沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩531 考察 13

2014年05月25日 07時28分46秒 | 政治論

 今後辺野古を巡る地元名護市、名護市長乃至活動家、住民、有志に対しては国家による尋常ならざる締め付けが、日を追うごとにその強度を加速度的に上昇させるのであろうが、日米政府に民主的正当性がない以上、これからは世界レベルの理念闘争に移行し、反対派反対言論糾合による「島ぐるみ」の闘いに、人々の声を拡張拡散させなければならない。そうした基本的な市民的思潮形勢作りのもと、戦略的正鵠さを有した現実的行動を通じ実際に国策行為を確実に阻止していかなければ、これまで何度も何年も味あわされてきた理不尽な、不条理な国策の犠牲者としての運命を、今後も抜き差しならず、否でも引き受けなければならなくなる。それは恐らく、かつて琉球沖縄が、日本国に強いられた王府以来の囲い込みに安んじて、被抑圧民族待遇を無抵抗に甘受し、同化さえし、ヤマトゥ化した戦前を再現することでしかない。こうした事柄に関する「移住者」の危機感は、もしかするとウチナンチュより切実に、胸に迫る思いで持っているものではないか。沖縄戦の激越な洗礼は未だに過去のものではなく勿論現代に甦る亡霊的な脅威でもなく、まさに政府が前のめりに日米安保の実質的補填としての「血の代償」を求めて集団的自衛権行使容認に突き進もうとする矢先、この守礼の邦が身を賭しても、国家のあらゆる軍事的拡大行為を阻止するための生きた実践教訓たることを、内外に強烈にアピールすべきことなのである。(つづく)