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新しいことを見つけるって楽しい!

2019年を振り返る2

2019年12月31日 | その他もろもろ
仕事の話:
①出版が遅れに遅れていた福島原発事故後の家畜の調査の論文集がやっと出版されました。共著もあったので、2本です。さらにもう一つ書いている論文があって、年末に英語校閲に出せたので、年が明けたら投稿したいと思っています。
②フリーペーパーにインタビュー記事が載り、そこから発展してみやぎ生協さんの小冊子に記事を書くことに。また、公衆衛生協会の冊子にも記事を出すことになっていて、執筆活動は順調です。
③分担で比較的規模の大きい研究費に採択され、チームは大喜び。栄養・代謝系の仕事ですが、相手が「牛」なのがこれまでと違うところ。
④上記とも関連しますが、培養系の仕事が増えてきました。臨床からいただいてくる組織からの初代培養が軌道に乗りつつあります。寄生虫や節足動物の仕事もそうですが、現場のみなさんの協力なしにはできないことなので、このネットワークが構築できていることが一番ありがたいことです。
⑤加齢によって免疫応答は変化する。しかしその機序はまだはっきりわかっていません。何年も取り組んでいるテーマですが、今年少し先が見えてきて、わくわくしています。せっかく見つけた種なので、大事に育てたい。来年は一気に研究を加速させたいです。

生活:
先の記事にも書きましたが、朝早く仕事を始めるというベースができたので、だらだら長時間仕事をすることから脱却できたと思っています。同時に、持ち物をかなり整理して減らしました。この年になると自分が好きなものははっきりしているわけなので、それを大事に。気に入らないものを身近においておくのはやめようと。おかげで生活そのものが、仕事も含めてかなりシンプルになり、すっきりしました。来年はさらにものを減らすことが目標です。ものを減らすと自由度が増しますね。メンタルもすっきりします。


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すそ野を広げる

2019年12月05日 | その他もろもろ
今朝の新聞に、若手研究者支援の話が出ていました。日本の科学技術を担う人材が育っていない、新しいインパクトのある研究が減っている等々の危機感から、政府が支援を行うとのこと。若手支援は本当に重要なことで、ぜひ進めていただきたいと思います。一方で、ハイレベルな研究や人材が出てくるためにはサイエンスというフィールドにたくさんの人が参入しないといけないんだろうと思うんです。すそ野を広げるってことですね。この間ラグビーで日本中が盛り上がりましたが、世界レベルの選手が大勢出てくるには、もっと競技人口を増やさなければという話がありました。それと一緒だと思います。ハイレベルな研究室に研究費を集中的に注ぐのはバラマキより効果が高い、かもしれませんが、わが国のサイエンスのレベルを底上げするということも同時に進めないといけないと思います。そのためには地方にある大学の教育費、研究費をきちんと担保すべきです。そこに税金を使うべきです。また、こどもたちの科学への関心を高めていくことも重要だと思いますが、こどもというのはほっておいても自然科学への関心は高いんです。それを邪魔しないことが大事だと思います。こども時代に自由に探究することが、将来どれほど大きな力になるか知ってもらいたい。高校や大学になってから「自分で考える力がとぼしい」とか「自発的な学習が足りない」と言われるとちょっと遅いんじゃないかという気がします。わたしは大学で教えていますが、小さい頃からの積み重ねの上に高等教育があるはずなのに、積み重なってないから上に載せられない。科学技術には新しいアイデアが重要っていうけど、自分に引き出しがないのに新しいものなんか出るはずないです。世界レベルの新技術を生み出さなくても、日々の生活の中に科学は生きています。知識があれば生かせるんです。それが生活を豊かにするんだと、わたしは思います。すそ野を広げるってことは、能力が抜きんでてない人にも科学を楽しんでもらう、生かしてもらうってことだと思うんです。それを切り捨ててトップレベルだけ育てようとしても無理じゃないかなあ。競技人口が多いほど高いレベルの人材が生まれてくるんです。国には、ぜひすそ野を広げるってことにも真剣に取り組んでほしいです。
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何かが動き出す

