我々は戦争を知らない世代である。戦前に生まれていても、幼すぎて「経験化」し得ない世代もあり、又極めて高齢(80代後半以降)でなければ戦前も戦後まもなくも、「自覚的な体験」としては明確にこれをもち得ない場合が往々にしてある。そうした高齢の語り部たりうる人たちにおいて見られる物理的限界を考慮すれば、言わば、戦後の日本人が実体験に即した戦争観を持つということは、いよいよ困難な状況に置かれ始めているということになるのだろう。このことは、「戦争」について考えるときには極めて重大にして重要な意味を持つと思われる。それで沖縄戦を体験したここ琉球島嶼では、語り継ぐための聞き取りなど通じ、可能な限り微細にあの戦争を我々の追体験的な記憶として残そうという努力がつづけられている。こうした試みはここでは、対象が老若男女のいかんを問わず、日々見たり聞いたり触れたりする機会において、本土とはまるで違った独特な様相を呈していて、ローカルな報道においても、沖縄戦とこれにまつわる様々な出来事に関する多くの情報が殆ど毎日のように齎されている。あの「戦争」を現代の我々の日常生活内においてとらえ返そうという試みこそ、この地における「非戦」の誓いをより強固に、確かなものとし、感性や情念、感触のうちに脈々と息づかせる手段たりうるのだ。(つづく)