沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩524 戦争 7

2014年05月12日 15時56分34秒 | 政治論

 イラクアフガン対テロ戦争派遣兵士(米国)の、この戦争に対する個人が行った告発の数々を網羅した「冬の兵士」と題した公聴会は、2008年3月に開催された。「反戦イラク帰還兵の会(JVAW)」が主催したのだが、このころ未だ米軍はイラク国内に展開していたので、この反戦の会の主たる目的はその戦争からの撤退を呼びかけることであり、同時にまた「退役・現役軍人の医療保障」「イラク国民への賠償」をも要求するものであった。会とアーロン・グランツ(フリージャーナリスト)が共同でまとめた「冬の兵士」と題した証言集は2003年7月以降TUP(Translators United for Peace 平和を目指す翻訳者群)速報によって順次配信され緊急出版されるとこれが翻訳され2009年8月に日本でも発行された。

 この証言集に切々とかつ生々しく語られている事柄の断片は、確かにウィキリークスなどで既に我々の目に触れていたことではあるが、こうも明らかに人事に相応しくない現代戦争の実情を目の当たりにすると、主に第二次大戦後米国主導で繰り返され、されつつある「国際紛争の解決手段」として選択されてきた軍事的な行動が、我々人間の通常の感覚を超えて戦争主体である兵士個人を追い詰め、その人生を滅ぼす作用をすることにいやでも気づかされる。軍隊論理は明らかに「真空地帯」のうちにその凶暴にして情け容赦ない非人情をはびこらせ(その大元はその訓練において人を殺すことに全目的が集中され機械化される過程で、一切の歯止めを失うのである)、対象が子供、女、老人でも見境なく発砲されるテロ戦争規範「やられる前にやれ」という究極の発想に行き着く。この殺人訓練を琉球沖縄の地で彼らは今もこれからも、沖縄県民のことなどお構いなく、人の住む普通の町や村、辺地において我が物顔にやり続けている。そして実戦においては戦場神経症に陥り、そのアフターケアさえままならぬ実態にあることなど、志願して派遣された彼ら若い兵士たちは知る由もない。(つづく)