沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩527 フテンマの本質 4 外国の軍隊である米軍が駐留するということ

2014年05月16日 20時10分48秒 | 政治論

 外国の軍隊である米軍が、第二次大戦後69年にわたって、経済的に世界第二か三位の地位にいる国家に永らく駐留し続けている、ということ。その国家が敗戦国であること。主として保守政権により牛耳られてきた政府方針に、この駐留状態をむしろ強く支持し強化し堅持しようという意思がはっきりと示されている、ということ。こうした事実に一切変更がなかったのは驚くべきことではある。いみじくも変更がなかった事実に「敗戦国」という既定の定義が絶え間なくあったのは蓋し奇観とも称すべきことだ。今、安倍晋三率いる政権が基本的に目指しているのは、この「敗戦国」という事実に対してそれが醸し出すあらゆる負のイメージを払拭し、世界の「独立国家」が当然に保持している戦争遂行能力の回復に焦点を絞り、その前段階の集団的自衛権行使容認の合法性を取り付けることである。

 普天間問題は代替の施設建設なしには解決の道はない、と現政権以下日本国政府官僚は踏んでいる。所が彼ら自身気づいているように、そもそも米軍基地縮小の流れで立ちあがったはずの「世界一危険な軍事基地」と見做された普天間飛行場の返還事業が、明らかな論理的矛盾にある同一県内移設と結託したとき、全ては政治的な混沌のうちに投げ込まれてしまった。つまり要諦は軍事的要件からはずれ政治的な意味合いにしか論拠を持たないという、実もふたもない茶番に堕したのだ。何故それは混沌か。ここには、憲法9条同様に、およそ戦後日本が運命的に課された「敗戦国」縛りのうちの再軍備軍国復活禁忌領域における様々な自己矛盾問題の一環としての沖縄扱いが、極めてセンセティブな性格を負っているがゆえに、一筋縄では縛しえないで無数の枝葉をくっつけながら永久に空しく未解決問題と化す危険性に置かれた、という事情がある。

 このような、余りにも煮込みすぎた寄せ鍋状態にあるからこそ、「フテンマ」はカタカナ表記にせざるを得ないのだ。彼ら政権が、焦燥と性急さに押し込まれながら「非人間的」「事務的」法手続きのうえでの強行路線を鳴り物入りで突き進んでみたところで、むしろ、より複層化した「沖縄問題」という問題に、いやでも取り組まなければならないという政治的課題を、更に困難に満ちた状況であつかわねばならなくなるだけだ。(つづく)