沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩521 憲法 3

2014年05月04日 18時49分00秒 | 政治論

 琉球沖縄に来て(移住して)8年目にしてほぼ次のような印象を持つに至った。

 琉球沖縄に関心を持った初めの数年、何故日本政府は、県民があれほどに反対しているのになんやかや理屈をつけては必ずや米国の言うがままに米軍展開の諸事につきこれを琉球沖縄の地に適用するのか、という疑問を持ち続けていた。そしてほぼ確実に日本政府は、他県に比べた場合琉球沖縄に限ってこうした「無理強い」「押しつけ」「強行」といった性格の経緯を辿って、多くの局面で米軍展開を「無関税」で輸入し続けているし、そのことに関しなんらの配慮も反省も実質的に持たずに過ごしてきたはずだった。抑々自衛隊も日米軍事同盟も明らかに憲法に抵触する組織協約であり、共にまたその憲法を起草したはずの米国の言うがまま、なし崩しに成立した事案以外の何物でもない。我々は戦後世代ながらこの事実を知っているし、あらゆる理屈が全てこじつけと適当な解釈で捻じ曲げたものだった経緯を見聞きしている。そしてなにより決定的だったのは、戦前明治憲法下、皇国史観のもと、絶対的に権威を持っていた所謂天皇制国体論が、超国家的外交的レベルで日米両国間に妥協的にすら維持されるべく方針化され、戦後もまたこの幻想的な国体が幻想的な「核の傘」とともに「天皇メッセージ」を尾ひれのようにくっつけて、琉球島嶼を「人質」とすることになんのためらいもなかったのだった。何故本土の基地は反対運動とともに沖縄に流れていったか。これは明瞭に、憲法違背の事案がまともに本土の人民の脳髄と感性に論理的に組み立てえないという、自然の勢いに付されていたためであり、沖縄に流れ着いたのは結局沖縄戦における米軍米国の信託統治思潮形成事情によったのだった。(つづく)