2019年10月30日 | その他もろもろ
昨日、無事に科研費申請書が完成して、事務に送りました。今朝起きたら「はっ。あそこをこうしたら、、、」とちょっとした修正が頭に浮かびましたが(寝ながら考えていたんだろうな)、大きなことではないのでもう忘れることにしました。昨日、区切りをつけたんだし、完成したと思っても見直せばちょっと直そうかなってなってキリがない。どこかで終わりにしないといけないんです。論文も同じですが、際限なく考えてたら終わらない。締め切りはあった方がいいんです。その時点でのベストを尽くせば、それで。

そんなわけで、今日から新しいスタート。
しかし今日はとにかく忙しかった。講義に、会議が3つ。合間に3年生にマウスのハンドリングを教え、締め切りの来てる書類を書き。そんなわけで執筆はなにもできませんでしたが、今後は、論文の仕上げに集中します。それが個人的な動き。さらに、学内の様々なことが変化する気配が出てきました。これはとてもよいこと。現状維持は停滞です。わたしは常に変化に向かっていきたい。いろんな壁にぶつかるけれど、当たって砕けろじゃなくて、いろんなやり方で突破していきたい。変化を求める限り、毎日新しいことがあって、おもしろいことが起こってくるんです。
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整理するもの・捨てるもの

2019年10月22日 | その他もろもろ
研究室・机の上は整理しておきたいので、定期的に片づけをしています。書類を横積みにしていくと崩れるし、下にあるものを見逃すので、「未処理・必読」と書いた場所に立てて並べてあります。合間時間が5分でも10分でもあれば、その場所にあるものを読んでファイルしたり、そのまま捨てたりします。翌朝来てすぐ処理するものはPC横に横置きして帰宅しますが、せいぜい2点で、とにかく机の上が散らからないようにしています。

片づけをしていると、「時間が経ったというだけで捨てられるものがけっこうあるんだな~」と実感します。執筆している間はすぐそばにおいておかないといけなかった資料も棚に移せるようになるし、時期が過ぎてしまって不要になるものもあるしで、とにかく5分でもいくつかの書類は紙ごみ箱に移動できます。

しかし、母艦の方の本棚の書類・書籍をそろそろ何とかしないといけない気がしてきました。ちょっと処分しないと新しいものが入らないです。わたしの持ってる書類とか本ってけっこう高さがあって、ラックの棚の高さを大きく取らないといけないから、スペースが限られるんですよね。

今日は祝日ですが、学生がゼミをやるというので朝から普通に仕事してましたが、せめて早く帰ろうかと思ってさっきから終い支度をしていたところです。普段よりちょっと時間に余裕があるので、いつもより余分に片づけをしたら、いろんなところがもっと気になりだし。思い切って会議資料も処分しようかな、、、。まあ、とにかく捨てるのって快感ですからね。やりたくなってしまうんですよねー。
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終わりなき旅

2019年10月02日 | その他もろもろ
ミスチルの曲の中で「終わりなき旅」が一番好きです。が、今日は歌の話じゃなくて。仕事が終わらず「終わりなき旅」を走ってるという話。

昨日、東京出張で最終のはやぶさで仙台に戻り、日付が変わる頃帰宅。今朝は1限から講義があったので、8時に出勤。その後、先月学会で出席できなかった研究倫理の研修会に出て、さらにその後会議。その合間に学生の面談、そして締め切りが迫ってたり過ぎてたりする書類を作成。メールの返事も山ほど。

でもやっぱり終わらないんです。
が、帰って家族のごはんも作らないといけないのでもう帰ります。帰宅時間を誤ると、結局翌日に悪影響が出るので、もうタイムリミット。けど、終わってない感が強いので、一日の達成感がないー。

実はこの間、話題の「一日一生」を読んだんですよね。
 毎日がそれぞれ一生だ、と思って生きていく。
今日のことは今日で終わり、明日はまた明日で生きていこう。そういう本なんですが、今日のやるべきことが終わらないと、ちょっと気持ちにゆがみが。でもそれがだめなのかな。明日に持ち越すってのがいけないかもね。今日は終わらなかったけど、気持ちはここに置いて、とにかく帰って、おいしいものを一心に作って食べて、そしてしあわせに寝よう、ってのが大事なのかもしれないな、と思って気を取り直して、さて帰ります。
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平和を作り出すひと

