今朝の新聞を見て、ちょっとショツクなこと2件。
地元紙の信濃毎日新聞の購読料改定のお知らせ・・・・・分かるわよね、最近の値上げブームですもの。
びっくりしたのは、夕刊は休刊の文字。
時代なのね、きっと。
夕刊が配達される地域に住んだことないからご縁はなかったけれど、夕刊は一つの文化のはず。
情報を得る手段は格段に増えたけど、私は紙から入る情報が好き。
Cちゃんに、時々「おばあちゃんなんでそんなこと知っているの」と驚かれるけど、私の新聞人生はもう65年と長いからね、と答える。
新聞を隅から隅まで読んでいたのよね。
ひとつの文化の終焉を見た朝でした。
さしてその裏面に「食糧危機時 生産転換を指示」農業基本法 25年ぶり改正へ とあった。
素直に読めばごく当たり前・・・・・かもしれない。
ウクライナ侵攻以来、食料危機は現実味を帯びてきている。
私はかなり、今後の世界の食料危機は避けて通れないと思っている。
だけど、食料が足りなくなったら、それを農家に求めるのは酷である。
求められても応えられない。
農業法人ができて、なんとかそれで生産できているのが実情ではないかと、想像する。
田植えの時期やこれから秋の収穫を見ればよく分かる。
我が国の食の現状である。
それが食料が足りなくなったから、増産せよ、と法律が言っても、もう何十年も耕作放棄している田畑にまて求められても困るのよね。
もっとも本当に足りないなら、非農家の人たちが頑張ってくれるかしら。
戦時戦後の食糧不足のことが思いだされる・・・・・・私は話だけだけど。
ロシアを旅した時、郊外に別荘を持ち(実態は小屋程度)、食料の生産をしているのをみかけたことがあった。かなりの人達がそうしているらしい。
自分の食は自分で確保するという気概が求められるのではないか。
夫がリタイアしてから、農作業にいそしみ、自給自足までは行かないけれど、かなりの作物をつくってくれている。
楽なことではない、それでも家族の安全な食のため。
老夫婦2人だけなら、買った方が楽で安く済むだろう。
あと何年できるか分からないけれど、この苦労を続けていきたいものだ。
お読みいただきありがとうございました。
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中島木材のホームページは こちら
農家に米を作るのを減らすように指導しました。
農業だけでは食べていけない農家は 高度成長のなか 子供に農業を継がせても将来がない
街に出て働け と こぞって後継者を都会に出しました。
じぶんたちはまだ若い あとは何とかする と。
都会の大学を卒業し 就職 結婚 子育てをして 定年になるころには
田舎の親が農業ができなくない 生活すら難しくなる時期に来ても 今更 田舎に帰れない。
愚かな政策の行きついた姿です。
今更 米どころか 畑も増やせません。
中国の「一人っ子政策」と似た 目の前のことだけ見て打ち出した 愚かな政策で
国は壊れていますね。
農業だけでは食べられない現実があり・・・・・その結果が今です。
退職したら、田舎に帰って親と田畑を見て欲しいは私の20年来の願いでした。
現実は親は介護保険、田畑は耕作放棄地。
目の前に危機が立ちふさがらないと、見えない政策にあきれてきました。だから自分の食だけは守りたいと思ってきました。でも現実は田んぼは委託にださざるを得ませんでしたけど。
食糧はスーパーの棚にあるという認識を止めて欲しいと思っています。
汗水というのが言葉だけではないことをわかって欲しいですね。
アリとキリギリスは寓話の世界ではありません。
ようさんの言葉本当に胸に落ちました。
当地は中日新聞という地方紙を読む人がほとんど。
地域が細やかな話題が載ると地域の人は知ってるけど、私は知らない。でも私はそこに限定しないで遠くを見ていたいし、遠くから客観的に自分の足元を見ていたい、と思っていました。
そして、数ヶ月前に値上げ。
ほぼ同時期に、これもずっと取っていた夕刊がなくなりました。
仰るように文化欄が楽しみでした。
夕刊はなくなって朝刊だけなのに、なぜかその頃から薄くなったと感じています。
なーぜなーぜ。
じっくり取材をして、社会問題に切り込んでいくのが新聞の醍醐味。
気になる記事はネットニュースでも流れてきます。紙面になるタイミングは東京と名古屋では違うことも多く、見たことのない記事もよく見かけました。
「続きは有料」という先を知りたくて、値上げしたのに更に毎月500円払って、朝日新聞のネット版も読んでいます。これなら廃品回収に出しても、後で読めます。
このところ多忙で飛び回っていてご返事書けませんでした・
難しい問題てすね。
新聞に限らず、商店にしてもどんどんと止めていきます。
ようは消費者の選択なのですね。
それを育てようとしたら、買ったり購読したりということが必要なのだと思います。
地方の電車が廃止になるのも、バスが通らなくなるのも、同じ理屈。
国民の選択がなせるワザだと思います・・・・・残念ながら。みんながいい方向に生きているわけではないということです。経済理論です、できることなら新聞は真実を伝えて欲しいです。
でもこれは国民の強い意志が必要だとこの頃思います。他者に求めてだけいられる時代はおわったのだと思います・・・・・厳しい(笑)