかたで、結局は最終的に責任をとれないほどの大団円を演出するという、玉砕的亡国主義に突っ込んでいくのである。(つづく)