2019年08月19日 | その他もろもろ
8月は歴史や平和について思いをはせることの多い月です。わたしは1964年に生まれました。前回の東京オリンピックの年で、わたしが成長した時代は社会も成長の時代でした。わたしの古い記憶は4歳くらいから始まっていますが、新しいものがどんどん生まれていることを実感していました。住宅地が造成され、新幹線が通り、お店もどんどんできて、という活気がありました。私は自分が育った時代のちょっと前に戦争があったとは全く思いもしないで子供時代を過ごしていました。もう少し大きくなって、私が生まれる19年前に戦争が終わったんだと聞いても、ものすごく前の話と思っていたのです。

でも、今は違う思いを持っています。わたしは阪神淡路大震災を体験しましたが、それから20年が過ぎたとき、「えっ。この間のことのようなのに。」と思いました。東北の震災も、まだ8年ですけれども、20年たった時に昔のこと、、とは到底思えないでしょう。

だから私の周りの大人たちは戦争があったことを自分のこととして覚えている時代だったのだと思います。また、わたしの一番古い記憶、4歳の頃というのは50年以上も前の話になるわけですが、1964年の50年前は大正時代です。つまり、明治や大正を生きた人たちが、まだ壮健だったということです。そういうことを考えると、自分の生きてきた時代は、先人の絶え間ない努力の末に生まれた平和と成長の時代であったのだということが実感として迫ってきます。今の私たちの豊かさ(ちょっとすでにピークを過ぎて失われつつはありますが)は、多くの名もなき人々が道を切り開いてきてくれた結果なのだということ。

平和というのは、一人一人が作り出すものだと思います。私たちも名もなき一人ではありますが、この社会の未来に道が残っていくのです。失われた命を想い、今できる最善を尽くすということを絶え間なく続けていくことが、未来を作っていくのだということを覚え、日々を悔いなく生きていきたいと願います。


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文系か理系か

2019年08月14日 | その他もろもろ
この間新聞を読んでいたら、ある大学生が高校時代に文系を選び、現在も文系の学部に所属しているけれど、今頃になって理系の学問に興味がわいてきた。だけど大学のシステムのせいで聴講もできないし、転学部も難しい。高校の時に文理の選択をするのは早すぎないか、というような内容が載っていて(記憶のまま書いてますので多少間違ってる部分もあるかもれません)、なるほどなあと思いました。

わたしは、「高校の選択としては理系も文系も、はっきり言ってどっちでもいい。大学に入って新たな興味が出てきたら、大学のコースに関わらず自分でどんどん勉強したらいい。学部で学ぶことは「専門」の科目と思っている人が多いかもしれないけど、学部4年間で覚えた「知識」はすぐ古くなるし、すぐ役に立たなくなる。むしろ学部では学問体系というものを知り、学術的な勉強をする「方法」を身に着けるのだと考えてほしい。その方法さえ修得していれば、関わったことのない分野でもどうやって勉強をしていったらいいのかがわかるので、取り組めるようになる。」と考えています。大学を卒業して社会人になったら勉強終わり、じゃありません。我々は一生学んでいけるのです。

しかし、その前提として非常に重要な基礎的知識を、高校卒業までに身に着けるということが、ちょっとおろそかになっていると思います。かなり極端かもしれませんが、わたしは、高校では理系科目が苦手だなという人が理系で学び、文系科目が苦手な人が文系で学んでもいいくらいではないかと考えるくらいです。わたし自身は理系にいるわけですが、高校までの自然科学の知識がきちんと頭に入ってるかどうか、というのはむしろ文系の人にこそ重要、まれには生死を分けるくらいのことにもなるのではないかと思っています。

昔、共通一次という評判の悪い入試がありましたが、あの制度で非常によかったことは、文系だろうが理系だろうがどっちの科目もきちんと2つずつそろえないといけなかったこと。受験生には負担でした。一つの分野に抜きんでていた人にはうまく選抜機能が働かなかったかもしれません、でも、やはりある一定ラインはすべての高校生が修得すべきではないのかと思います。

