沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩531 考察 12

2014年05月24日 11時06分57秒 | 政治論

 1999年~2003年時、在沖米海兵隊総司令官だったジェームズ・ジョーンズ氏と訪米中の稲峯名護市長が会談した内容によると、氏が再編協議に関与していた当時、辺野古移設なしの米軍再編は少なくとも実務者レベル乃至軍関係担当者の間では可能である認識にあったことを述べ、結局日米政府がこれを受け入れなかった経緯があることを明かした。これを政治的環境、というのなら、こうした政治の質というのはどこからも切り崩すことのできないものとして厳然と存在し続けるということなのだろうか。

 在沖米軍基地の、沖縄でなければならない絶対的必要条件はあらゆる観点から消去される論調になっている。勿論実際上21世紀の世界情勢に鑑みても、一地方自治体の7割以上の反発、拒否姿勢のなかにあってこれを存続させるべき事情は軍にも住民にもないのにかかわらず、日米政府は知事承認後一層強硬に18年かけた合意案の正当性を主張してやまない。これが彼らの政治的環境である。しかしそこにはハーグ陸戦条約違反要件のクリアは絶えてないし、県に呈示した環境アセス上の実質的危惧に対する良識的見解も示されてないしあるのはただ政府間合意だけである。しかも一切の民主的な手法により示されてきた県乃至地元の意思というのは悉く無視されてきた。

 何度も言うように最終的にここにあるのは明確に「国家対人民」という対立性だ。厚木基地航空機騒音に対する横浜地裁判決が、基本的には全てに援用される。この判決が国際司法的観点を留保した(自衛隊機のみ差し止めし米軍機は失当とされた)のは愚かなその場しのぎではあるが、「国家」に対する「民生」の優位性を示したのは当然であり、憲法の遵法精神に沿うものと評価される。こうした本来的正当性を蔑ろにして己らが勝手に決めた政府間合意こそ正当だと主張する日米政府の政治的環境は、理不尽、不条理、不当、差別そのものと言われも仕方がない。(つづく)