沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩380 ジャーナルに意見具申しないと蔓延り始める右翼、という危険 

2012年09月15日 00時26分34秒 | 政治論
 ジャーナリズムとはジャーナルに事変に対応していくことに文民的果実を見出す作業ということだと思われるが、このジャーナル「日々」という意味の中には勿論「歴史的光源」が含まれるはずであり単純な時系列の一単位のみを指すわけではない。ところが「その日暮らし」の「右翼系ジャーナリズム」は、論理に基づく理論は勿論、歴史的視野も持ち合わせないので、日々所謂「左翼モグラたたき」や「揚げ足取り」に勤しんでいて、しばしば、さながらしつこい雑草の類のごとく「抜いても抜いても」毎日生えてくる非情なていたらくのわけさ。で、こういうやからに気を取られていると足元が見えなくなり、歴史の潮流から弾き出され、日常的忙殺の中に霞んでいくということになる。彼らがでっち上げる嘘、意味のない空論、論理性のない「議論のための議論」、扇情的に言い募る空疎なプロパガンダ、がとりわけネットジャーナリズム横溢する昨今急激にかつ脅威的に急迫する実情にあってはこれを屡々排撃しないわけにもいかないのだが、ところで日米安保の枠組みの中で「右傾化する」ということはどういうことかというと、ある論難から引用するなら、自衛隊を国軍化し憲法を改悪し集団的自衛権行使を可能にし、かつ原発使用済み核燃料の再利用、ウラン、プルトニウム抽出により核兵器開発可能な状態に据え置き(既に廃炉だろうがなんだろうが原発は核兵器のためには、いつでも再利用可能な貯蔵施設のはずだ)米軍の友軍、乃至補助軍として戦争のための実戦訓練強化により米軍行くところどこへでも直ちに出向しうる体制にするわけだ。この、核開発は、米軍「核の傘」関係からすると同盟効果の否定につながるが国内核実験の困難さやら膨大な費用の観点から恐らくは核資源輸出の方向に行くのだろう。で、このような体制作りのために安倍晋三、橋下徹、らを筆頭にこの国のおそらく少なくない数の知識人を巻き込んで、自虐史観の修正、歴史教科書記述変更等による旧軍悪弊隠蔽と同時に皇国「美しい国」への献身的犠牲の美化、つまりは国のために死して尽くすことが「愛国」であり、死を恐れないことにこの国の絶頂的歓喜を象徴化する企てに邁進するわけだ。今自民民主それに公明維新をくわえて、正当な理念的国家改造姿勢すら一切諦めたこの国の自称「憂国の士」どもが「我々」人民の生き延びる代(しろ)を奪い取って破滅への階段を上り始めている。かのオスプレイ配備を皮切りに蹴散らし蹴散らし、いったいどのような鐵の鉤十字を掲げるものやら。(中断)


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