そこができていれば、大学以降の学部がどこであれ、後で違う分野の勉強を始めるときの心理的なハードルがかなり下がると思います。社会人になって、大学までの知識で十分というシチュエーションで生きていける人はまれでしょう。新しい知識やスキルがどんどん必要になります。そのためのベースになるのは、高校までの学修だろうと私は思います。高校で極端な文理を隔てるカリキュラムの中で勉強し、文系の生徒が生物も化学もほとんどやらないで大学に来れば、さすがにいきなり「遺伝子やりたいな」と思ってもできないでしょう。だけど、一応一般的な高校では基礎レベルの理科はどの生徒もやることになっています。高校で習うことは昔よりずっとずっと多くなっていて、子供達には負担でしょう。だけど教科書レベルは絶対に身に着けてほしい。そしたら後の人生に応用がききます。

新聞記事に出ていた大学生は、これからは自分で好きなことを勉強していってほしいです。そのために足りない基礎知識は、本を読むことで得られます。もしも高校で理科の科目を十分学んでいなかったな、と感じるのならば、最初に手に取るのは高校の教科書がいいでしょう。そのあとは、どんな学問にも初学者用の教科書的な本がありますので、それを通してよむ。わかるところをつまみ食いではなくて、全部読んでください。その学問の概要をつかむことが大事です。その先は、その本にもっと詳しいことはここに載っていますよという情報があるはずですから、それを引いていくといいです。わからなくて進めない時は、わかる人を探して聞くといいでしょう。母校の先生方はきっと別の分野の人でも教えてくれるでしょうし、もっと身近にもきっといろんな分野の人がいて、教えてくれると思います。勉強しようという意志と、勉強の方法がわかっていれば、卒後もきっと新しいことを身に着けられるでしょう。


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相変わらずちょっと寒い

2019年05月13日 | その他もろもろ
GWが寒く始まり、途中で「こんなに急に暑くなったらいやだな」と思うくらい気温が上がったのですが、案外また落ち着いてきて、「やや寒い」日々です。仙台はこのくらいでなきゃ仙台とは言えない(笑)。いつまでも、長袖。いつまでも、ちょっと暖房がほしいような気温。日差しがあると外の方があったかいかもしれないけど、建物の中は冷たーい感じ。そして夜になるとまじめに寒い。

まあちょっと安心しました。あまり急に半袖の気候になると「季節、待って!」という気分になるから。ゆっくり楽しみたいんですよ、この時期は。やっと来た春なんだから。

ところで、先週は「仕事を効率的に!早く帰るぞ!」という気合の元に仕事をしていて、朝早く来る分、本当に早めに帰宅できていたのですが、後半そのリズムが崩れまして、金曜日はかなり疲れて帰りました。単に帰りが遅くなったので疲れたと思っていたのですが、土曜の朝起きてみたら明らかに「何かに感染した!」という状態になっており。しかし幸いなことに熱も出ず、鼻も出ず、体のあちこちが痛くてだるい、のどが痛くて声が出ない、という程度で済んだのでまあよかったんです。今朝は8割がた回復してました。しかし今日は目標としていた時間には帰宅できず。なぜかというと、夕方になってから論文書きのペースが上がって調子よくなってきたのに、つまんない書類作成がぽーんと横やりで入ってきて、気分が悪ーくなり、切りのいいところまで書けなかったからです。夕方ペースが上がったおかげで論文をざくざく読めたのはよかったのですが、読んだ分、書き落としておきたかったんですよね。せっかく頭に入ってきたものをそのままにしておいたら全部忘れちゃうし。書いておかないと。そんなわけで、英語の正確さには目をつぶってざざっと書きたいことだけ書いて、今日は区切りとしました。明日の朝また続きをやります。そのためにも早く帰って早く寝ないと。

わたしの元気のベースはとにかく生活リズム。朝早くは「黄金の時間」だから、そこを仕事のために確保するためには、遅くまで仕事してちゃだめなんだ、ってことを、最近改めて実感しています。さあ、帰ろう!
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連休と仕事

2019年04月28日 | その他もろもろ
連休に入りました。
連休明けに締め切りがある研究費の申請書2本をかかえていましたが、連休に入る前に1本は完全に仕上げ、決裁も終わったので今日これから郵送予定(でも休みに入ってしまったので、時間外でも開いてる郵便局へ)。もう1本は分担なので、自分の分を仕上げて先方に送付、これでGWはちょっと余裕、、、と思ってましたが、今日さっそく先方から返信あり。まあ作業量は多くはありません。今日は夜にTV会議もあるので、仕事はまとめて今日やろうというわけで、昼から大学に来ました。GW中にやりたかったことの第一は冷凍庫の整理。毎年3月末にやってましたが、今年は3月末に冷凍庫が壊れてそれどころじゃなかったんです。壊れた冷凍庫はそのままの状態で、避難先になった別の冷凍庫が、このままではサンプルを出せない状態に詰め込まれているので、今日は泣く泣くいくつかサンプルを捨てて、整理しました。まだ完全じゃありませんが、連休明けにドライアイスを頼んで続きをやります。

家の方も、昨日は半日かけて片付け。不用と思ってないけどスペースを空ける必要があって無理くりいくつかのモノを捨てました。懐かしい系のモノですね。とっておきたかったけど、スペースがないからあきらめました。GWはいつも大物を洗う、冬物を片付ける等の作業もあるんですが、今年はどうしたことか寒すぎて、冬物はまだしまえそうにありません。GW後半は気温が上がることを期待。

家庭も職場も物が多すぎると自由が奪われる。探し物で時間を無駄にする。ということで、定期的に整理していますが、もうちょっと思い切らないと「スッキリ」まではいかない感じです。だからこのGWはかなり思い切って片付けるつもり。しかし大学は紙が多くて参りますね。

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新年のご挨拶

2019年01月05日 | その他もろもろ
あけましておめでとうございます。

年末は大阪で、年始は仙台で過ごしました。
昨日より仕事も始まりました。

年末に2018年の総括ができなかったので、まずは振り返り。
2018年もいろいろなところに旅しました。最後は福岡。ついでに有田に行き、源右衛門窯を見学できて大変うれしかったです。福岡は免疫学会でした。2018年は7月のオクスフォード大での国際粘膜免疫学会も、9月の獣医学会もとても楽しい学会でした。

研究費は、科研費と伊藤記念財団助成金、受託、奨学寄附金などをいただき、また学内でも指定研究をいただいて、新しい研究に着手することができました。とくに、伊藤記念財団の助成金による「放牧牛の消化管寄生虫の調査」と、学内指定研究による「節足動物が媒介するウイルス性感染症の調査」は、新しいネットワークを開いてくれたテーマで、苦労はしましたがわくわくする時間が増えました。

論文は、2018年中に印刷まで至らなかったのですが、1-3月に必死になって書いた論文集が年末にまとまり、たぶん今年の早い時期に公開されるものと思われます。また、共同研究者の論文が年の瀬になってからアクセプトの知らせがあり、共著に加えていただいているのでそれも印刷が大変楽しみなところです。

研究室は昨年3月に4人の卒業生を送り出し、秋には新しく4人の3年生を迎え、にぎやかになっています。

さて、例年、読んだ本の数を記録しているのですが、2018年は忙しすぎて22冊しか読んでませんでした。こんなに読めなかったのは、まだアメリカにいたころ、日本語の本が全然手に入らない時代までさかのぼらないといけないくらいで、反省しています。本を読むことは私にとっては非常に重要なことなのに、後回しになっていました。他にも、自分の健康面のメンテナンスがおざなりになりました。

そんなわけで、2019年は「大事なことを優先させる」ということを心に誓いました。また、わたしは小まめに整理整頓し、期日を守って仕事を仕上げるというようなことが得意なために、つい小さいことを積み上げて満足してしまい、大きな結果を出せなくなっているのではないかと思います。小さいことの積み上げもとても大事だと思っていますが、もうこれまで十分そこは尽くした感がありますので、これからは多少ぬけがあっても大きく先に進むことを目指していきたいと考えています。

思い描く1年になるかどうか、とにかくがんばります。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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